第4話 蒸気機関で世界を変えられると思っていた。
失敗の原因が自分にあるとは限らない。
しかし、すべての失敗を他人のせいにしていては、何も変わらない。
新たな発明に挑む健太に、思いがけない転機が訪れます。
異世界生活、十二日目。
田中健太は、街外れの広場で目を覚ました。
「……寒っ」
石畳の上で眠ったせいか、背中がひどく痛い。
腹は減っている。
喉も渇いている。
何より、昨日まで使っていた安宿の柔らかい布団が恋しかった。
「……なんで俺が、こんな生活しなきゃならないんだよ」
三十四年間、食事にも寝床にも困ったことはなかった。
腹が減れば母親が料理を作り、眠くなれば自分の部屋で横になる。
働かなくても生活できた。
それが当たり前だった。
ところが、この世界では違う。
誰も食事を用意してくれない。
誰も宿代を払ってくれない。
何もしなければ、本当に何も手に入らない。
「……異世界って、もっと優しい世界だと思ってたのに」
健太はため息をついた。
だが、いつまでも落ち込んでいる場合ではない。
自分には、まだ切り札が残っている。
蒸気機関。
水を沸騰させて、その圧力で機械を動かす装置だ。
現代日本では学校でも習う、有名な発明。
これを異世界で実用化できれば、王国の産業は一変する。
「今度こそ、間違いなく成功する」
健太は立ち上がった。
問題は、作ってくれる鍛冶師を探すことだった。
* * *
「蒸気の力で、鉄の棒を押し動かす?」
鍛冶職人のガレスは、不思議そうに首を傾げた。
四十代半ば。
筋骨隆々の体格に、短く刈り込んだ髪。
工房には大小さまざまな工具が並び、奥では炉が赤々と燃えている。
「そうです! 水を熱すると蒸気になりますよね?」
「ああ」
「その蒸気を閉じ込めて、圧力で機械を動かすんです!」
「ふむ……」
ガレスは顎を撫でた。
「蒸気の圧力なら知ってるぞ。鍋の蓋が持ち上がるのと同じ理屈だろ?」
「そう! それです!」
健太は興奮した。
やはり、鍛冶師なら話が早い。
「その力を使って、工場の機械を動かすんです!」
「なるほどな。で、具体的にはどうする?」
「……え?」
「圧力を、どうやって回転に変えるんだ?」
「えっと……ピストンです!」
「ぴすとん?」
「鉄の筒の中を、棒みたいなものが上下するんですよ!」
健太は両手を動かして説明した。
「こう、シュッシュッって!」
「……それで?」
「その上下運動を車輪につなげれば、ぐるぐる回るんです!」
ガレスは少し考えた。
「なるほど。往復運動を回転に変えるわけか」
「そうです!」
「なら、連結する棒と回転軸が必要だな」
「……そうそう! それです!」
健太は嬉しくなった。
細かい仕組みはわからないが、相手が理解してくれれば問題ない。
「で、筒の中の蒸気はどうする?」
「……どうする?」
「棒を押し上げたあとだ。圧力が残ってたら、元に戻せねえだろ」
「…………」
「蒸気を逃がす仕組みがいるんじゃねえか?」
「……ああ、そうですね」
「どのタイミングで逃がす?」
「……適当に」
ガレスの表情が変わった。
「適当?」
「いや、そこは専門家の判断で……」
「お前さん、これを実際に作ったことはあるのか?」
「ありませんけど、俺の世界では普通に使われてました!」
「ふうん」
ガレスは腕を組んだ。
「なら、少なくとも理屈は本物なんだろうな」
健太は胸を張った。
「もちろんです!」
* * *
「ただな」
ガレスは工房の奥を指さした。
「機械を回したいだけなら、もっと簡単な方法があるぞ」
「……え?」
そこには、小さな金属製の装置が置かれていた。
箱状の本体から軸が突き出し、歯車につながっている。
「これは?」
「魔導回転機だ」
ガレスは装置の側面に、小さな青い石をはめ込んだ。
すると、低い音とともに軸が回転し始めた。
「……おおっ」
「魔石の魔力を使って軸を回す。うちでは研磨機に使ってる」
健太は目を見開いた。
蒸気も必要ない。
燃料を燃やす必要もない。
ただ、魔石をはめ込むだけで機械が動いている。
「……ずるくないですか?」
「あ?」
「いや、なんでもないです」
ガレスは装置を止めた。
「もっとも、こいつにも欠点はある」
「欠点?」
「魔石が高い。長時間動かすと交換が必要だし、魔力の質によって出力も変わる」
健太は顔を上げた。
「じゃあ、蒸気機関の方が優秀じゃないですか!」
「そうとは限らん」
「なんでですか!?」
「蒸気機関だって燃料が必要だろ。水を熱するにも金がかかる。何より、高い圧力に耐えられる機械を作るのが難しい」
「……」
「それに、壊れたらどうする? 熱い蒸気が噴き出したら危険だぞ」
健太は黙り込んだ。
ガレスは続けた。
「ただ、魔石が採れない地方なら価値はあるかもしれん。燃料になる木材や石炭が豊富な場所ならな」
「……ですよね!」
健太は勢いよく頷いた。
「だったら、作りましょう!」
「設計図は?」
「……」
「資金は?」
「……」
「材料は?」
「…………」
ガレスはため息をついた。
「お前さん、話は面白いが、何も準備してねえな」
「でも、作れば絶対に売れるんですよ!」
「それを確かめるために、試作品を作るんだろうが」
健太は唇を噛んだ。
また同じことを言われた。
試作品。
設計図。
資金。
異世界の職人は、どうしてこうも面倒なのだろう。
* * *
「……ところで、お前さん」
ガレスが不意に尋ねた。
「昨日から何も食ってねえんじゃないか?」
「え?」
「さっきから腹が鳴ってるぞ」
健太は顔を赤くした。
「……ちょっと、忙しくて」
「金がないのか?」
「……まあ」
ガレスはしばらく考えたあと、工房の裏を指さした。
「だったら、薪割りでもするか?」
「……薪割り?」
「ああ。薪が足りなくてな。半日働いてくれりゃ、飯代くらいは払うぞ」
健太は顔をしかめた。
「俺、発明家なんですけど」
「そうか」
「肉体労働とか、向いてないんですよ」
「なら仕方ねえな」
ガレスは仕事に戻ろうとした。
その瞬間、健太の腹が大きな音を立てた。
ぐうううう。
「…………」
「…………」
沈黙が流れた。
ガレスは振り返った。
「……どうする?」
健太は視線をそらした。
「……半日だけなら」
「よし。なら、こっちだ」
こうして、田中健太は異世界に転生して初めて、まともな労働をすることになった。
* * *
「はぁ……はぁ……!」
薪割りを始めて、一時間。
健太は早くも限界を迎えていた。
斧は重い。
腕は痛い。
腰も悲鳴を上げている。
「……こんなの、人間のやる仕事じゃないだろ」
健太は切り株に座り込んだ。
目の前には、まだ大量の薪が積まれている。
「おーい、休憩か?」
ガレスが顔を出した。
「ちょっと……体調が……」
「無理すんな。慣れないうちは誰でも疲れる」
意外にも、怒られなかった。
ガレスは水の入った木杯を渡した。
「飲め」
「……ありがとうございます」
健太は水を一気に飲み干した。
冷たい水が喉を通る。
それだけで、少し生き返った気がした。
「まあ、最初にしちゃ頑張った方だ」
「……そうですか?」
「ああ。斧の振り方はひでえけどな」
ガレスは笑った。
「力任せに振るんじゃなくて、重さを利用するんだ。ほら、見てろ」
ガレスは斧を持ち上げ、自然な動きで振り下ろした。
乾いた音とともに、丸太が二つに割れる。
「……すげえ」
「コツを覚えりゃ、お前さんでもできる」
健太は斧を受け取った。
言われたとおりに振り下ろす。
すると、先ほどよりも楽に薪が割れた。
「……あれ?」
「な?」
もう一度。
今度も、綺麗に割れた。
「おお……!」
健太は思わず笑った。
できた。
さっきまで全然うまくいかなかったのに。
「なるほど。こうすればいいのか」
「そういうことだ」
ガレスは頷いた。
「知らねえことは、教わりゃいい。最初から全部できる奴なんていねえよ」
その言葉に、健太は少しだけ黙った。
そして、再び薪を割り始めた。
* * *
夕方。
健太は、工房の裏で腰を下ろしていた。
全身が痛い。
手のひらには、小さな豆ができていた。
それでも、目の前には自分が割った薪が積まれている。
「……結構やったな」
健太は呟いた。
ガレスがやってきた。
「おう、ご苦労さん」
そう言って、小さな布袋を差し出した。
中には、銅貨が十枚入っていた。
「……これ、全部ですか?」
「ああ。約束の賃金だ」
健太は硬貨を見つめた。
異世界に来て、初めて自分で稼いだ金だった。
「……ありがとうございます」
「明日も来るか?」
ガレスが尋ねた。
健太は少し考えた。
正直、もう薪割りなんてしたくない。
腕も腰も痛い。
だが、金は必要だった。
それに、ここで働いていれば、蒸気機関の開発についても相談できるかもしれない。
「……明日も来ます」
「そうか。なら、朝から頼むぞ」
ガレスは笑った。
健太も、少しだけ笑った。
* * *
それから三日間。
健太は工房で薪割りや掃除、簡単な荷運びを手伝った。
最初は文句ばかりだったが、少しずつ仕事にも慣れてきた。
そして、四日目の午後。
思いがけない出来事が起きた。
「……あれ?」
健太は工房の隅に置かれた魔導回転機を見つめていた。
装置は動いている。
だが、回転が不安定だった。
「ガレスさん、これ、変じゃないですか?」
「ああ?」
「さっきから、回ったり遅くなったりしてますよ」
ガレスは装置を確認した。
「……魔石が弱ってきたか」
「交換すればいいんですか?」
「ああ。ただ、今ある予備も残り少ねえ」
健太は装置を眺めた。
そして、ふと思いついた。
「……回転を安定させるなら、重い車輪をつければいいんじゃないですか?」
「……何?」
「ほら、自転車とか、車のエンジンとかにあるじゃないですか。回転を安定させるための重いやつ」
健太は、以前テレビで見た映像を思い出していた。
巨大な金属製の円盤。
回転しながら、機械の動きを滑らかにする装置。
「たしか……フライホイールって言ったかな」
「ふらいほいーる?」
「はい。回転する重い円盤です」
ガレスは目を細めた。
「……なるほど」
しばらく考え込む。
「回転の勢いを利用して、速度の変動を抑えるってことか」
「そうです!」
「完全に止まるのは防げねえが、負荷が変わったときには役立つかもしれんな」
ガレスは工房の奥へ向かった。
「ちょっと待ってろ」
しばらくして、古い金属製の円盤を持って戻ってきた。
「これなら、試せるかもしれん」
「えっ、今からですか?」
「ああ。取り付け方を考えてみる」
ガレスは装置を止め、軸の寸法を確認し始めた。
健太はその様子を見つめていた。
以前なら、細かい作業はすべて職人に任せていた。
だが、今回は少し違った。
「……俺にも、何かできることありますか?」
ガレスは顔を上げた。
「じゃあ、そこの工具を取ってくれ」
「はい!」
健太は工具を手渡した。
それから、二人で作業を進めた。
円盤の固定方法を考え、軸受けへの負担を確認し、安全に回せる範囲を慎重に試した。
そして、一時間後。
「……よし。動かすぞ」
ガレスが魔石をはめ込んだ。
装置が回転を始める。
以前より、回転速度の変動が小さくなった。
「……おお」
健太は思わず声を漏らした。
「やった……?」
ガレスは回転する円盤を見つめた。
「ああ。負荷が変わったときの回転は、少し安定したようだな」
「じゃあ、成功ですか!?」
「まだ試験中だ。長時間動かして、軸や軸受けに問題が出ねえか確かめなきゃならん」
健太は頷いた。
「……なるほど」
ガレスは笑った。
「だが、いい着眼点だったぞ」
その言葉に、健太の胸が熱くなった。
初めてだった。
異世界に来てから、自分の知識が役に立ったのは。
「……俺のアイデア、役に立ちました?」
「ああ。少なくとも、試してみる価値はあった」
健太は、思わず拳を握った。
「よっしゃあ!」
工房に、彼の歓声が響いた。
* * *
翌日。
ガレスは健太に、銀貨二枚を渡した。
「……え?」
「昨日の装置の改良について、礼だ」
「銀貨二枚!?」
「ああ。まだ実用化できるかはわからんが、役に立つ考えだったからな」
健太は硬貨を握りしめた。
銀貨二枚。
薪割りで稼いだ金より、はるかに大きな報酬だった。
「……すげえ」
胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
自分の知識が認められた。
自分のアイデアに価値があった。
異世界に来てから、初めての成功だった。
「ありがとうございます!」
健太は深く頭を下げた。
ガレスは照れくさそうに笑った。
「礼なら、ちゃんと働いて返してくれ」
「はい!」
健太は満面の笑みで答えた。
その瞬間だけは、本当に素直だった。
だが――。
その日の夜。
安宿に戻った健太は、机の上に銀貨を並べていた。
「……銀貨二枚か」
何度見ても、嬉しかった。
薪割りでは一日働いて銅貨十枚。
しかし、アイデアを一つ出しただけで銀貨二枚。
「……やっぱり、そういうことなんだよな」
健太は呟いた。
「俺みたいな人間は、肉体労働なんかするべきじゃないんだ」
ガレスが行った設計。
寸法の確認。
取り付け。
安全性の検討。
試運転。
そうした作業のことは、もう頭から消えていた。
健太の記憶には、ただ一つの事実だけが残っていた。
自分のアイデアで、機械が改良された。
そして、銀貨二枚を手に入れた。
「……つまり、俺には発明家の才能があるってことだ」
健太は笑った。
蒸気機関を作る必要なんて、ないのかもしれない。
この世界には、すでに魔導機械がある。
ならば、それを改良すればいい。
現代日本の知識を使って、魔導機械を進化させる。
そして、改良技術を商業ギルドに売る。
「……これは、いけるぞ」
健太は紙を取り出した。
『魔導機械改良計画』
一、回転を安定させる。
二、出力を上げる。
三、魔石の消費を減らす。
四、大量生産する。
五、王国中に販売する。
「……完璧だ」
健太は満足そうに頷いた。
そして、最後に大きく書き加えた。
『目標:一年以内に大富豪』
その文字を眺めながら、健太は笑った。
「やっぱり、俺は天才だったんだよ」
こうして田中健太は、異世界に転生して初めて、小さな成功を手に入れた。
だが、彼が学んだのは、努力することの大切さではなかった。
誰かと協力することの価値でもなかった。
彼が学んだのは、たった一つ。
自分のアイデアには金を生み出す価値がある。
それだけだった。
そして、その思い込みは、これから彼を思いもよらない場所へ導いていくことになる。
誰かの助言を受け入れることで、これまでできなかったことができるようになる。
小さな成功は、自信を持つきっかけになります。
しかし、その成功をどう受け止めるかによって、次に進む道は大きく変わるのかもしれません。




