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鬼ヶ島への帰還  作者: 遠山枯野
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長引く備え

 あのときは、気持ちが奮い立ったが、いざ戦を目の前にすると不安は募る。3日後に出発する、などと勢いで言ってしまったが、そんな短期間で、訛った体を元の戻すことはできない。心の準備だって必要だ。作戦も立てないといけない。なんだかんだで、1週間ほどが経ってしまった。


 桃吉郎は成人した後、周辺の村でいざこざが起こると駆り出されることがあった。数回は戦の経験がある。戦と言っても、土地を巡る争いの際に、20~30人の郎党を引き連れて、太刀を交える程度の小規模なもので、自身を武士と呼ぶにも違和感がある。傭兵の頭という程度だろうか。


 戦などそう頻繁に起きるわけでもない。1年近く、刀や槍を握っていなかった。実践から遠ざかって腕が訛っているのは郎党たちも同じであった。村の稽古場には郎党たちの交わす木刀の快音が春の晴れた空に響き渡っていた。これから禍々しい鬼たちと対峙するのを忘れそうな穏やかな陽気だ。


「お頭、だいぶ戻してきましたな。」


 桃太郎と木刀を交わしていた、柿兵衛が腕を止め、息を切らして言った。柿兵衛は、亡き父の代から使えている年長の武者で、郎党の中ではもっとも剣術に優れていた。背が高く、濃い髭を生やしているため、一見、気迫に押されるが、深い皺のある顔をよく見れば、垂れ目でひ弱な印象を受ける。


 柵で仕切られた草むらの向こうには、弓矢の訓練をしている、小柄な青年の姿が見えた。栗ノ介だ。さすがに弓の達人、的の中央を力強く射貫いていた。柿兵衛と栗ノ介は、亡き父が村で見出した逸材であり、戦では何度も助けられた。自身の名にちなんで、果物の名前を付けさせている。桃吉郎は瓢箪を口に付けて、水を腹に流し込んで、答えた。


「ああ、だいぶ、実践感覚が戻ったよ。体の方は良いとして、作戦は立てているか?」


 郎党の中でも戦術を考えるのは、柿兵衛の役割であった。


「いいえ。わしなんぞ、小競り合い程度が関の山。鬼に関する知識がある戦術家を村長が探していると、聞いております。」


「左様か。父は少人数で鬼ヶ島に乗り込んだというがな。」


 そう言ってから、父の強さは化け物並みであったことを思い出した。


「あれから40年近く経ちまする。鬼たちも進化しておるようですから、用心にするに越したことはござらん。しかも、この度は、村の娘たちを取り戻し、鬼たちを根絶するのですから、それなりの増員は必要でしょう。」


 鬼に連れさられた輝夜のことを思い出して、桃吉郎の腹の底に焦りが湧き上がった。いつ何をされるかわからない。鬼に連れ去られて生還した、という人間を聞いたことがある。鬼の中でも人間の肉を食べるのは一部の輩だという。食べるのは決まって若い女の肉だ。女を裸にして、熱湯と冷水に交互に浸して、血の巡りが良くなったところを、鉈でぶった切って食べる。人肉は腹持ちが良いため、数十匹の鬼で人間一人分を3日程度かけて食べるようだ。まだ、手を付けられていないことを祈るほかないのが、もどかしい。とはいえ、中途半端に出向いて、失敗したら、それこそ取り返しがつかない。


「みんな、励んでるかい!飯を持てたよ。」


 割烹着姿の桃子に連れられて、村の女たちが、握り飯を運んできた。郎党たちは刀を置いて、握り飯を手に取って食べ始めた。大事を前に食欲が落ちていたが、無理にでも食べねば戦はできぬ。


 握り飯を配る女たちの後ろに母、千早が歩いてくるのが見えた。最近は、病気で寝込むことも多かったが、わざわざ激励に訪れてくれたのだ。日傘をさして、白布で全身の肌を隠していた。周囲を見渡してから、手に持っていた包みを置いて、縁台に腰を下ろし、桃吉郎に弱弱しい微笑みを向けた。


「頼もしい仲間たちだねぇ。桃吉、そなたに引き継いでもらいものがあるのよ。父が残していったものだよ。」


 千早が風呂敷の結び目をほどく。桃印のついた陣羽織が現れた。彼女は、それを鉢巻、軍配団扇(うちわ)とともに両手に乗せて、桃吉郎へ差し出した。いずれも桃印が付いていた。


 父が鬼ヶ島に遠征した際に身につけていたものだろう。桃吉郎はこの桃印を好きではなかった。緑の葉っぱの上に乗せられ、割れ目が一筋入った桃色の玉。平和の象徴、これを旗印にすれば、いかにも正義の軍隊という気風が漂うだろう。それはそれで良いのだが、どうしても父上の人並外れた力を思い出してしまう。自分に父のような力があれば、村人は鬼とは無縁の生活を送れる。自責の念に駆られてしまう。そんな自分なんかに求心力があるのか。村人みんなが心の底では自分を馬鹿にしているよう思えてしまう。親の七光りのために自分が総大将とされるだろうが、これまで何も貢献して来なかった自分に果たして皆が付いて付いてくるのか。


 子供の頃はいじめを受けていた時期もあった。近所に住んでいて、自分より力の強い農民の連中たちだ。陰険な奴らは、父の目の決して届かないところで、殴る蹴るの暴行を仕掛けてきた。桃吉郎は、父の名誉を傷つけてはならない、という思いがあって、父には相談できなかった。連中もいじめがバレたところで、優しい父なら一度ぐらい見逃してくれるだろうと、高をくくっていたのだろう。そんな中、母上と姉上だけは、それに気づいていた。泣いていた桃吉郎に、父の血を引いているのだから強くなれる、そしたら仕返しすればいい、と激励してくれた。おかけで、鍛錬に励み、人並みの力は身につけたが、父とは雲泥の差である。実際、村人たちが、そのことを噂するのを偶然耳にすることもあった。父がこの世を去り、後ろ盾がなくなった今、自分に何が残るのか。自分を貶めようする輩もいるに違いない。そんな不安が四六時中消えない。だから、物ぐさ善太郎のような、陽気な駄目男を相手にして、酒を飲み、自己肯定感を維持しているのかもしれない。


 この戦は、逆に言えば、村人に自分の存在を認めさせる絶好の機会とも言える。鬼退治が成功すれば、輝夜だって、きっと振り向いてくれるはずだ。しかし、しくじれば、立場は危うくなる。いや、それどこか、自分も含め多くの命を危険にさらすことになる。分水嶺とはこのことだろうか。塩をまぶした玄米のおにぎりを手に持ったまま宙を見つめている桃吉郎に向かって、千早がささやいた。


「不安で仕方ないでしょう。でもあなたには父の血が流れているのです、きっとうまくいきますよ。」


 そう言われれば、少しは勇気が湧く。しかし、その血をだいぶ薄めてしまったのは母上ではないか。姉上も激励した。


「怖いなら、使命を思い出しなさい。使命を果たすことに注力すれば、自然と体が動きますし、皆を動かすことができます。」


 桃吉郎は、桃印のついた陣羽織を着流しの上から恐る恐る被った。金色の生地の上に鮮やかな桃。不思議と緊張感が湧く。父も今の自分のような覚悟を決めて鬼ヶ島へ向かったのだろうか。はじめて父と気持ちが一つになったような気がした。千早が目を潤ませている。


「立派ですよ。あの人を思い出します。」


 母と向き合って言葉を交わすのは久しぶりである。父が亡くなってからは初めてだろうか。母は、桃吉郎の郎党にも興味を持ったようだ。桃吉郎の戦を見たことのない母にとってはめずらしい光景なのだろう。誰がどんな能力を持っているかを興味深く聞いてきた。


 皆が握り飯を食べ終えた後、桃子と千早は帰っていった。午後の訓練を始めようと、皆に声をかけようとしたとき、村長の竹中が現れた。


「桃吉郎殿。できるか限りの援軍を集めましたぞ。明日には出発できます。」


 父の弔い合戦という名目もあれば、ゆかりの者たちを集めやすいはずだ。鬼が毒を盛ったという真意は定かではないが、そういうことになっているらしい。ゆえに、総大将を桃吉郎としてもとりあえずは皆が納得する。そして、村長もでき愛の娘を奪われたのだから、戦の準備には必死になるだろう。

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