決意の日
突然開いたふすまから漏れる光に目が痛んだ。甲高い声が薄暗い部屋の静寂を破った。
「おい、桃吉郎!まったく、昼間っから飲んだくれてさあ!いい加減にしなさいよ!」
吉備津桃吉郎は体をびくりと震わせて、寝転んでいた座布団から身を起こした。そろそろ、姉の桃子が説教しにやってくることは覚悟していたが、唐突に大声を出されると、驚いて酔いもさめてしまう。逆光で表情は見えないが、鬼のような形相をしていることは想像がついた。
「なんだよ、姉上。うるさいなあ。まだ、閑散期だろう。休ませてくれよ。」
桃の節句を過ぎたばかりの寒さの残る時候である。作物の種植えまではしばし余裕がある。役所仕事だって大事でも起きねば、急ぎでやることもないのだ。
「それどころじゃないんだよ!悪さをする鬼たちが急に増えたんだよ。きっと父上が亡くなったことを嗅ぎつけたんだね。いいように暴れまわっているよ。あんた、ちょっと追い払ってくれないか?」
「なんで、俺なんだよ。」
「あんたがこうやってさ、ろくに働かなくても贅沢できるのは誰のせいだと思ってるんだい? 父上が鬼ヶ島から村の財宝を取り返してくれたからじゃないか。こんな時こそ、お前が働かなくてどうするんだい。」
父上の鬼退治は村の伝説となっている。母、千早からよく聞かされたものだ。桃から生まれたとか、きびだんごで犬と猿と雉を味方につけたとか、俄かには信じがたい逸話も含まれているが、鬼ヶ島にいる敵を武力で降参させ、奪われた財産を取り戻すばかりか、鬼たちからもお詫びとしてお宝や食料を譲り受け、そのおかげで桃吉郎たちも、裕福に暮らすことができていた。父が存命の間は、鬼ヶ島の鬼たちは手出ししてこなかったが、父が原因不明の病で亡くなってから、村人たちからの被害報告が少しずつ目立ち始めた。
「誰のおかげ、って、俺は頼んでねーし。父上は父上、俺は俺だ。俺より強い奴なんて、村にいるしな。それに、いざとなれば、銀太郎とか、浦島次郎を呼んで来ればいいさ。」
「この際だから、教えてやろうか。父上の本当の死因。鬼たちからの貢物、あのアジの干物の中に毒が仕込んであったのさ。父上の好物なのを知ってて、毒を盛ったんだよ。あんなに強かった父上が急死するなんておかしいいもの。それを鬼たちに白状させたいとは思はないのか?」
「姉上の妄想だろう。おれは行かねー。」
「あんた、鬼が怖いんだろう。意気地がないねぇ。母上が甘やかすからいけなかったのかねぇ。」
桃吉郎は不貞腐れて、顔をそむけた。桃子の憤慨は、顔を赤らめて、桃太郎のお隣で寝転ぶ、物ぐさ善太郎に向いた。
「おい、そこの物ぐさ野郎! 金輪際、桃太郎に近寄らないで頂戴! あんたとは住む世界が違うんだよ。」
桃子は物ぐさ善太郎の襟首をつかんで、ふすまの前まで引きずり出すと、力を込めて、庭に投げ捨てた。その瞬間、老人の叫び声が聞こえた。
「た、大変だぞ!」
村長の竹中喜之助である。彼は庭先で緩慢に転げまわる物ぐさ善太郎ともつれ合った。桃子は慌てて謝罪した。
「これはご無礼を!いかがいたしました!」
起き上がろうともしない善太郎の下敷きになりながらも村長は顔を上げて桃子を見上げた。
「村の若い娘たちが鬼にさらわれたって!その中にわしの娘もおったんじゃと・・・」
村長の娘・・・まさか輝夜が・・・桃吉郎の心臓は高鳴った。
桃吉の幼馴染の輝夜は美しい娘だった。拾い子という噂があるが、おそらく本当なのだろう。村長は妻との間に子ができず、老齢になってからこの輝夜を竹藪の中で見つけたという。黒髪で透き通るような白い肌、切れ長の目。桃吉とは仲が良かったが、1年前に求婚を申し出た際に振られてしまった。親友として身近な存在だったため、男としては見られていなかったのだろう。「自分はこの世のものではない」とか「いずれ月に帰らないといけない」とか、天然壁のある彼女らしい訳のわからない理由を並べてきた。
それでも、親しい彼女が醜い鬼たちの餌食にされるのは耐えられない。それに、彼女を自分の力で窮地から救うことができたなら、彼女を振り向かせることができるかもしれない。こちらの気持ちを察したのか、桃子が振り向いた。
「よし、決まりだね。桃吉郎!今度こそ、鬼たちを根絶やしにするんだ!」
そうだ。優しい父は、鬼たちの命までは奪わなかったと聞く。今後、悪さをしないことを約束させ、宝を取り返して、引き返してきただけだ。その恩を忘れた鬼たちへの憎しみが突如として湧き上がってきた。ものを盗むだけならまだしも、人さらいなど、人道に反している。結局、父は甘かったのだ。どうして、百害あって一利なし、将来への不安の種である、鬼を根絶しにしようとしなかったのか。まさか、鬼に同情したのだろうか。そのせいで、現に禍が起きてしまった。
桃吉郎は、父ほどの強さも優しさも持ち合わせていない。父の強さといったら人間離れしており、あの銀太郎の父、坂田金時でも歯が立たなかったという。金時は幼少期、金太郎と呼ばれ、熊をも相撲で倒すほどの怪力を見出されて、現在は、武家の棟梁・源頼光様の四天王の一人として活躍している人物である。桃吉郎は父に稽古を付けてもらうことはあったが、本気を出した父の姿を知らない。そして、鬼をも許すほどの寛大さを持ち合わせている。天が遣わした人物だと皆が言う。父と比べれば、桃吉郎など凡人の類、努力でどうにかなるものではないことは幼き頃に悟った。それでも、世の人々は桃吉郎を父と比較する。そうやって、桃吉郎の心には劣等感が積もっていった。
そんな悩める彼を古きからの友、銀太郎は励ましてくれた。
「お前の父はバケモンだよ。だがな、お前は決して低能ではない。たしかに武力では父に到底及ばないだろう。しかし、父にはないものを持っている。他者の力を使って賢く戦うことができるし、冷酷な判断もできる。お前の弱き部分、人間らしき部分に惹かれて、皆、お前を助けようとする。完璧じゃないからいいんだよ。」
今度こそ、悪の根源である鬼たちを根絶やしにし、村に本物の平和をもたらすのだ。自分の内に向いていた意識が、外部へと反転するのを感じた。自分の優越感や劣等感がどうこうではなく、村や人々の幸せのために戦う。ある意味、父が成し遂げられなかったことを自分は成し遂げる。
桃太郎はまだ酔いの回っている頭を持ち上げ、腰を起こした。ふらつきながらもまっすぐ前を向いて、光の刺す方へ一歩踏み出した。
「村長、柿兵衛と栗ノ介の精鋭隊に声をかけてくれ。村の外から援軍もできる限り募ってくれ。鬼が島に詳しい人間が居るとよいな。3日後に鬼ヶ島へ出発する。」
個でかなわない鬼に対しては数で対抗するだけだ。




