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ハツセ・アキラ:「60年前」

 生ぬるい水で満たされた、暗くて狭い部屋。

 ハツセ・アキラの意識は緩やかに浮上した。


 …ここはどこだ?


 手足の感覚がない。何も見えない。何も聞こえない。

 今はいつの何時だ?俺はいつからここにいる?


 …香澄はどこにいる?あれからどうなったんだ?


 最初に彼女の計画を聞いた時は驚いた。


 防衛システムに侵入して、セキュリティシステムを書き換える。パスコードも変更して、例の兵器を誰も使えなくなるようにする。少なくとも、時間稼ぎはできる、と。あの兵器が使われたら世界全体が無事でいられない、人類には早すぎる代物だ、とも言っていた。


 香澄は紛れもなく天才だ。俺では足元に及ばないような本物の天才だ。彼女ができるというならできるのだろう。その能力を買われて一年前から軍にも協力していた。

 いや、()()()()()()()()()と言うべきか。

 世界大戦を終わらせるためになりふり構っていられない状況だった。だから、香澄は家族、友人全てを人質にとられていたといっても過言ではない。


 もちろん、俺も。

 技術的サポートとして協力を要請され、香澄と何度か研究施設に行ったこともある。だがそれは、何も知らない俺に軍がいつでも手を下せることを香澄に見せつけるものであったと、ずいぶん後になってから気づいた。


 それなのに俺は香澄を助けられるのだと能天気に喜んでいた。俺とは比べ物にならない天才で、俺の助けなど必要なさそうな香澄のためにできることがあると思って嬉しかったんだ。


 

 香澄とは幼馴染みだ。長い黒髪に赤茶の瞳。よく笑い、豪快だが繊細で優しくもあった。そんな彼女を好きになるのは俺にとって自然なことだった。付き合ったのは高校一年の夏だっただろうか。


 思い出すうちに、頭がぼんやりしてくる。

 まるで何かが強制的に意識を押さえつけているような、何か別のものに頭を乗っ取られているような、なんとも気味の悪い感覚だ。


―香澄はどこにいるんだ?

 セキュリティシステムを書き換え、パスコードを変更するまでは成功した。そのせいで軍に追われて、二人で逃げたんだ。


 目を離したすきに、香澄は有害物質の満ちる地表へ向かっていた。気づいた時には既に遅く、分厚い扉は完全に閉ざされていた。

 強化ガラスの向こうにうっすら見える香澄に、俺は何かを叫んで、ガラスを叩き続けた。香澄は微笑んで、俺の手の辺りに、向こう側で手を添えて―

 その手が少しずつ力を失い、香澄の体が揺れ始め、皮膚は焼けただれて剥がれ始めた。


 俺が駆けつけた軍に拘束された頃には、香澄はもう事切れていたようだ。もはや魂が抜けた()()になってしまっていた。

 俺は泣いて、泣いて、立ち上がることもできず、鎮静剤を打たれて…



()()()()()()()()()()()()



 そうだ。その後俺は一度脱走に成功したんだ。

 香澄を失いたくなくて。

 俺は


 …俺は?



 確か、香澄の体細胞が保存されていたんだ。

 思い出せない。何か実験で使って、まだ廃棄されていないものがあることを俺は唐突に思い出したんだ。


 もちろん、それを使ってだれかを生み出したところで、それは香澄ではない。でも、あの時の俺は香澄にまた会いたくて、悲しすぎて



思考が乱れる。何かが無理やり頭の中に流れてくるようだ。ここはどこなんだ。俺に何が―







…香澄?


 香澄が近くにいる。どうして分かるのか、自分でも分からない。生体情報が頭に流れてくる…


 生体情報?どうしてそんなものを俺が認識できる?

 いや、なんでもいい、香澄がいる。会いに来てくれた。

 全て夢だったんだな。お前は死んでなんかなかったんだ。


ああ、よかった。よかった。よか―






………


「カナメ。ログインはできそうか。」

「…できた。」

「よし、セキュリティも発動しない。予想通りだ。」

「AIをつかってすすめればいい?」

「それでいい。マニュアル通りに進めて、異常があったら報告しろ。」


 8歳になったばかりのかなめはぶかぶかのヘッドギアをつけて、AIと対話していく。

 背後で、大人達の話が聞こえる。


 どうやら、新時代と旧時代のAIの仕組みが根本から違うということ。今のAIは誰かの脳が使われていて、その思考パターンや感情、経験などが演算にも流用されているから、より直感的で人間の思考に近い、精度の高い使いやすいものであること―


「ああ、」

かなめはコンソールパネルに手を当てる。

「だからあなたはやさしいんだね」


 大人達の会話の半分もかなめは理解できなかったが、対話している相手―機械であるはずのそれに、人間の気配を感じていた。

 かなめの求めに応じて次々と作業を進めていくが、大人達の求めるかなめに負担のある作業をことごとく作り替え、より負担のない形に変えて出力してくる。それに作業と並行して、他愛のない話題をふってくる。組織に連れ去られて初めての雑談に、かなめの心は緩んでいた。


 ただ、定期的にノイズが入る。

 ―カスミ?


「カスミって、誰なんだろう…」


「カナメ。問題でも?」

「なにも。」



カスミ、アイシテル



ちいさなモニタのひとつに一瞬だけ映り込んだが、かなめを始め、誰も気づいていなかった。





 AIの演算装置は立方体で、その奥深くにコアがある。

 液体に満たされた、沢山の電極が差し込まれた、くすんだ銀色の筒だ。そこに何が入っているのか、かなめにはどうでもよいことだった。




 その日、AIが掌握している火星のシステム全てが無条件でかなめを受け入れた。長らく封印されていた兵器が使えるようになり、内戦はほんの数週間で終わりを迎えた。

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