エピローグ 4ヶ月後: 話し合い
「かな、出られそう?」
「うん、行こう。よしくん、行ってきます」
「いってらっしゃい」
いつもの朝の光景。季節はうつろい暑さも和らぎ始めていた。二人はいつも通り引戸から振り返り、よしふみに小さく手を振って門を出ていく。
―――
中央管理棟での一件があった夜、はやとはかなめとよしふみを居間に呼んで麦茶を入れた。
改まったはやとの姿に訝しげな表情のかなめと、無表情だが優しい目のよしふみに見守られて、はやとは話し始めた。
途方もない話で、どこから話し始めれば良いのかも分からない。覚の言うどこからどこまでが正しいかも分からない。でも、全てを知った上でかなめと家族でいたい。大好きだと言いたい。だからかなめの過去を知りたい。言葉を尽くし、時には涙をこぼしながらはやとはかなめに語りかけた。
当のかなめは、どうにか話をそらそうとしたり、大変だった、とか言う簡潔な一言で会話を打ちきろうとしていたが、よしふみに諭される。
「かなめ。決めるのはお前だけど、俺は話した方が良いと思うよ。」
ハンドタオルをはやとの頭に乗せながらよしふみは話す。
「知られるのが怖いのは分かるよ。でも現実問題として今後知らなければならないことも多いだろ?はやとだけ蚊帳の外にいることはできない。それに、」
頭からぱさりとちゃぶ台の上に落ちたタオルを拾い上げ、よしふみは乱暴にはやとの顔をこする。
「隠したままじゃ、お前はいつまでも安心できないんじゃないか?隠し続けるのも大変だろ。」
そっとかなめの頭に手を乗せて、顔を覗き込んだ。
「…かなめ、お前はもうどこにも行かなくて良いんだよ。お前はこれからここで生きていくんだ。…だから、さ。」
言い聞かせるように、語りかける。
簡単に自分を投げ出したり、自分がいなくなることを解決法のひとつと数えないように、釘を刺す。ずっと払拭できない、嫌な予感を振り払うように。
まっすぐなよしふみの視線に顔を背けることがはばかられて、かなめは最初視線だけを彷徨わせていたが、「はやとの誠意に応えてやりたい」とよしふみが付け足すと、観念したように息を吐き出した。
ぽつぽつと、何でもないことのように話し出す。
拐われた時のこと。
様々な訓練や勉強はさせられたが、しばらくの間は大切にされて飢えも痛みも感じずに暮らせていたこと。
終われば家に帰してもらえると言われて、毎日必死になって頑張っていたこと。
その後、自分の生体反応をアクセスキーとして火星のシステムを掌握したこと。セキュリティを書き換えパスコード類を全て更新したこと。
ああ、これで帰れる、と思ったのに、一切の約束が反古にされたこと。
そこから扱いが悪くなっていき、銃器や刃物を他人に向けさせられたこと、従わなければ生きていけなかったこと。
まるで何世紀も前の少年兵のような生き方を強要され、ただ毎日を生き延びるのに必死になったこと。今とは比べ物にならない過酷な毎日だったこと。
…とはいえ、それらはあの頃の日常だったから、今となっては特に感慨も苦しみも感じない。後悔や自責の念も、怒りも、何も感じない。全ては終わってしまったことなのだ。
だから、簡潔に、無感情に淡々と話していった。
つもり、だった。
ちゃぶ台の上で軽く握る拳に、雫が落ちた。それが自分の涙だと気づくまで、かなめは目元をぬぐうこともせずに話を続けていた。
心は凪いでいるのに、涙ばかりがこぼれ落ちていく。
「わたしなんかは、大したことないんだよ」
かなめははやとの方を初めて見つめ、不器用に口角を上げた。
「だって、きほんてきには守られていたもの。バディもいて、目がとどくはんいであればたすけてもらえた。大人の人たちも、ちょくせつやるいことはしてこれなかったんだよ。わたしがいちばんつらかったわけじゃないんだよ。」
何も感じていないはずなのに、涙が止まらない。
喉が詰まるような息苦しさと胸の圧迫感。
話を区切っても良かったが、涙と一緒に、言葉もこぼれ続ける。
「で、でも、さ」
声が震えた。
言ってしまっても良いのか。
今まで一度も言えなかったことを。
こわい。
でも。
胸に込み上げる熱いものが、わずかに浮かぶ逡巡をかき消した。
「やりたく、なかった、なあ。誰も、ころ、…きずつけたり…」
かなめはちゃぶ台の上の両手を小さく広げ、見つめた。そしてすがるような視線をはやとに戻す。
「かえりたかった、だけなの。…はやと、信じて…」
心にはまだ何も感情が映らなかったが、心拍は上がり、唇は震え、胸は痛み、涙はこぼれ続けていた。
無理に上げた口角がひきつり、目蓋と共にピクピクと痙攣した。
はやとはぐしゃりと顔を歪めると、かなめの隣に来て背中に手を回し、抱き締めた。
「…信じるよ。」
背中を軽くさすりながら、頭を包み込んで撫でる。
「分かってるよ。無理に笑わなくて良いから…」
かなめは声も上げず静かに泣いた。
かなめの視点で語られた過去は、覚の話からはやとが想像していたよりも何倍も悲惨な話だった。救いのない環境で、周りからも死を望まれていて、良く生き延びてこられた、とはやとは思う。
「…帰ってきてくれて、ありがとう。」
よしふみが寄ってきて、かなめを抱き締めるはやとごと二人にぎゅっと手を回した。数秒間、苦しいぐらいにぎゅーっと力を入れた後にぱっと手を離すと、いたずらっぽく笑って見せる。
「ところで、今朝ケーキ作っといたんだけど。」
二人の大好きなレモンメレンゲのケーキ。キラキラした目でほぼ同時にぱっと顔を上げると、よしふみは思わずふはっと噴き出す。
「そういえばお前ら、双子だったよな。」
関係が変わることを恐れて、うわべだけの日常を引き伸ばしていた。それでいて、いつそれが壊れてしまうのか常に怯えていた―そんなところもそっくりだよ、とよしふみは心で付け加える。
よしふみが冷蔵庫からケーキを出す間にかなめが顔を洗いに行き、はやとが皿とフォークを出す。
目を赤く腫らした三人は、よしふみ特性のすっぱくて甘いケーキに顔をほころばせながら他愛ない話をいつまでも続けた。
―――
その夜のことを思い出していたはやとを、かなめが覗き込む。
「はやと、今日もひなちゃん、くる?」
「うん、部活ないみたいだから今朝も来ると思う。」
ひなたはかなめの初めての友達になった。未だに表情に乏しいかなめではあるが、「ひなちゃん」と呼ぶ度に、目が心なしかキラキラしているように見える。やはり、初めての友達がかなり嬉しいようで、毎朝の通学時にひなたが来るのかどうか聞いてくる。
「ほらあそこ。…いらないのも来てるけど。」
横断歩道の向こう側に、ひなたと覚が待っていた。




