アザレイ
ぼくたちはトレェードに戻った。実をいうとゼニス国の馬車で送って貰ったのだ。あの後、草原をトボトボと歩いていたぼくたちの前に、アザレイの侍従長だというおじいさんが現れた。アザレイを迎えに来た人だった。おじいさんはゼニス国のグリュネス伯爵と名乗った。ぼくたちは正式名称を名乗るわけにもいかず、南からの冒険者だと答えた。グリュネス伯爵はちょっと口の端に笑みを浮かべた。何もかも知っていますという笑みだった。
「アザレイ様をエリシュオーネ様から解放していただきましてありがとうございました」
グリュネス伯爵は深々とぼくたちに頭を下げた。そのお礼だと言って、ぼくたちをトレェードまで送ってくれたのだ。アザレイはエリシュオーネの狂気に引き摺られない時には、聡明で慈悲深い国王だったという。北エリシュオーネを統一したのも、小国家間での争いが絶えなかった北エリシュオーネに終止符を打つためだった。
「お嬢様、私の口から申上げるのも失礼かと存じ上げますが、封印の洞窟の前にお嬢様とご一緒なされていたアザレイ様は実に幸福そうでございました。できましたら、いつか、アザレイ様の元へお戻りいただきたいとお願い申し上げます」
トレェードで別れる前に、グリュネス伯爵はぼくの前に跪いて、そう願い出た。ぼくは明確な答えを出せなかった。できれば、今の状態が維持されることを秘境にも臨んだのだ。今の生活を壊されたくなかった。それは封印されている間に望んだこと。神として生きることではなく、一人の人間として生きてみたかった。今、それが叶ったのだから、今までのようにルイさんとノブユキさんのそばで笑って生きていきたかった。本当のところはぼくには元始の神様が何を望んでいるのか理解できずにいる。エリシュオーネの魂を元に戻してどうするのだろうかという疑問もある。
エチゴヤさんたちはトレェードでぼくたちを待っていてくれた。ぼくを見たセレインはギュッとぼくを抱きしめて、「よかった」と何度も呟いた。ウェンさんとレンダークさんは久しぶりに再会で、積もる話もあるらしく、二人きりで何かしんみりと話し込んでいた。タクミくん、タクトくんとフェルは、エチゴヤさんの飄飄とした態度に飲み込まれている。三人は後でぼくがエチゴヤさんの正体をばらすと、飛び上がるように驚いた。だよねとぼくも思う。
イーストエンドを抜けるまで、ぼくたちは行動を共にした。タクミくんは早馬で駐屯地に戻り、修業の旅の途中のタクトくんとフェルはディーア国へ向かった。リーファンさんに必ず、来いと言われてたらしい。ぼくとレンダークさんはエチゴヤさんの隊商と一緒にエイーガへの帰途についた。
レンダークさんが何を考えているのかぼくにはわからないし、わかりたいとも思わなかった。今まで通りにそばにいてほしいと願いながらも、きっともうレンダークさんは役目を果たしたのだから、きっとまた神の世界に戻ってしまうかもしれないと思うと心が痛む。それでも、レンダークさんが望んだならぼくは受けれいないといけないのだと言い聞かせていた。
『エリシュオーネ様、ありがとうございました。これで、我々は静かに暮らせます』
昨日の夜、フェーズの声が聞こえた。ぼくは闇の中にいるフェーズに微笑んだ。本音を言うともっとあの狼さんの身体をもふもふしたかったのだが、静かに暮らしたい彼らの一族をぼくたちの感情で振り回すことは失礼だと思うから我慢した。
家に戻ってから、レンダークさんはルイさんに頭ごなしにガミガミと怒鳴られた。おじいちゃんは「レンダークが無事に戻っただけでいい」と喜んだ。ノブユキさんはぼくが家を出た時と同様に、ぼくの頭をポンポンと軽く叩いた。それだけでうれしくてたまらなかった。なんてちょろいぼくだ。
「ありがとう、ぼく、おとうさんにはかなわないや」
ぼくはノブユキさんにひしと抱きついた。結局、ぼくはいつだってノブユキさんとルイさんに助けられたのだ。都合よく、エチゴヤさんが隊商を組んだのも、タクミくん、タクトくんやフェルが素早くぼくを追いかけてきたのも、全てはノブユキさんの差し金だった。
「ぼくはお父さんの子供に生まれてくることができてよかった」
元始の神様がぼくの親にこの二人を選んだ理由がよくわかった。普通の人間はぼくのような子供を恐れ忌み嫌う。アザレイがそうだった。自分でアザレイの力を欲したくせに、前ゼニス国王はアザレイを恐れた。王妃にいたっては、化け物扱いで殆どアザレイとは会わなかったらしい。ぼくたちは二人とも、過去の記憶を心の深い底に封印して生まれた。なのに、アザレイは両親から恐れられて育ったのだ。唯一の救いはあのグリュネス伯爵だけだった。アザレイがギリギリで自分を取り戻したのは、結局ぼくではなく、グリュネス伯爵のお陰だとぼくは内心では思っている。
表面上はぼくの生活はほぼ元通りに戻った。相変わらずルイさんは家事が全然駄目で、ぼくが元通りに家事一切を引き受けているが必要最低限の侍女や家令などが雇われていた。今までと大きく違ったのは侍女のサラサがぼく付きになったことだ。もちろん、公爵家のご令嬢としてのマナーやダンスなど今まで必要としてこなかった社交術関係の家庭教師を押し付けられたからだ。一応、王子の婚約者だしね。溜息。
サラサからはお嬢様としての心得をいろいろなことを教えてもらった。ドレスを何着も作られた。ルーイ家とオーダ家のおじいちゃんたちが張り切ってぼくを淑女にしようとしているらしい。ぼくが切った髪は鬘になっていて、ぼくの短い髪を隠すように毎回それを付けることを義務付けられた。おじいちゃんたちは女性が髪を切るなんてと憤慨していたらしい。面倒。
成人したぼくは社交界にデビューすることになった。一応婚約者のフェルが修行の旅から帰ってこないから、代わりにレンダークさんがエスコートしてくれて何とかデビューをすますこともできた。公爵家令嬢に化けたぼくに他の貴族のご令嬢たちの口撃が来るかと期待したのだけれど、どうもぼくの婚約者が王子一人になったことで、状況が変わったらしい。レンダークさんはどこに行っても目立つ。ご令嬢たちの視線の先にはいつもレンダークさんがいた。それで、彼女たちはぼくと仲良くなり、レンダークさんを射止めようと決めたらしい。肉食系のお嬢様方は現金だなあとつくづく思う。
「よう、モエギ、元気してるか?」
ぼくがエイーガに戻ってから、約束通りにアザレイはやってきた。しかも夜遅くにだ。ベッドに潜り込んでいたぼくが窓を開けると、アザレイは銀杏の枝に尊大そうに腰掛けていた。その態度に一応国王だしなとぼくが内心舌打ちをしたのは仕方がないことだと思う。
「こんな遅くに?」
「俺は散々悪いことしたからな。おまえの父ちゃんと母ちゃんは特に苦手なんだ。それに俺は敵対国の国王だ。大っぴらにここへ来られるわけないだろうが」
アザレイは宙にふわんと浮き上がると、窓に寄りぼくの手を取った。次の瞬間、ぼくたちは岩山の上にいた。真下には雲海が広がり、遠くまで南北エリシュオーネを一望できる場所。空にはたくさんの星々と大きい月と小さい月が並んでくっきりと浮かんでいる。ぼくはホォッと感嘆の声を上げた。
「死の壁山脈の頂上だ」
ここは誰も来ない場所だ。アザレイは秘密の場所だとそう言った。その気持ち、ぼくもわかる。彼は時々こうしてここからエリシュオーネ大陸を見回していたそうだ。暗黒神としてのエリシュオーネもここが好きだったらしい。それを思うと少し心の奥に澱が沈む。
ぼくたちが二つに分かれなかったら、彼は本当は暗黒神にならずにすんだのかもしれないとほんの少しだけそう思う時がある。そう思うのはぼくの傲慢かもしれないが。もし、あの時ぼくが封印されずにいたらと考えても実際にはそうならずに今の歴史がある。この歴史を変えることはもうできない。それにぼくはもう人間だ。神じゃない。この世界はもうこの世界に住む者たちに委ねられた。ぼくが何かできることはないのだ。寂しさがこみ上げる。
アザレイが後ろから肩越しに腕を回して、ぼくを抱きしめた。ぼくの胸がどきんと跳ね上がる。
「なあ、おい、キスしてもいいか?」
唐突な言葉にぼくは声も出せなかった。ぼくの返事も聞かずに、アザレイはぼくの唇にキスをした。ぼくはまた顔を赤くしてほわんとなる。
「馬鹿!」
アザレイがぼくから離れると、ぼくはやっと我に返って、バチンとアザレイを叩いた。アザレイがクククと声を上げて笑った。
「おまえ、おもしれえな」
「ぼく、帰る」
そこで、ハタッと気付いた。ぼくはアザレイと違って、自分の神霊魔法をまだ自在に扱えない。こんなところから帰る術をぼくは持っていない。アザレイがお腹を抱えて、苦しそうに笑い転げている。ぼくはプクッと頬をふくらませた。
「モエギはまだ、子供なんだな」
笑い転げた後で、アザレイは真顔で呟いた。それから、ぼくはアザレイに連れられて、自分の部屋に戻った。
「俺、この前は大人ぶって、お前に格好いいことばかり言ったけど、やっぱり止めた。あの後で、元始の神様に怒られちまった」
「元始の神様に?」
「まあ、いいや。モエギはまだガキだし、俺はお前が大人になるのを待っててやるよ」
アザレイはわけがわかんないことをブツブツと言うと、またぼくの頬にキスをした。
「馬鹿!」
ぼくが叩こうとする前にアザレイはヒョイとぼくから離れた。
「また、来る」
悪戯っ子みたいにニヤッと笑って、アザレイは夜の闇に融け込んだ。
アザレイの消えたあと、空を見上げるとちょうど大きい月と小さい月が重なったところだった。互いを求めあう月。ぼくとアザレイもそうなのだろうかと漠然と考えながら、ぼくは本当のところどうすればよいのかわからずにいた。




