北の神殿
当然洞窟内部は真っ暗で、ぼくは光球を宙に浮かべた。フェルがオオッと感嘆の声を上げる。こいつ、ぼくを本当にエリシュオーネと認識してるんだろうか?ふと疑問になる。
タクミくんが道案内のぼくと先頭に立って、最後尾にタクトくんがついた。洞窟内部は天然の鍾乳洞で小さな川が足下を流れているために滑りやすい。幾つもの分岐路があり、曲がりくねっている上、人一人通り抜けるのがやっとという場所もある。道が消えて、ドボンと深い地下水の中に落っこちた時もあった。あちらこちらに石柱や石筍ができていて、道を阻もうとする。
『エリシュオーネ様、お帰りなさいませ』
ここの鍾乳洞を住み家としている石灰コウモリさんの一族がやってきた。岩石コウモリの一種で、鍾乳石を食べるために鋭い牙を持っている。通常は食物体系が違うので、人間を襲うことはしない。
『エルシュラン様はこの奥でございます』
ぼくたちは石灰コウモリさんに道案内を頼んだ。十五年前の記憶よりも住んでいる方が確実だからだ。
鍾乳洞の一番奥に、ぼくが封印されていた北の神殿があった。フェルが立ち止まって、涙ぐんでいる。昔のモエギの姿がフェルに重なって見えた。ぼくの胸がズキンと痛んだ。そうだ、ここで、ぼくはモエギを殺した。ぼくは両手を握りしめた。見えない血が手を赤く染めているようだ。
レンダークさんは、北の神殿の一番奥に安置してある元始の神様の像に自分の水晶球を手に巻いて、祈りを捧げていた。ここはぼくがエルシュラン兄様の水晶球に閉じ込められていた場所でもある。ノブユキさんがぼくに渡した水晶球はエルシュラン兄様の物だった。
「レンダークさん、ぼくは救われないよ」
ぼくたちの気配に振り向いたレンダークさんは、悲しげにぼくを見つめた。
「そうですね。わかっています。ですが、エリシュオーネの苦しみは、私が与えてしまったのです」
レンダークさんは立ち上がって、ぼくに近寄ると昔みたいに優しくぼくを抱きしめた。
「エリシュオーネが二人に分かれる結果となったのも全て私が原因です」
淡々と話すレンダークさんの口調には、感情がこもってなかった。レンダークさんの意識はすでにエルシュラン兄様と同化しているらしい。
「私はエリシュオーネが気が済むまで、幾度でもあの子に殺されるつもりです」
「駄目だよ、そんなこと、ぼくは許さない!」
「エリシュオーネ」
「レンダークさんが死んだら、また、アザレイは暗黒神になっちゃうよ。もう、二度とぼくはぼくを暗黒神にしたくない!もう、たくさんだ!血を見るのは嫌だ!ぼくは、ぼくが、アザレイと決着をつける!」
ぼくは泣きながらレンダークさんの胸を拳で幾度も叩いた。タクトくんがぼくをレンダークさんから、引き離してくれるまで、ぼくはレンダークさんを叩き続けた。
「もう、嫌なんだ。ぼくが創ったこの世界は、人間もモンスターも魔物も動物たちも全てが平和で幸福に暮らせる世界だったはずだ。もう一度、誰も傷つかない、争わない世界を目指したい」
「エリシュオーネ」
「違うよ。ぼくはモエギだ。レンダークさんはレンダークさんで、フェルはフェルなんだ。アザレイもアザレイでぼくたちは、過去と決別するんだ」
さっきの石灰コウモリさんが不意にぼくたちを襲ってきた。口をクワッと開けて、鋭い牙をぼくたちに突き立てようとする。彼らが人間を襲うことはしない。ぼくは一気に緊張する。
「やっと、来たね。ぼくは、エルシュランを殺すのはもえぎの目の前と決めてたんだ」
アザレイの声だ。ぼくは自然と両手を差し伸べた。
-風よ。このものたちをとらえる悪しき心より、呪縛を解き放て!-
風の精霊がサアァァァッと石灰コウモリさんたちを取り巻いて、次々と気絶させていく。
「ぼくに逆らうな!」
アザレイが怒鳴った途端に、風の精霊が呻き声を上げた。
「止めろ!アザレイ、精霊たちには手を出すな!」
ぼくは怒鳴った。ぼくの身体がフワンと浮き上がる。目の前にアザレイが現れた。
「モエギ?なぜ、髪を切った。ぼくが慈しんだ髪を、きみの美しい髪を………」
「ぼくはモエギじゃない」
ぼくはゆっくりと答えた。アザレイの顔が歪んだ。
「まだ、そんなことを言う」
アザレイがぼくの顔に手を近付けた。
「エリシュオーネ様、お忘れですか?私がモエギです。そのお方はもう一人のエリシュオーネ様です」
下からフェルが懐かしげに声をかけた。フェルの姿に昔のモエギが重なっている。アザレイが驚愕して、ぼくとフェルを見比べた。
「そんな、そんなことが、モエギが男に転生したというのか?ぼくはずっと待っていた。いつか、必ず、モエギはぼくの元に戻ると」
急にアザレイは狂ったように哄笑した。
「アザレイ?」
「それがぼくに対する罰というのか?封印しただけでは飽き足らずに、モエギを男に転生させた。それが元始の神様が、ぼくに与えた罰というわけか?」
ハンとアザレイは鼻で笑った。
「なら、死ね。ぼくの物にならないモエギなどいらない」
アザレイは宙に手を差し伸べた。その手は真っ直ぐにフェルを差している。フェルが怯えた。ぼくは瞬時にフェルを守った。アザレイからほとぼしった光の精霊は、ぼくたちを守った風の精霊と相打ちした。精霊さんたちの悲痛な叫びが上がる。ぼくの心は悲鳴を上げた。
「止めなさい!」
レンダークさんが宙を飛んで、アザレイと対峙した。アザレイが鬼のような形相に変わった。
「エルシュラン、ぼくは許さない!」
「エリシュオーネ、きみが望むなら、私は幾度でも殺されよう。それで、きみの心が満たされるなら」
「戯言など聞きたくない!」
エリシュオーネの手からまた光の精霊が現れ、レンダークさんの腕を貫いた。レンダークさんから吹きだした鮮血に染まった光の精霊が、悲しげにぼくを見る。血生臭い匂いを敏感に感じて、ぼくは嘔吐した。タクトくんがぼくの背を撫で擦ってくれた。フェルはしゃがみ込んで、蒼ざめた顔を両手で覆っている。
「次はどこがいい?一気には殺さないよ。今度は楽に死なせない。ぼくはね、前の時に一気に殺してしまったことを後悔したよ。死んでしまったお前の身体を何度も切り刻んでも、ぼくの怒りはおさまらなかった。お前の苦痛に歪んだその顔、ぼくは嬉しいよ。また、こうしてお前をこの手で殺すことができる」
アザレイのラピスラズリの瞳に狂気が見えた。再び、アザレイの手から出た光の精霊がレンダークさんの足を貫く。血にまみれた光の精霊は訴えるようにぼくをジッと見下ろした。
「止めろ!もう、止めろよ!………何が楽しいんだ。人を殺す事がそんなに嬉しいのか?」
タクミくんがアザレイに叫んだ。
「ああ、楽しいよ。皆、死ねばいい。人間がぼくたちを最初に引き離した。ぼくもモエギも何も望まなかった。なのに、ぼくたちを妬んだ。ぼくはそれでも信じたよ。人間たちは決して悪くないと。ぼくは馬鹿だった!」
アザレイは言葉を吐き捨てた。
「ああっ」
ぼくは呻いた、信じたものに裏切られたのだ。ぼくが東の島に行けば、モエギは安泰だとそう信じた。だが、モエギは幽閉された。神をたぶらかした悪女として、見せしめに両目を潰された。そこへエルシュラン兄様が現れた。モエギに死を迫ったのだ。ぼくは信じていたエルシュラン兄様からも裏切られた。ぼくはポロポロと涙をこぼした。
「エリシュオーネ様、モエギが望んだのです。誰も悪くありません、全てはモエギが望んだことです」
フェルは蒼ざめた顔で立ち上がると、無抵抗を表すように両手を広げた。
「エリシュオーネ様、モエギを殺して下さい。全ては私が悪いのです」
アザレイの顔が冷淡にフェルを見下ろした。それから、アザレイの手がスッと上がった。
「駄目!駄目だ!」
ぼくはアザレイに飛びついた。ぼくたちはそのまま、神殿から洞窟を突き抜けた。ぼくは夢中で、残された皆のことを考える余裕もなかった。洞窟の天井には無残な穴が開いて、亀裂が幾つも走り、崩落の爪痕が痛々しかった。ぼくは必死にアザレイを掴んでいた。
「もう、止めよう。アザレイ、もう止めよう。ぼくはきみを二度と暗黒神にしたくない。ぼくは怯えてた。きみのすることをただ黙って見ていた」
「おまえは誰だ?」
やっと、アザレイはモエギでないぼくに気付いた。アザレイがぼくを冷たく見据えた。
「アザレイ、ぼくはきみだ。ぼくはきみが切り捨てた半身なんだ。きみが嫌ったもの、エルシュラン兄様を慕っていた心、この世界の全てを愛した心、それがぼくなんだ」
「おまえが?モエギによく似たお前がか?」
「そうだ。ぼくはずっとエルシュラン兄様の水晶球の中で封印されていた。二千年前、モエギが死んだ時にぼくたちの心は二つに分かれた。その時から、ぼくはこの北の神殿で封印されたまま、きみのすることを黙って見てきた。いいや、その内にぼくは、見ることも聞くことも話すことさえ止めた。ぼくは弱虫だった。自分と向合うことすらできない臆病者だった」
アザレイは冷やかにぼくを見下している。
「ぼくはきみが暗黒神に変わっていくことを止めようともしなかった。元始の神様にきみが倒されて東の島に封印された時、やっとぼくは安堵した」
「言いたいのはそれだけか?」
ぼくはアザレイをしっかりと自分の腕の中に抱きしめた。ぼくの中に唐突にアザレイの記憶が流れ込んできた。北エリシュオーネの覇王となることを願った前ゼニス国王が、封印を解き離したためにアザレイは暗黒神の魂を持って生まれた。悪魔の子と忌み嫌われ、母親に愛されることなく育ったアザレイ。父親がアザレイに望んだことは、暗黒神の復活でゼニス国が北エリシュオーネの覇王となることだけだった。そして、同じ魂を半分持つぼくが生まれたために、アザレイの中にモエギを愛したエリシュオーネの記憶が蘇った。だから、アザレイは本来の自分とエリシュオーネとしての自分とに分裂してしまったのだ。
「ごめんよ。ぼくはもっと早くきみにこうしてあげればよかった」
アザレイが無言なので、ぼくはアザレイを見上げた。アザレイは目を閉じていた。
「ぼくはきみの孤独に気が付かなかった。ぼくたちは分かれてからも互いに同調していたというのに。きみはモエギを探していたわけじゃないんだね。きみはずっとぼくを探し求めていたんだ。今、わかったよ。そう、きみがモエギに固執したのは、ぼくがモエギそっくりに生まれたからだ」
ぼくはアザレイを母親みたいにギュッと抱きしめた。ぼくがルイさんにして貰ったみたいにたっぷりと愛情を込めて、優しく抱擁した。アザレイの心が求めていたものは、こういう簡単な仕草だったのだ。ぼくがルイさんたちの愛情を求めていたように、彼もまた人からの愛情に飢えていたのだと気が付いた。人間は一人じゃ生きられないのだ。だから寄り添う人が欲しい。
「ぼく、自分が女の子に生まれたわけがやっとわかったよ。ぼくたちは一つに戻りたがっているんだ」
そうだ、今のアザレイを救えるのはぼくだけなんだ。同じ魂を持つぼくだけだ。ぼくは何度も自分に言い聞かせた。
「ぼく、きみのそばにずっといるよ。きみと一緒に生きて行く。きみが望んだ通りに、ずっときみのそばできみを愛す………」
ぼくの声は次第に小さくなって、最後には聞こえなくなった。ぼくは涙がこぼれそうになるのを必死でこらえてた。ぼくがアザレイと一緒に暮らすということは、ぼくがノブユキさんとルイさんと別れて暮らすということだ。ぼくはまだ、ノブユキさんやルイさんと離れたくない。ぼくはもう少し、あの二人の愛に包まれていたい。ぼくは自分の気持ちを振り払うように首を振った。自分がアザレイを救うんだと、必死に自分に言い聞かせた。それと同時くらいにぼくたちは急に光に包まれた。光の中でパアァァァァンと何かが弾け散った。
「離せよ。俺は乳臭いガキなんかに興味ねえよ」
ぼくの目の前に亜麻色の髪の男がいた。瞳は榛色で、知らない男の出現にぼくはあわてて腕を振りほどいた。男は苦笑した。
「これが本来の俺だ」
男はぼくにそう告げた。
「アザレイ?」
「そうだ」
アザレイと名乗る男は、尊大に胸をそらした。国王の風格が滲み出ている。ぼくたちはストンと地面に降りた。洞窟の入口は変わらずに岩で閉ざされている。ぼくたちはその前に降り立った。
「どうして?」
「エリシュオーネは諦めたらしい。おまえのガキっぽさに呆れたのかな?」
とぼけた口調でアザレイは答えた。
「ぼくの心を読んだのか?」
「おまえだって同じだろ」
「スケベ!」
「ガキ!」
ぼくたちは互いにプンとソッポを向いた。しばらく、ぼくは後ろを向いていたが、アザレイが静かすぎて、気になって振り向いた。アザレイは腕組みして、ジロジロとぼくの身体をながめ回していた。
「俺の好みはもっと出るべきところはきちんと出た色っぽい女だ。もし、本気でおまえが俺のところへ来る気なら、もう少し女らしく成長しとけよ。特に胸だ。Cカップといかないまでも、Bカップぐらいにはなっとけ」
「バカ!」
ぼくはアザレイの頬を引っぱたいた。アザレイがおおげさに「いてえ」と叫んだ。それから、アザレイはジッとぼくを見つめ、ぼくの腕を掴んで、ぼくの身体をギュッと抱き寄せた。ぼくは息をするのも苦しくなった。
「時々、おまえに会いに行く。おまえがエルシュランを選ぶことになっても、モエギを選ぶことになっても、他の二人を選んでもだ、俺はおまえを愛してる。俺はたぶん、分かれたおまえをずっと探し続けていたんだ」
「アザレイ」
「いつか、俺たちは一つに戻ろう。それが今のおまえでなくてもいい。生命は一つの輪になって繋がっている。今でなくても、俺たちは幾度も出会えるんだ」
ぼくは何も言えなかった。アザレイがぼくの唇を自分の唇で塞いだからだ。自然に目を閉じた。ぼくの頭の中はポワンとなった。真っ白けで何も考えられなかった。
「お迎えが来たようだ。じゃあな、俺の大事な半身。いろいろと悪かったな」
アザレイはぼくから離れて、歩き出した。アザレイを迎えに来たのはうるさそうなおじいさんで、アザレイはブツブツと小言を言われているようだった。アザレイはわかったと言うような顔で馬に乗ると、ぼくを振り返りもせずにさっさと走り去って行った。おじいさんと一緒に来たゼニス国の騎士がぼくの方をチラッと見た。アザレイが駆け戻ってきて、一言二言話すと、おじいさんはぼくにお辞儀をした。アザレイはぼくに手を上げてから、お供の者を引き連れて去って行った。アザレイが見えなくなるまで、ぼくは自分の唇を両手で押さえていた。
「モエちゃん、よかったですね」
ぼくはゆっくりと後ろを振り向いた。レンダークさんしか目に入らなかった。ぼくはレンダークさんに飛びついた。
「モエギさん、レンダークさんから離れて下さい」
フェルがぼくの腕を引っ張った。タクミくんも怒ったように、レンダークさんをぼくから引き離した。
「さっきも言ったじゃないですか。ぼくたちモエギさん協定は、勝手にモエギさんに抱きついたりしちゃいけないんです」
「おい、いくらモエギが抱きついてきたからって、抱きつくな。ヒョイとかわすんだよ」
タクトくんが少し離れた場所に立って、呆れたようにぼくたちを見ている。
「全く、勝手にやってなさいよ」
ぼくは呆れ果ててそんな彼らを無視すると、前を向いて歩き出した。
ぼくもアザレイもきっとこれでいいのだとそう思いながら。




