暗黒神と呼ばれる存在
エイーガに戻ってからも、ぼくはたっぷりとルイさんに甘えた。ぼくの見えない目には、ルイさんが一番の特効薬になった。ノブユキさんも羽根でも生えたみたいに、飛ぶように早く帰ってくる。ぼくが「お父さん」と呼ぶことが嬉しいらしい。ルイさんとノブユキさんの行事とかしていた喧嘩もなくなった。
おじいちゃんたちは、旅に出たぼくが深い心の傷を負って帰ってきたことがこたえたらしく、前みたいにルーイ家とオーダ家で争うことはなくなった。結局、後継者問題は、ぼくからルイさんとノブユキさんに移った。おじいちゃんたちが折れたお陰で、ルイさんとノブユキさんの勘当は完全に解けた。ぼくは一気に不幸を解消できて、嬉しい。
フェルはタクトくんと二人で修業の旅を続けている。ぼくが誘拐されて、傷だらけで戻った初心者の洞窟の村から、エイーガに戻らずに「一人で旅に出る」と言ったタクトくんにフェルはついて行った。
「ぼく、モエギさんに甘えていました。モエギさんがいなくても、ぼくは一人でがんばります。旅先から、手紙を出しますね。モエギさんはゆっくりと身体を直して下さい。早く、元の明るいモエギさんに戻って下さいね」
ぼくがルイさんたちとエイーガに戻る時、ぼくの手を愛しそうに握ってフェルが言った言葉だ。それからも、リーファンさんにみっちりとしごかれたらしい。アリカはぼくがいなくなってからも、フェルにまとわりついていた。二人とも、今はそれぞれの国に帰っている。フェルは三日に一度の割合で泣き言や楽しかったことなどで満載の手紙を送ってくれる。今、初心者の洞窟を後にして、海沿いを北に向かっている。ぼくのいた駐屯地を見に行くと書いてあった。
「北エリシュオーネにはまた、今度連れてってやる。モエに何が起きたのか、俺にはわかんねえけど、自分から負けたら駄目だ。俺は予定通り、旅をしてくる。王子が一緒だから、成年式には帰ってくるよ。その時までに、身体を直しとけよ」
別れた時、タクトくんの声は明るかった。時々、フェルの手紙に「モエ、元気か」みたいな短いコメントをくれる。押し花や珍しい植物を同封してくれるのも、タクトくんだ。
タクミくんは、本格的に騎士になる努力を始めた。いろんな女の子との付き合いを一切止めて、毎日がんばっているとノブユキさんが教えてくれた。一週間に一度は、必ず、ぼくの見舞いに来る。相変わらず、ぼくを茶化すけど、言葉の裏に気遣いが見える。
「俺、結局、自分で焦ってたんだ。モエギが誘拐されて大怪我して戻った時に、俺は自分の腑甲斐なさを知った。俺、モエギが苦しんでいても、何もしてやれねえ。モエギが何を苦しんでいるのか、わかんねえけど、いつか俺に話してくれねえか。俺じゃ何もできねえけど、一人で苦しむよりは何かしてやれるかもしれねえじゃねえか」
つい、昨日のことだ。いつになく、真面目な顔でタクミくんはぼくに言った。ぼくは考え込んでから、コクンと頷いた。
「俺、しばらく、ここに来られなくなる。実は駐屯地に転勤が決まった。俺、本格的に騎士になるつもりなんだ。そのためには少し駐屯地で揉まれた方がいいとおじさんに言われた。モエギ、俺………いや、帰ってきてから言うよ。じゃな、早く元気になれよ」
タクミくんは、何かぼくに言い掛けて止めた。目が見えないぼくには、タクミくんの顔の表情までわからなかった。今朝、駐屯地へ向けて旅立ったと後で聞いた。
ぼくが修業の旅に出かけた時に一緒にいた三人の婚約者たちは、それぞれに自分の道を見つけた。後継者問題が解決した時に理不尽な婚約は取り消されて、ぼく一人だけが取り残された。
ぼくの好きだったレンダークさんは行方不明中だ。ルイさんにきつくあたられたのがこたえたのか、あの日姿を消してしまったのだ。ぼくは事実を後で知って思いっきり泣いた。それに、ぼくは心配している。あの時、アザレイは呪うような恨みの言葉を吐いた。今はいい。北エリシュオーネのゼニス国の国王が、瀕死の重傷を負ったと聞いているからだ。ルイさんと精霊たちの強大な魔法で北エリシュオーネに飛ばされた際に、たぶん、岩か何かに叩き付けられたのだろう。回復の話はまだ、聞いていない。
ぼくは北の神殿のことをルイさんやノブユキさんに聞きたくて、聞けないでいる。ぼくは本当にエリシュオーネなのだろうか?では、アザレイは?それとも、アザレイが本当のエリシュオーネなのだろうか?では、ぼくは?堂々巡りを繰り返して、一日が暮れていく。
ぼくは手探りで部屋を出た。見えなくても、家の配置はわかっている。ぼくのためにルイさんもノブユキさんも極力、物を動かさないようにしてくれた。ぼくの部屋から階段を降りて、右側に少し進むとダイニングキッチンへ行く。ルイさんもノブユキさんもいろいろと忙しく、誰かを雇う話も出たけれど、ぼくが断った。この家のことはマーサおばちゃんからぼくが引継いだからだ。いつか、ぼくがこの家を出る日が来るまで、できるだけぼく一人でやっていきたい。
もっとも、ルーイ家の侍女の中から交代で、目の見えないぼくのために手伝いに来てくれる人がいる。ぼくが旅に出ていない間も代わる代わる来てくれたらしい。ルーイ家は大きな屋敷に、おじいちゃんとレンダークさんの二人暮らしだった。侍女や召し使いの数は公爵家だけあってたくさんいる。今、あの家にレンダークさんはいない。レンダークさんの友達のライオネルさんがいろいろと探してくれている。巡察士という仕事がら、人探しはお手の物だと豪語していた。その割にはまだ見つからない。ぼくの十四歳の誕生日はとっくに過ぎた。
ぼくは夕食の準備を始めた。窓が開いているのか、ぼくの髪が風になびいた。ぼくは壁伝いに開いている窓を探した。
-コトン。
ぼくは何かに触れて、物を落とした。床に座って、落とし物を探した。床を這い回っている内に、誰かの気配を感じた。目が見えない分、音に敏感になっている。
「誰?」
ぼくは立ち上がった。
「目が見えなくなったというのは、本当らしいな。探したぜ、お嬢ちゃん」
アザレイの手下だった男の声だ。ぼくは後ずさった。アザレイはまだ、ぼくをモエギと信じている。
「何も、そんなこえー顔しなくてもいいんだぜ。あんたが逃げ出してくれたお陰で、俺たちはまだ、自由になれねえのさ。お頭は重傷であんたに会いたがっている。あんたが伝説の巫女姫なら、北エリシュオーネは暗黒神から解放されるんだ」
男がぼくの手をグイッと引っ張った。ぼくはもがいた。男がぼくの顔に何かを押し当てた。甘い香がツンと鼻をついた。ぼくの身体がしびれ、頭の中に霞がかかっていった。
「お嬢様、だ、誰かぁ、誰か来て下さい!」
ルーイ家の侍女の甲高い悲鳴が上がった。男が舌打ちをした。
アザレイはぼくを諦めていない。ぼくがモエギだと信じている内は、幾度もぼくを狙うだろう。今はアザレイが直接動けないから、ぼくは助かっている。それも時間の問題で、自由に動き回るようになったら、今度こそぼくはアザレイに連れ去られる。アザレイはモエギに固執している。アザレイはエルシュラン兄様を憎んでいる。ぼくと反対だ。まるで、アザレイは鏡に写しだされたぼくみたいだ。
「お母さん、お父さん、ぼくはやはり、真実を知るべきなんだと思う」
目覚めたぼくは、心配そうにぼくを見ていたルイさんとノブユキさんに言った。二人とも、顔を見合せて微笑んだ。
「いつか、きっと、もえぎはそう言うだろうと信じていたよ」
「お父さん。ぼくは何者なの?エリシュオーネ?でも、ぼくはもう一人、エリシュオーネと名乗る男の子に出会ったよ」
「ええ、そうよ。これは本来あなたに教えるべきことじゃないの。でもね、モエちゃん、私たちは約束を破ることになってしまうけど、あなたに真実を教えようと決めたの」
「お母さん。じゃ、教えて。ぼくは誰?」
「モエギ、おまえはエリシュオーネだよ」
「じゃ、アザレイは?………あっ、アザレイはもう一人のエリシュオーネの名前なんだ」
「ええ、その子もエリシュオーネよ」
ぼくはポカンとして、見えない目を二人に向けた。二人の顔を見たかった。ぼくをからかっているのだろうか?昔、ぼくは一人で、二人ではなかった。
「エリシュオーネの魂は二つに分かれたの。モエギを愛した心とエルシュラン様を慕う心にね。モエちゃんはエルシュラン様を慕う心の方だったわ」
ぼくは息を飲み込んだ。それなら、理解できる。ぼくがモエギ=フェルを愛せないのも、アザレイがエルシュラン兄様=レンダークさんを激しく憎むのも。ぼくがレンダークさんに惹かれるわけも。アザレイが狂おしいほどにモエギを求めるのも。
「どうして?どうして、ぼくたちは二つに分かれたの?」
ぼくは前のめりになって、ルイさんの腕に抱き止められた。
「覚えていないのね」
「うん、ぼくの記憶はまだ、不鮮明なんだ。自分がエルシュラン兄様とモエギを殺したことは思いだした。けどさ、ぼくにはどうしてそうなったのか、はっきりと思いだせない」
「そう、だから、苦しんでいたのね。北の神殿へ行く前にもう一人の自分に出会ってしまったのが原因だわ。急激に覚醒が起こったのよ。記憶が曖昧なのもそのせいね」
「まさか、暗黒神がゼニス国の国王に生まれ変わるなど思ってもみない事だったからな」
「お父さんは知ってるの?」
「ああ、これでも、マース国の近衛騎士団隊長だぞ。敵国の諸々の事情は調べてある。特にゼニス国は急激に成長した国だ。十三年前の大侵攻もあるからな」
「そうね、あの時から、始まったのね」
ノブユキさんとルイさんの声のトーンが低くなる。二人は顔を見合せた。
「何?」
「暗黒神の復活だ………モエギ、おまえはエリシュオーネの神としての半身だ。おまえはエルシュラン様によって、長く封印されたのだ。本来その封印は巫女姫が受けるものだった。だが、おまえは巫女姫が封印される直前に、自分の身をその前に晒した。封印の大半はモエギが受けたのだ。だが、巫女姫は無事ですまなかった。巫女姫はモエギのせいで、その命を落とす結果になった」
ぼくの身体がガクガクと震えだした。そうだ、あの時、ぼくはエルシュラン兄様の封印の魔法を止めようとした。モエギを過去のモエギを助けるためにだ。だが、それがかえって、モエギを殺す羽目になった。ぼくは耐えきれなかった、モエギを殺したのが自分であることに。ぼくは呪った、この世界の全てを。封印された自分を憎悪の力が二つに分けた。モエギを愛した自分、この世界を呪った自分が、ぼくから分離した。
ぼくから離れた半身は、醜い憎悪をむき出しにして、エルシュラン兄様を殺した。ぼくはなすすべもなくそれを見ていた。自分がエルシュラン兄様を殺した。信じられなかった。ぼくは目をそむけた。全ての事実から逃げ出した。エルシュラン兄様の封印の中で、ぼくは胎児のように丸まって、もう一人のぼくが暗黒神と化していくのを黙って見ていた。もう、ぼくは何も見ない、何も聞かない、何も言わない。ぼくは長い時間を自分の中に閉じこもって過ごしたのだ。
「ぼくは恐かった。もう一人のぼくが恐かった」
「モエちゃん、いいのよ。あなたは何もしてないの。あなたの罪ではないわ」
「違うよ」
ぼくは首をぶんぶんと横に勢いよく振った。
「ぼくの罪なんだ。ぼくはエルシュラン兄様を殺した自分が恐かった。だから、何もしなかった。もう一人の自分を見ることで自分の罪を問われることが恐かった。でも、それは間違いだった」
「そうだ、モエギ、おまえは間違っていた」
「ノブちゃん!」
ルイさんが怒った口調で怒鳴った。ルイさんは、冒険者時代にノブユキさんをノブちゃんと呼んでいた。通常は世間並みにあなたと呼んでいるので、久々に聞いた。喧嘩したり、意見が食い違ったりすると、ルイさんの口から、このノブちゃんが出てくる。
「ルイ、また、モエギに同じ罪を犯させるのか?モエギの心残りは、何もしなかった自分に対してだ。二十八年前、暗黒神の封印が解かれた。元始に神様はモエギを………封印されていたエリシュオーネの半身を説得なされた。モエギは自分が何もしなかったことを後悔した。そして、モエギは私たちを待っていた。自分をこの世に産みだしてくれる私たちが来る日をジッと待っていた」
「知ってるわよ。モエちゃんとの出会いの日をこのあたしが忘れるわけないわ………でも、女の子に生まれるなんて契約違反よ。あたしは息子が欲しかったのに」
ルイさんがブスッとした声になる。あれっ、そうだっけ?そうだ、ぼくも女の子で生まれるとは思ってもみなかったことだった。
「だって、あの時、既にお母さんのお腹の中には子供がいたんだ。その子が女の子だとはぼくも思わなかったわけで、ぼくはその子の中に吸収されたんだ。だから、ぼくが悪いわけじゃないよ」
ぼくはあわてて、弁明する。ルイさんがクスクスと笑いだした。ノブユキさんが困ったように、頭をかいている。そうだ、だいたい、あの時、ルイさんはまだ、十三歳だったはずで、ぼくは当然もう少し後で生まれる予定でいたのだ。
「まあ、その件は別にしてだ。これから、もえぎはどうするつもりだ?」
「うん、まだ、わかんない………それに、ぼく………」
「ああ、もう、どうしてこう、うざったいの!レンのやつぅ、勝手にいなくなるなんて、もっときっちりとあいつを仕込んでおくんだったわ。あいつがエルシュラン様だなんて、今でも信じらんないわよ。だいたいね、あいつは昔から何考えているかわかんない奴だったのよ。このあたしが手取り足取り、魔法を教えてあげて、大事なあたしのモエちゃんの婚約者にまでしてあげたのに、全く、恩を仇で返すとはこのことよぉ!」
ルイさんは大きい月に向かって、「バカ、レン!さっさと帰ってこい!」と怒鳴った。たぶん、これがルイさんのレンダークさんへの愛情表現なのだ。ルイさんにとっては、レンダークさんはかわいい弟で、愛弟子で、ダメ息子なのかも知れない。ぼくはハウゥゥッとため息を吐きだした。




