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ぼくの受難の日々  作者: 安野穏
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神話とぼくの罪

 それは遠い昔の出来事。


 混沌とした中から現れた元始の神様は、始まりの爆発を起こした。宇宙には生命の源となる凝縮されたカオスが渦巻いていた。ぼくたち神の一族を創られた後、元始の神様はぼくたちに使命を与えた。暗闇の宇宙を生命の光りで満ちあふれさせよと。神々は宇宙に散り、たくさんのカオスを星々に変えた。星々に幾つもの世界を創り上げ、創り上げた世界にはたくさんの生命を誕生させた。世界が生命に満ちあふれると、神は次の星へと先を急いだ。凝縮されたカオスは始まりの爆発のために急速に広がり、神々は星を創りだす神と世界を創る神とに別れていた。カオスは留まるところを知らずにふくれ上がり、神によりカオスから変えられた星々は世界を創る神を待ち続けている。神の一族は一つに留まることを許されなかった。


 ぼく、エリシュオーネは一番最後に元始の神様に生命を与えられた。神の一族には、男女の別がない。独自の繁殖能力はなく、神々は皆、元始の神様から生まれでた兄弟だった。ぼくは生まれた時に元始の神様から命じられた通り、エルシュラン兄様と行動を共にした。エルシュラン兄様は世界を創る神の一人で、既に幾つもの美しい世界を創り上げていた。ぼくはエルシュラン兄様のすることをジッと見つめていた。ぼくと同じパールグレイの長い髪とラピスラズリの瞳を持つ穏やかな笑みを浮かべたエルシュラン兄様は、ぼくの憧れだった。


 エルシュラン兄様の手で幾つかの星々が美しい世界に変わり、ぼくが生まれてからたくさんの月日が過ぎていた。ぼくはいつものように頬杖をついて、エルシュラン兄様の仕事を見ていた。


「エリシュオーネもそろそろ、独り立ちしてみますか?」


 それは願ってもない言葉だった。エルシュラン兄様は、宇宙の片隅の星をぼくに指し示した。


「この星なら、エリシュオーネの創る初めての世界に相応しいでしょう。但し、創り上げた世界に生命が満ちあふれるまでですよ。この星の成果で、あなたが神として相応しいか試されるのです。元始の神様は常に私たちと共にあるのです。ここからはエリシュオーネ一人で行きなさい。がんばるのですよ」


 エルシュラン兄様に別れを告げて、ぼくは星に舞い降りた。ぼくはエルシュラン兄様以上に美しい世界を創り上げたかった。





「ぼくは間違っていた。エルシュラン兄様との約束を破ったのだ」


 レンダークさんは穏やかな笑みを浮かべたままで、ベッドの端に腰掛けていた。黙って、ぼくの話を聞いてくれる。ぼくは息苦しくて、風の精霊に空気の流れを作って貰った。ぼくたちの間を弱い風が流れていく。


「生命に満ちあふれたこの世界から、ぼくは去らなかった。初めて創ったこの世界が愛しくて、ぼくはこの世界に留まった。そして、ぼくはモエギに出会った」


「それが殿下ですか?」


 レンダークさんの短い問いかけに、ぼくは素直に頷きながら、苦痛に顔を歪ませた。ぼくの心が張り裂けて鮮血を吹きだしている。


「そして、レンダークさんはエルシュラン兄様なんだ。ぼくはモエギもエルシュラン兄様もこの手で殺した。ぼくはぼくの一番大事な人たちをこの手で殺したんだ。ぼくはこの世界の人たちをもたくさん殺した。この世界に生命を満ちあふれさせたこの手で、たくさんの生命を滅ぼしたんだ」


 ぼくの目の前にたくさんの赤い血が流れる。生臭い血の匂に吐き気をもよおした。ぼくはゲェ、ゲェと嘔吐する。何も食べていない身体に吐くものはなく、それでもねばっこい液体が口から飛び出した。ぼくは全てを吐きだしたかった。ぼくは生きるべき資格がない。


 レンダークさんがぼくの口にタオルをあてがってくれた。ぼくはそれを押し退けた。


「レンダークさん、なぜ、元始の神様はぼくの罪を罰せずに、ぼくに救いの道を与えてくれたのだろう。ぼくが切望した人間に生まれ変わることができたのはなぜだろう?どうして、ぼくはこんな中途半端に記憶を取り戻したんだろう?ぼくの記憶はまだ完全じゃない。ぼくには暗黒神だった頃の記憶が不鮮明なんだ。ぼくが鮮明に覚えているのは、モエギを封印しようとしたエルシュラン兄様を殺し、モエギを助けようとした思い上がりで、モエギを殺したことなんだ」


 ぼくは自分の太ももを拳で叩いた。レンダークさんは少し沈黙をおいた後で、汚れたぼくの顔をタオルで丁寧に拭いてくれた。


「モエちゃん、自分を責めるのはよくないですよ」


「それに、それにぼくはあれほど愛していたモエギを、ぼくの唯一の愛と信じていたモエギを、どうしても愛せないんだ。ぼくはモエギであるフェルよりも、エルシュラン兄様だったレンダークさんが好きなんだ………おかしいよね。ぼくはエリシュオーネのはずなのに、エリシュオーネでないみたいだ」


 ぼくの脳裏にあの男の子が浮かんだ。不敵な笑みを浮かべたかつてのぼくの姿。パールグレイの短い髪もラピスラズリに光った瞳も、あれは全てぼくが持っていたものだった。


「ぼくは二人いる。少なくとも、エリシュオーネの心を持っている人間が二人いるんだ。もし、あの子がエリシュオーネなら、ぼくは一体誰なの?ぼくはずっと、思っていた。ぼくは不安だった。ぼくはモエギの姿で生まれた。あの子はぼくの姿をしている。つまり、ぼくはエリシュオーネではないということ?」


 ヒューと突風がぼくたちを取り巻いた。レンダークさんの髪が風に巻き上げられて、ぼくの頬にビシビシとあたる。痛かったけど、レンダークさんがぼくを庇うように抱きしめてくれるからぼくは我慢できた。


「モエギ、きみは悪い子だね」


 聞き覚えのある声が上から降ってきた。部屋の中央にアザレイが浮かんでいる。


「きみはぼくから逃げられないって言っただろう。きみはぼくの物だ。きみはぼくと来るんだ。今度はきみを離さないよ。きみはずっとぼくのそばにいるんだ」


「違うよ。ぼくはきみの望んでいるモエギじゃないんだ」


 ぼくの身体がレンダークさんの手から離されて、フワンと浮き上がる。レンダークさんがすぐに呪文を唱えた。


-我願う。風の精霊よ、契約に従い、我に力を与えよ。風縛、風裂、風楯。-


 強大な風がぼくたちを取り巻いた。風の精霊がぼくを掴み、床にゆっくりと降ろした。別の精霊が男の子の身体に容赦なく切り傷を与える。


「なぜだ。なぜ、ぼくに逆らう?」


 精霊たちの反撃は初めてのことらしく、アザレイは狼狽した。精霊たちの攻撃を受けながら、動転する瞳で辺りを見回し、レンダークさんに視線を止めた。


「エルシュラン!」


 アザレイが驚愕したように叫んだ。ラピスラズリの瞳が燃えるように光った。全身が殺気に満ちて、バシッと手から光りがほとぼしる。アザレイから飛びだした光の精霊が、レンダークさんを取り囲む風の精霊に阻まれた。光と風の精霊が互いにバチンと弾かれて、悲しげに呻いた。ぼくは耳を塞いだ。精霊たちが泣き喚いている。


『ぼくは争うために、精霊を創ったんじゃない!』


 怒鳴った。だが、その声はぼくの心の内で消えた。ぼくは、怒鳴るべき声をも失った。『真実を見極めよ』とぼくの中で声が響いた。ぼくはもうたくさんだ。ぼくは再び目をギュッと瞑り、耳をギュッと塞ぎ、口をギュッと結んだ。もう、何もぼくは見たくない、聞きたくない、言いたくない!


-我願う。光、大地、火、水、風の五大精霊よ、我の問いかけに答えよ。我は汝の力を借りるものなり、我は汝の力を悪しきものに用いず、汝と共に邪悪を打ち破るものなり。我の願いに応えよ。汝の力を持ちて、この者をこの者の住まう北の地へと帰し給え!-


 朗朗と詠唱する声は、ルイさんのものだった。ギューンとうなる地を這うような低重音と共に、光と水、火と風がそれぞれに二重の螺旋を描いて、辺りを渦巻いた。それらは一陣の突風となり、部屋を目に止まらないほどの勢いで駆け抜けた。


「エルシュラン!ぼくは忘れない!ぼくの全てを奪ったおまえをぼくは許さない!」


 最後にアザレイの恨み凄じい呪いの声が残された。部屋の中は、台風が直撃したような惨状だったけど、誰一人怪我するものもなかった。ぼくを取り巻いていた精霊たちが、ルイさんの呼びかけに応じて、アザレイを北エリシュオーネへと連れ去ったのだ。精霊たちは彼を見て、悲しんでいた。精霊たちの悲しみが深すぎて、ぼくは全てを閉ざした。ぼくは床に崩れたまま、動くこともできなかった。このまま石になれたらもう何も考えず何も見ず何も聞かずにすむのにとさえ思う。


「モエちゃん!」


 久しぶりのルイさんの抱擁は温かかった。


「どうしてこんなことに?………モエちゃん?モエちゃん」


 ルイさんがぼくの身体を幾度も揺さぶった。ぼくの身体がルイさんの手に合わせて、グニャグニャと動く。ぼくは自分で自分を封じた。もう何も見ない、何も聞かない、何も話さない。


「もえちゃんのバカ!」


 ルイさんがぼくにすがって泣いている。ぼくは心の中で小さく縮こまっていた。


「ルイさん?」


「レン!だから、あんなに頼んだんじゃない!モエちゃんが、モエちゃんを………かわいそうなあたしのかわいいモエちゃん。レン!あんたは馬鹿よ!大馬鹿よ!」


 ルイさんが怒っている。レンダークさんに食ってかかっている。不意に俯いたルイさんの周りに突風が巻き起こった。


「ルイ!」


 部屋に飛込んできたノブユキさんが、ぼくの身体を抱きかかえた。ルイさんの目に涙が浮かんでいる。ルイさんの怒りに合わせて、室内を風の精霊が気がふれたように踊り狂った。ぼくはノブユキさんがいるお陰で大丈夫だった。ノブユキさんは特異体質で、魔法が効かない。だから、ルイさんと夫婦でいられるのだとぼくは思っている。ただ、残念なことは回復魔法も受け付けないことだ。ノブユキさんの身体に残る無数の傷がそれを物語っている。


 突風が吹き荒れた後、ぼくを抱いたノブユキさんがルイさんをも抱き寄せた。レンダークさんの身体が、血にまみれていた。その気なら、ルイさんの魔法を簡単にガードできるはずのレンダークさんは、ジッと俯いたまま立ち尽くしている。


『ごめんね』


 ぼくは呟いた。もう、ぼくは自分が何者でもいい。ただ、こうしていたい。もう、誰とも関わらない。傷つけたくない。傷つきたくない。前みたいにぼくは………?前みたいに?自分の中で、胎児みたいに丸くなっているぼくの前に一筋の光りが、射し込んできだ。ああ、あの時の光りだ。絶望という中に閉じ込もっていたぼくを優しく包み込んでくれた希望の光り。この光りがぼくを閉じ込めていた暗い世界から出してくれた。


「モエちゃんのバカ!せっかく、新しく生きると約束したじゃない。だから、封印を解いてあげたのに」


 ルイさんの声だ。ルイさん、泣いている。ぼくの胸がキリキリと痛んでくる。


「モエギ、帰っておいで。おまえはまだ、自分の心残りを解決していない。自分から逃げてどうするんだ?自分と対峙することがそんなに恐いのか?もし、恐いなら、もう止めていいんだ。元始の神様もきっと許してくれる。誰も、モエギを責めはしない………モエギ、おまえは過去に囚われて、私たちを忘れてしまったのか?」


 ノブユキさんの声も聞こえる。ぼくを絶望から救ってくれた希望の光りはノブユキさんとルイさんだった。そして、ぼくはこの二人から生まれた。二人はぼくを大切に慈しんでくれた。ちょっと、普通でない家庭でも、口では文句を一杯言っていても、ぼくはノブユキさんとルイさんの子供であることが嬉しかった。それが、ぼくがぼくである証だった。


「ぼく、見えないよ。今のぼくは何も見えないんだ。本当は一時は耳も聞こえなくなった。話すこともしたくなかった。でも、ルイさんとノブユキさんの声が聞こえた。ねえ、ルイさん、どこ?どこにいるの?」


 ぼくは弱々しく声を出した。今のぼくは暗闇の中にいる。もう、精霊たちも見ることができない。ぼくは自分でエリシュオーネの力を封じ込めたのだ。


「ああ、モエちゃん」


 ルイさんがぼくをギュウッと抱きしめた。蒼バラの香水の香がぼくの鼻に仄かに香る。確かにルイさんだ。ぼくもルイさんにしがみついた。ぼくはやっと気づいた。ぼくはまだまだ親の保護の必要な子供なのだと。ルイさんとノブユキさんの無償の愛に守られていたかったのだと。


「お母さん、お母さん、ぼくのお母さん。ぼくはずっとこう呼びたかった。ぼくは大人ぶって、我がままだった。だから、ぼくは罰を受けた。本当は小さい時から、ぼくはずっとこうしたかった」


「もえちゃん、バカね。あたしはモエちゃんの母親なんだぞ。誰も、もう二度と、モエちゃんを一人にはしないわ。だから、安心して甘えなさい。モエちゃんが好きなだけこうしていてあげるからね」


 ぼくは見えない目を凝らした。ルイさんがボウッと浮び上がる。ぼくはルイさんの膝に頭を乗せた。温かい温もりだった。旅に出てから、ずっとぼくが望んでいたもの。


-我願う。大地の精霊よ、契約に従い、我に力を与えよ。誘、眠砂。-


 ぼくは素直に眠りについた。それでも、ルイさんの手を握って離さなかった。ぼくの耳にはルイさんの歌う子守り唄が届いていた。ぼくは心底、ルイさんの娘であることに感謝した。ぼくがぼくである証は、ルイさんとノブユキさんの子供であることだ。あの二人のもとで素直に生きていくことがぼくが望んだ一つの未来でもある。ぼくは何を迷っていたのだろうか?すでに答えはここにあったのにと、その温もりの中で荒んでいたぼく心が癒されていくのを理解していた。



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