ぼくとレンダークさんとフェルの真実
ぼくは暗闇の中にいて、泣いていた。ぼくは救いを求めるように、手を天に差し伸べた。
「レンダークさん」
ぼくの手は銀の髪の人を求めた。ぼくを覆う果てしなく続く暗闇。何も見えない。どこにも誰もいない。
「モエちゃん?」
不意にぼくの手を誰かが掴んだ。ぼくはその手にグイッと引っ張られた。
「誰?」
「おい、見えないのか?」
「見えない、ぼくが?………灯りがついてないだけじゃないの」
ぼくの身体を誰かがギュッと抱きしめた。
「モエギさん、余程ひどい目にあったのですね、目が見えなくなるなんて。ぼくのモエギさんにこんなひどい仕打をするなんて、ぼくは許しません」
どうやら、ぼくにしがみついているのは、フェルらしい。ここは南エリシュオーネ?
「レンダークさん、どこ?」
ぼくの手が宙を泳いだ。レンダークさんの温かい手を探した。誰かがぼくの手をギュッと掴んだ。ぼくもその手に必死にすがった。いつもぼくが求めていたその大きな手が懐かしくて涙がこぼれる。
「殿下、モエちゃんの目を診ますので、申し訳ありませんが、少しだけ脇によけていただけますか」
フェルが渋々とぼくの身体から離れる。
「レンダークさん、モエギさんに必要以上に近付かないで下さい」
脇でフェルがキャンキャンと叫んでうるさい。きっとまたあの犬耳と尻尾がついているのだろう。そう思うと自然と笑みがこぼれた。ああ、ぼくは帰ってきたんだ、ぼくの居場所に。ぼくがいてもいい場所に、帰ってきたのだ。ぼくはレンダークさんの手に顔を押しつけた。
レンダークさんの手が動いて、ぼくの瞼に触れた。ぼくは身体をピクンと震わせる。
-我願う。水の精霊よ、契約に従い、我に力を与えよ。癒水。-
ぼくの瞳に触れた水の精霊が、悲しげに首を振った。目が見えなくなったぼくに、たくさんの精霊たちが見えるようになった。皆がぼくを心配して集まっている。ぼくはもう、神エリシュオーネではないというのに。
「モエちゃん、残念ですが、私の力ではどうにもなりません。一度、エイーガに戻りましょう………傷の方もなかなか良くなりませんし、ルイさんなら、モエちゃんの傷を直せると思うのです」
レンダークさんは力なくそう言うと、部屋から出て行った。決して、目が見えているわけではないのに、ぼくにはレンダークさんの動きが逐一手に取るようにわかった。
「モエ、気にすんなよ。おばさんなら、モエの目を直せるさ。それに、エイーガには治療専門の魔術士もいる」
「おい、タクト、気休めはよせよ。レンダークさんの精霊魔法が効かなかったんだ。おばさんだって、わからないさ」
「タクミ」
「も、もしかして、モエギさんの目はこのまま見えないままになるんですか?」
「ああ、そうさ、今の宮廷魔術士の中でレンダークさんの実力は、おばさんに次に秀でているんだ。そのレンダークさんが駄目だったんだ。おばさんだって、わかんねえだろう!」
タクミくんは怒鳴るように言い捨てた。正解だとぼくは口の中で呟く。その声を誰も拾わなかったらしい。
「タクミ、止めろよ。モエがかわいそうだろう」
「ううん、いいよ、ぼくもわかってる。ぼくの目はもう何も見ることはできない」
「モ、モエギさん、そんなこと言わないで下さい。ぼく、ぼくが絶対に直します。どんなことをしても、ぼくが直します!」
ぼくの手に生温い滴がポタポタとこぼれ落ちた。ぼくは手探りでフェルの顔を探りあてた。ぼくは指先でフェルの涙を拭った。フェルの犬耳と尻尾がだらんと垂れているのがわかる。
「馬鹿、ぼくが泣かないのに、フェルが泣くなよ。ぼくは泣かないからさ、フェルも泣くなよ」
フェルがコクコクとぎこちなく頷く。その目からはまだ涙があふれ落ちて、止まることを忘れている。
「ねえ、ぼくを一人にしてくれる?」
「モエギさん」
「一人になりたいんだ。ごめん」
ぼくは布団に潜り込んだ。皆が室内を出ていく。最後にフェルが振り返った。泣いて歪んだ顔でジッとぼくを見据え、唇をギュッとかみしめた。ドアがカチャンと閉められた。
目が見えなくても、今のぼくには全てが見えた。ぼくはベッドの上に起き上がった。さっきまでの暗闇が消え、室内にいる精霊さんたちの姿がよく見える。
「ぼくは大丈夫だよ。心配しないで」
ぼくは周りにまとわりついている精霊たちに声をかけた。五大精霊たちが全て、ぼくの周りに集まっていた。ぼくが最初に創った生命たち。この世界を美しく形造る小さな生命。彼らは全員がぼくを心配そうにのぞき込んでいる。
「ぼくはもうエリシュオーネではないんだ。エリシュオーネの身体は、暗黒時代の終わりに死んだんだ。ぼくは元始の神様に封印されて、十四年前に解放された。ぼくが望んでいた人間として生きるためにだよ」
「モエちゃん?」
いつのまにきていたのか、部屋の入口にレンダークさんが立っていた。
「レンダークさん?」
ぼくは話を聞かれたのかと心配した。
「不思議ですね。もえちゃんの周りにたくさんの精霊たちが集まっていますよ。五大精霊が全員集まっています」
「そう?ぼくにはわかんないよ」
もし、聞かれたとしても、ぼくはとぼけることに決めた。レンダークさんが部屋の中に入ってきた。それはレンダークさんも同じだからだ。
「そうですか?でも、モエちゃんは皆に愛されているんですね。周りの雰囲気がとても温かくて安らぎます」
レンダークさんがベッドの端に腰掛けた。レンダークさんは、ぼくの独り言を聞いていないようだった。それとも単に覚醒していないだけなのかと絶望にも似た思いが沸き上がる。
「私にはモエちゃんの目を直すことはできませんでした。たぶん、ルイさんにも直せないでしょう」
「いいよ、レンダークさん、ぼくにはわかってる」
「モエちゃん」
ぼくはレンダークさんにしがみついていた。
「レンダークさん、ぼくのそばにいて。ずっとそばにいて。ぼくにはわかってる。ぼくはレンダークさんにこんなこと言える立場じゃない。でも、今はそばにいて………いつかレンダークさんも真実を知るんだね。そう、フェルも。ぼくはたくさんの罪を犯した」
ギュッとぼくは縋るようにレンダークさんを掴んだ。
「モエちゃん?私にはモエちゃんが何を怯えているのかわかりません………いいですよ。モエちゃん、モエちゃんが望むなら、私はそばにいます」
「ごめんね。ぼく、我がままだね。ねえ、レンダークさん、今夜、ずっとそばにいて」
「モエちゃん」
「ぼく、レンダークさんが好きだよ。本気で好きだよ。レンダークさんがルイさんを好きでもいいよ。ぼく、ルイさんの身代わりでもいい。でも、今のぼくにはレンダークさんが必要なんだ。レンダークさんだけがぼくの救いなんだ」
レンダークさんが戸惑っているのわかってる。ぼくはギュッとレンダークさんに一層しがみついた。こうしていないと、レンダークさんが遠くへ行きそうで恐かった。ぼくはもう一人になりたくない。許されるならレンダークさんの隣にずっといたい。
「いやです、モエギさん、ぼくでは駄目ですか?ぼくでは、モエギさんの救いになりませんか?」
フェルが目に一杯涙を浮かべていた。ぼくはレンダークさんの胸に顔を押しつけた。フェルを見たくなかった。フェルは思い出したんだと思うと絶望を覚える。
「ごめん、ぼくはレンダークさんでないとダメなんだ。真実を知ったら、フェルはたぶん、ぼくを嫌いになるよ。ぼくはとても、ひどい奴だった」
「そんなことありません。私は覚えています。エリシュオーネ様はいつでも、私に優しかった。私はその優しさに甘えたのです」
ぼくはレンダークさんの肩越しに怖々とフェルを見つめた。フェルの強ばった笑顔が、巫女姫モエギに重なる。ぼくが唯一の愛と信じたあの時のモエギそのままの姿だ。ぼくの目はフェルに釘付けになった。
「いつから?」
「リシュラの宿で、全て思いだしました。私の全てはエリシュオーネ様の物です。エリシュオーネ様が私の姿で転生されたという事実だけで、私は満足すべきでした」
フェルは肩を震わせて、俯いた。モエギ=フェルが泣いている。昔と同じで、声も出さずに悲しみを内に秘めて泣いている。ぼくは一瞬、フェルをこの腕に抱きしめようとした。宙に手を伸ばしたぼくは、思い直して、またぎゅっと何かから逃れるかのようにレンダークさんにしがみついた。ぼくは夢中で頭を左右に振り続け、顔を歪ませて、目をそらした。
「ぼくはもう、エリシュオーネじゃない。ぼくは多大な罪を犯して、原始の神様から封印された。ぼくは千年も前に死んだ。ここにいるのはただの人間のモエギだ。ぼくにはもう何もできない」
レンダークさんの手がぼくを自分の身体から引き離した。ぼくは怯えつつ、レンダークさんを見上げた。レンダークさんはいつもの穏やかな笑みをぼくに向けていた。昔からの変わらない微笑みがぼくを優しく包み込む。その優しさに昔のぼくはいつも甘えていた。
「モエちゃん、私には殿下とモエちゃんの前世が何者で、どういう過去があったのかは伝説の世界のことですからわかりません。ですが、人間にもできることはたくさんありますよ。神と人間は何が違うというのですか?」
ぼくはヒシッとレンダークさんにしがみついた。ぼくが昔に問い続けたものだ。ぼくの態度にフェルが蒼ざめた。フェルはぼくを見て俯き、フゥッと吐息を吐きだした。それから、背筋を伸ばしてクイッと顔を上げた。今まで見せたことのない毅然とした表情だった。
「レンダークさん、モエギさんをお願いします。ぼくには結局、モエギさんを救うことはできないのですね。ぼくはまた、あなたに負けたのです」
フェルはクルリとぼくたちに背を向け、ドアに歩み寄った。ドアに手をかけてから、後ろを振り向いた。それは潔さが見える男の瞳だった。かつての巫女姫はもういない。ここにいるのはマース国の王子然としたフェルの姿だ。
「エルシュラン様、本当は何もかもご存知なのでしょう。エルシュラン様はいつもエリシュオーネ様のことを第一に考えてましたもの。私はエリシュオーネ様が女に転生なされたことの意味を考えてみました」
「殿下、私はエルシュランという名前ではありません」
「ええ、わかっております。そうして、全てをエルシュラン様は胸の中に収めるのですね。過去は過去でしかありませんもの。私も過去は過去として生きて行きます。ですが、私はまた、エリシュオーネ様を愛しました」
カチャンという音と共に、フェルは部屋を出て行った。背筋を精一杯伸ばして去っていくフェルは、もう、ぼくに振り向かなかった。
「エルシュラン兄様、ぼくは二人いるの?」
フェルの気配が消えた後で、ぼくは真顔でレンダークさんに尋ねた。
「モエちゃん?」
レンダークさんは、何を言っているんだいと言いたげに首を傾げた。
「いいよ、もう、隠さないで。ぼく、今、気が付いた。エルシュラン兄様は元始の神様の命令でずっとぼくのそばにいてくれた。そうでしょう?」
「モエちゃん、私にはきみたちの話が見えないのです。エルシュランとは何者ですか?」
ぼくはレンダークさんの蒼い瞳を覗き込んだ。蒼いラピスラズリの瞳は、嘘を言っている目ではない。では、レンダークさんはまだ、思いださないのだろうか?レンダークさんを包むオーラは、間違いなくエルシュラン兄様の物なのだ。ぼくはレンダークさんから手を離した。ぼくたちの周りを精霊が取り囲む。ぼくは物を見る目をなくした代わりに、本質を見る目を与えられたのだ。それはぼくがエリシュオーネであった証。
「ぼく、思いだしたよ」
「モエちゃん?」
「ぼくは昔、エリシュオーネだった」
ぼくは俯いて話しだした。それは悲しくて辛い過去の出来事。ぼくの犯した罪の数々。かつてのぼくは理を軽んじていた。神としての矜持も忘れた。ぼくは自分の造った箱庭を手放すことができずにいた。その結果、ぼくたちはそれぞれに罰を受けることになったのだ。全てぼくが引き起こした罪。




