初心者の洞くつを目指して
ぼくたちは野営の後始末をしたのち、初心者の洞窟を目指して再び歩きだした。旅の仲間に強引に割り込んできたアリカも一緒にだ。
そこでちょっとぼくは疑問になる。フェルには影という名の護衛がいる。今も気配を殺してついてきていると思う。王族にはそうした存在が付き従うと思っていたのだが、今のアリカにはいない。なぜだ?解せない。マイマイごときに逃げ回っていた彼女だ。いくら城出(家出)したからと言ってそうした存在がついていないっておかしいと思う。
それにしても王族の間では城出(家出)が流行っているのだろうかとぼくはちょっと現実逃避をしたくなった。
「わたくし、あなたがフェル様に相応しい方かどうか、見定めさせていただきますわ。それに、わたくし、まだ、フェル様を諦めたわけではございませんの。婚約だけで、正式に結婚したわけではありませんもの。この先、十分にフェル様が私に心変わりする時間がございますわ」
アリカはきれいに平らげたシチューの皿をぼくに返しつつ、きっぱりととぼくにライバル宣言をした。アリカの高笑いがぼくの頭の中にきんきんと響き渡る。ぼくは恨めしげにフェルを見た。これで、また一つ、ぼくに理不尽な不幸が増えた。
フェルがぼくの腕にしがみつき、アリカがぼくたちの間を引き裂こうと躍起になる。レンダークさんもタクミくん、タクトくんも触らぬ神に祟りなしとばかりに、ぼくたちの仲裁をかってでない。どうしてこうなる?嘆息。
「モエちゃん、いいですか?」
休憩中にレンダークさんと魔法の練習をする時間が、今のぼくの唯一の安らぎだった。アリカはここぞとばかりにフェルにベッタリとくっつく。フェルが露骨に嫌がるのに、アリカはお構いなし。あの根性にはぼくもしっぽを巻いて逃げ出したい。フェル、いい加減あきらめろ。
「そう、ゆっくりと呼吸をして、全てを大地に委ねるみたいに全身の力を抜いて」
レンダークさんの言葉が遠くに感じられる。温かい。ぼくの中に温かいものが流れ込んでくる。ぼくの周りに優しい息吹きを感じる。何だろう?懐かしい。温かい光りが全身に満ちあふれ、たくさんの生命がぼくの周りに集っていた。ぼくは昔この生命の中にいた。全てが愛しかった、あの頃。ぼくは一滴の涙をこぼした。もう、あの頃には戻れない。
「・・・モエちゃん、モエちゃん」
ぼくは目を開けた。フワフワ、キラキラと舞い踊るゆらめく光り、風は木々と戯れ、生い茂った木の葉をザザザと揺らす。遠くから鈴を鳴らすように唄うせせらぎの音が聞こえる。空はゼニスブルーに輝いて、大地は全ての生命を養っている。世界全体にあふれている生命の息吹きを今、ぼくは感じている。あまりの懐かしさにぼくは両腕でぼくを抱きしめる。
「ぼくは願っていた。ぼくは、・・・レンダークさん、ぼくは本当に何者なの?」
浮び上がりつつある記憶が不意にとぎれる。ぼくの奥底で記憶の解放を許さない何かがある。ぼくはモエギで、モエギ以外の何者でもない。わかっているのに、ぼくの中に別な記憶があると気付いた。それがぼくを不安にさせる。ノブユキさんとルイさんは、北エリシュオーネの神殿へ行けと言っていた。そこで、昔のぼくに会ったとか言ってたっけ?
昔のぼく?ぼくって誰かだった?なんだろう?不安でたまらない。
「モエちゃん?どうしたのですか?」
レンダークさんが困った顔でぼくを見ていた。ううんとぼくは首を振りながら、レンダークさんを見上げた。フェルは前世で恋人だったぼくをレンダークさんに取られたと言ってた。そして、ぼくとレンダークさんはフェルが届かない遠いところへ行ったとも言っていた。ぼくたちは本当にそうだったんだろうか?違うとぼくの中の何かが叫んでいる。もっと、悲しくて苦しくてせつないことが起きた。ぼくの胸が張り裂けてしまいそうな出来事だった。それをぼくはたぶん思い出したくない。
レンダークさんを見て何度も瞬いた。レンダークさんが遠くに感じる。
レンダークさんの手が、ぼくの肩に優しくそっと触れた。ぼくが考え込んでいるから、心配になったのだろう。そう、昔もレンダークさんはいつもぼくを心配していた。ぼくがまだ子供だったから。そして、ぼくはこんな風にレンダークさんの胸に飛込んだのだ。ぼくの手がレンダークさんの背中をギュッと抱きしめた。それから、ゆっくりと顔を上げたぼくは、レンダークさんを懐かしそうに見た。もう離れていかないでとなぜか願いながら。
「モエちゃん?」
「ぼく、レンダークさんを知っている。ずっと、ずっと、昔から、ぼくはレンダークさんと一緒にいた」
「モエちゃん」
「ぼく、おかしいね。何か変だよね。でも、ぼく、どうしたんだろう?こうしていると落ち着くんだ。ぼく、たぶん、レンダークさんが好きなんだ」
「モ、モエちゃん」
レンダークさんの声が裏返ってあわてふためいている。ぼくの唐突すぎる告白に対応し切れないでいるからだ。普段、冷静なレンダークさんがパニックに陥っている。それほど、レンダークさんはぼくのこと何とも思ってなかったのだ。ぼくはレンダークさんを悪戯っぽく見つめた。
「おっかしいの。レンダークさんって、本当に男女の仲に疎いんだね。ぼくのこんな嘘にも簡単に引っ掛かってるんだもの」
ぼくはレンダークさんに背を向けると、お腹を抱えて笑いだした。胸がチクンと痛む。
「モエちゃん、からかわないで下さい。本当にびっくりしたんですよ」
見ると、レンダークさんは胸に手を当てて、空を仰ぎ見ている。肩で大きく息をしているのは、気持ちを落ちつけているからだ。ぼくも空を見上げた。先程のゼニスブルーの輝きが急に色褪せて見えた。
ぼくは、北エリシュオーネへ行こう。ぼくが何者であるのか?それを確かめなければいけない。たぶん、北でぼくは真実を知る。ぼくはギュッと唇をかみしめた。この抉られそうな痛みにぼくは耐えられるだろうか?
「レンダークさん、ぼくは本当に魔法を使えるようになる?」
「ええ、大丈夫です。ただ、モエちゃんの場合、精霊魔法では駄目なようですね。精霊たちはモエちゃんとは契約ではなく、服従するようです。それが精霊魔法と神霊魔法の違いなのでしょうね」
「ぼく、北エリシュオーネへ行きたいんだ」
「そうですか。では、しっかりと初心者の洞窟で修業しましょうね」
レンダークさんは我が意を得たりといった顔で笑みを浮かべた。薮蛇だったかなとぼくはちょっと後悔した。
空を仰ぎ見ると相変わらずゼニスブルーの美しい空。風は優しくぼくの頬を撫でる。この美しい世界がぼくは好きだった。心の底から愛していた。
その日の夜。小さいテントの中で寝たのは、ぼくとアリカの二人で、背中を向けた格好でぼくたちは横になっていた。アリカから時々「お母様」などと寝言を呟いているところを見るとやはり眠っているらしい。母親を寝言で言うなんてまだまだお子様のアリカである。こいつなんで城出なんて指摘のか?どう考えても高飛車なお嬢様らしくないし、一人で何もできないくせにここまでどうやって来たのかも疑問だ。ぼくだけが目が冴えて眠れない。いろいろと考え込んでいたら余計に眠れなくなり、ぼくはそっとテントを抜けだした。
焚き火の前では、タクトくん一人が起きていた。深い闇夜の空には、小さい月だけが浮かんでいる。レンダークさんとタクミくんとフェルはテントで眠っているらしい。
「眠れないのか?」
「うん」
「まあ、モエにもいろいろと苦労があるみたいだし、しゃーねえか。ただな、全部片付けようとは考えるなよ。一個でも片付けられたら、いいやって気楽に考えるのさ」
「ねえ、タクトくんはオーダ家を継ぎたくないって言ってたよね。どうしてさ?タクミくんに遠慮してるから?」
「違うよ。・・・うーん、なんて言えばいいのかな?俺、本当はさ、魔法使いになりたかったんだ。元々、ルーイ家とは同じマース王家に繋がる血筋なんだし、俺にも若干は魔法力があるんだ。でも、俺の魔力はルーイ家の人たちに比べたら、微々たるもので魔術士になるだけの素質はない」
「やっぱり、タクトくんは魔術士になりたかったんだ」
「まあな、でも、今は別な目標がある。実のところ、俺はちょうど初心者の洞窟へ行きたかったんだ。モエたちと一緒に旅をすることは、俺にとっては渡りに船だった。前の修業の旅と違って、俺自身が確かめたいんだ。俺は世間に通用するのか」
「何を?」
「うん、実は俺、魔法剣士になろうって思っている。剣に魔法を集めて、魔法剣にするのさ。それなら、俺の微々たる魔力でも十分なんだ。おれはおじさんやおばさんみたいに、冒険者になってエリシュオーネ大陸中をかけ巡りたいんだ」
タクトくんの茶色の瞳が大きく見開かれ、生き生きと輝いている。夢を話しているタクトくんは、今にもどこかへ羽ばたきそうな勢いだった。羨ましいと思った。ぼくにもそんな夢が欲しかった。ぼくは自分一人で北エリシュオーネに行くことなどたぶんできない。レンダークさんは神霊魔法が使えるというけれど、その力だけでぼくは一人で旅をできるのだろうか?心配だ。
「だから、俺にはオーダ家を継ぐ気はないんだ。もっとも、俺の夢はタクミがいるからかなうんだ。もし、俺たちが双子じゃなかったら、俺はこんな考え持たなかったと思う。タクミがいるから、安心して俺は家を出られるんだ。あいつは俺と違って、堅実派なんだ。周りからはいろんな女の子と付き合うって、軽く見られているけど、根っこにはしっかりと好きな子がいるし、自分というものをわきまえている。あいつはいい奴だよ。なあ、モエ、少しはあいつのこと考えてやれよ」
「何?」
「まあ、俺の口から言うことじゃない」
「変なの。・・・でも、タクトくん、冒険者になるなら、ぼくと北エリシュオーネに行かない?」
「北へ?ああ、おじさんとおばさんが言ってたこと気にしてるのか?」
「ううん、そうじゃなくて、ぼくは自分で自分が何者なのか捜したいんだ。北にその真実がある。それは確信してる。ぼくがモエギである前に、ぼくは別の誰かだった」
「モエ、宿のおばちゃんや王子の考えに毒されたのか?」
「ううん、違うんだ。ぼくの中に別な何かがあって、それがわからないとぼくは不安なんだ。ぼくは何か大切なことを忘れている。その大切なものが北にあるんだと思う」
「まあ、よくわかんねえけど、おまえがそう言うんなら、付き合ってやってもいい。ただし、タクミも一緒だ」
「うん、北は南と違うから、半人前以下のぼくだけではいけないもの。タクトくんはもちろん、タクミくんも一緒にきてくれるなら、嬉しいよ。約束だよ。・・・ぼく、もう寝るね」
ぼくはタクトくんと指きりをすると、また、テントに戻った。少しホッとしてる。少なくとも、ぼくは一人にならないですむんだ。それがとてもありがたかった。




