初心者の洞くつ
山を越えて、海が見えだした頃、ぼくたちは一つの村についた。村の名は《初心者の洞窟》、ぼくはその安易な命名にプププと堪え切れずに吹きだした。
「ここは初心者の洞窟に通う人のために造られた村なのですよ。最初の頃は野宿が当たり前だったようなのですが、観光名所としても有名になってきたので、国がスライムさんたちの許可を取って、ここに村を造ったのです。お陰で、私たちは野宿しないで安心して修業に打ち込めるわけです」
ぼくとフェルとアリカは、物珍しげにキョロキョロと辺りをながめ回した。驚いたのは、スライムさんたちが村の中を平気で歩き回っていることだ。村の共同井戸で、おばちゃんたちとスライムさんが井戸端会議に興じているし、通りにあるお店では、子供スライムがお菓子を親らしいスライムさんにねだっていた。
「ここでは皆が仲良く暮らしているのですよ。スライムさんたちは礼儀正しい種族ですし、この村はスライムさんたちのお陰で成り立っているのですからね」
目をまん丸くしているぼくたち三人に、レンダークさんが笑みを浮かべながら、説明をしてくれた。人も魔獣もモンスターもすべてが仲良く暮らす世界。それを夢見たのは神エリシュオーネ。ぼくは瞬きをしながら目の前の光景を見つめていた。
「ねえ、神代の頃って、こんな感じだったのかな?」
「そうですね、たぶん、きっとそうでしょうね。神エリシュオーネは全ての生き物が平和で幸福に暮らすことを望んでいたのです」
レンダークさんの声が次第に小さくなり、視線が足下に向けられた。ぼくたち人間は遠い過去に神に背き、結果として、楽園であった神代を失った。ぼくはレンダークさんがぼくと同じで遠い過去に思いをはせているのだと、勝手に思い込んでいた。
「姫様!アリカ姫様、捜しましたぞ」
ぼくたちがやっと空いていた一件の宿屋に落ち着き、荷物をほどいてくつろいでいると、バタバタと足音が近付いてきて、ばんと部屋のドアを蹴破るような勢いで初老の男を先頭に幾人かの男たちが雪崩込んできた。
「じい!」
アリカが叫んで、瞬時にフェルの陰に身を潜ませた。
ぼくはやっぱりねと思った。一国の姫が城出して、周りが放っておくわけがない。ぼくはフェルですでに経験済みだ。
「我がままが過ぎますぞ。じいはどれほど心配したことか」
「帰りたくありません。わたくしはまだ、ここに着いたばかりです。まだ、自分の実力を確かめておりません。それに、・・・」
アリカはぼくとフェルの顔を交互に見比べた。フェルは事情が飲み込めないのか、オロオロと狼狽えていた。はぁっとぼくは溜息を吐いた。この先の展開が見える。またひと悶着が始まる。それは間違いない。今までの経験がそう言っている。ぼくは縋るような瞳でレンダークさんたちを見る。
「わたくし、この方と結婚いたします」
アリカは元気よく、フェルの手を取った。あちゃ!ぼくは頭を押さえ込んだ。フェルがピクピクと身体を震わせる。アリカのいきなりの結婚宣言。そう来たかとぼくはフェルに憐れみの視線を向けた。フェルはぶんぶんと勢いよく首を横に振り続ける。
「モっ、もえぎさん」
夢中でアリカの手を振りほどくと、ぼくの方へ一目散に逃げ込んできた。アリカの突拍子もない言動にいい加減慣れてきたらしく、フェルは簡単に気絶しなくなった。それよりも僕が被害を被る結果になるから、ぼくを巻き込まないでほしい。切実な願いだ。
「姫様、これで何度目ですか!」
じいと呼ばれた初老の男には、アリカの結婚宣言は毎度のことらしく動じた素振りはなかった。ということは、フェルの前にも被害者は大勢いるってことか。ぼくはホッと安堵の吐息を洩らした。
「申し訳ございません。姫様が皆様がたに、多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び致します」
男の名はフォース国侍従のジェムシャ伯爵。アリカのお目付役らしい。一緒にきた男たちは、フォース国の近衛騎士たちで、城出したアリカを追いかけてきたのだと言った。
彼女のいきなり城出は召喚魔法を使い、飛びトカゲを出してそのまま行方不明になったらしい。部屋の中にマース国の冒険ガイドブックが残されていたので、それを参考にいろいろと非公式に捜索していたという。できれば、もっと早く回収に来てほしかったよとぼくは言いたい。
フェルがマース国の王子であり、ぼくたちがマース国の貴族であることを知ると、ジェムシャ伯爵はぼくたちに重ねて非礼を詫びてきた。レンダークさんとジェムシャ伯爵が奥で難しい話を始めると、タクミくんとタクトくんは騎士のお兄さんたちと中庭で手合わせをするために出て行った。ぼくたち三人は手持ち無沙汰になって、とりあえず、名物のスライム温泉に入ることにした。親切なおばちゃんがいたリシュラの街の宿からは、野宿だったので一度もお風呂に入っていないことを思いだしたからだ。
うーん、やっぱり温泉はいいな。命名が実に安易だけど。ぼくは湯舟に浸かりながら、一人でクククと笑った。温泉の効用は打ち身、怪我、捻挫にいいらしい。これって、スライムさんとの修業で怪我するからかな?アリカが奥でブツブツと呪文のような文句を呟いている。ぼくは知らんぷりを決め込んだ。そういえば、アリカって幾つなのかな。まだ聞いてない。まあ、ぼくとあまり変わらない年だろう。成長途中の未熟な身体つきだもの。正直言って、ぼくは機嫌がいい。ぼくよりもアリカの方が胸が小さかったからだ。脱衣所で密かにぼくはほくそ笑んだ。アリカがブツブツと呟いているのは、たぶん、ショックだったんだと思う。
頭からつま先までをきれいさっぱりと洗って、ついでに溜まっていた洗濯物も片付けてぼくはハミングしながら、部屋に戻った。レンダークさんはキチンとぼくとアリカのために部屋を別に取ってくれたので、ぼくは窓際にひもを吊るして、洗濯物を一斉に干した。それから、レンダークさんの様子をチラッと見に行った。まだ、ジェムシャ伯爵との話は続いていて、フェルが退屈そうにしている。
ぼくとフェルは連れ立って、中庭にタクミくんたちを見に行くことにした。二人は騎士のお兄さんたちと昔なじみのように気楽に雑談していた。ぼくたちが行くと、フェルが王子なのでお兄さんたちの顔が一斉に騎士らしく緊張した。けれど、フェルって、やっぱりお得なんだ。いつのまにか、和んだ雰囲気の中で、ぼくたちは騎士のお兄さんから、剣の稽古をつけてもらっていた。さすがにノブユキさん直伝のタクミくん、タクトくん相手にだてに稽古をしていたわけではないらしく、フェルの剣は上達が早かった。そうなると、お兄さんたちは面白がって、フェルの相手をしたがり、ぼくはポツンと浮き上がっていた。男は男同志という言葉が、この場合のぼくには恨めしい。
ぼくは剣を置いて、一人で部屋に戻った。
「部屋の中に洗濯物を干さないでいただきたいわ」
ぼくが帰るのを待ってましたとばかりに、アリカがかみついてきた。
「全く、本当にあなた、公爵家の令嬢ですの?料理や洗濯など、侍女がするものですわ」
ぼくはチロンとアリカの荷物を一瞥した。グチャグチャと洗濯物が詰込まれている。もう、着替えるものなんかないみたい。
「洗って上げようか?」
アリカの顔が真っ赤に染まる。
「し、失礼ですわ」
プイッて横を向いた。
「ぼくんちはさ、ノブユキさんとルイさんの方針で侍女とか召し使いとかはいないんだ。ぼくが小さかった時には、ルイさんの乳母だった人がいたんだけどね。七年前に死んじゃったし、それから、家の中のことはずっとぼくの仕事だった」
ぼくはアリカの荷物を抱えると、また、温泉へと向かった。アリカがぼくの後を追いかけてきた。
「勝手にわたくしの荷物を持って行かないでいただきたいわ」
「洗濯ってしてみると結構これが楽しいんだ。きれいになるって気持ちいいことだしね」
いつのまにかぼくたちは並んで、アリカの服を洗濯していた。アリカはぼくの見様見真似で、不器用ながらも一心に洗っている。アリカって、高飛車なお姫様だけでなく、素直なところもあるんだって、ぼくは発見した。部屋に戻って、ひもを吊るして、一斉に洗濯物を干すと、壮観って言葉がピッタリとあてはまる。ぼくたちは洗濯物に囲まれて、急におかしくなって笑いだしていた。
「わたくし、こんな気持ち初めてですわ」
ぼくたちは床に寝転んで、万国旗のように並んでいる洗濯物をながめていた。
「わたくしにはいつもフォース国第一王女としての責務がつきまとっておりました。私の周りにいる者たちは、皆が私の言いなりでしたし、わたくし自身がその身分に恥じない生き方を望んでおりました」
「疲れない?」
「ええ、今思えば、一日中緊張ばかりしていました」
「身分があるって大変だよね。ぼくなんかは公爵家といったって、あってなきがごとくって感じだもの。ぼくの両親のノブユキさんとルイさんは普通じゃなくて、ぼくはそれを恨めしく思っていた。でも、今は感謝している。ぼくがこうしてぼくでいられるのは、あの二人のお陰なんだってわかったからさ」
ぼくたちはとめどもない話を繰り返した。考えてみたら、アリカはぼくにとっては、初めて身分のある女友達だった。貴族の学校に通わなかったぼくには、身分のある友達はぼくと同じ学校に通ったフェルだけだ。普段から、貴族なんて暮らしに縁遠いぼくは、近所の深窓のご令嬢とも話したことはない。陰口はたくさん言われたけれどね。ぼく自身に貴族としての自覚がなかった。
レンダークさんとジェムシャ伯爵がどんな話をしたのかわからないけれど、アリカは初心者の洞窟で一緒に修業をすることができることになった。今や、すっかり打ち解けたぼくたちは抱き合ってそれを喜んだ。レンダークさんはいつもの笑みを浮かべていたし、ジェムシャ伯爵は目に涙を浮かべていた。
「姫様にお年頃の友達ができるとは、夢にも思いませんでした。モエギ様、どうぞ、姫様と末長く仲良くしていただきたいのです。お願いいたします」
ジェムシャ伯爵は、アリカがいないところで、ぼくの手をがっしりと握って何度も頭を下げた。ぼくは顔を引き攣らせる。どうも、アリカって、相当の問題児だったらしい。
ただ、ぼくたちが仲良くできるのは、フェルがいない時だけで、フェルが間に入ると、途端にアリカは高飛車なお姫様に戻る。恋する肉食系お嬢様は怖いとつくづく思う。フェルを見るアリカの目は間違いなく猛禽類が獲物を見つけた時のらんらんと輝く目つきだ。フェルよ、無事に成仏してくれとぼくはひとりごちた。
「フェル様に関しては、絶対に譲れませんわ。わたくし、フェル様に運命的なものを感じましたの」
アリカの顔はフェルの話をすると、生き生きと輝いて、ぼくはまぶしくて目を細めたくなる。これが恋というものかと少し枯れ気味のぼくは目の前の光景にわくわくしている。だってさあ、大好きな大衆小説の世界が現実にあるなんてすごいよ。ぼくが関わらなければ、王女様と王子様の恋ってやはり庶民の憧れだよね。雲上人(王族)たちの恋愛事情なんてほとんど伝わらないし。
「モエギ様には大変失礼なことではございますが、ここにいる間だけでも、姫様とフェル殿下が仲良くなさるのに目を瞑っていただきたいのです。今までも姫様は一目惚れする性質でして、いろいろと騒動を引き起こしてまいりました。ですが、今回ばかりはどうも本気らしいのです」
アリカがいないところで、ぼくはまた、ジェムシャ伯爵に両手をがっしりと掴まれて、何度も懇願された。ぼくの顔が一層引き攣ってくる。ぼくを巻き込まないでくれ~~と言いたい。
ぼくは温泉に浸って、フゥゥゥゥーと物憂げに吐息を洩らした。世の中って、うまくいかないようにできているって、本当のことだ。アリカはフェルが好きで、フェルはぼくが好きで、ぼくはレンダークさんが好きだと思う?ここは少し疑問系。レンダークさんはルイさんを愛していて、ルイさんにはノブユキさんがいる。おまけにノブユキさんは浮気者でルイさんとの喧嘩が絶えない。フェルがアリカを好きになって、レンダークさんがぼくを見てくれて、ノブユキさんが浮気を止めたら、世の中丸く収まるのに、そうは簡単にいかない。
かといって、ぼくはフェルと結婚する気にはなれないし、ルイさんもレンダークさんを従弟としてしか考えたことがないはず。もし万が一、レンダークさんをそうした対象に見ているとしたら、ルイさんのことだ、さっさとノブユキさんと別れて、レンダークさんと再婚しているに決まっている。ノブユキさんの浮気は殆ど病気みたいなものだし、ルイさんとの喧嘩はあの二人には不可欠なものとかしている。つくづく、あの二人って、何を考えているのかわからない。
ぼくはブクブクと温泉の中に沈み込んだ。
「ブハァ」
息苦しくなるまで潜って、一気に息を吐きだした。何の解決にもならない。




