七話 オレンジが収穫出来た
「オレンジ獲ったことあるがか。」
道具を一式倉庫から引っ張って来た父さんが俺とフィルネリアさんを前に並べて聞く。
母さんはその横で先に道具を身につけていく。
「ないです。」
「俺はあるけど覚えてない。」
フィルネリアさんは面接の時に聞いたように経験もなく、俺はもう覚えてない。
この島で収穫の手伝いをしていたのなんて十年ぐらい前のことだ。
「忘れちょったらこの木一本丸々やって思い出してもらわにゃ。」
「無理無理無理無理!」
笑顔で鬼のようなことを言っている。
そりゃこの道何十年も収穫作業をやっていれば一本ぐらいものの数ではないだろうがこっちはちょっと手伝ったことがあるだけの素人だぞ。
「そいだら母さんのやっちょる間に思い出せ。」
そう言うと着替えて道具を身につけた母さんが生っているうちの一つを手に取る。
手に収まるぐらいのサイズで、いかにもこたつに置かれていそうな見た目をしている。
「ほんとは一発で切ってもえいが、難しいきやめとけ。」
慣れた手つきでオレンジの近くの枝を引っ張るとしっかりと実を支えて根本から一発で切る。
なんでもないようにやっているが、大抵ハサミが実に当たって傷物になってしまうのでこのやり方はいわばプロ向けと言うやつだ。
「根本からきったらあかん。」
そしてど素人の俺達は当然初心者向けのやり方を教わる。
「いっぺん近くで切ってから、もっぺん根本から切る。」
枝についたオレンジをはじめっから完全に切ってしまうのではなく、一度適度な長さで切って手元でもう一度綺麗に切る。
この方法なら痛めることが少なくて済む。
少なくて済むと言うだけで下手くそだったりせっかちだったりするとちょくちょく失敗することもあるが、まあフィルネリアさんはその二つの心配はないだろう。
強いて言うなら興味深そうにオレンジの周りをぷかぷか浮かんでいるあの妖精が悪さをしなければだが。
絶対自分もやりたがるだろあれ。
「用意しとるき着替えてこい。」
「おっけー。」
そう言って手渡されたカゴの中には道具の入ったビニール袋が置かれている。
「えっもしかしてこのカゴがノルマとか言ったりする?」
「そら後のお楽しみ。」
まだフィルネリアさんは気づいていないようで「なんでカゴの中にビニール袋を?」と頭にハテナを浮かべている。
慣れてくれば速度も速くなるので気づけばカゴ一つ埋まってたということもあるが、初めのうちは傷つけないように慎重にやらなきゃいけないから時間がかかる。
「よっしゃ、じゃあ二人にやってもらおうか。」
もう、という気がしないでもないがこういうのは見聞きするよりやってみる方が百倍早い。
早速外側のオレンジに当たりをつけて枝を持つ。
「ど、どれがいいんでしょうか。」
ええいままよととりあえずハサミを入れてしまおうとすると、どれにするか選べずにうろうろしているフィルネリアさんがそう溢した。
「最初は外側の手元ぐらいの高さにあるやつでいいよ。」
「これとかですか?」
「あ、そうそう。」
いきなり変なものから始めても難しい。
最初は獲りやすい位置にあるものから獲っていけばいいのだ。
まあゆくゆくは高いやつとか、木の中の方にあるようなものまで獲らなきゃならないのだが。
中の方にあるやつは本当に最悪で、枝がびしばし体に当たるもんだから一体今どちらがもがれようとしているのか分からないぐらい攻撃を受けることになる。
「いよしっ!」
ぱちんと切った枝付きのオレンジを手でしっかりと持ち直し、残った枝を根本から切る。
するといつも買い物で見かけるあのオレンジの完成というわけだ。
「できました!」
「おっ。」
フィルネリアさんによって切られたオレンジはお手本通りにヘタだけを残して整えられている。
「流石だなあ。」
思わず感想が口から飛び出る。まじまじと見ても非の打ち所がないほどである。
「たまたまですよ」
「いやいや一発目からこんなに上手にできるのは才能ですよ!」
写真も一度目で完璧に扱えるようになったわけで、この物覚えの良さはもうそういう星のもとに産まれたとしか思えない。
謙遜しているものの、口角が上がっているのを隠せていない。横の精霊、君は何もしていない。あいや、応援はしてたか。
「…ちなみに精霊はハサミとか持てるんですかね?」
「いえ、干渉はできないはずですが...」
先ほどからオレンジにしがみついている様子を見るとできる気がしないでもない。
「ま、まあ今回はフィルネリアさんの練習ですから...」
「そ、そうですね!」
問題の先送りでしかないが今回は精霊には諦めてもらおう。
両親の目がない時にやらせてあげるから...!!
うりうりと頭をめり込ませてくる精霊をひっぺがして収穫の続きをしていると、別の木の収穫をしていた二人が寄ってくる。
後ろから様子を見ているつもりだったが、あまりにも簡単にできてしまうのでさっさと別のところに行ったらしい。
「調子はどうか。」
「良い感じじゃない?」
時々休憩を挟んではいるが、別段ペースが悪いということもない。
収穫したオレンジの入ったカゴを覗き込んで、中から一つ取り出す。
「お、綺麗にとれちょる。」
「でしょ?これフィルネリアさんの獲った方だから。」
「ほー、うまいことやっちょんな。」
感心したように彼女を見ると慌てて手を顔の前でふっている。
「皆さんが教えるのが上手だったからで...」
「上手も何も一回教えただけで後は何もしてませんよ。」
すぐそばにいた俺でさえ最初にどれが獲りやすいかを教えたぐらいで、両親に至っては最初っから別の木の収穫をやっていた。
それはそれでどうなんだという気もするが、それだけ信用されていたとポジティブに捉えよう。
「感想は。」
ぶっきらぼうに聞かれたその質問に考え込んだ彼女を見てこちらで巻き取る。
「久しぶりやけ覚えとらんかと思ったけど、案外なんとかなるもんじゃね。」
「そらうちの子なんやき当たり前じゃ。」
ばんと叩かれた背中の痛みがどことなく懐かしい。
こうやって父さんと何かすることもめっきり減ってしまったからなあ。
これからはもう少し手伝っても良いかもしれない。
それで言うとあの妹も最近帰省してないからいつかこっちに引っ張ってこないと...
「あんたはどげんね。」
「私は...そうですね、最初は量にびっくりしましたけど...これ全部が誰かが美味しく食べるものなんだなと思うと、ちゃんと届けてあげたいなと思いました。」
その目はこの広い瀬戸内海の海を捉えていた。
ここで獲れたオレンジは全てを汐乃島で消費してしまうわけではない。
ここから船に乗り、日本各地へと飛んでいくのだ。
「そう。やき、大変でも手え抜くわけにはいかん。」
それはずっとここでオレンジを育て続けた男の言葉だった。
雨の日も晴れの日も、台風が来ても果樹は動かない。
ただそこにあって、誰かの助けを待ち続けている。
手を抜けばその分、オレンジの品質として返ってくる。
そしてそれは全国の消費者のもとへと送られる。
たとえ熱が出ていても決して手を抜かないのが矜持だった。
「まあ、ハウスやったらまた違うんやろけど、今更ハウスっちゅうんもなあ。」
ここにハウスを建てるとなるとかなり大変そうだ。
そしてその負担を絶賛しょうことになりそうなのがここにいる。
「まあまあ、ええがないか。フィルネリアさんもさっさと収穫に戻りたいき。」
「え、わ、私は別にお話を聞いても...」
しーっと指を立てて合図をすると口を噤む。
「ほれ、あそこで母さんもまっちょるよ。」
「そらいかん。」
父さんの肩に片手を置いて指差し示すと駆け足で戻っていく。
「じゃあ、続きやっていきますか。まだ先は長いので。」
まだまだ最初の一歩を踏み出したばかり。
こんなところで時間を食うわけにはいかない。
「はい!」
そうして長い長い一日が幕を開けたのだった。




