二十四話 睡魔が来た
「あ、水野さん!」
待ち合わせの時間をとっくに過ぎていることに気づいた後大急ぎで風呂を出たものの、遅刻していることには変わりない。
暖簾の前では既に出ていたフィルネリアさんが精霊と一緒に木のベンチに座って待っていた。
「遅れてすみません。」
「いえいえ、のぼせていなくてよかったです。」
遅れたことを咎めるでもなくむしろ心配までしてくれる優しさが痛い。
こういう時葵がいればネチネチと詰ってくれるんだがと思いながら辺りを見渡すが姿がない。
「ところで葵は?」
そう聞くと、スタッフルームの方を指さして彼女が言う。
「葵さんなら今のうちに仕事を済ましておくからって。水野さんがきたら一緒に部屋で待っててとおっしゃられてました。」
風呂に浸かっている間にも仕事をしておくと言っていたが、流石にこれだけ広い施設を運営しているだけあって相応に忙しいらしい。
そして今ので彼女をここで待たせていたことが発覚した。
本当なら部屋で待っていてもよかったのにそれでは分からないだろうと気を遣ってくれたのだ。
「ほんとすみませんでした。」
「大丈夫ですよ。」
彼女が椅子から立ち上がると膝の上でうとうととしていた精霊も慌てて飛び上がる。
本来なら職員しか入れないそのスタッフルームの扉を開けるとまた通路があり、設備や職員用トイレなどと共に職員休憩室の扉がある。
その中で好きにしていていいと言われたようだ。
「意外と広いですね?」
「職員用の休憩室もこんなに広いとは思いませんでしたね。」
中はその建物の大きさに恥じぬ広々とした作りで、正直なところあちらで住んでいる一人暮らしの部屋と比べてどちらが大きいかという程だ。
そんな羨ましいほどの高待遇な大きさではあるが、あるのはテレビや雑誌ぐらいで特に目立つものはない。
「まあゆっくり待ちますか。」
来る時にちらりと葵のいる部屋を覗いたが目が合うなりしっしと手で追っ払われたのでもう出ていることには気づいている。
待っていればそのうち切り上げてくるだろう。
しかし今はそのしばらくの時間でさえも大きな障害となっていた。
「お風呂上がりだからか眠くなってきたな。」
湯上がりの温まった体が瞼を重くする。
その上こうやって畳の上に寝転がっているともなれば寝そうになるのも仕方のないことだ。
「寝ててもいいですよ?葵さんがきたら起こしますから。」
「いやいや、それは悪いですよ。」
座ってテレビを見ていた彼女がそう声をかけてくれるが、ただでさえ遅れて待たせているというのにそんなことまで任せるのは忍びない。
横になってはいるが、いやその上さらに目を閉じてもいるがしっかりと根性で起きておくつもりだ。
次に目を開いた時、葵の顔が眼前一センチメートルのところにあった。
「うわあっ!」
情けない悲鳴を上げるのを聞いて葵は顔を離す。
「楽しんでくれたようだね?」
そう聞く葵の顔にはニマニマと意地の悪い笑みを浮かべている。
いかにも弄るところを見つけられて嬉しいという表情だ。
銭湯での長風呂と、こうして休憩室で目を瞑るだけのはずがガッツリと寝ていたとなればそう言われても全く言い訳できない。
「悪かったって。」
起き上がりながら返すと向こうに手を合わせて申し訳なさそうな顔のフィルネリアさんが見えた。
「すみません、どうせなら面白い起こし方をしたいからと...」
どうせ横になって寝ているところを見て驚かせられると思ったんだろう。
昔からとにかく人に何かを仕掛けるということが好きな奴なのだ。
「寝ちゃった夏樹クンが悪いんだから気にすることはないさ。」
「そうだけどお前が言うな。」
悪びれもなく慰める葵に思わずツッコむ。
ただそもそも自分が寝なければ良かったということは都合が悪いので目を瞑った。
寝落ちだけに。
「...さて、何から話したもんかな。」
スッと真面目な表情に切り替えて思案し始めるが、一番気になることを放っては置けない。
「まずはこれだろ。なんだこの明らかに採算を考える気のない箱物は。」
悲しいことに、汐乃島のキャパを考えればこれほど大きな建物を建てる意味ははっきり言って無い。
汐乃島にそれほどの人間を集める力はないし、現に来ているのも多いとはいえこの島の住民ばかりだ。
到底それだけで採算を取れるとは思えない。
「そうだね....うーん、だったらボクが公務員を辞めたことからかな。」
夢を持って島を出て行ったはずの葵が、こうして謎の建物と共に戻ってきている理由。
それを真剣な表情で語り始めた。
「ボクの夢はこの島にかつての活気を取り戻すことなんだ。まあ、夏樹クンは忘れてなきゃ知ってると思うけど。」
「覚えてるよ。」
そのために一個人としてではなく、塊として動く行政の中でできる限り汐乃島に手を掛けようとしていた。
あの頃から、もはや汐乃島は大きな力でないと滅びゆくばかりだと感じていたから。
しかしそれが初耳な人もいる。
「かつての活気というのは...?」
確かに今の汐乃島を見ればそうも思いたくなるだろう。
納得いったように頷いてから説明を続ける。
「ああ、汐乃島はね、昔は瀬戸内海を通る船の寄港地だったんだ。」
商人が停泊している間、当然ただぼーっと待ち続けるわけではない。
島で遊んで金を落とすし、当然それを目当てに更に店も賑わう。
今でも残る古い街並みはその時のものだ。
「まあ、全部が全部良いことばかりではなかっただろうけどね。それでもまさかその時代の人達はこの島から人間が消えそうだなんて思いもしなかったはずだよ。」
極々少人数のためには遥かに大きすぎる学校、今は使われていない大きな港。
当時これらを作った住人達はこれから先も使われていくんだと思ったことだろう。
「ボクはこの島が好きなんだ。だから、消させるワケにはいかない。」
昔、夏樹になぜ公務員になるんだと聞かれた時の思いは今でも変わらない。
この島が消えてしまうというのなら、いいだろう、ボクがいつまでも残り続ける島へと変えるから。
そう思い島を出た。
「の割にはこんなとこで客のいない商売やってるみたいだけど?」
聞いていた話と違うんだけどと訝しむような目で見る。
葵は諦めたように、投げやりに言った。
「ああ、簡単な話だよ。政争に負けてしまってね。」
淡々としているが、その目には怒りの炎が消せていない。
「やっぱり人の少ない島だからね。不景気な世の中だし色々と削減しようという動きもあってさ...」
「けど、そんなことされたら喉を締められるようなものだ。ジワジワと削られたら再起できなくなっちゃう。」
全体の奉仕者である公務員の中で、私情をもってして汐乃島を守り切ることは不可能だ。
汐乃島のためになることと、地方のためになることではどうしても違いがある。
限りのある予算をどのように使うかは厳粛に考えられなければならない。
「だからさ、いっそのこと上に立ってやろうと思って頑張ってはみたんだけど前例のないことだからなにぶん難しくてね。」
予算を承諾できる立場になれば無理が効くという話かもしれないが、それは葵個人に降りかかるリスクが高い。
負けてしまったと言ってはいるが、失敗して良かったとしか思えなかった。
「だけどその分予算は踏んだくってきたよ。昇り詰める過程で上役の後ろめたいところは握ってたからね。...まあ今はボクとは関係なくバレてクビにされちゃったみたいだけど。」
前言撤回だ。
反省の色もなく平気で危ない方法を使っている。
「踏んだくってきたって...それがこれか?」
その上そんなことまでして引っ張った金の使い道がこれでは、なんの解決にもなっていない。
どうせならPR動画を作るとか、島の産業に投資するとか、島に移住する人間に補助金を出すとか、色々あるだろう。
そう思って聞くと、またあの悪どい顔で指を振って笑った。
「ちっちっち、甘いよ夏樹クン。キミは本当の観光振興をまだ知らないみたいだ。」




