二十一話 給湯器にガタが来た
「夏樹!お風呂わいちょんのにお父さんがいつまでも入らんき、もう入ってき!」
廊下から母さんがそう大声をあげる。
なにもそんなに大声でなくともとは思うが、お互いに耳が遠いとそのうち大きくなっていくんだろうなとなんとなく理解して何も言えていない。
さっき父さんが風呂に入ると出て行ったのにいつまでも入らないことに怒り心頭のようだ。
「フィルネリアさんが先入りますか?」
隣に座ってテレビを見ていた彼女に尋ねると、一瞬テレビから顔を離して答える。
「いえ、水野さんが先に入ってきてください!」
言うだけ言ってすぐさまテレビに集中する。
テレビではカメラ特集と題して最新のカメラやその使い方を紹介している。
母さんが見返せるように録画しているのだからいつでも見られるのだが、だからこそ今見たいというやつだ。
見たいから録画しているはずなのにいざ見ようとするとどうでも良くなる気持ちはよく分かる。
彼女の膝の上では精霊が退屈そうにあぐらをかいていた。
「じゃ、お先。」
彼女が気にしないのならさっさと入ってしまおう。
こうも寒くなるとお風呂の温かさが骨身に染みる。
「♪-...ん?」
鼻歌混じりに廊下に出たところで何かが背中にへばりつく。
そこそこの重さがあるそれを掴んで眼前に持ってくると、さっきまで一緒にテレビを見ていたはずの精霊だった。
「なんだ?お菓子か?」
さっき夜ご飯を食べたのにもうお腹が空いたのかと呆れながら聞くと鼻先に精霊パンチを喰らう。
「痛っ...違うわけね。」
違うなら違うと言葉で...いや身振り手振りで教えてほしい。
実力行使は身振り手振りの範疇ではない。
そう伝えると、風呂場を指差してもう片方の手で腕を摩る。
「風呂場が寒い?...そりゃ暖かいのは湯船の中だけだぞ。」
脱衣所が寒いのは当たり前である。
最近の断熱性能が高いような家じゃないのだから暖房もついてない脱衣所は服を着ていない分外よりも寒い。
しかしだからこそ風呂のぬくさに心を打たれるんだと力説したところ呆れたように居間の中へと戻って行った。
「...風呂に入りたかったわけじゃないのか。」
まあ気にすることはない。
とんとんと軽快に階段を登り着替えを取りに行き、箪笥の中から適当なものを引っ張り出した。
夏なら寝巻きなんて着れさえすればなんでも一緒なんだが流石に冬は風邪を引く可能性があるのである程度まともなものを着る必要があって面倒だ。
脱衣所に入ると確かに寒いが、一つだけコツがあるのだ。
服を脱ぐ前からシャワーは出しておくことで脱衣所にも少しは暖かい空気が流れてくる。
またいざシャワーを浴びようとしてから温まるのを待つあの時間を防ぐことができると一石二鳥だ。
脱ぎ捨てた服を洗濯カゴの中にぶち込んで、温まったはずのシャワーを浴びようと取手に手を伸ばして水がかかる。
「冷たっ!」
...時にはそういうこともある。
台所で水が使われているからなのかなんなのか、理由は全くわからないが全然温まらない時というのはある。
仕方がないので待つ間段々と寒くなってきたのでバスタオルを体に巻き付けて抵抗しておく。
じんわり体温を失いながらも待ち続け、流石にそろそろ温まったはずだ。
「冷たいなあ。」
いや、流石におかしい。
慌てて浴槽の中に手を突っ込む。
「こっちも冷たい!」
これはまずい。
大急ぎで脱いだ服を再び着込む。
脱衣所を飛び出て居間にドアをばたんと開けた。
「給湯器壊れてない!?」
「おう、壊れちょったぞ。」
そこには防寒着を着込み工具箱を持った父さんがいた。
目の前にいきなり立たれていたインパクトも凄かったが、それより聞き逃せないことがある。
「え知ってたの?」
「やき修理しようとしたんじゃろうが。」
「ああ、それで工具箱を...」
何を当たり前のことをという表情で言い返される。
そんな表情で見られても、修理しようとしていたことも壊れていたことも知らなかった。
ひとまず道具箱を持って立っていたことについては納得したが、危うく水風呂に入らされるところだったことは忘れていない。
「言ってよじゃあ。」
先に一言言ってから修理に行ってくれれば一度服を脱ぐ必要もなかったのにと不満を言っても右手で払われてどこか遠くの方へ消えて行く。
「んなこたえい。そんよりありゃ修理がいるぞ。」
「えー。」
自分で試してもうまくいかなかったということだろうが、つまり少なくとも今日は風呂に入れないことが確定した。
いや、この島に部品が届くまでのことを考えると下手したら週単位の可能性すらある。
そして今このお風呂に入ろうとしていた男の気持ちはどこにぶつければいいんだ。
諦めて水風呂に入ってやろうかと思い始めたところで父さんが廊下に出ながら言う。
「銭湯行くぞ。」
「えあそこまだやってんの?」
この島唯一の銭湯は歴史が古い。
それはもう、あのボロい柏原商店と肩を並べられるぐらいだ。
もう営業も終わっていたかと思っていたらしぶとく生きていたとは驚きである。
「でもなー...」
「でも、どうしたんですか?」
「ああ、いや、まあ大分古い建物なんで風情しかないというか。」
父さんに連れられ何度か行ったことはあるがお世辞にもいい場所とは言えない。
本土のどんなに古い銭湯でもここまでのものはないはずだ。
なにせ修理をするのにいくら金がかかるのか分かったもんじゃないので誰もやろうと言い出さず、いつの間にやら今の今まで続いていたらしい。
「そうなんですか?でもお風呂が沸かせないならそこに行くしかないんですよね。」
「まあそうなんですけど。いや拓斗の家のを借りるという手も...」
一瞬名案だと思って口に出したが、よくよく考えたらあの家も銭湯と変わらないぐらい古いんだった。
「仕方ないか。せめてリフォームされてることを祈っておこう。」
流石に少しぐらいは工事も入るだろうしその時についでに綺麗にしてくれていることを祈るばかりだ。
バッグの中に着替えをまとめ、先に出た父さんを除いて三人で外に出る。
「さっむ!」
外に出るということで改めて着たというのに平気で貫通して冷気が体を刺す。
特に顔が守りようがない分無防備に風の攻撃を喰らっている。
「夜だとこんなに寒いんですね...」
「まだまだこんなもんじゃなかがよ。」
母さんは一人俺とフィルネリアさんの半分ぐらいの着込み方で平然としている。
慣れとはこうも恐ろしいものなのかと、ではその母をしてこんなもんじゃないと言わせる更なる寒さとは如何程なのかと恐怖が背筋も凍らせる。
「さっさと車の中に行こう!」
「そうしましょう!」
車の中なら暖房が効いているはずだ。
そうでなければ父さんが先に出た意味がわからない。
車の暖房をつけるために先に出たのであって、決して待つのが面倒だったからという理由ではない。
再び今度は父さんに祈りながら助手席のドアを開けると中から暖かい空気が漏れ出てきた。
「あったけ〜。」
「なんしよるがか。お前は向こうじゃ。」
助手席に座った父さんに言われ運転席へと回り込む。
席に座ると、足元からも暖かい空気があたり身体中がすでに幸福に満たされている。
「もうお風呂行かなくてもいいぐらいだけどそういうわけにも行かないからね。」
最悪俺だけなら明日拓斗の家に行けば済む話だが、いくらなんでも家族四人で押しかけるわけには行かない。
ましてやフィルネリアさんを連れて行くなど言語道断だ。
「それじゃ出発!」




