十七話 空っぽのストーブが来た
「お?」
それは家で寛いでいた時の父さんの一言から始まった。
うちの時間割に合わせて珍しく早起きしてのんびりと過ごしていると、おもむろに立ち上がった父さんはストーブの下へ歩いていく。
釣られて見ると真っ赤に光っていたストーブの柱はいつの間にやら元の灰色に戻ってしまっている。
簡単にひょいとタンクを取り出すとその軽さからしてもう中身は空っぽらしい。
「なんにゃ、もう切れたんか。」
一日中とまでは行かないまでも、家にいる間はほとんどストーブをつけて生活していた。
エアコンが付いていないわけではなくそれなりのサイズのものがあるのだが、なぜかストーブを好むのはこの世代の好みなんだろうか。
「ちょっと取り行ってくる。」
「あ、俺がいくよ。」
灯油の満タンに入ったストーブなんてかなりの重さになる。
持ってくるまでの間に転げたりなんかしたら持ってるものの危険性も相俟って危ないことこの上ない。
まあ、今でもオレンジが山盛りのカゴを動かせるんだから要らぬ気遣いではあったかもしれないけど。
「そうか?車庫んところの棚に置いとるき頼んだ。」
「おっけー。」
とは言ったものの車庫は一度外に出てからでないと行けない。
せっかく温まったというのに、朝のこの冷えた外気に晒すことになるとは。
それにしてもなんたって車庫なんかに置いてるんだとブツクサ文句を言いながら玄関で靴を履いているとフィルネリアがやってくる。
「水野さん、これ。」
そう言って差し出された彼女の左腕には部屋に置いていたアウターが掛かっていた
「寒いですから、ちゃんと着て行かないとダメですよ。」
「はーい。」
少しだけ取りに行こうかなと思ったものの、めんどくさくなって横着していたのでその気の利かせ方がありがたかった。
アウターを着て外に出ると明らかに胴まで風を通さずに寒さが軽減されているのがわかる。
まだ夕方前だと言うのに乾燥してうっすらと冬の匂いがする景色もそういえば久々に見た。
仕事に忙殺されて景色を愉しむ余裕なんてなかったので、心にゆとりができるとこうも世界の見え方が変わるんだなと感心させられた。
車庫のシャッターを開けることなくドアから入り、真っ暗な中を手探りで電気を点ける。
これまた乾燥しきって外よりも底冷えするような寒さだがこんなところに長居するわけではない。
タンクを拾ったらすたこらさっさとあの暖かい家の中へ逃げ込みたい。
「これか。」
棚の下に並べて置かれたタンクたちはぱっと見では灯油が入っているのかわからない。
一度持って確かめてみるかと順々に持ち上げるもどれも軽々しく持ち上がる。
猛烈に嫌な予感がしつつ最後の一つを持つと、見事なまでに空っぽだった。
「うわぁ...最悪だ。」
買い忘れていたのか使いすぎたのかは分からないが、いずれにしても灯油がないことには変わらない。
そして今そのことを確認したのは他でもない自分だ。
となると当然誰が買いに行くのかというのも明白で...
「とりあえず報告するか。」
できることならこのまま車に乗り込んで買いに行きたいところだが勝手に行ったら心配するかもしれない。
まあ外に出たついでにどこかに買い物に行ったぐらいに思われるかもしれないし、そして此方の意思と関係なくそうせざるを得ないところが業腹だ。
というか車の鍵を持っていないので結局戻らないといけないのだけど。
「灯油なかったから買い行ってくるよー!」
靴を脱ぐのも面倒だったので玄関から叫んだが返事はない。
聞こえなかったのかなと外に出ようとするとパタパタと軽い足音が近づいてきた。
「わ、私も行きます!」
「じゃあここで待っておくので着替えてきた方がいいですよ。」
「わかりました!」
風のようにヒューっと上へと登って行った彼女が戻ってくるまでそう時間はかからなかった。
「行きましょうか。」
着替えてきた彼女はダウンにマフラーに耳当てに、もこもこと丸くなっていた。
細身の彼女が着ると上半身だけが膨らんで本当に羊みたいだなと思っていると、目の前に精霊が現れる。
胸を張った彼女の首元にも小さな白いマフラーがかかっていた。
「似合ってるじゃん。」
ツンと指で突くと怒ったように突っかかってくるがこんなサイズの精霊の物理攻撃なんて痛くない。
魔法を使われたら一瞬で負けれるのでからかうのはこの辺にしといていくとするか。
「どうしました?」
「...なんでもないです。」
一瞬ぼーっとしていた彼女だがそう言われるとあまり聞きづらい。
「体調悪いなら無理しない方がいいですよ?」
「いえ、大丈夫ですから。行きましょう。」
そそくさと車庫の方へと歩き出してしまう。
精霊と顔を見合わせた後、彼女を追ってシャッターを開ける。
「乗せとくんで乗っておいていいですよ。」
「分かりました。」
五つ全部乗せて運転席に座ると、隣に座った彼女はダウンを脱いでニットになっていた。
パッチなせいか柄が派手で似合わない人が着ると悲惨なことになっていそうだが、彼女が着るとその抜け感が可愛くなるのだから不思議だ。
「可愛いニットですね。」
「...ありがとうございます。」
相変わらずぶすっとした声色ではあるが少しだけ嬉しそうな雰囲気を感じた。
バックミラーを弄るついでにちらりと覗いた彼女の口元はマフラーに隠れて見えなかったが、機嫌が治ってくれたなら何よりだ。
「ここから近い灯油を売ってるところだと...あそこか。」
思い出すのは小さな個人商店。
小さなと言ってもこの島では立派なインフラなんだが、その都合上置いているものが多すぎて狭いところが更に窮屈に感じさせる。
よくお菓子をまけてもらった気のいいお爺さんの店主は老齢で亡くなり、今はその孫が継いでいるはず。
「久しぶりに会う知り合いなのでもしかしたら長話になるかもしれません。」
「大丈夫ですよ、もしそうなったら車の中で待ってますから。」
そうは言ってくれるがあんまり待たせてしまうのは良くないだろう。
いや、そうなったらむしろそいつの方を車に乗せてしまえばいいか。
どうせこれから島の老人たちは眠るんだから店に来やしない。
「なにかアイスかお菓子でも買って帰りますか。」
「いいですね!」
変わってなければ今でも駄菓子ぐらい置いているだろうから、なにか面白そうなものをいくつか買って行ってもいい。
如何せん両親はお菓子を食べないので家には手作りオレンジゼリーぐらいしかない。
いや、ぐらいしかというにはあまりにも美味しすぎるが流石にたまにはしょっぱいものも食べたくなる。
アイスは甘いけど冷たいので別腹だ。
「分かってるって。好きなの買うから。」
自分も自分もと主張しにきた精霊にも約束する。
お菓子なんて一人分増えたところで大した値段にはならないだろう。
それを聞いた精霊はクルクルと回り始める。
「おーい危ないぞー。」
嬉しそうに空中で小躍りしてるが視界の端でちらちらされると鬱陶しいことこの上ない。
「止まらないとお菓子ないからな。」
ぴたりと動きが止まる。
「んふ、冗談だよ。」
あまりにも必死に止まるもんだからつい吹き出すと怒った精霊が目の前に飛び出してきた。
幸いにも人通りのない道だが前が見えないで運転していいわけがない。
手が離せないのでフィルネリアさんにもお願いしてどかしてもらおうとする。
「おいおいおい危ないって!ちょっとフィルネリアさん!」
「精霊様、そういうのは車が止まってからにしましょう。」
そういうことではない。




