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Oh! My リトルマーメイド  作者: 大城まこ豊
第四章

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記者会見

 エリック・スンの記者会見場に指定されたホテルの大ホールは、開式の前から異様な熱気と息詰まる重苦しさに包まれていた。

 会場のあちこちで幾重にも焚かれるフラッシュが、不規則なリズムで真っ白な光の波を作り出し、高い天井を幾度となく叩いている。スチールカメラの連写音が、まるで乾いた雨のように途切れることなく室内を満たしていた。

 集まった報道陣の数は百人を超え、ゴシップ誌の記者から主要局のテレビカメラマンまで、誰もが渦中の人物から一言でも多くの言質を取り、少しでもショッキングな見出しを手に入れようと、ギラギラとした欲望をその瞳に宿していた。

 定刻。重厚な扉が開き、エリック・スンが現れた。

 白シャツに、深く落ち着いたダークネイビーのスーツ。同系色のネクタイを隙もなく締めたその出で立ちは、華やかな表舞台で光を浴びるスターというよりも、これから審判を受ける一人の罪人のようでもあった。

 容赦なく浴びせられる眩い閃光の中を、エリックは足元を乱すことなく進んでいく。絶え間なく焚かれるフラッシュに目を細めることもせず、前を見据えるその瞳は、ただ硬質な静寂を湛えていた。

 壇上に上がり、何本ものマイクが突き出されたマイクスタンドの前に立つ。わずかに肩の強張りが伺えたものの、表情は静かで落ち着いていた。

「この度は、私の不用意な行動により、多くの皆様にご心配とご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」

 頭を下げた角度は深かった。誠意と重みを物語る姿勢のまま、数秒間の静寂が流れる。カメラのシャッター音だけが、その静寂を刻むように響き渡っていた。

 ゆっくりと頭を上げた彼は、今回の騒動に関わる関係会社、そして何よりも自分をこれまで信じ、支え続けてくれていたファンへ向けて、飾らない真摯な言葉で謝罪を述べた。

 釈明も言い訳もしない。そう明確に前置きした上で、騒動へと至った原因の究明と経緯の報告を、時に慎重に言葉を選びながらも、淀みない口調で順を追って説明していく。

「写真に写っている女性についてですが、お相手は私のまったく存じ上げない方です。これまでにお会いしたことも、お話ししたことも一切ございません」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、前方の中央席から即座に手が上がり、鋭い質問が飛んだ。

「では、あの写真はどのような状況で撮影されたものなのでしょうか? 面識がないにもかかわらず、あのような密着した状態で撮影されるとは考えにくいのですが」

 詰問するような問いに対し、エリックは一瞬の躊躇も見せずに答えた。

「当日、私自身が酩酊状態であったということもあり、認識が非常に甘く、軽率な行動をとってしまった際の一枚です。先ほども申し上げましたが、写真の女性とは当日初めてお会いした方であり、お名前や連絡先を含め、一切の面識やその後の関係はございません。しかしながら、このような誤解を招く、かつ不適切な姿勢での撮影を防げなかったことは、私のプロ意識の欠如であり、弁解の余地もございません。」

「見ず知らずの相手なのに、なぜあのような体勢になっているのですか? 自然に発生する体勢とは思えませんが」

 畳みかけるような別の記者の問いにも、エリックは眉一つ動かさず、落ち着いて応対する。

「正直に申し上げますと、私自身も動揺しており、当時の詳細な状況を正確に思い返している最中ではございますが、相手の方から突発的に、一方的に乗られる形になり、そのまま撮影されてしまったというのが事実です。ただ、それを即座に察知し制止できなかった私の油断と、脇の甘さが全ての原因であると猛省しております。」

 事実関係の整理と、反省の意志は明確だった。

 過剰な感情論に逃げて同情を引こうとすることもなければ、自分を悲劇の主人公に仕立て上げるような真似もしない。ただ冷静に当時の状況を客観的な事実のみに絞って整理して説明し、自らの非を素直に受け入れ、記者からの厳しい質問にも落ち着いて対応し、透明性ある発言を心掛けていた。

 姿勢は常に誠実で、過度な言い訳をせず、自らの責任を認めて真摯に説明する姿は、彼の根底にある人間性を雄弁に物語っていた。語る言葉はシンプルだが、だからこそ嘘がなく、誠意がストレートに伝わってくる。

 その態度は、冒頭の説明を終え、記者たちとの自由な質疑応答の場面に移っても決して変わることはなかったが、たった一度だけ、彼が明確に感情の温度を変えた場面があった。

 後方に座っていたあるゴシップ誌の記者が、口元に笑みを浮かべながらマイクを握った。

「過去にも同じような報道がありました。ゲイ疑惑報道として記憶に新しいところですが、今回はお相手の性別が違うようですね?」

 記者の発言に会見場の一角から、空々しい笑いが一瞬だけ起こったが、エリックの無表情は微動だにせず、発言した記者を射抜くような眼差しで見つめ返している。

 記者はその視線に臆することなく、さらに煽るように言葉を重ねた。

「前回の相手と今回の相手では、どちらの方が気持ちとしては真剣なのでしょうか? 噂では前回のお相手も、実はゲイ疑惑に見せかけた女性だったのではないかという説もあるようですが。そのあたりはどうなんでしょう?」

 エリックの表情は動かない。だが、その瞳の奥にある光は、明確な温度変化を起こしていた。

 彼は質問した記者から一切目を逸らさず、ゆっくりとマイクを持ち直した。

「僕の大事な友人です」

 静かだが、場の隅々にまでよく通る声で、エリックは続けた。

「ですが、僕の仕事とは一切関係のない一般の方ですので、友人に関するお話しはここで控えさせていただきます」

 一呼吸の溜めを置き、彼はきっぱりと、一切の妥協や踏み込みを許さない拒絶の意思を提示した。

「今回の騒動の件につきましては、僕自身の未熟さが招いたことであり、全て僕の責任です。ですので、これ以降の質問は僕自身に関するものだけにしていただきます。それ以外の、関係のない第三者に関わる質問に対しては、お答えすることは固くお断りさせていただきます」

 その後も質疑応答は延々と続いたが、エリックは真摯な姿勢で会見に臨み、自分に向けられるいかなる意地悪な質問に対しても素直に答えていたが、騒動についての自分自身に関すること以外は一切答えない、という姿勢は頑なに守り続けた。

 激しく感情を高ぶらせることもなければ、記者の挑発的な煽りや誘導に乗せられることもなく、真面目で誠意ある態度を見せ続ける。

 海帆(みほ)は勤務先であるホテルのスタッフ共有スペースで、その会見の模様をモニター越しに見つめていた。

 本当は、世海(シーハイ)の記者会見を見るつもりはなく、そのために、今日は自らシフトを入れて仕事に没頭するつもりだった。

 ところが、休憩スペースの通路を通り過ぎた時、壁掛けのモニターから流れる聞き覚えのある声と無数のフラッシュの光に、どうしても足を止めてしまったのだ。

 海帆は、画面の中で無数のフラッシュを浴びながら一歩も引かずに立つ世海の会見の一部始終を見て、彼らしいな、と深く納得していた。

 ユーモアで誤魔化すことも、感情的になって取り乱すこともない。ただ真面目に非を認め、そして部外者である幼馴染の海帆を守るために、毅然とした態度を取り続ける。

 その誠実さ、不器用な佇まいこそが、孫世海(スン・シーハイ)という男の持つ人間性のすべてだった。

 世海は今、エリックとしてではなく、一人の人間としてあの過酷な記者会見の場に立ち続けていた。

 激しいフラッシュの白い光を浴びて、画面の中の世海の顔が青白く映し出されている。

 海帆は誰にも気づかれないようにそっと息を吐くと、静かにその場を後にした。


 ◇


 上司に体調不良を訴え、半ば強引に早退の申し出をし、 着替えを済ませてホテルを飛び出した海帆の足は、まるで磁石に吸い寄せられるかのように、一つの場所へと向かっていた。

 台湾のシンボルとして聳え立つ超高層ビル。その内部に広がる、巨大なショッピングモール。

 サングラスをかけた謎の女性の気配を、最後に感じ取った場所である。

 記者会見の場で、たった一人でフラッシュの嵐に耐えていた世海の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

 彼の記者会見を見たことで、宙に浮いて居場所を失ってしまった海帆の心は、ただひたすらに真相を求めた。理由も根拠もなく、衝動に突き動かされて職場を飛び出した海帆の足は、自然とその場所へ向かっていたのである。

 藁にも縋るような思いで、あの時視線を感じたはずのコスメショップを目指して歩く。

 平日という時間帯のせいか、ショッピングモール内を行き交う人々の数はまばらだった。

 時間的な要因が大きいとは思うものの、あるいは、世海の記者会見がリアルタイムで中継されているせいかもしれない。世間の関心がすべてあの会見場に集まっているのではないか、という嫌な感覚が胸を掠め、海帆の視界を暗く陰らせた。

 あの日と同じ場所にたどり着く。そして、海帆はそこに固まったように立ち尽くした。

 数分、十数分。しばらく静かに佇んでいたが、皮膚を刺すようなあの感覚は、いくら待っても戻ってこない。

 当然だ、いるはずがない。

 自嘲気味に息を吐き出す。

 あの時の気配だって、ただの気のせいだったのかもしれない。

 諦めが胸を重く満たし、海帆はぼんやりとした視線をそのまま前方のコスメショップへと向けた。

 あの日、この店舗の最も目立つ場所を大々的に飾り、通行人の目を奪っていた世海の巨大なブランディングポスターは、今は影も形もなく撤去されていた。そこに収まっていたのは、海帆の知らない見知らぬ男性モデルの顔だった。

 スキャンダルが出た途端の、迅速な対応。同じ商品を扱っているブランドだからこそ、その切り捨ての早さが際立っていた。

 ブランド側は随分と素早く対処したんだな、と皮肉っぽく呟く。

 仕方のないビジネスの理屈だと分かってはいても、それでもやるせなさが込み上げてくる。

(…………もう二度と、このブランドの商品は買わない)

 そんな大人げない決意を胸の中で呟き、静かに踵を返そうとした、その時。

 視線がぶつかった。

 ヒュッと息が喉の奥で止まり、全身の血液が一瞬で凍りついたように、足が硬直する。

 瞬きすることすら忘れて、海帆はある一点を凝視した。

 まばらな人々が行き交う広い通路の向こう側。交差する人影の隙間から、まっすぐに射抜くような強烈さで、こちらを見つめている存在があった。

 海帆は吸い寄せられるように、夢遊病者のような足取りでゆっくりと歩き出す。

 いつもより密度の低い人波を掻き分け、足が向かう先は、世海の広告が剥がされた、まさにそのコスメショップの別の壁面エリアだった。

 息をのむほど美しい女性が、挑むような鋭い視線を海帆に投げかけている。

 細く引き締まった見事な顎のライン、知性と品格を感じさせる口元。洗練されたハイファッションな造形には、クールでありながらどこか獰猛な野生味を帯び、アンニュイな陰りと揺るぎない強い意志を同時に漂わせている。

 ミステリアスな色気が、見る者の意識を強力に惹きつけて離さない。

 欲望や野心を隠そうともしない堂々とした佇まいには、媚びない圧倒的な美しさがあり、熟成された大人の洗練された雰囲気を醸し出していた。

 何よりも海帆の心を強く捕らえたのが、その目だった。

 猫を思わせる、大きくて強い力を秘めた目元。目幅の広いシャープな二重まぶたから放たれる眼差しは、どこか見下すような、冷ややかな冷徹さを孕んでいる。

 海帆は、目の前にあるポスターの前で完全に釘付けになり、息を殺したまま、吸い込まれるようにその顔を見つめ続けた。

 ポスターの中の彼女もまた、確かに海帆のことを見つめている。

「お嬢さん、ちょっといいかな」

 不意に背後から声をかけられ、跳ね上がるように肩が大きく揺れた。視線だけを動かすと、作業服を着た業者風の男性が、脚立と重そうな道具箱を手に、困り顔で立っていた。

「このポスター、これから新しいのに貼り替えるんだよ。外すから、そこをどいてくれるか?」

 男の言葉が耳に届いているはずなのに、海帆の足は地面に貼り付いたように動かなかった。動くことができなかったのだ。

 業者の男は作業のスケジュールがあるのか、焦れた様子を見せたが、海帆は掠れた声を振り絞り、目の前のポスターを指さした。

「……このポスターの女性は何て言う名前なんですか?」

 唐突な質問に、男は一瞬ポカンと呆気にとられたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべて教えてくれた。

「ああ、彼女かい? マライア・リーだよ。はい、じゃあどいてね」

 男は慣れた手つきで作業に入り、海帆の視線を釘付けにしていたポスターの端に手をかける。

 壁面から滑らかに剥がされていく彼女の完璧な顔を見つめながら、海帆はうわごとのようにその名を口の中で繰り返した。

「マライア・リー……」

「うん、そう」

 器用に手際よく作業を進める男の背中に向かって、海帆はさらに問いを重ねた。

「どういう人なんですか?」

 男はお人好しで話し好きな性格なのか、脚立の上で作業を続けながら気さくに答えてくれた。

「有名なモデルさんだよ。こういう海外の化粧品の広告によく出ているんだ。まあ、見ての通り相当な美人さんだからね」

 そう言って、男は海帆に興味が湧いたのか、作業の手を止めずにちらりと振り返り、人好きのする笑みを向けた。

「お嬢さん、外国人でしょう。日本人かな? マライアはテレビドラマとかにはあんまり出ないから、知らないかもな。ああでも——」

 何かを思い出したように、男はぽんと膝を叩くような仕草をした。

「カイル・チェンなら知ってるだろ? こっちじゃ結構な人気アイドルだし。まあ、この間ちょっとした不祥事を起こして騒がれてたけど、最近はちょいちょい復帰して、テレビにも戻ってきてるし——」

「知ってます」

 小さく頷く海帆に、男は「だろ?」と満足そうに笑ってみせた。

 壁から完全に剥がされたポスターはくるくると手際よく丸められ、男の手によって無造作に道具箱の脇へと片付けられていく。

 彼は機嫌よく作業を締めくくりながら、親切に海帆へ最後の事実を教えてくれた。

「マライアはね、カイルの恋人なんだよ」

読んでいただき、ありがとうございます。

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