ミュージックビデオ
エリック・スンの画像流出スキャンダルが起きて以降、メディアや街中の大型ビジョンから、彼の姿は瞬く間に消えていった。
つい先日まで持て囃され、どこを向いてもディスプレイから微笑みかけていたはずの顔が、影も形もなくなる。あっという間の出来事だったが、必ずしもスキャンダル自体が完全に忘れられた訳ではなかった。
インターネットという底なしの泥沼の中では、スキャンダルはいまだ冷めやらぬ熱量を保ちながら燃え続けていた。流出したとされるあの画像は、残酷で侮蔑的な加工処理をされ、嘲笑の言葉と共にSNSのタイムラインをどこまでも拡散されていった。
かつてこぞってエリックを起用していた大手企業やテレビ局、メディアの人間たちは、まるで手の平を返すように彼から離れていった。契約の解除、出演シーンの差し替え、広告の撤去。潮が引き去るようにして、彼の周囲からは表舞台の光が消えていったのだ。
世間の冷遇に反比例するように、ネット上のバッシングは加熱の一途をたどっていた。
騒動以降、謹慎に入って表に出てこなくなったエリックに対し、最初は「説明責任を果たせ」という程度の不満だったものが、次第に「コソコソ隠れている」「逃げ回っている」という揶揄へと変わっていく。人々の苛立ちは悪意を帯びた噂を呼び、それに賛同する無数の声が膨らみ続けていた。根拠のないゴシップ記事や憶測だけが独り歩きし、事実はどこかへ置き去りにされる。
エリックがかつてアンバサダーを務めていたブランド製品の不買運動、ネット掲示板への誹謗中傷、そして彼を信じようとする僅かなファンと、非難を浴びせる群衆との間での不毛な論争。エリック・スンを取り巻く環境は、日に日に追い詰められ、出口の見えない暗闇へと落ち込んでいた。
そんな惨憺たる状況の中で、ひとつの大きな発表がなされる。
謎多き覆面シンガー・Rayの新曲リリースである。
圧倒的な歌唱力と一切の素性を明かさないスタイルで、音楽シーンのトップを走り続けるアーティストの新作発表は大きな注目を集めていた。
なぜなら、今回の新曲MVには、Rayのデビュー曲以来となるエリック・スンの出演がすでに事前発表されていたため、リリース前から各方面では注目を集めていたのである。
世間の大半が抱いていた予想は、エリックの出演シーンはカットされるだろう、という冷ややかなものだった。
過去に彼がCMを務めた商品はもちろん、これまでにアップされたプライベート写真で愛用していた小物までもが、今では不買の対象となっている惨状なのだ。Rayのデビュー五周年という節目を飾る新曲に、スキャンダルの渦中にいる俳優の映像を流すリスクを冒すことはしないだろうと、誰もがそう思っていた。
今回のMVは複数の俳優が出演する群像劇という形式だと聞いていたことも、人々にその確信を与えていた。エリック一人を削ったところで、物語としては十分に成立させられるだろう、と。
だが、その予想はあっけなく外れる。
新曲発表の日。約束の時刻に公開されたMVを、人々は期待と、ほんの少しの野次馬根性で再生した。
そこに映し出されたのは、人々の嘲笑や予測を遥かに超えた、美しくそして切ない物語だった。
今回の新曲のコンセプトは、シンプルでありながら深いテーマを孕んだ『愛』。
深く結ばれた恋人たちの愛、長年培われた友人同士の親愛、血の繋がりを超えて育まれる家族の愛。
哀切を帯びたRayの歌声に重なるように、それぞれのドラマが繊細な映像美で紡がれていく。
そして、その群像劇の中心軸として描かれていたのが、エリック・スンの演じる兄妹の物語だった。
Rayは、予定通りのMVを発表したのである。
編集でカットされるどころか、エリックはこのMVの感情の核を担っていた。驚きを持って新曲を再生させた人々が観たのは、幼い頃に両親を亡くした年の離れた兄妹の物語だった。
両親のいない兄は、年の離れた幼い妹と二人きり、古いアパートで肩を寄せ合って生きていた。
裕福とは程遠い、日々の食費にも事欠くような慎ましい生活の中で、二人はお互いだけを頼りにして必死に生き抜いていた。
妹の学資を捻出するため、自分の青春も未来も捨てて、身を粉にして働く兄。
妹は聡明で、明るく快活な性格だったので、兄は自分がかつて諦めた進学という夢を彼女に託し、どんなに厳しい労働にも耐えていた。
そんな兄の無償の想いに応えるように、妹もまた懸命に勉強に励んだ。
夜遅く、疲れ果てて帰宅する兄のために、小さな家の明かりを温かく灯し、笑顔で帰りを待つ妹。
やがて兄と妹二人の努力が実を結び、妹は大学に進学し、無事に卒業する。そして立派な社会人としての一歩を踏み出すこととなる。
二人の苦労がようやく報われ、穏やかな未来が始まるかのように見えた、ある日のことだった。
妹は緊張した面持ちで、意を決したように兄へと告白する。
自分は同性愛者である、と。
あまりにも予想外の告白に、兄は激しい衝撃を受け、困惑した。
緊張に身を固くし、兄の反応を固唾をのんで待つ妹。しかし、兄はそのまっすぐな視線を受け止めることができず、動転し、慌てふためいた。長年信じてきた価値観が揺らぎ、妹を愛するがゆえに湧き上がってきた拒絶反応を、抑え込むことができなくなる。
彼は妹を拒絶した。混乱し、非難を浴びせ、取り乱して突き放したのだ。
信頼していた唯一の家族から拒絶された妹は、溢れ出そうになる涙を必死にこらえ、悲痛な面持ちで静かに兄のもとを去って行く。
一人取り残された兄。
自暴自棄になり、ただ虚しく職場と家を往復するだけの機械のような日々を送るようになる。
妹が去ったアパートには、もはや明かりが灯ることはない。彼女を思い起こさせる品々は、もう何も残されていなかった。
それなのに、目を閉じれば脳裏に浮かんでくるのは、アパートの小さな明かりの下で見せてくれていた、妹の屈託のない笑顔ばかりだった。
時が立ち、怒りが去ったあとに彼を襲ったのは、深く重い、後悔と慚愧の念。
なぜあんな酷いことを言ってしまったのか。
なぜ受け止めてあげられなかったのか。
毎日そんな思いに苛まれた兄の元に、ある日、手紙が届く。
それは、家を出て行った妹から送られてきた手紙だった。
躊躇いながら読み始めたそこには、妹の近況が記されていた。
一人暮らしには慣れたこと。
仕事は順調なこと。
近所にちょっと意地悪な人がいること。
恋人がいること。
そして、自身のセクシャルマイノリティについて最後まで言うべきか悩みに悩んで結局打ち明けたのは、大きな犠牲を払ってまで自分を育ててくれた兄に心から感謝をしているからこそ、受け入れてほしかったのだと胸の内を吐露していた。
手紙の内容は長くはなく、簡潔に纏められていたが、だからこそ妹の思いが込められていた。
最後に、兄の体調を気遣う内容の後には、年に一回は帰ってもいいだろうか、という文章で終わっていた。
読み終わった兄は、しばらく呆然と項垂れる。
手紙に、兄を非難する言葉はなかった。
どうか分かってほしいと懇願することもなく、あんなに酷いことを言った兄を妹は受け入れていた。
兄の脳裏に、妹の笑顔が蘇る。
必死になって妹を育ててきた日々を振り返る中で、兄はやがて思い知る。
生かされ、支えられていたのは、自分であったのだと。
二人で暮らしていた頃の、貧しく苦しかった日々は、明日への不安と心配の連続だった。それでも心が折れずに立ち上がってこられたのは、妹の明るい性格と笑顔に救われていたからだ。
それなのに、自分を救ってくれていた光を、彼は自分自身の手で消してしまったのだ。
兄は手紙を書き始める。
それは許しを請う手紙だった。
彼女の孤独な葛藤に気づいてあげられなかったこと。
唯一の家族として打ち明けてくれたのに、傷つけて突き放したこと。
手紙を書き続ける兄の背中は震えていた。
手紙は投函され、数日後。
小さな家に明かりを灯した家に、来訪者が現れる。
兄が扉を開けると、そこにはあの頃と変わらない、温かく優しい笑顔を浮かべた妹が立っていた。
兄は彼女に静かに手を差し伸べ、迎え入れる。
兄妹は和解を果たすのだった。
スクリーンの中で、エリック・スンがみせた演技は圧巻だった。
画面の中のエリックは、体に合わない古着を羽織り、亡き父親の形見である大きすぎる眼鏡をかけていた。洗練された華やかさは微塵もなく、ただ妹のために毎日を泥臭く懸命に生きる、どこにでもいる青年の姿がそこにあった。
世間が彼に抱いていたエリック・スンというイメージを脱ぎ捨て、等身大の若者を真っ直ぐに演じきっていた。
苦労を重ね、生活の疲労にやつれた表情。妹が去った後の、魂が抜けたような憔悴しきった佇まいにはリアリティがあり、葛藤に身を焦がす人間の痛みが痛いほど伝わってきた。
リリース当初こそ、世間の冷ややかな目もあって楽曲のチャート推移は穏やかなものだったが、Rayの圧倒的な歌唱力と、様々な群像劇が生み出すMVの完成度の高さは、口コミを通じて瞬く間にSNSやネット上で大きな話題となっていった。
それは波紋のように広がり、新曲は主要音楽チャートの順位を徐々に上げていく。
このMVがここまで好転した理由は、もう一つあった。
楽曲の終盤、切ない余韻を残すアウトロのメロディが流れるバックで、いくつかの音声が静かに挿入されているのだ。
それは、Rayからの問いかけに対し、MVに出演した俳優たちが、それぞれの言葉で答えるという演出だった。
問い掛けの内容は、『愛とは何か?』
年齢も性別も異なる様々な俳優たちが、それぞれの人生を映し出すように愛の定義を語っていく。
ある者は「寄り添うこと」と答え、ある者は「赦すこと」と答えた。
そして、楽曲が静かに終わりを迎える最後に流れたのが、エリック・スンの芯のある声だった。
愛とは何か?
『相手を理解し、受け入れること』
新曲が発表され、チャートトップの独走態勢に入ると、これまで騒動を面白おかしく煽り立てていた人々の間にも、変化が現れ始める。
熱狂的な過熱状態だったバッシングは落ち着きを見せ始め、ネット上の悪意ある書き込みも鳴りを潜めていく。批判のすべてが消えたわけではなかったが、世間全体がどこか「冷静さ」を取り戻し、一時的な鎮静状態へと移行していったのだ。
過剰に声を荒らげていた野次馬たちは黙り込み、彼の次の一手を静かに見守るような、不思議な静寂が広がり始めていた。
ファンの間でも、これまでのような悲痛な擁護ではなく、固い信頼に基づいた空気が生まれつつあった。
「エリックは責任感が強くて、逃げるような男じゃない。必ず私達に説明をしてくれるはずから、それを信じて待とう」
そして、そのファンの言葉を証明するかのように。
世間の批判と狂気が一定の落ち着きを見せたタイミングを見計らい、エリックの所属するCoquilleプロダクションから、正式なプレスリリースが発表された。
それは、日時と場所を明記した、エリック・スン本人による正式な記者会見実施を告げる通知だった。
読んでいただき、ありがとうございます。




