酒とさかなと友人と幼馴染
夕方六時の秋葉原は、退社した会社員と各国からの観光客、そしてこれから飲みに繰り出す人々で賑わっていた。
JRの昭和通り口から降りた橘海帆は、昭和通り高架下沿いに駅前南通り方面へと歩いて行く。
目指す店は、この通り沿いにあった。
色とりどりの大漁旗が飾られ、提灯がぶら下がっているカジュアルな内装の店内は、もうすでに大勢の人で埋まっていて、ほぼ満席のようだ。
「海帆! こっちこっち!」
騒がしい店内をキョロキョロしていると、奥の方から声をかけられた。
半個室の入り口から、同僚の吉岡明莉が顔を出して、海帆に手招きをしている。
久しぶりに見る友人の姿に、自然と顔がほころぶ。
「明莉、久しぶり。待った?」
「もう始めてるよ~」
卓の上には、すでにいくつかの料理が注文されており、明莉はビール片手に雄々しく一人飲みを楽しんでいたようだ。
「なに飲む? 適当に注文しとく?」
「あー、ハイボール。あと、イカの浜焼き食べたい」
「そういうと思って浜焼きセットを頼んだ。刺身は三点盛りね、頼みたいのあったら追加で注文して」
「カニクリームコロッケ」
「注文済み」
親友の抜かりなさが頼もしい。
海帆はタッチパネル注文用のタブレットを操作して飲み物を選び、明莉の前にある小皿料理に目をやった。
「明莉は何を頼んだの?」
「海鮮キムチユッケ」
「鮪のネギまみれ頼んだら食べる?」
「食べる」
追加の料理も注文する。
貝刺しも気になるけれど、浜焼きがセットで刺身が三点盛りでくるから、さすがに自重した。
ほどなくして注文したハイボールが届いたので、二人は改めて向かい合う。
「はい、では改めて。海帆、おかえり~! かんぱ~い!」
「乾杯!」
「ついでに、ル・グロンブルホテル残留とSNS開設おめでとう~! フォローしといたからね!」
「ありがと~」
なぜみんな海帆がSNSを始めた事を知っているのかなんて、もう疑問にも思わない。
苦笑する海帆のジョッキに自分のを合わせ、明莉は久しぶりに会う喜びを祝って、ビールを一気に飲み干した。
「はー、それにしてもびっくりしたよ。あんたが帰国する理由を聞いた時は。何で海帆がってちょっとした騒ぎになったんだから」
「お騒がせしました」
神妙に言いながら、海帆はハイボールを傾ける。
日本の同僚達から心配のメッセージが何件も届いていたので、ここでも大きな話題になっているのだろうなと予想はしていた。
「その学生ってさ、かなり質の悪い子だったみたいだね。客に手を出してたんでしょ」
追加の飲み物を注文しながら言う明莉に、海帆は小さく息を吐いて首を横に振った。
「グロンブル台湾ではしてないよ。本人の主張だけど、本当だと思う」
「ふーん。何はともあれ、お疲れさま。引率の先生が辞めちゃったって聞いたから、海帆も辞めたらどうしようって心配してたんだ」
「まあ、覚悟はしてたよ」
少し遠い目をする海帆を見て、明莉はクスクス笑った。
「グロンブル台湾からの嘆願書に感謝だね。読むの大変だったらしいよ」
「見せてもらった。この短期間でよく作ってくれたなーって思ってる」
嘆願の内容は簡潔にまとめるのが基本ではあるが、アビーが作成してくれた物は事の経緯を細かく記してあった上に、画像まで付いていたので、かなりの質量に出来上がっていた。
「ここまでしてくれるなんて、向こうで上手くいってたみたいね」
「うん、いい人達ばかりだよ」
人に恵まれていることにしみじみと感謝しながら、届き始めた料理に舌鼓を打つ。
「あー刺身ウマー」
「やっぱ刺身は日本がいい?」
「ていうか、台湾では食べなかったな。日本料理の店はあるんだけどさ、高いんだよね。贅沢はできないじゃん?」
「まあ、そうだね」
明莉はキムチユッケをつまみ、ビールで流し込む。
「日本にいるうちに、いっぱい食べときなよ。しばらくいるんでしょ?」
「うん、まあ」
言葉を濁す海帆に、明莉が目を剥く。
「なによ、もしかして、すぐ台湾に行くつもり? 謹慎期間中は日本にいるんじゃないの?」
「向こうに仕事残してるから」
というより心配事を残してる、と言った方がいいか。
「田辺先輩と会わないの?」
恋人の名前を聞いて、海帆の箸が一瞬だけ止まる。
すぐに動きを再開させ、海帆は鮪のネギまみれを口に運んだ。
「大阪だし、あちこち飛び回ってるから、時間は取れないと思う」
「ふーん」
明莉はジョッキを傾けると、明るい顔をして身を乗り出してきた。
「そうだ! そんなことよりさ、どうなの? エリック・スンとは! あんた全然教えてくれないから、気になってたんだよ!」
目をきらきらさせる友人に、海帆は苦笑をした。
「会ったよ。隣に立つのが嫌になっちゃうくらいイケメンだった」
「マジか! ねえ、写真ないの? 写真撮ったりしてない?」
はしゃぐ明莉に、海帆は首を横に振った。
「本人のは撮ってないよ。俳優さんだし、嫌がるでしょ。そんなこと考えもしなかった」
「幼馴染み相手に職業病発揮しないでよ。えーじゃあ画像ないの? プライベート画像~」
画像はある。しかも大量に。
なにせ、海帆の幼馴染の孫世海は、仕事でもプライベートでも何かあると事あるごとに写真を撮っては、海帆に送りつけてくるのだ。
自撮りや気に入った風景、小物などの画像が毎日のように送られてきて、膨大な量になってしまった画像データは、今はフォトアプリのロックフォルダーに納められている。
ただこれは世海から海帆へ送られた、完全に彼のプライベートな写真なので、例え友人でも見せるのは気が引ける。
海帆は携帯電話を手に取り、アルバムをスクロールする。
ほどなくして、画像一覧に世海の家族写真が現れた。
来台した日に世海の実家で撮った、母の美帆子への報告用の写真だ。
世海個人で写っているのは無いが、一枚だけ家族の集合写真を撮った時に一緒に写っているのがあるのだ。
「ほら、この右端にいるの」
「おお~……なんか機嫌悪そう」
明莉の素直な感想に、海帆は笑った。
「でもさすがだね、やっぱり。美しさは当然だけど、顔が小さい! 肌の白さがワントーン明るい! 周囲が一般人だと、本当によく分かるわ~」
「…………すぐ近くに私もいるんだけど」
「まーまー」
なにが、まーまーなのか。
追求しようとしたところで、持っている携帯電話が振動を始めた。
まさか、と思って震える画面を見たら、そこには大きく『孫世海』の文字が踊っている。
「孫世海……てエリック・スンのこと⁉ ええ! マジで!」
画面を目ざとく見た明莉が驚きの声を上げる。
「ちょっと興奮しないで」
「するに決まってるじゃない! ねえ、出なよ! 出た方がいいよ! てかお願い出て! 遠く日本から応援している女がここにいるって伝えて!」
「ええ~……」
今日は友人と飲むから、電話しても出られないよと連絡したのに。
出るかどうか迷ったが、着信は止まずに振動を続ける。
「ほらほら! もしかしたら緊急の用かもよ!」
「……………………」
海帆は渋々と通話をタップした。
「……喂?」
『………………………………いま何してる?』
世海の声は、思っていたよりも張り詰めているようだった。
もしかして本当に何か緊急事態が起こったのかもしれない。
緊張で体を固くして、海帆は携帯電話を握り締めた。
「友達と飲んでるところだけど、どうしたの? 何かあったの?」
『特に何もない……』
歯切れの悪い言い方に、心配がさらに募っていく。
「何もないならいいけど、大丈夫? 元気なさそうだけど、ちゃんと寝た?」
『寝たよ、今までずっと。明日から仕事だ。さっき連絡取れなくなるってメッセージ見たから』
「うん、友達と飲むから、昨日みたいな長話はできないよ」
『…………友達なんだな? 彼氏じゃなくて』
「彼氏じゃないよ」
『友達は女か?』
「女だけど、なんか気になるの?」
「海帆、海帆」
明莉が話しかけてくるので、口だけで何?と聞くと、彼女は曖昧な笑顔を浮かべながら小声で言った。
「二人で飲んでるとこをさ、写真撮って送ろうよ」
「なんでそんなことするの?」
「いいから。そうした方がいいよ、絶対」
『誰としゃべってるんだ?』
やたらと写真を撮ることにこだわる友人に訝し気な顔をしながら、海帆は明莉の提案を世海に伝えた。
すると、『見たい』という返事だった。
なんで写真を撮らなければいけないんだと疑問を持ちつつ、海帆は一旦通話を切り、自撮りモードにした携帯電話を掲げた。
「ちょっと待って! そこからだとテーブルの上が曖昧だから、全体が写るようにしよう。ジョッキ、受け皿、箸がちゃんと二つになってるところを見せないと!」
「なんで?」
「いいから」
しばらくカメラの角度について、あーでもないこーでもないと言い合い、なんとか明莉の要望通りの写真を撮る。
「Wi-Fiちゃんと確認した?」
「した」
「応援してますって、ちゃんと送ってよ」
「わかってる」
「できたらでいいからさ、エリックの自撮りも送ってもらえないかな? ダメかな?」
「……聞いてみるよ」
撮った画像をメッセージと一緒に送信する。
「女同士で飲んでるか気にするなんて、けっこう面白いことになってるじゃない」
「なにがよ……ていうか、あんた私がしゃべってる言葉わかったの? いつの間に」
驚いて聞くと、明莉は心外だと言わんばかりに胸を張った。
「語学習得はきほんのき、じゃない。何言ってんの。私だってアップデートするわよ。今の目標は台湾ドラマを字幕吹替無しで視聴することなんだから」
仕事じゃなくて趣味に活かす方が先なのか。
少し呆れつつ、親友のバイタリティの高さに感心していると、携帯電話が着信を知らせる。
届いたのは世海の自撮り画像数枚とボイスメッセージだった。
明莉は奇妙な叫び声を上げてのたうち回り、早く聞かせてとねだった。
『アカリサン、ハジメマシテ。ワタシハ、エリック・スンデス。オウエンシテクレテ、アリガトウ。――日本語は難しいので、ここからは僕の国の言葉で失礼します。内容はそこにいる僕の幼馴染、海帆に聞いてください。人見知りが激しいので、自己紹介はいつも苦手でちょっと恥ずかしいです。まずは応援メッセージありがとう。まさか日本の人から聞けるとは思ってもいなかったので、とても嬉しいです。僕が出演した作品をほとんど見てくれているようで、とても有難いです。今はBLドラマに出演してます。日本で放送するかは未定ですが、いつか放送されて、アカリさんに見てもらえたらいいなと願っています。いつも応援してくれてありがとうございます。心から感謝しています」
明莉は言葉が出ないほど感動した様子で身もだえ、手を合わせて感謝をし、最後はむせび泣いた。
「私、一生エリックを推す! なにがあっても、どんなスキャンダルが起きても推し続ける!」
「よかったね」
「てか自撮り嬉しい~! 撮ってくれるって思わなかった! スッピンでこの美しさってなんなの、人間じゃないよ! 人類を超越してるよ~!」
「そうだね」
画像は明莉に送ってもいいと言ってくれたので、友人宛に送信しながら、海帆は余所行き用の表情をしている世海の画像を見て、改めて綺麗な顔だなと思った。
「明莉、分かってると思うけど」
「大丈夫よ! 誰にも見せない。どこにも載せない。これは私が一人で楽しむ用にする! シェアなんてしない!」
「うん、ありがとう」
はしゃぐ友人を見て、海帆も嬉しくなる。
ここまでしてくれた世海に感謝だ。
「あー今やってるBLドラマも早く見たいな。日本での放送いつだろう。台湾BLすごい人気だから、早いうちに来るかな」
「そうなの? よく知ってるね」
「BLものは、ほとんど見たもん。あとホラーはエリックが出てなくても見る。面白いんだよね」
「ふーん」
イカの浜焼きをつつきながら聞いてる海帆を見て、明莉は呆れたように首を横に振った。
「あんたね、海帆。その薄っぺらい反応やめてくれる? エリックって日本でも人気が出てきてるんだからね」
「そうなの?」
「そうよ! 今まで出演したドラマはどれも良作で評価が高いんだから。知らないの?」
「知ってるよ。私だって彼のドラマは履修したんだから」
鼻息荒い明莉の剣幕に気圧されながら、海帆は言い返す。
明莉は呆れた顔でビールを煽る。
世海のボイスメッセージを聞いて、だいぶテンションがおかしくなってるようだ。
「エリックのドラマを見たのに、本人に対してなんであんな冷静な受け答えができるのか理解できない。私だったらエリック・スンの過剰摂取で頭おかしくなってる」
「そう言われても……」
うーんと考えた海帆は、ハイボールを傾けながら考えた。
「なんていうか、幼馴染の彼と俳優エリック・スンは別人として見ているんだよね。話しをしたり、メッセージのやり取りをするのは、普通の男性でさ」
「へえ」
「でも、エリック・スンを前にすると緊張するよ。前にさ、今やってるドラマの制作発表に呼んでもらったことがあって」
「なんなのそれどういう状況? 羨ましすぎるんだけど」
明莉の突っ込みを軽く流し、海帆はあの時のキラキラした時間を思い出す。
「初めて生でエリック・スンを見たんだよ。圧倒された。彼だけじゃなくて、他の俳優さんたちにも圧倒された。みんな、なんていうか光っていた。オーラが輝いているっていうのかな。化粧とか衣装とか、そういうものではなくて、内側から発光しているみたいに感じてさ。あれは凄い経験だったな」
「いーなー。ドラマの制作発表なんてさ、一般人はほとんど見に行けないんだよ」
「うん、そう。来ていたのは、ほとんど業界人……」
海帆の脳裏に、薄暗がりの中で海帆をじっと見つめていたサングラスの女の面影が浮かび上がる。
「どうしたの?」
突然、黙り込んだ海帆に、明莉が声をかけてきた。
海帆はしばらく考え込んでから、真面目な顔で友人を見つめた。
「明莉、あんたさ、台湾の芸能界詳しい?」
「まあ、それなりには」
「マリアだかマイラっていう名前の女優さんって、いる?」
海帆の質問に、明莉はしばらく考えてから頷いた。
「いるよ、どっちも。よくある名前だしね」
「エリック・スンと共演してる?」
「エリックと?」
頷く海帆を見て、明莉はもう一度考えて、今度は首を横に振った。
「してないと思う。私の知っている限りでは、だけど」
「そう……」
浮かない顔をする海帆に、明莉がはっとした顔で身を乗り出す。
「もしかして、エリックの熱愛⁉ 熱愛出るの⁉ マジで! 不倫や学生相手でない限り全力で応援する!」
「違うよ」
違うと思う、多分。
「じゃあ、なんなのよ」
海帆は迷った。
話してもいいだろうか。
明莉はお調子者な言動を取ることはあるが、ホテリエとして長年勤めているので、プライベートな話題を軽はずみに吹聴することはない。
口の堅さは信頼できる。
吉川琉奈が語った真相は手が込んでいて悪質で、一人で抱え込むことは到底無理な内容だった。
海帆は誰かに相談したかった。
悩んだのは一瞬、海帆は吉川琉奈と世海にまつわる、今までの経緯を説明した。
明莉は興味深そうに聞いていたが、途中から真剣な表情になって、口を挟まずに聞いていた。
海帆が先ほどの吉川琉奈との会話を話し終えると、無言で携帯電話を手に取り忙しく操作をして、画面を見せてきた。
「これ、さっき言ってたマリアとマイラが名前の女優さん。見覚えある?」
海帆は画面に映し出された画像をじっくりと見た。
ドラマの制作発表で見かけた女性はサングラスをかけていたが、鼻筋は通っていて小ぶりで上品な口元をしていた。
おそらく相当な美人だろうと思う。
画面を凝視しながら、海帆はゆっくりと首を横に振った。
「違うと思う」
「サングラスをしてたんでしょう? 分かるの?」
「うん、多分だけど、もっと目力が強いと思う」
暗がりの中でも気づくほどの視線だったのだ。おそらく目元の印象がとても強い人のような気がする。
そう言うと、明莉は素直に納得した。
「そういう印象ってさ、けっこう馬鹿になんないんだよね」
明莉は嫌な顔をしながらビールを煽った。
「気持ち悪いね。なんだかすごく悪質。その女、なんであんた達二人の事知ってたの?」
「ドラマの制作発表の時、楽屋で幼馴染だって紹介されたから、その時かもしれない。私は人に囲まれていて気づかなかったけど、あの場にいたんだと思う。それ以外では考えられない」
「そうなんだ……」
その時に、グロンブル台湾で働いていることもしゃべっている。
今思えば、その後から常連男が現れるようになったのだ。
「当然、警察には言うんでしょ?」
「もちろん台湾に帰ったらすぐにこのことを話すけど、通報をするかは向こうが決めることだから、どうかな」
世海がグロンブル台湾に駆け込んできた時のことを思い出す。
あの時、警察を呼ぶかと言った海帆の提案を、世海は退けた。
今回も同じようにするのではないだろうか。
「通報するのはまだ早いにしても、弁護士は立てといたほうがいいかもね。エリックの所属事務所は結構ヤリ手だから、その辺抜かりはないと思うけど」
「そうなんだ」
本当によく知ってるな、と海帆は感心した。
「てか、あんたが知らなさすぎよ。マネージャーとも懇意にしてるんだったら、事務所の実状くらい把握しときなさいよ」
明莉は携帯電話を忙しく操作しながら、海帆にニヤリと笑いかけた。
「まあいいわ、調べてみるよ。台湾ドラマ関係で知り合った人達がいるから、それとなく聞いてみる」
「SNS?」
「そうよ。見たドラマの感想を一話ずつ発言してたら繋がった人達。台湾の人も何人かいるんだ。お陰で語学学習にもなるし、みんないい人達だし、なにより物凄い情報通ばかり」
「へえ」
海帆の知らない世界だ。
ちょっと興味があったので、改めて明莉のアカウントを教えてもらおうとしたら、友人は何かを見つけたのか「あった!」と嬉しそうに声を上げて、携帯電話の画面を海帆に見せてきた。
「見つけたわよ! エリック・スンのゲイ疑惑報道の写真! マジでウケるんだけど! 海帆よかったじゃない! すごいイケメンに撮られてるわよ!」
あはははは!と腹を抱えて笑う友人に、海帆はふうとため息をついてハイボールを煽った。
読んでいただき、ありがとうございます。




