永康街
台北市中心部に位置する永康街は、多くの人で賑わっていた。
最寄り駅から徒歩一分、という利便性抜群な上に、全長約三百メートルほどの通り沿いは、歩いて回れるコンパクトな街並みで、グルメやショッピングを一度に楽しめるスポットとして人気が高い。
もともとは静かな住宅地だったということもあってか、街の雰囲気はどこか庶民的で気安さを感じ、レトロな店構えから覗ける店内はセンスがよく、ついふらっと立ち寄って異国情緒あふれる買い物をしたくなる。
リピーターが多いと言われているのも、うなずける。
観光客は当然だが、地元民にも愛されている永康街は、今日、やたら目立つ二人組が人の多い通りを闊歩していた。
一人は、明らかに一般人ではない華やかなオーラをまとい、ひときわ目立つ容姿な上に、佇まいも歩く姿も洗練されていて異彩を放っていたし、それを従えているもう片方は、きらびやかさはあまりないが、性別不詳なミステリアスな雰囲気を醸し出し、機嫌良さそうに颯爽と歩いていた。
通り過ぎる人たちの何人かが振り向いて、二人の事を見つめて何事か囁いていたりするのだが、当の本人たちは、その事を全く気にすることもなく、永康街散策を楽しんでいる。
「マスキングテープってさー、正直使わないんだけど、やっぱカワイイよなー。どうしよう、後で見に戻ってもいい?」
「好きにしろよ」
いつも通りのぶっきらぼうな返事が、海帆のすぐ後ろからしてくる。
相変わらずの素っ気ない返事だが、頑なさは感じられない。どうやら世海の機嫌は良さそうだ。
それもそのはずで、今日は世海にようやく訪れた、待ちに待った休日なのだ。
先日交わした約束通り、海帆は世海の休日に合わせ、連れ立って永康街へと繰り出した。
あの約束から、すでに数週間。世海の忙しさは多忙を極め、休みらしい休みが取れずにいた。
正直、一人でこっそり買いに来ようかと何度も思った。
世海の休みが中々取れない上に、姉の帆波からは、頼まれていたスイーツへの催促が再三来ていたからだ。
この際、頼まれていた分は台北駅でこっそり買って送ってしまって、改めて永康街へと来ればいいかな、と思ったのだが、そんなことをすれば、この神経質でやたら勘が鋭い幼馴染に確実にバレるだろうし、そうなったらせっかく修復されつつある二人の関係性がまた微妙に壊れてしまうかもしれない。
海帆は世海の休みが来るのを、辛抱強く待つことにした。
そして訪れた休日。快晴な空の下、絶好のショッピング日和だ。
海帆は世海を後ろに従え、興味津々で辺りを見渡しながら、のんびりとしたペースで歩く。
ざっくり編んだオーバーサイズサマーニットにカーゴパンツで、歩きやすさを重視した休日スタイルは海帆の長身によく合い、上品でマニッシュな佇まいを醸し出して、とても軽やかだ。
かく言う世海も、空港で再会した時のような、全身黒ずくめの芸能人もろバレスタイルで来ちゃったらどうしよう、という海帆の心配をよそに、ゆったりしたパンツにシャツとボタンレスカーディガンという爽やかさで、おしゃれな通りによく溶け込んで似合っていた。
「お昼もこの辺で食べるでしょ? おすすめとかリクエストある?」
「いや、特にない。ていうか、もう昼飯の心配かよ」
早すぎないか、と言う声は聞こえない振りをして、海帆はうきうきと周囲に目をやる。
基本、必要な物しか買わず、衝動買いはあまりしないのだが、購買意欲をそそられる華やかで可愛らしい店先に目が惹きつけられ、手に取りたい衝動が湧いてくる。
世海は呆れている様子だが、休みになるのを辛抱強く待ったお陰か、雰囲気は柔らかい。
相変わらず口数は少ないが、海帆の後ろを大人しくついて来て、時々、一緒になって店先の商品を眺めたりしている。
世海は身元隠しのためのサングラスや帽子やマスクもせず、唯一ノンフレームの眼鏡をかけているだけなので、身バレ心配じゃないのかなと思ったが、本人特に気にする素振りもなく、その様子はとてもリラックスしていた。
彼も永康街へ来るのを楽しみにしていたのだろう。
買い物を済ませたら、どこかで適当に食事をして帰るつもりだったのだが、機嫌よく歩く世海を見た海帆は、頭の中で有名な店舗やお勧めグルメなどを目まぐるしく思い返して、どこに連れて行こうかと真剣に考え始めた。
だが、ここは台北屈指の観光地。そう簡単には素通りできない通りだ。海帆はついつい用もないショップのディスプレイに目が惹きつけられる。
「あのポーチ、可愛いなー」
「おい」
後ろからかけられる呆れた声に、分かってますよと答えて海帆は本日の目的地へと向かった。
まずは、頼まれていた買い物からだ。
通りをしばらく歩いて、角をいくつか曲がると、目的の店舗はすぐに見えてきた。
クリーム色と藍色を基調とした店構えに、甘党の琴線が揺さぶられる。
店内は広々としていて、目的のマカダミアデーツ以外にも様々なお菓子がおしゃれで分かりやすく陳列されていて、嬉しいことに試食することもできた。
パッケージもとても凝っていて、永康街の店舗限定イラストが数種類描かれているので、どれを選ぶかとても悩む。
「うわあ、どうしよう。どれにしようか」
「味は一緒だろ」
何とも情緒のない言い方をする世海の発言は無視し、海帆は陳列棚の前で好きなだけ悩んだ。
これも買い物の醍醐味だ。
とはいえ、基本的に海帆は即断即決の人である。
世海をいらいらさせるほど時間はかけず、頼まれたスイーツとそれ以外の物も数種類選んで会計に進む。
「ずいぶん買ったな」
「うん、でもまだ買いたいのあるよ」
「まだあるのかよ」
そう言いながらも、世海は海帆からお土産の入った袋を手に取り、そのまま歩き出す。
「次はどこだ」
「んーと、しばらく歩いたところかな。漁師網グッズが欲しいんだ」
赤青緑を基調としたナイロン製の漁師網バッグは、こちらも日本で最近人気で、トートサイズの物以外にポーチなどの小物類もあり、お土産として最適なのだ。
数種類のスイーツにレトロカワイイ漁師網グッズ。これだけ送れば、帆波も文句はないだろう。
のんびりして大らかな妹とは違い、少々神経質で口うるさい姉を満足させるには、期待以上の物を送ればまず間違いない。帆波はミーハーなところもあるので、人気のグッズが添えられていれば、満足するはずだ。
姉を懐柔するべく、妹はこすい計画を画策する。
そうこうしているうちに、次の店に到着した。
永康街は店から店への移動が短く済むので、はしご買いをしたい者には本当に助かる。
何を買うのかはもう決まっているのだが、台湾の雰囲気満点の雑貨がセンス良く置かれている店内は、ついつい足を止めて色々と眺めてしまって、なかなか目的の場所までたどり着けない。
その中で、海帆は一つの商品に目を引かれた。
それはコースターの陳列棚だった。
古風な模様をあしらった竹製、使いやすそうなアクリル製やノスタルジックなワッペン風の物に交じって、可愛らしいイラストが描かれたコースターが隅の方にそっと置かれていた。
青い海の中を、長い赤毛をくゆらせて泳ぐ小さな人魚と、小さな黄色い魚の素朴な絵だった。美しい色のサンゴや海藻がさりげなく二人を囲うように描かれていて、穏やかで優しい風合いがある。
思わず手に取って見ていると、世海がそばに寄ってきて、珍しいことにふっと頬を緩めた。
「相変わらず好きなんだな」
幼い頃に散々付き合わされて見た、アニメーション映画の事を言っているのだろう。
海帆は今でも、あの映画の挿入歌を全部そらで歌える。
冗談混じりで言ったら、からかい半分あきれ半分で世海は言った。
「また君の事をアリエルって呼ぼうか?」
今日の世海は本当に機嫌がいいらしい。
穏やかに見下ろしてくる彼を見て、海帆は少しだけ言葉に詰まってしまった。
世海は、持っていた買い物かごを海帆に差し出して、中に入れるよう促してくる。
「買うんだろう?」
八割がた、そのつもりでいたのだが、海帆は入れるのを躊躇した。
迷ったのは一瞬、海帆はコースターをそっと元の場所に戻した。
世海が首をかしげて、海帆を見つめる。
海帆は照れ笑いをして、言い訳をした。
「あんまり可愛いから、コースターとして使えないと思う」
「飾ればいいだろ」
「そうなんだけど。まあ、取り合えずは頼まれていた買い物が先だね」
そう言って、海帆は目的の物が陳列されている棚に向かった。
カラフルな漁師網グッズは、ポーチとペンケースを買うことにして、会計を済ませる。
「お待たせ」
「うん」
先に外へ出て待っていた世海に声をかけて、二人そろって歩き出した。
「さて、お昼どうしようか。世海くん、なにか食べたいのある?」
「いや、昼は特にない」
世海は少し言い淀み、逆に海帆に聞いてきた。
「お前は、何を食いたいんだ?」
「担仔麺」
世海は意外そうな顔をした。
「牛肉麺じゃないのか」
永康街には、老舗からモダンな創作料理まで幅広い店が揃っており、台湾らしい麺料理やスイーツなどが手頃な価格で楽しめるグルメスポットとしても知られている。
中でも牛肉麺は、永康街を代表する老舗の有名店があり、八角や香辛料が香る濃厚で深いコクの醤油ベースのスープに、噛むたびに旨味が広がる、じっくり煮込まれたとろけるように柔らかい牛肉が人気で、台北で牛肉麺を食べるなら、まずこの場所は候補に挙がる。
価格も手頃で、店によっては日本語メニューもあり、店員も観光客に慣れているので馴染みやすく、まずは牛肉麺、と決めている観光客は多い。
世海もそう思っていたのだろう。
海帆も、当初は有名な牛肉麺でランチにしようかな、と思っていたが、幼い頃の世海が肉を得意としていなかったことを思い出したのだ。
現在は克服しているかもしれないが、聞いたところで素直に答えるはずはないだろうし、かといってせっかくの休日のランチを、もしかしたら苦手な食べ物にしてしまうことになるのは忍びない。
それに、牛肉面以外にも有名な食べ物はある。
担仔麺は、海老だしのスープと麺にそぼろや香菜をのせた素朴な麺で、あっさりとしながらも深い旨味があって、飽きのこない味わいで人気がある。
軽食なので、茶碗ほどの大きさの器で出されるのだが、食の細い世海にはちょうどいいだろうし、台湾南部に本店を構える百年以上の歴史を持つ店が出しているので、伝統の味を楽しみながら他の小皿料理と組み合わせて注文すれば、なかなか豪華な食事になるだろう。
「永康街じゃないけど、牛肉面はもう食べたしね。担仔麺、興味があるんだ」
「ふーん」
「蝦捲も美味しいんだって。これを食べるために、永康街の店に通ってる人に教えてもらった」
「ああ、俺も好き」
蝦捲とは、台南発祥のB級グルメで、エビのすり身や豚肉などを湯葉やワンタンの皮で包み、油でカリッと揚げた料理のことだ。外はサクサク、中はプリプリの食感とエビの旨味が特徴で、スイートチリソースやガーリックソースをかけて食べることが多い。
世海の好物だと知り、海帆は店に入る前から達成感を感じた。
そうこうしているうちに、目的の店舗に着いた。
昼時ということもあり、店内はかなり賑わっていたが、そんなに待たされることなく、テーブル席へ案内される。
メニューを見ると、種類はかなり豊富で、どれをチョイスしていくか悩ましい。でも嬉しいことに、麺のお椀サイズが小と大から選べたので、海帆は迷わず大を選んだ。
世海も大を選んだので、大丈夫かと聞いたら、肩をすくめた。
「大って言ったって、こんなもんだぞ」
両手で表現したサイズは、小丼ぐらいの大きさだったので、海帆は納得し、鴨の煮卵をトッピングで追加することにする。
小皿料理は、さっき話しをした蝦捲と空芯菜炒め。それと桜海老とキャベツの炒め物を注文した。
「カキフライも気になるんだけど、揚げ物が二種類になっちゃうから、やめておこう」
「ビール飲みたくなるしな」
それは危険だ。今日は世海の運転で来ているのだから、酒精から遠ざけておかなければいけない。
ほどなくして、料理が届いた。
担仔麺は美味だった。スープはエビの味が濃厚なのにあっさりしていて、甘めに味付けされた肉そぼろやパクチーのアクセントが絶妙に合わさって、何杯でも食べられそうだ。
世海も、するすると麺をすすっている。
「おいしいね」
「うん」
蝦捲も、これを食べるために、わざわざ訪れる人がいるのが納得の美味しさだった。エビがぎっしり入っているのに、びっくりするほどサクサクしていて、リピーターが生まれる理由が分かる。
海帆は初めて食べたのだが、感動的なサクサク感に震えそうになった。
「ヤバい、これ無限に食べられる」
「うん」
空心菜炒めも桜エビとキャベツの炒め物も、安定の美味しさで、海帆は満足だった。
世海の食も進んでいるようで、なによりだ。
「この後はどうするんだ?」
「ポストカード買いたいかな、日本の友達に送る用で。後は、メグさん達にも何かお土産買っていきたいな」
「いらないだろ」
「そんなこと言わない。今日、家に行かなかった分の埋め合わせだよ」
軽口を言い合いながら店を出る。
頼まれていた買い物は済んでいるので、後は気軽に散策がてらショッピングを楽しむだけだ。
かわいらしい雑貨を扱うショップが点在しているので、見ているだけでも飽きない。
一瞬、先ほどの赤毛の人魚と黄色い魚のコースターのことが頭をよぎったが、まずは友人たちや台湾でお世話になっている人達への贈り物選びを優先することにした。
台湾原住民のモチーフや、それを元にしたデザインをあしらった商品を数多く扱うセレクトショップが多いので、ついつい買い足してしまいそうになるので注意をしなければならない。
それでも、ポストカードの他に、新たに布製小物やお菓子など追加で買ってしまった。
増えてしまった荷物を見て、世海は少し呆れたように肩をすくめたが、特に何も言わずに、それらを車に載せるために一旦その場を離れた。
その間に海帆は、車を停めている場所からさほど遠くない場所にある、豆花というお豆腐スイーツのお店で、購入したポストカードにメッセージを書きながら、世海を待つことにした。
陽光をたっぷり取り入れた明るい店内と、板張りのカラフルなテーブルセットがおしゃれで、普段は手書きの文章などあまり書かないのに、なんだか妙に筆がのってしまい、さらさらとペンを走らせる。
注文したのは檸檬豆花。夏限定なのでもうすぐ終わるよ、と言われ迷わずセレクト。黒糖シロップにレモンの香りが広がって、街歩きで疲れた体がリフレッシュされる。
書き終わる頃に世海は戻ってきて、注文を終えて海帆が待つ席についた。
「なに頼んだの?」
「冰豆花」
世海が注文したのは、お豆腐に煮込みピーナッツを載せてシロップをたっぷりかけた王道のスタイルの豆花だった。
ぷるぷるした豆腐をスプーンですくい、口に運びながら、世海は海帆が書いていたポストカードを見た。
「綺麗な字だな」
「日本語分かるの?」
仕舞おうとしていたポストカードを再び出すと、そのうちの一枚を手に取って、世海は首を横に振った。
「いや、読めないよ。でもまあ、漢字で大体は……」
そう言って、書かれているメッセージを読み取ろうと、難しい顔をしてカードを睨みつけるので、海帆は思わず笑ってしまった。
「台湾を満喫中、このカードは永康街という所で書いてます、て書いたんだよ。いつでも遊びに来てねって」
「そう書いてあると思った」
ほんとに? と疑わしい顔をすると、ほんとだよ、と真面目な顔で返事をする。
「こういうの、いちいち書くんだな。そんなにマメだとは思わなかった」
「普段はここまでしないよ。お菓子大量に買って、送りつけて終わり。お知らせはメールをしてね。でも、今日はなんか、こういうカードを丁寧に準備するのもいいかなって思ってさ」
「ふーん」
世海は手にしたカードをしばらく見つめると、海帆が書いたメッセージを指でそっと撫でて、返してきた。
「俺にも、書いてくれるか?」
「え、世海くんにも? このポストカードを?」
一緒に来ているのに、いるのか? と思ったが、世海はうん、と頷いて海帆の事をじっと見つめた。
「カード、もうないのか?」
「ううん、そんなことないよ。余分に買ってあるから」
少し慌てて、白紙のカードを取り出すと、世海はその数枚の中から一枚を選んだ。
「これがいい」
選んだのは、海辺の風景画のポストカードだった。レトロな風合いで、様々な色の青が塗り重ねられている、とても綺麗で優しい絵柄のものだ。
ん、と渡されて、海帆はその強引さに呆れて笑ってしまった。
そしてポストカードを受け取ると、包装を丁寧に取り、世海に見えないように肘で隠しながらメッセージを書きだす。
「すぐに読まないでね。部屋に戻ってからにしてよ」
「うん」
渡す相手を目の前にしてメッセージを書くというのは、なんだか変な感じだ。
海帆はとりあえず、今日付き合ってくれたお礼と、仕事の近況(海帆の仕事を世海は熟知しているし、なんだったら世海の仕事のことも、海帆はマネージャーの宇翔並みに知り尽くしているが)を丁寧に書き、最後に再会できた喜びを書き綴った。
書き終わったカードは、再び包装に戻して封をし、文字面を伏せて世海に渡す。
「まだ読まないでよ」
「わかってる」
そうして受け取ったカードを、世海は大事そうに仕舞い、海帆を見つめて言った。
「俺、家に帰ることになった。ホテルを出るよ」
読んでいただき、ありがとうございます。




