顔しか取り柄のないやたら態度が悪いイケ好かない男
エピソードの区切りを調整しました。
内容に変わりはありません。
目を覚ましたら、世海はベッドに横向きで寝かされていた。
衣服はゆるめられ、毛布はかけられていてあたたかく、室内は適度に暗くしてあって居心地がいい。
どうやらグロンブルホテルの一室のようだ。トイレで盛大に吐いて気を失った後、連れてこられたのだろう。
体は動かしたくないほどだるいが、さっきまでのどうしようもない程の気持ち悪さは無くなっていた。
「気がついた?」
声をかけられ目だけを向けると、海帆がすぐそばにいた。
髪型は乱れ、服装は楽なように崩している。心配そうに世海を見つめる顔は化粧が落ちていて、疲れた表情をしているのに、どうしてかそんな海帆を見て世海は安心した。
それが無性に悔しくて、世海は返事をせずに目をそらした。
「……この部屋は取ってあるから、気にしないでゆっくり休んで。水はここに置いておくから」
ことんとサイドテーブルにミネラルウォーターが置かれる。
それでも世海は無視を決め込んだが、海帆は構わず続けた。
「できるだけこまめに水分補給してね。寝る時は仰向けにならないように」
「うるさい、そんなこと知ってる」
鬱陶しくて怒鳴ったら、海帆は逆にほっとしたようだ。
「ああ、よかった。元気そうだね」
安心したように微笑まれて、世海はいたたまれなくなる。
ぎゅっと目をつぶって視界から海帆を追い出す。
彼女はしばらくなにか言いたそうにその場にいたが、「帰る時はこれをフロントに返してね」とだけ言って、部屋のカードキーを置いて立ち上がった。
ゆったりした足取り。部屋から出ていくのだ。そりゃそうだ、何時間立ってるか知らないが、海帆の上がりの時間はとっくに過ぎているはずだ。
他のスタッフに世海を託して自分は帰ることも出来たのに、彼が目を覚ますまでそばに付き添っていてくれたのだ。
世海の頭の中に、俊宏に言われた言葉が蘇る。
顔しか取り柄がないやたら態度の悪いイケ好かない男。
「お、お前、なんであんなことができるんだ」
世海の声は思いの外小さくて、もしかしたら聞こえないかと思ったが、海帆はドアを開けようとする手を止めて振り向いた。
「ん? あんなことって?」
聞き返した海帆が戻ってくる気配がして、なぜかほっとする。
また同じ場所に立つ海帆を、世海は恨めしげに睨みつけた。
「人の口に指突っ込んで無理やり吐かせるなんて、よくできるな。しかも俺に断りもなく、むりやり」
トイレで何も言われずにいきなり吐かされたショックが蘇って、怒りがこみ上げてくる。例え医者であっても、口に指を突っ込ませることなんて世海はやらせない。絶対に。
まだ体に力が入らず、身を起こして海帆と対峙することは出来ないが、怒気を含んだ目つきで睨む世海に、海帆は「ごめん」と謝った。
それからしばらく沈黙が続いた。
世海はさらに文句を言おうとしていたが急に萎えてしまったし、海帆は言い訳をするつもりはないらしく、叱責を受け入れる態度を崩さない。
沈黙が居心地が悪くなった頃に、海帆はそっとベッドに腰掛けた。
「私、大学時代バーテンダーのバイトしててさ」
世海を優しく見下ろす海帆は、うるさくないように静かな口調で話しだした。
「ああいう仕事はお客さんの相手をして飲むことがよくあるでしょう。私お酒は強いほうだけどやっぱり酔ってくるし、でもそうすると仕事にならないから、時々裏に行って自分で吐いてたんだ」
信じられない、という顔をする世海に海帆は安心させるように微笑んだ。
「お店のお姉さんたちに教えてもらったんだよ。アルコールが抜けるわけじゃないけど、多少すっきりするから。それで覚えたらなんか上手くなっちゃって、そのうちお客さんやお姉さんたちの世話もするようになって……」
ゴッドハンドって呼ばれてたのよ。なんでもないことのように言う海帆を、世海はしばらく見つめた。
「……もう二度とするな」
「うん、もうしないよ。ごめんね、気持ち悪かったね」
「俺だけじゃない。他の奴にもだ」
じっと海帆を見つめて、世海はもう一度言った。
「もうするな」
世海の口調と表情は静かだったが、海帆の心に重く響く何かがあり、彼女は素直に頷いた。
「分かった。もうしない」
うん、と頷いた世海はため息をつき、目を閉じた。
もう寝たいのかな、と海帆は思ったが、立ち上がりかけたところでまた世海は話しだす。
「…………お前、バーテン以外にもしたことがあるのか?」
「何を?」
聞き返されて言いにくそうにする世海を見て、ああ、と察した海帆は苦笑した。
「したことないよ。私はあくまでバーテンダー。カウンター越しにお客さんの相手をしていただけ」
「そうか」
そうか、ともう一度呟いて、世海は安堵したように息を吐いた。
そしておもむろにペットボトルを手に取り、水を飲みだした。
「ゆっくり飲んで」
「分かってる」
そう言いつつ、ボトルの半分ほど一気に飲み、咎めるように海帆を睨んだ。
「なんで、そんなバイトをしていたんだよ。危ないだろ」
「時給がいいから」
あっさりした海帆の答えに、世海はがっくりと肩を落とす。
「だからって……」
「一応ちゃんとしたお店かどうかはきちんと調べたよ。あと、うちは三人兄弟で私の下には弟がいるから、親にあんまり負担かけたくなかったし」
そこまで言われると世海も黙るしかない。
ぶすっとした顔でペットボトルを握りしめる世海に、海帆は微笑みかけた。
「世海くん、心配してくれるんだ」
「別に……」
口ごもりながら水を飲もうとすると、すでに空だった。
海帆が立ち上がり、冷蔵庫から新しいボトルを取り出し、世海に手渡しながら言う。
「嫌いじゃないんだよ、この仕事。カウンター越しにお客さまとコミュニケーションを取りながらお酒を提供して、喜んでもらえたら嬉しいし。色んな人と会えるのも楽しいから」
バーに来る客は味に厳しい人も多いため、自分が作ったカクテルを喜んでもらえた時の嬉しさは格別で、普段の生活では出会えないような、様々な職業や年齢の人たちと知り合うことで自分の世界を広げることができるのも、やりがいと成長を感じられた。なによりバーカウンター越しにお酒を味わう客の反応を常に知ることができるのは、自分の仕事の成果を実感できる。
ようは接客業が向いてるのだ。
「このホテルのバーへ来るお客様に変な人は少ないから、そんなに大変じゃないしね。リラックスして仕事できてるよ」
「……そうか」
安心して、と笑う海帆の笑顔から目をそらし、世海は水を飲む。
そんな世海をじっと見て、海帆はゆっくりと切り出した。
「私からもいいかな」
真剣な表情をする海帆に、世海は「なんだ」と目だけで聞く。
「警察呼ぶ?」
何を言われたのか理解できなくて、世海は間の抜けた顔で海帆を見返した。
その間にも、海帆は話し続ける。
「世海くん、お酒強いのにあんな風に酔っぱらうなんてちょっと変だし、どこかから逃げ出してきたように思えたから」
通報するなら早めの方がいい。
真剣に言う海帆の様子に、世海はようやく我に返って慌てて手を振った。
「必要ない、知り合いと飲んで、飲みすぎただけだ。事件に巻き込まれたわけじゃない」
「本当に?」
「本当だ」
心配そうに見つめる海帆を真正面から見つめ返す世海の顔は真剣で、噓をついてるようには見えない。
それでも海帆は何かを言おうとしたが、携帯電話の着信音がそれを遮った。
世海のスマホだ。サイドテーブルの上で振動する画面を確認した世海は、すぐに手に取った。
「マネージャーだ」
話題が途切れたことにホッとして、世海は電話に出た。次の瞬間、凄まじい怒鳴り声がとどろき渡り、世海は腕をいっぱいに伸ばしてスマホを耳から遠ざけたが、がなり声はさらに大きくなる。
当然、そばにいた海帆にも聞こえてる。彼女は目を丸くして、固まっていた。
電話の向こうの相手の怒りの度合いが容易に把握できる。
「怒ってるね」
「ああ……」
世海はなんとか話しをしようとするが、マネージャー宇翔の怒りは収まるどころかますますヒートアップしていくばかりで、嬉々として電話を手にとったさっきまでの様子はすぐにしぼんで、修行僧のような顔で耐え忍ぶ。
「世海くん、マネージャーさんに今夜のこと言ってなかったの?」
「……………………」
沈黙は肯定か。海帆はため息をついた。
「寝ている間、スマホすごく鳴ってたんだよね、何回も。言っておけばよかった。マネージャーさんだったんだ」
世海は答えない。それどころではない。
とりあえず、ここから先は彼のプライベートだ。海帆は部屋から出ようと立ち上がりかけたが、意外なことにその手を世海が掴んだ。
引き留めようとするかのような行動に、海帆が首をかしげて振り返ると、世海は気まずそうにしながら、ぐいっとさらに強い力で引っ張る。
すとん、と再び海帆は世海の傍に座る。
「なに?」
「……………………今まで寝ていたから、説明できない。お前が言って」
ぐいっと携帯電話を渡され、海帆は目をぱちくりさせたが、ようやくその意図を理解し、大音量でがなり立てるスマホを受け取った。
絶え間ない怒鳴り声のタイミングを伺い、一瞬の息継ぎの間にすかさず口を挟む。
「お電話変わりました、ホテルグロンブル台湾の橘海帆と申します」
『は? なに? た……? ええ?』
電話の相手が突然変わり、混乱した声が海帆の耳に届いたが、構わずそのまま話しを続けた。
「エリック・スン様のマネージャー様でございますね。状況の経緯をご説明させていただきたいのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
未だ当惑している宇翔に、海帆は今までのいきさつを簡潔に説明した。
電話の相手が変わったことで宇翔の怒りも静まったのか、徐々に落ち着きを取り戻して話しを聞くようになった。『すぐにそちらに行きます!』と言って慌ただしく通話が切られる。
「すぐに来るって」
携帯電話を返しながらそう伝えると、世海は黙って頷いた。
「…………悪いけど、宇翔が来るまでは」
「待ってるよ。直接会って話しをしないと」
俳優エリック・スンを保護したホテルスタッフが電話だけで説明、というわけにはいかない。
海帆は、宇翔が来ることをフロントに内線電話で伝え、着崩していた身なりを整えた。シャツのボタンを留めようとしたところで、世海が慎ましく目を伏せる。
三十分ほどして、宇翔が息を切らせて現れた。
部屋のドアを開けて迎えた海帆の姿を見て、宇翔は一瞬あっけに取られたが、すぐに奥で横たわっている世海のもとへ駆け寄る。
それからしばらくは小声で短く説明する世海と、倍の声量で長々と叱りつける宇翔のやり取りが続き、海帆は一歩下がった場所で姿勢よく立って辛抱強く待ち続けた。
多少口答えをすることもあったが、意外にも世海は素直に怒られていて、反省した様子で叱責を受け入れている。
そういえば小さい頃も、母親の恵君に怒られる時は、こんな風にじっと俯いて大人しくしていたな。
つい思わずまじまじと見つめていたら、それに気づいた世海に睨まれた。
それを見て、宇翔はようやく海帆の存在を思い出したのか、急いで振り返って訝しげな視線を投げかける。
「えっと、あなたは?」
海帆は一歩前に出て、改めて自分の身分を説明しようとしたが、それより先に世海が口を開いた。
「俺の幼馴染だ」
「幼馴染?」
驚いた声を出す宇翔だったが、同じくらい海帆も驚いていた。
なんとなく、世海は海帆との関係を隠したいだろうと思っていたのだ。
「…………先ほど、お電話でお話させていただきました、ホテルグロンブル台湾の橘海帆です」
自己紹介をすると、宇翔も慌てて海帆に向き合った。
「さっきはどうも。私は陳宇翔で、エリックのマネージャーをしています。今夜はお世話になりました」
「いえ、すぐにお知らせするべきでしたのに、ご連絡するのが遅れてしまい、誠に申し訳ございません」
かしこまる海帆に、いやいやいやと宇翔が手を振る。
「今回はエリックが軽はずみだったんです。よりによってカイルの誘いに乗るとは、俺も油断してました」
「今回だけだ。次はしない」
真面目な顔で約束をする世海に、宇翔はため息をつく。
「そう願うよ」
ところで、と宇翔は再び海帆に向き直った。その目には、好奇心がちらちらと輝いている。
「エリックとは幼馴染だそうですね」
「…………はい、そうです。と言っても、五歳の頃に別れて、再会したのはつい最近ですが」
とびきりの営業スマイルで肯定すると、宇翔はなぜか納得したように何度も頷いた。
「なるほど」
何がなるほど、なのだろうか。
内心、疑問符を抱えている海帆に、宇翔はさらに質問をしてきた。
「失礼ですが、日本人ですよね?」
「はい、そうです」
「じゃあ、小さい頃は台湾に住んでいたということですね」
「そうですね。父の仕事の関係で五歳までいました」
「そうですか、だから言葉が流暢なんですね〜」
しきりに感心する宇翔がさらに質問をしようとするのを、不機嫌な口調で世海が口を挟んだ。
「俺もう休みたいんだけど」
見ると、また顔色が悪くなったようだ。
クマが浮いた青白い顔を見て、宇翔は慌てて海帆から関心をそらした。
「ああ、悪かった。今夜はここで休むんだな」
ぶすっとした顔でベッドに潜り込んで、世海は答えた。
「そうする」
「分かった。明日、迎えに来るから、ゆっくり休めよ」
そう言うと、宇翔は海帆に向き直った。
「ええと、ミホさん。ホテル代を支払いたいのですが」
「いえ、これは非常事態でしたので、お支払いの必要はございません」
「そういうわけにはいきません」
払う払わないの問答がしばらく続いたが、宇翔が頑として動かないので、海帆はありがたく身を引くことにした。
「では、フロントでお願いいたします」
「分かりました。あ、じゃあそこまで一緒に……」
流れ的に二人一緒に部屋を出ることになりそうなので、海帆はドアを開けるために歩き出す。
その時、世海ががばっとベッドから飛び起きて海帆を呼び止めた。
「海帆!」
今日は世海に何度も驚かされる。
名前を呼ばれたことに少なからず衝撃を受けて、それでも顔には出さずに海帆は振り返った。
「なに?」
世海は気まずそうに顔をしかめて言いにくそうにしていたが、海帆の目を真っ直ぐ見つめた。
「その、鍵、ここの鍵は…………」
さっきサイドテーブルに置いたはずなのに。
宇翔に先に行くように言いおいて、海帆は世海のもとへ戻った。
「落ちたのかな?」
置いておいたカードキーは無くなっていた。
床に落としたのか、とかがんで探してみるが、見つからない。
ベッドの下に滑り込んだのかもしれない。狭い隙間を覗き込もうと身を屈めようとしたところで、世海が「あった」と声を上げた。
顔を上げると、世海の手にはカードキーが握られていた。
「どこにあったの?」
キーを受け取って傷がないかチェックしながら聞くと、世海は口ごもりながら目をそらした。
「ベッドに潜り込んでた」
なるほど。
床を探しても見つからないわけだ。かと言って、横になっている世海の布団を引っ剥がして探すわけにもいかなかっただろうし。
海帆に無理やり布団を剥がされる世海を想像して、つい口元がゆるんだ。きっと物凄く怒り狂うはずだ。
「なに笑ってるんだ?」
むっとした顔で聞いてくる世海に「なんでもないよ」と言ったら、眉間のシワをさらに深くして、世海はつぶやいた。
「…………どうせ俺のことを、顔しか取り柄がないやたら態度の悪いイケ好かない男、て思ってるんだろう」
「……………………そんなこと思ってないし、なに急にどしたの?」
目を丸くして驚く海帆を置いて、世海は乱暴に布団をかぶった。
「もう寝る」
「……そう、分かった。ゆっくり休んでね」
今度こそ立ち去ろうとする海帆に、世海は布団の中から小さく声をかけた。
「今日は悪かったな。ありがとう」
「どういたしまして」
海帆も小さな声で返す。
「じゃあ、おやすみなさい」
ぱたんとドアの閉まる音がして、海帆は静かに部屋を出ていった。
読んでいただき、ありがとうございます。




