179
ふと目が覚めた。
夜中だろうか、まだ暗い。
目を瞬いて、ここ数日のことを思い出した。
きゅっと眉が寄ってしまう。
きっと今の私は、傍目に不満顔をしているように見えるだろう。
ダメだ。夜中にあまり考えすぎるといけない。
もう一度眠ろうと、私は目の前にあるグレンさんの胸板に額をくっつける。
あれから五日間、朝昼夕方と日に三度ラピドゥラの浄化をしている。
ただ、瘴気が減った気がしない。
最初に浄化した直後、少しは瘴気が削げた気がした。
でも次に行くとまた元のように靄が広がっている。
十回を超える全力の浄化でまったく効果が見えない状況。
漂う靄と同じように先が見えなくて、徒労感が強い。
竜人族のみんなは、自分たちがやるより浄化が進んでいると喜んでくれる。
それでも窪地の瘴気が減る気配がないのがつらい。
クロさんは毎日のように、プルーノの実の確保にも連れて行ってくれる。
『せっせと美味いもん食うて元気出しなはれや!』
浄化が進まないと感じて気落ちしていた私に、実を手渡してくれた。
竜人の里の女性たちと一緒に食べて、美味しいねと笑い合う。
女性たちの緩んだ頬に、番を見る竜人たちも嬉しそうな顔になる。
そんなふうに昼間は元気を装えても、夜中に目が覚めて悩んでしまう。
グレンさんの魔力に包まれているので、すぐに眠ることはできる。
目が覚めて思い悩んでは、また眠るというサイクル。
あれだけ大きな瘴気だまりが一向に減らないのは、どうすればいいのか。
このままの浄化方法でいいのか、不安になってしまう。
「ミナ、起きているのか」
私がもぞもぞしていたら、グレンさんから少し眠そうな声。
起こしてしまっただろうか。
「ついさっき目が覚めたんです」
「なら、ちょうどいい時間だな」
何がと問う間もなく、起き上がったグレンさんは、なぜか私を毛布でくるくる包んだ。
そして抱き上げられると、グレンさんの足が外へ向かう。
私は運ばれるまま、何だろうかと首を傾げている。
外の崖道に出ると、まだ薄暗い。
ほのかに明るいから、夜明けが近いみたいだ。
グレンさんは私を抱えたまま崖道を蹴り、中空へ飛び出した。
え、待って。これ下に落ちちゃうんじゃないの?
ちょっとグレンさん待ってーっ!
心の中で叫んでも、驚きすぎて実際には声も出ない。
落ちると思って目を強く瞑る。
するとトントンと軽い衝撃が続いた。
どうやら足場を飛び移っているみたいだ。
もう、もうっ!
お願いだからちゃんと言葉にしてくれないと、心の準備があるから!
毛布の中で身を縮めるまま、ただ運ばれる。
首元まで体すべてが包まれて、グレンさんにしがみつくことも出来ない。
何度かグレンさんが足場を蹴った感じがしたところで、目を開ける。
岩山をずいぶん上ってきたみたいだ。
視界が家の前より開けている。
やがてグレンさんが止まったのは、いちばん高い岩山の上。
周囲を見回すと、大森林の中にこの岩山があることがわかる。
見渡す限りの樹々の海が一部途切れたところは、人の街がある方角だ。
転移魔法陣がある街だと聞いた。
「ああ、やはりちょうど良かった」
グレンさんが私を抱え直し、一定の方角が見えるようにしてくれた。
地平がひときわ明るくなっている。
待つほどもなく、大森林の向こうの地平から眩しい光が生まれる。
「わあ」
歓声を上げながらも目を細めた。
大森林から昇る朝日だ。
大気の魔力がキラキラ光って見えるのは、魔力の濃い地ならではの風景か。
眩しい光が木々の向こうに見えたと思ったら、するすると太陽が昇る。
あちらのものと似て、少し違う光景。
しばらく見入っていたら、グレンさんが口を開いた。
「この世界がもっと瘴気に満たされていたら、大森林の多くも枯れていただろう」
いつもの低音は、静かで優しい響きだ。
「大丈夫だ。浄化は進んでいて、この美しい世界は正常に働いている」
一瞬、グレンさんが何の話をしているのか、わからなかった。
少し遅れて言葉を理解して、きゅっと唇を噛む。
どうしてグレンさんは、言葉にしない私の気持ちを知っているのか。
噛んでいる唇に力を抜けとばかりに、グレンさんが指を添える。
先代のしたこととは言え、聖女がこの世界から消えたことで溜まり続けた瘴気。
それで大変な思いをしてきた人たちがいる。
私にその記憶はないけれど、どこかで責任みたいなものを感じていた。
やってもやっても減らない瘴気に、焦りを感じていた。
「憶測になるが、ラピドゥラの瘴気がまるで減った感じがしないのは、瘴気の濃度が凝縮されていたからだ。浄化を繰り返すことで、その凝縮されていたものが薄くなれば、減ってくるだろう」
徒労感だけが強い今の状況を、グレンさんが説明してくれる。
「焦らなくていい。浄化は確実に出来ている。今は濃度を薄めている状態だから、減った感じがしないんだ。むしろ限界まで濃縮された瘴気を薄めるという大事な作業を、ミナはしてくれている」
焦らなくていい。
大丈夫、ちゃんと出来ている。
グレンさんの言葉を、自分の中で繰り返す。
「逆に言えば、濃縮され過ぎて通常の聖魔力で浄化ができない状態だ。ミナが浄化をすることで、他の者たちの浄化が通じるようになるはずだ」
ラピドゥラの瘴気を見て、シロさんが自分のところより優先するように言った。
そこまで言われるような状態だったということだ。
竜脈の源泉として瘴気が濃縮されている。
もしかして世界の魔力量などに影響があるのだろうか。
食糧不足の地域があったのは、世界の魔力量が減っていたから、とか。
ともかく、凝ったあの瘴気を今は薄めることが大事。
ちゃんと薄くなれば、普通に瘴気として浄化できて、減ってくれるはず。
なるほど。効果が見えなくて徒労感が強いけれど、大事な作業だ。
「ありがとうございます、グレンさん。そうですね。濃度を薄めているのなら、減らなくて当然なんですね」
私の明るい声に、グレンさんが頷いた。
「ああ。ミナが焦ることはない。凝縮されていたものが溶けて広がり、減っていないように見えるだけだ。無駄な作業ではない」
言い聞かせてくれる言葉に、きれいな朝の風景を見ながら頷いた。
緑深い大森林が豊かに広がる向こうに、ラピドゥラが隠れている。
あの瘴気がもっと広く大きくなれば、広範囲に木々は枯れていただろう。
昔のラピドゥラは、窪地の底から瘴気が湧くのが見えたという。
今は窪地全体が瘴気で埋もれている状態だ。
大森林が途切れてから窪地の坂があるけれど、昔はそれも違ったのだろうか。
瘴気の靄が届く範囲の木々が枯れたのだとすれば。
昔は窪地の途中まで、森が広がっていたのだろうか。
でもまあ、効果は見えなくても投げずに続けることが大事なのだ。
薄めているというのなら、このまま頑張ってみよう。
グレンさんに抱えられて、朝日に照らされる大森林を見下ろし、新たに気合いを入れる。
私の気分が上を向いたのがわかったのだろう。
グレンさんの表情も柔らかくなっている。
「人の立ち位置は、選び取った物とは限らない。ミナの聖女という役割は、生まれ持ったものだ。重荷であればあるほど、理不尽に思えるだろう」
それは竜王として生まれたグレンさんも、感じているのだろうか。
「ミナが聖女の役割を重く感じても、替わってやることはできない。せめて、オレは支えになれているだろうか」
グレンさんの言葉に、私は何度も頷いた。
こうやって連れ出してくれて、今の私に必要な言葉をかけてくれるグレンさん。
理解して支えてくれる人がいるから、踏ん張れる。
「ラピドゥラの瘴気は、今は聖女の浄化でしか改善しない。精霊王がラピドゥラの浄化を優先するように言ったのは、瘴気として魔力に変換されていない分、世界に必要な魔力が行き渡らない現状を知ったからだろうな」
私が目を瞬くと、グレンさんが説明を続ける。
竜王の記憶にある話なのだろう。
普通には知ることのできない世界の仕組みを、グレンさんは口にする。
「竜脈が運ぶのは、本来は魔力だ。今は瘴気が流れてしまっているが、その瘴気が浄化によって魔力に変換され、世界を動かす力として還元される。魔力が少なければ植物の育成などにも影響が出る。食糧難の地域があるのは、そのためだろう」
ああ、やっぱり影響はそんなふうに出ていたんだ。
また口元に力が入ったのを見て、グレンさんが私を軽く揺する。
「だが、今は一部地域に影響が出ているだけだ。精霊王たち、オレたち竜人族、神殿の聖魔力を持つ者たち。すべての努力があって、世界は維持できた。聖女の帰還は間に合った」
間に合った、のか。
色々と弊害が既に出ていたけれど、間に合ったのだろうか。
「聖女ひとりで維持する世界ではない。すべての生きる者たちが、世界を保つための一助をして成り立つものだ。ミナが浄化をしてくれるのは大事なことだが、ひとりですべてを背負うものでもないんだ」
聖女の力は大きいけれど、それが全てでもない。
いろんな要因があって、世界は出来ている。
うん。頑張ろう。
私は私のやれることをするだけだ。
地道な努力、上等だ。
職人の修行も地道な努力の連続なのだから。
効果が見えないとかじゃなく、今は目の前の作業を続けることが大事なんだ。
いつでも成果が見えるわけじゃない。
続けることが大事なことって、あるものだ。
しばらく朝の景色を見て、戻ろうとグレンさんが声をかけた。
私が頷いたところで、岩山を蹴るグレンさん。
そして落下する感覚。
あ、待って。それ来るときの再現。
待って待って。怖いからーっ!
「あらあらあら、そんな格好で二人ともお出かけしていたの? もう、グレンが強引に連れ出したんでしょう。ちゃんと服を着てから行けばいいのに。ミナちゃん、冷えてしまっていない?」
ぎゅうっと身を縮めたまま運ばれて、無事に戻れたみたいだ。
お義母様の声に顔を上げ、強ばった顔をほぐすように笑う。
「寒さは大丈夫です。見てのとおり、毛布にこれだけ包まれているので」
「そうね。寒さは大丈夫そうね。でもそれじゃあ怖いでしょう。何かあったときに手を外に出せない状態のまま運ばれるだなんて。ちょっとグレン、これはダメよ。ミナちゃん怖がっていたんじゃないの?」
グレンさんは、そうなのかと問うように私を見下ろす。
怖かったのは本当なので、私は素直に頷いた。
視界の端で呆れた顔のお義父様も、口を開く。
「グレン。番を強引に運ぶと嫌われるぞ」
お義父様の言葉に、少し慌てた顔になるグレンさん。
うん。今回のコレはアウトなやつだ。
二度とやられたくないので、厳重注意だ。
「私に大森林の朝日を見せてくれたのは、嬉しかったです。でも毛布に包まれて、こんなふうに運ばれるのは、怖いから二度としないで下さい」
少し怒った顔で苦情を言えば、グレンさんは力強く頷いた。
「わかった。すまない。二度としない」
反省した顔で約束してくれたので、今後は大丈夫だろう。
私たちが出かけていた間に、お義母様は朝ご飯を用意してくれていた。
促されるまま席に座り、手渡されたスープの温かさにほっとする。
ひと口飲むと、熱い液体がお腹に落ちて、ほうっと息が漏れた。
運ばれた怖さで強ばっていた体が、ほどける。
私の強ばりがほどけているのを見て、お義母様が声をかけてくれる。
「ミナちゃん。ラピドゥラの浄化をしてくれて、本当にありがとう。みんな浄化をしても、少しずつ広がっていくことで、どうなるのか怖いって話していたの。ミナちゃんが浄化をしてくれたら、広がる様子がないそうよ。今は減る感じはないみたいだけど、広がらないだけでもすごいことだわ」
どうやらお義母様たちにも心配をかけていたみたいだ。
浄化を始めて日が経つごとに、口数が少なくなっていたかも知れない。
「グレンさんが、今は濃度を薄めている状態だから減らないんだと教えてくれました。凝縮されたものが薄まったら、減らすことができるから大丈夫だって。このまま浄化を進めますね」
私の口調が明るくなっていたのだろう。
お義母様が優しく笑って頷いた。
そんなふうに気持ちを浮上させながら浄化を続けて。
成果が見えたときは、本当にほっとしたものだ。
浄化を始めて九日目の夕方、ようやく瘴気が減っているように感じられた。
「すごいな。坂が広がって見える!」
ロイお義兄様からもそう言ってもらえて、やはりそうかと気分が浮上する。
良かった。ちゃんと浄化が出来ていた。
キャンプは三日ほどで交替になり、ロイお義兄様は二度目の当番から一緒に帰るところだ。
クロさんが転移してくれるので、当番の交替もスムーズだ。
キャンプに参加しない人たちも、竜人の里の近辺の魔獣討伐はしている。
安全確保のためには、それも重要なお仕事だ。
「帰ったらまた温泉に浸かって、夜はグレンとゆっくりしろよ。ずいぶん気を張っていただろう」
そう言われて、疲れを自覚する。
また肩に力が入っていたみたいだ。
お風呂で疲れがほどける気がしていたけれど、それだけで解決はしない。
ほっとしたのと同時に、疲れを強く感じる。
「連日の浄化は助かったけど、休憩も大事だ。休みも入れながら、やってくれたらいい」
ロイお義兄様だけではなく他の竜人族の人たちも頷いてくれる。
休日を入れて、また浄化をして。
瘴気をもっと減らしてから竜人自治区に帰ろう。
お義父様の「番を強引に運ぶと嫌われるぞ」は、もちろん前科アリです。




