踊る
外に出て、バルコニーの欄干にもたれかかる。夜風と遠く離れた喧騒が気持ちいい。秋も深まってきたのでこの時間のバルコニーは肌寒く、僕一人しかいなかった。
夜空を見上げると、インクをこぼした紙に宝石が散らばっているようだ。空を見れば宝石は手に入るのに、なぜ人は宝石を買い求めるのだろう、なんて哲学的なことをふと考えた。
虚しくなると取りとめもないことを考えてしまう。
寒くなってきたので、中に入ろうかな。
そんなことを考えていると、髪を汗で額に張りつかせ、息を少し切らせたアプフェルが
ちょうど外に出てきた。ブロンドの髪とエメラルドの瞳が地上の天の川と星のように見える。
「あら」
僕の姿を認めると、わずかに顔をほころばせた。
普段の僕なら挨拶の一つでも返せるけど、あれだけの魔法とパーティー会場でのそつのない振る舞いを見せられた直後だったので引け目がひどい。
目を反らして、そそくさと場を離れようとした。
「お待ちなさい」
だけどそんな僕を見てアプフェルは一転不機嫌になる。
「わたくしの顔を見て、どうして逃げるの?」
僕は答えられなかった。
アプフェルの言葉を真正面から受け止める勇気も出なかった。
自分と格が違う人間だと、あらゆる場面で思い知らされた直後だったから。
でもアプフェルは僕を見る目を反らさない。二つのエメラルドが、僕の顔を映している。
こんな、卑屈な僕の顔を真正面から見ている。
なぜ?
こんな人間の顔、見てるだけで不快になるはずなのに。
今まで僕と出会った女子の大半がそうだった。例外は家族とキルシェくらいだった。
僕はアプフェルから目を反らしているのに、アプフェルは僕から目を反らさない。根負けした僕は、喉の奥から声を絞り出すようにしてなんとか返事をした。
「アプフェルと僕は、やっぱり違う世界の人間だって思い知らされたから……」
表現を考えることも、包み隠すだけの気力もなく、思ったままの返事をした。
でもアプフェルは。
そんな僕の返事を聞いてみっともないと叱るわけでもなく。
当然でしょ、と不遜に振舞うわけでもなく。
悲しげに目を伏せた。二つのエメラルドがまつげに隠れて見えなくなる。
「あなた、そんなことを考えてらしたの? むしろそう思ったのは私の方ですわよ」
あまりにも意外な返事に、僕は自分の耳がおかしくなったのかと思った。
そんな僕の様子を見て、アプフェルは額に手を当てて溜息を一つ付くと堰を切ったように喋り始めた。
「あなた、ご自分が何をしたのか自覚がないんですのね。会場整理をしたのはほぼあなたの魔法でしょう? あなたがいなければ、今日の体育魔法祭の進行はもっと遅れたでしょう。地味だとか、華がないとかそんなくだらない考えはおよしなさいな。他者のために役立っているという点で考えるなら、あなたのほうが数段上でしてよ」
「でもアプフェルは、魔法でもダンスでもあんなに称賛されて……」
称賛、と言う言葉を耳にしたアプフェルは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「わたくしは名前も知らない、人となりも知らない他人の称賛など欲しくありませんわ。むしろ今日はまるで道化の気分でしたわよ。すぐに溶ける氷を、あれほどの魔力を用いて創りだす。その前後は教えられた通りに振舞い続けて、挨拶して。日が沈んでも他人を怒らせないように笑顔で接しなくてはならない。侯爵令嬢としての矜持が満たされる時ではあります。しかしわたくしのドレス姿を鼻の下を伸ばして見る学園生、肩や胸元を下卑た視線で見るおじ様がた、一発平手をお見舞いしてあげたいくらいでしたわ」
アプフェルは一気に喋り終えると、バルコニーの白い欄干にもたれて一息つく。
冷え込んできたせいか吐きだした息がわずかに白く染まった。
違う世界、違う人間だと思っていたけれど。
こうして欄干にもたれかかって愚痴をこぼすアプフェルは、どこにでもいる一人の女の子だ。
風に乗って、町の外の山々から微かに緑の匂いが運ばれてくる。
会場からは音楽がかすかに聞こえてきた。
「戻ろうか?」
タキシードの僕と違って、アプフェルは肩も背中もむき出しのドレスだ。
寒いだろうと思いそう呼びかけるけど、アプフェルは首を横に振った。
「これくらいの寒さなら体を動かせばすぐに暖まりましてよ」
アプフェルはそう言ったきり、口を閉ざす。
僕に話しかけて来た時とは違って、目を合わせない。何かを待っているかのようだ。
空気を読めない僕が迂闊に話しかけるより、ここはアプフェルの行動を待とう。
そう思って待つけれど、何も起きない。
「っくしょん」
アプフェルがかわいいくしゃみをしたので、僕は室内にアプフェルを誘う意味で手を差し出す。
それを見てアプフェルは少し逡巡したのち、掌を下にして僕に差し出した。
「……?」
ああ、そういうことか。
僕は一拍子遅れてやっと気がついた。アプフェルの白い手袋に包まれた冷たい手を取る。
「お嬢様。私と一曲、踊っていただけませんか?」
普段の僕なら絶対に言えないような台詞が口をついて出た。パーティーになじめない僕でも、闇夜を通して伝わってくる音楽や熱気といった雰囲気にあてられたのだろうか。
「喜んで、お受けしますわ」
彼女の頬の筋肉がわずかに緩んだのは、気のせいではないと思いたい。
アプフェルの返事とともに、月が白く染め上げたバルコニーの床にステップを踏み出した。




