4-2
居酒屋のバイトから帰ると優は寝ていて、新聞配達のバイトから帰ると幸一が寝る。
2人が出会ってから、そんな生活が1週間ほど続いていた。
初めのうちは少し寂しそうな表情を見せていた優だったが、日が経つにつれ少しずつ表情は薄れてゆき、今日はほとんど無表情で幸一を見送った。
当然どちらかのバイトが休みの日は少しくらい優と過ごす時間もあったが、どうすべきかよく分からず結局大して何かすることもできなかった。優もテレビを見ていたり本を読んでいたりとお互い無言の時間が圧倒的に多かった。
なんだか、悩みの種が増えてしまった気がする。
果たしてこのままでいいのだろうか。――いいわけがない。
どうすべきか。――問題の解決には、その原因を取り払えばいい。
では、その原因とは。――優だ。優さえいなければ
「‥‥何考えてんだよ」
バイトに向かう道すがら、ありえない自分の考えに呆れた呟きを漏らし、その考えを払拭するように頭を振る。
とはいえ、自分に関係ないことに首を突っ込んでしまっていることは事実だ。できるだけ早いうちに、何かしらの解決策は探さなければならないだろう。ただでさえ自分のことで手一杯だというのに、必要以上に他人と関わっている余裕などないのだから。
店について厨房に入ると、織人が幸一を見てわずかに首を傾げた。
「お、こーいっちゃん今日は一段と微妙な顔しとんな。なんかヤなことあったん?」
「‥‥いや、まあ、少し」
あまり悩みを顔に出していたつもりはないが、織人には一目でバレてしまったらしい。
ヤなことあったというか、ヤなことを考えてしてしまっただけだが、間違ってはいない。
「ていうか織人さん、何気に俺の心境とか、割と正確に当ててきますよね」
まあどんな状態でも態度はほとんど変えないが。
「そりゃあ、あれよ‥‥いつも見とるからな‥‥///」
「気持ち悪いんでやめてもらえません?」
なぜか照れながら話す織人への容赦ない言葉は、幸一ではなくホールから。しかし幸一の気持ちを正確に代弁してくれている。
「おいおいっ、オレとこーいっちゃんの友情を否定するなや。友情っていうか、もはや愛情な」
「気持ち悪いんでやめてもらえません?」
今度は幸一の言葉である。本当やめてほしい。
今日は予約もなく平日なこともあり、夜といえど店はあまり忙しくない。いつも通りの織人の絡みを軽くいなしながら、幸一は黙々と仕事をこなしていた。
×××
「お兄ちゃん!」
突如響いた声に幸一はあまりに虚をつかれ、思わず手にしていた皿を落としそうになる。
居酒屋の厨房に現れたのはどうしてここまでやってこられたのか、パジャマ姿のままの優だった。ここに現れたことも驚きだが、それ以上に優の様子がおかしい。
目は大きく見開かれ、幸一を真っすぐに見つめたまま呼吸も荒く(呼吸もちゃんとしてるんだ、なんてつい呑気なことを考えてしまった)がたがたと体を震わせている。
薄着のせいで寒さに震えている、ということではもちろんないだろう。どこか焦点の定まらない瞳には濃く恐怖が刻まれている。
「優、おまえ、なんでここに‥‥」
「んー、なんかあったん?」
織人に声をかけられハッとする。思わず声をかけてしまったが、織人には幸一が突然独り言を呟き始めたように見えたのだろう。なんと言い訳をしようか慌てかけ、
「その子、こーいっちゃんの知り合いなん?」
「――――は?」
思わず、間の抜けた声を漏らして織人を凝視した。
織人の視線の先には――優がいる。
そう、織人は完全に優をその目で捉えていた。突然の子供の出現に驚きつつ、その異常な様子に珍しく戸惑っているようだ。
「どうかしたんですか?」
「なんでもないよっ」
ひょい、とホールからバイトちゃんが顔を出すが、織人が何か言う前に幸一は慌てて織人に詰め寄った。
「織人さん、あの子が見えるんですかっ?」
「はあ? 何言っとんこーいっちゃん‥‥‥‥ああ、ああ、あー、もしかしてアレか。あー‥‥うん、とりあえず正解をどうぞ」
何と言うべきか一瞬迷ったが、しかしなにやら思い当ったらしい様子と、なにより優の姿が見えているという事実にどうにも誤魔化しようがないと悟った。諦めて優の正体を正直に話してみることにする。
「‥‥あの子、幽霊です」
「あー、やっぱそうなんか」
驚くほどあっさりと、織人はその事実を受け入れていた。
「意外かもしれんけど、オレ見えるみたいでな、時々あるんよこーいうこと」
時々あるんよ、って。そんな「俺時々寝言言っちゃうんだよ」みたいな気軽さで言うことではないだろう。
と、色々なことがありすぎて混乱している幸一に優が勢いよくさばりついてきた。腹のあたりに顔をうずめ、ぎゅっと幸一の体を抱きしめる。
「おいおい、それ大丈夫なん?」
さすがに織人は少し慌てた様子で幸一と優を見た。突如幽霊にさばりつかれていたら、事情を知らなければとり憑かれているようにも見えるのかもしれない。
いまだ体を震わせている優の頭を撫で、半ば投げやりな苦笑いを織人に向けた。
「はい、大丈夫です。えっと、その‥‥今一緒に住んでるんです。この子と」
「‥‥‥‥‥‥マジで」
織人はこれ以上ないほどに目を丸くし、幸一と優を交互に見た。
やがて困ったようにぽりぽりと頭をかくと、幸一が持ったままだった料理の皿をひょいっと取り上げ「ネギ焼きできたよー」とホールのバイトちゃんに手渡した。
「まあ、なんかよく分からんけど、とりあえずその子なんかあったんじゃろ。今暇なし、ちょっと外れてもええよ」
よく分からんけどと言いながら、織人はそれ以上踏み込んでこようとはしなかった。
織人はいつだってこうだ。事情の深刻さに関わらず、本人の意思を越えて干渉してこようとしない。いつも以上に今は、一緒に働いているのが彼で本当に良かったと思った。
「ありがとうございます。すぐ戻ってきます」
幸一はしがみついたまま動かない優を抱きあげ、バックルームへと入った。
バックルームとは言っても大して立派な場所ではない。鍵のつかないロッカーがいくつかと経営管理用の古いパソコンが一台、そして隅っこに1つだけ女性従業員用のカーテンで仕切られた更衣室があるだけの簡素な部屋である。
適当な場所に座り込み、いまだしがみついて体を震わせる優の頭をそっと撫でる。
他にどう接すればよいのかよく分からなかった。日を追うごとにぎこちなくなっていく関係に、すっかり優への触れかたが分からなくなってしまっていた。
その体勢のまましばらく黙っていると、少しずつではあるが優の震えも落ち着いてきているようだった。
やがてゆっくりと顔をあげた優の瞳は涙に濡れてこそいないものの、いまだ恐怖に彩られている。
「優、話せるか?」
優はこくこくと頷いて、もう一度幸一の胸に顔を寄せてから話し始めた。
「ずっと1人でね、寂しかったの。だから、お兄ちゃんに会いたかったの」
「どうやってここに来たんだ?」
理由は分からないでもない。今更ではあるが、たとえ幽霊だからといってこんな小さな子に1人で留守番させていたのだ。記憶もなく誰に頼ることもできず、どれほど不安だったかなんて想像もつかない。
しかし幸一は優にこの場所を教えていない。内緒にしていたわけではなく、教える必要がなかったからだ。
ならばなぜと思ったが、返ってきた答えはずいぶん突飛なものだった。
「お兄ちゃんがいる場所は、なんとなく分かるから」
「‥‥? それって第六感みたいなもの?」
「ろっかん? 分かんないけど、分かるの」
本人もよく分かっていないようだが、知るはずもないこの場所に来られた以上、その手のものが備わっているらしいということは確実だろう。
それは誰でも探せるものなのか、身近に過ごした相手だけなのか、それとも幸一だからこそなのか。今の状況ではその解答に辿り着く術はない。
「外、寒くなかったか」
「大丈夫」
「そっか。それで、何があったんだ?」
適当な話題で一拍空けてから尋ねると、優はもう一度胸に顔をうずめてから何度か深呼吸をして、幸一を見上げた。瞳から怯えの色は抜け切っていないものの、体の震えは収まってきている。
「私、お兄ちゃんに会おうと思って、外に出て、お兄ちゃん探して、走って、道路、車が、いっぱいいて」
ぶつぎりな話し方で一言ずつ、優が語ってゆく。そこまで話したところで優は一度言葉を止めた。ほんのわずか、再び瞳に恐怖が宿る。
「私、ぶつからないから、道路もね、まっすぐ走ったの。でも、車、すぐ近くまで来て」
話していてまた思い出したのか、優は再び体を震えさせながらぎゅっと幸一に抱きついた。
その内容から察するに、おそらく優はここに来る途中、ぶつからないと分かっていても一切容赦のないスピードで迫りくる車に恐怖を覚えたのだろう。
同じ状況であればきっと幸一でも十分恐怖を感じる。しかし、優のこの様子はあまり普通ではないように思えた。
幸一はそれだけを聞いて、それ以上の質問をすることを止めた。何度も恐怖を思い出させたくなかったし、なによりわざわざ会いに来てくれたということが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
ほんのわずかでも、こんな子供を突き放そうと考えた自分に腹が立った。関係ない他人だからと優を切り捨てようとした自分に、呆れかえった。バカじゃねえの、どんだけ余裕ないんだよ、と蔑まずにはいられなかった。側にいればいいとか、カッコつけたことを言ったのは自分なのに。
だから幸一は、ほんの罪滅ぼしでしかないのかもしれないけれど、再び優の頭をそっと撫でる。
「ごめんな、ずっと1人にしてて」
「ううん、お兄ちゃん忙しいんだから、仕方ないよ」
「仕方なくない。忙しいフリして、優のこと考えるの後回しにしてただけ。だから全部俺が悪い。ごめんな」
優は一瞬黙って、非の被り合いをやめてわずかな期待を含んだ瞳で幸一を見上げた。
「‥‥じゃあ、もっと一緒にいてくれる?」
縋るような優の視線を受け、少しだけ思考を巡らせてから答える。
「‥‥今日はまだ仕事しなくちゃいけないから、今から一緒に帰ろうとは言えない」
優はひどく不安そうに瞳を揺らす。
「でももうちょっとしたら終わるから、そしたら一緒に帰ろう。だからもうちょっと、待てるか?」
続けてそう言うと、優は頬を緩めてうんうんと何度も頷いた。
「よし、じゃあここで大人しくしてろよ。あー、まあ厨房なら入ってもいいか。来たかったら、着替えてさっきのところおいで。もう1人の茶髪の先輩には話しかけていいから」
着替えて、というのも優の場合少し変な感じがしないでもないが、そう言うと優はさらに表情を明るくした。
織人に優が見えることが分かり、そしてすでに見られている以上今更隠れる必要もないだろう。火や刃物があるので危険な気はするが、優であれば傷つくこともないだろうし。
先に幸一が厨房に戻り、すぐ後に優がそれを追いかけてくる。服装はピンク色のパジャマから、水色のパーカーに白いロングスカートといういでたちへと変化していた。居酒屋の厨房というやや殺伐とした場所にこの格好は若干の違和感を覚えるが、頑張って大人っぽく仕上げましたという感じの服装はちょっと微笑ましい。
「すいません、お待たせしました」
「もう大丈夫なん? あれ、だいぶん可愛くなって戻ってきたな」
優の姿を見て、織人はにかっと笑って普通の人間に話しかけるのと変わらないトーンで優を褒めた。細かいことにこだわらない性格ではあるが、ここまで普通に幽霊少女にリアクションしているのを見ると、感心を通りこして呆れてしまう。
「八咲さん、なにかあったんですか?」
ホールからやや手持無沙汰な風のバイトちゃんがやる気なさげに幸一に尋ねる。その視界には優が含まれているはずだが、彼女は優を見ていなかった。
「ああいや、別に何も」
「ふうん、そうですか」
織人とは違う意味で彼女はあまり他人に干渉しない。興味がないというよりは、興味を失うのがやたら早いという感じか。その一言だけで本当にどうでもよくなったらしく、彼女は再びホールへと引っ込んでしまった。
「ははは、バイト先がここで良かったな」
「‥‥まったくですよ」
本当に織人の言う通りだ。というか、その良かったの要因の1つが自分であることを当然のように認めている。どうにもこの人は掴みどころがないというか、不思議な人で自由な人だ。
「ていうか、その子マジで幽霊? オレ見えるは見えるけど、よー分からんのよな」
ここのお店って美味しいの? みたいな、ごく日常的なことを尋ねるかのような自然さで織人はしげしげと優を眺めていた。
「はい、私幽霊ですよ。ほら」
幸一が答えようとしたのを遮って、意外なほどしっかりとした口調で優は織人の疑問に答え、するりと厨房の壁に半身を埋めて見せた。
「うおお、すげえな。で、こーいっちゃんの彼女なん?」
織人がにやにやとからかうような笑みを浮かべ、優はそれを受けてぼっと顔を赤らめて抗議の声をあげる。
「わ、私とお兄ちゃんはそんなんじゃないですっ! 全然違いますからっ」
彼氏だの彼女だのという言葉に過敏に反応する辺りは、やはりどこにでもいる子供と何も変わらないように見える。どうしても変わっているのは壁に半身を埋めたまま抗議しているという点だが。
なにより意外に思ったのは、優が織人に対しはきはきと受け答えをしていることだ。先程の幸一との会話で少し気がほぐれたというのもあるのかもしれないが、面と向かって会話することが少なかったせいもあり、このような明るく元気な口調には少し驚かされるものがある。
しかし当然のように織人には敬語を使っている優だが、どうして幸一にはくだけた話し方なのか。気を許してくれているというなら、まあ嬉しくはあるけれど。
色々と思うことはあるが、どうやら少しばかり不都合な単語を織人に聞き咎められてしまったようだ。先程の優の返答の一部を抜粋、反復された。
「‥‥〝お兄ちゃん〟? え、その子こーいっちゃんの妹?」
「あ‥‥いえ、そういうわけじゃ、ないんですけど‥‥」
織人は幽霊を見た時以上に複雑な表情をして幸一から視線を逸らす。
「‥‥ああ、アレな。こーいっちゃん、妹萌えってやつなんか。まあ、趣味をとやかく言うつもりはねえけど、いたいけな少女を巻き込んだらさすがに、犯罪っぽいで?」
「違いますからっ! 優が勝手に呼んでるだけです!」
今度は幸一が躍起になって否定する番だった。だが正当な抗議だ。幸一は間違ったことは言っていない。はずだ。
「へえ、優ちゃんっていうんか。オレは榊橋織人な。よろしく」
そして織人はあっさりと関心を優に戻していた。ふざけんな。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」
社交辞令というよりは、大人が使う言葉を使ってみたいという雰囲気で優はそれに答えている。
幸一の様々な気苦労をよそにマイペースすぎるやり取りを繰り広げる2人を見ているとなんだかすごくバカらしくなってきて、思わず大きなため息をついた。
なんかもう、勝手にしてくれ。




