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少女が言うには、彼女は幽霊なのだそうだ。
幸一は幽霊を否定しているわけではないが、別段肯定しているわけでもない。要するに無関心なのだ。
だからといってさすがにこれは、どう考えても荒唐無稽な話である。信じられるわけがない。
今まで幸一自身がそのような現象に巻き込まれたといえば中途半端な心霊写真がせいぜいで、わざわざ心霊スポットを尋ねようと思ったこともない。だから信じる信じない以前に、よく分からないというのが正直な気持ちだった。
しかし突如目の前に現れた少女は、自分は幽霊だと言った。
異常なのは服装だけで、触れることだってできるし、足もある。そんな部分でまず確かめてしまうなんて我ながらずいぶんと古臭い考えだと思ってしまうが、無関心ゆえに幽霊に関する知識などあるはずがなく、それ以外に確かめるすべなど知るはずもない。
しかし少女が証拠だと言って見せてくれたのは、もうそうであると信じるしかないものだった。
――少女は壁をすり抜けて見せた。
マンガなどでもありがちな、幽霊定番の体質(?)だ。
ありがち、とはいっても、それを実際に目の前で見せられては驚く以外に何の反応を示すこともできない。普段の倍くらいの大きさに目を見開いてその様子を眺め、たっぷりと、これでもかというほど間を空けてようやく、幸一はどうにか気持ちを落ち着かせた。
幽霊なんて常識外れの存在、せめて半信半疑でありたいところだが、そんなものを見せられてはどうやら信じる他になさそうである。
そして彼女の語る幽霊、彼女自身というのはおおよそこんな感じだった。
物体をすり抜ける抜けないは、意識的に行うことができる。すり抜けることもできるし、触れることもできる。しかし、物に触れてもそれを動かすことはできない。
眠る、食べる必要はないが、可能ではある。生前の生活習慣のような感覚が残っており、眠気を感じたりもする。
そして――生前の記憶がない。
基本的な一般常識、例えば字を読むこともできるし、日常的な会話であれば淀みなく行うこともできる。幸一の部屋を見回しそこにあるものの名前と用途を言わせてみたところ、本は字がいっぱい書いてある、CDは音楽がかかる、テレビはニュースとか映るなど、大体答えることはできた。
しかし、自分自身に関することになると途端に何も答えられなくなる。自分は誰なのか、どこに住んでいたのか、いつ死んだのか、なぜ死んだのか。そういったことは、何も思い出せないらしかった。
事故か何かのショックによるものなのか、幽霊というのはそもそもそういうものなのか。理由は色々と考えられるが、考えたところで彼女自身が何も分からない以上答えに辿り着くことはできそうになかった。
彼女自身、それらの性質は幸一が帰ってくるまでの時間で色々試してみただけのようで、それ以上詳しいことは本人にも分からないそうだ。
その中で1つ興味深かったことは、触れられるが動かせないという性質。
例えば机の上のコップを持ちあげようとしても、見る限りその取っ手をしっかりと握りしめているが、どれだけ頑張ってもそれを動かすことはできないらしい。重いとか、そういった感覚とはまた違うのだそうだ。
そして壁やドアも同様に動かすことはできず、それゆえ、と言っていいのかどうかは分からないが、叩いてもぶつかっても痛みは無いらしかった。確かに音も立たないのだが、見ている限りはひどく痛々しい。
要するに彼女は現実のモノに対して何かしらの影響を与えることができないということである。ポルターガイストやラップ音といった、いわゆる霊的現象は引き起こせないということだ。
そんな彼女のたった1つの例外、それが幸一だった。
幸一が彼女に触れてみると、子供らしい柔らかくてぽよぽよした感触が伝わってくるし、彼女が幸一の手をとってぶんぶん振ったりすることもできる。
それは幸一だけが例外なのか、人間になら全て触れられるのか、それとも幽霊が見える人間に限定されているのか。そもそも幸一以外の人間にはこの少女の姿を見ることはできるのか。
疑問は山ほどあるが、アパートにいる以上検証するには限界がある。
ということで、幸一は現在、少女を連れて近くのスーパーにやって来ていた。
来た目的は当然、幽霊少女の実態調査である。他の人には見えるのか、声は聞こえるのか、触れられるとどうなるのか、等々。
あまりに常識外れで何も分からない以上、とりあえず人に危害を及ぼさない範囲で調べられることは調べてやろうということだ。今後この少女をどう扱うにせよ、基本的なことは知っておかなければこちらも立ち振る舞いようがない。
移動手段は少女がいるため歩きである。幸一のクロスバイクには荷台がないので2人乗りしようと思うとおんぶするしかないが、それは色んな意味で危険なので迷うまでもなく却下。
少女の服装は先程まで薄手のワンピースだったが、現在は赤いパーカーとデニムのスカートの下にはタイツを履き、さらに白いポンチョを羽織っている。いつも適当なジーパンと地味なコートの幸一とはえらい違いだ。幽霊とはいえやはり女の子ということだろうか。
ちなみにこの服装、当然ではあるが幸一の自前ではない。
ではどうしたかというと、少女が創り出したものだった。
――創り出した。そう呼ぶ以外に、その現象を説明する言葉は見つからなかった。
この季節にワンピース1枚など、その格好はどう考えてもおかしいと幸一が指摘したところ、少女は首をひねってしばらく何かを考え、ふと何かを思いついたように顔をあげると急にその姿が一瞬霧のように霞み――次の瞬間にはこの服装になっていた、という次第である。
さすがに驚いて尋ねると、よく分からないけど服装は自由に変えることができる、ということらしかった。非常に便利なカラダだ。
服のイメージはなんとなく思いついたものだそうだ。それはもしかすると、生前の記憶の断片なのかもしれない。
これでひとまずこの幽霊少女が他人にも見えたとしても、極端に目を引くことはないだろう。他人に見えるかどうかを確認したいとはいえ、悪目立ちはしたくない。
とりあえず現段階では、ここにくるまでには特別な反応を示されることはなかった。
大学生風の男と、小学生くらいの女の子の組み合わせである。犯罪臭が立ち込める、とまではさすがにいかないだろうが、傍から見れば少し違和感のある組み合わせなのではないかと思う。しかし移動中幸一は奇異な視線を向けられることはなかった。
そして今も、他の客の視線を気にして追っているが特別こちらを気にかけている人はいないようだ。
「じゃあさ、とりあえずその辺にいる人に声をかけてみてくれないかな。適当なあいさつで、声かけてすぐどこか行っちゃっていいから。キミくらいの年の子だったら、そんなに変には思われないと思うから」
「‥‥うん」
少女は少しだけ不安そうに幸一を見上げた。その揺れる瞳は幽霊であることなど忘れてしまいそうになるほど、見た目相応の少女のそれだった。
確かに、いきなり見知らぬ大人に声をかけて回れなどと言われれば誰だって戸惑うだろう。
しかし幸一としても彼女自身に行ってもらう他に確かめる方法は思いつかない。幸一が少女を指して「この子が見えますか」なんて聞いて回れば、見えても見えなくても幸一は完全にヤバイ奴だ。
しばらく少女は迷っていたようだったが、やがて意を決したようにぐっと表情を引き締め、幸一の傍を離れてとてとてと近くにいたおばちゃんに向かって歩いて行った。
「こ、こんにちはっ」
少女が声をかけ、すぐにおばちゃんの横を通り過ぎてゆく。商品を見るふりをしながらそれを観察していたが、おばちゃんは全く反応を見せない。よほど他人に無関心か、そうでなければ彼女が見えていない。当然というか、後者が妥当だろう。
ついでに周りの客にも目を向けてみるが少女の行動に目を向けている人はやはりいない。これで少なくとも、誰にでも見えるわけではないということだけは分かった。
自分で確認しておきながら、やはり信じがたい現象だ。幸一の目にははっきりとその少女の姿が見えているというのに、他の人には見えていないし声も聞こえていないというのだ。こんなもの、夢か幻だと言ってくれた方がよほど安心する。
少女が少し離れた場所から不安そうな視線を送ってくるので、幸一は小さく頷いてそのまま続けるよう促した。
少女は始終少し緊張した様子のまま声をかけてゆき、結局少女の声に反応したのは1人のおばあさんだけだった。
少女のあいさつに柔らかい笑顔を返し、すぐ走り去る姿を微笑ましく見送っていた。見えてはいるが幽霊だということに気づいてはいない、という様子だった。
その後は数人に触れてみてもらったが、後ろから背を叩かれても触れられた人は全く気が付いていないようであった。
試しに唯一少女を見ることができたおばあさんに触れてみてもらうと、こちらは声だけでなくそれにも気づけるようだった。振り向いたおばあさんにひどく驚いて慌てる少女を見ていると、さすがに悪いことをしただろうかという気になってしまった。あと、周囲から不思議な目で見られているおばあさんにも。
30分ほどは色々と試していただろうか、幸一のそばまで戻ってきた少女の表情はなぜか少し暗かった。店に着くまではどこか不安そうな表情だったが、今はどこか悲しさに耐えているような表情だ。
話したいことはあるが、他人には見えないと分かった以上下手に声をかけるわけにはいかない。
ついでなので買い物も済ませようと必要なものをカゴに放り込んでレジに向かおうとすると、不意に何かが幸一の手を引っ張った。見ると、少女が幸一の空いた左手をぎゅっと握っている。俯いているため表情はうかがい知れない。
少し迷ったが、幸一はそのまま少女の手を引いてレジへと進むことにした。
左手が空いているはずなのに片手でお金を取り出す幸一を店員が少し不思議そうに見つめていたが、その程度なら許容範囲だろう。幸一自身、今までのバイトで不可解な行動をする客は何度も見ているし。
アパートに帰ると、幸一は少女に先程分かったことを簡潔にまとめて伝えた。
幸一以外にも少女を見ることができる人はごく少数だろうということ。触れられて気づくことができるのも、見える人だけだろうということ。そしてそうである以上、少女の扱いには様々な制約ができてしまうということ。
とりあえずの対応として、寺か神社にでも連れて行けばいいのか。少女は成仏したいと思っているのか。生前の未練とかそういうものは一体何か。ていうかそもそもキミはこれからどうしたいのか等々。
幸一は色々と質問をしてみるが、少女は出かける前に比べて明らかに反応が鈍くなっていた。いくら幸一が声をかけても、中途半端な返事をするばかりでまともな反応が得られない。
「‥‥あの、さ。どうしたの?」
幸一はその少女の様子に困惑し、控えめに尋ねた。先程の店で特別なにか問題があったようには見えなかった。むしろほとんど誰にも感知されなかったのだから、何か起こりようもないはずなのだが。
少女はしばらく俯いたままだったが、やがて小さな声でぽつりと呟いた。
「‥‥私、本当に幽霊なんだね。死んじゃってるんだ」
その言葉に幸一は眉をひそめる。それは、自分が言い出したことではないのか。
初めは少女が自分は幽霊だと言いだして幸一が疑って、しかし今は幸一が少女は幽霊であると確信していて少女自身が疑問の余地がないことに戸惑っている。不思議な構図だ。
少女がようやく顔をあげて幸一を見つめる。その瞳は今にも泣きだしそうに揺れていた。
「‥‥えっと、何で?」
子供の相手は比較的得意だとは思っている。しかし、泣いている女の子の相手はやはり苦手だ。しかも今回の相手は幽霊である。何をどうすればいいかなど分かるはずもない。
何に対して何を尋ねているのかも定かではなかったが、それ以外に何と声をかけていいか分からなかった。
「私のこと、見えるんだよね‥‥?」
「いや、そりゃあ、まあ‥‥」
先ほどから会話しているのに今更そんなことを聞かれても。
そう思う幸一の手を、少女はきゅっと握った。
「私ね、何でか分からないけど、自分で自分が幽霊だって分かったの。もう死んじゃってるんだって。でもね、そう気づいてから初めて会ったのが、その‥‥おにいさんだったから、さっき色んな人に声をかけてね、誰も私のこと見てくれないの。怖かったの。私が今ここにいるのかどうかも分かんなくて、不安になるの。だから私、どうしよう。私、本当にここにいるのかとか、どこに行けばとか、どうすればいいのかな‥‥」
少女の声はひどく震えていて、その瞳に宿る色はもはや不安を通りこして、恐怖にすら至っているのではないかと思えるほど不安定に揺れていた。
感情が溢れるようにこぼれ出る言葉は全く整理出来ていなくて、きっと途中から自分でも何を言いたかったのか分からなくなってしまっているのだろう。しかしそれだけでも、少女の不安な気持ちは痛いほどに伝わってきた。
自分はここにいるはずなのに、誰も自分のことを見てくれない。
評価してくれないとか、無視されているなどという話ですらない。そもそも見えないのだから、周りの人間にはどうすることもできないのだ。
まったく、わけが分からない。幽霊なんて存在、見たこともまともに考えたこともなかったのに、それが突然目の前に現れて自分自身について不安で怯えていて、今その幽霊にすがりつかれている。
わけが分からない――けど、放っておけるわけがない。
自分のために様々なものを、時には冷酷に取捨選択してきたつもりだったが、幽霊だろうがなんだろうが目の前で震える女の子を突き放せるほど、幸一の心は冷めてはいないようだった。
「‥‥俺が見てるよ」
幸一はゆっくりと、不安に震える少女の頭を撫でた。柔らかくて、さらさらした髪の毛だ。とても幽霊に触れている感触だなどとは思えない。
その言葉に、少女は表情を歪めたまま、不思議そうに幸一を見上げた。
「俺はキミのことが見えてる。触れることもできるし、話もできる。俺、幽霊とか全然分かんないけどさ、どこに行けばいいか分かんないなら、ここにいればいいよ。少なくとも、俺はキミがここにいるって、分かってるから」
もしかしたら幸一は、この少女と自分自身を重ね合わせてしまったのかもしれない。
幸一だって、自分のことが分からない。何がしたくて、どこへ向かっているのか。どこかへ向かうことができているのか。どこかへ向かって、それからどうするのか。自分はいったい、どこにいればいいのか。
少女は幸一を見上げ、今までとは違う揺らぎをその瞳に宿らせる。
「‥‥私は、ここにいてもいいの?」
「いいよ。未練があるのかなんなのか知らないけど、キミが満足するまでいればいい」
少女は幸一の言葉を聞くと、さらに表情をくしゃっと歪め、一瞬のためらいの後、幸一の胸に顔を埋めた。嬉しいのと、まだ少し戸惑っているのと半々といった雰囲気だ。それでも、少女は幸一のことを信じてくれたらしい。
「そういえばさ、キミ、自分の名前も覚えてないの?」
ずいぶん今更ではあるが、それ以外のことに気を取られて未だ少女に名前を尋ねていなかったことを思い出す。
少女は体を離し、幸一を見上げるとふるふると首を振った。
「まあ、そりゃそっか‥‥」
自分のことを何も覚えていないのに、都合よく名前だけ覚えているというのもそれはそれで不自然だろう。
幸一はしばらく困ったようにうーんと唸り、天井を見上げたり首をひねったりとよく分からない挙動を繰り返す。
そしてふと動きを落ち着けると、少女をまっすぐに見つめ、言った。
「じゃあ、優、とか」
突然の幸一のそんな言葉に、少女はきょとんと首を傾げる。
「名前だよ、キミの名前。やっぱり、無いとなにかと不便だろ」
「ゆう」
少女は不思議そうな表情のまま幸一を見上げて復唱した。
「そ、幽霊だから、ゆう。でもそのまんまはさすがにどうかと思うから、優しいって字を書いて、優」
「優」
少女は表情を変えないまま、もう一度その名前を繰り返す。
漢字なんてわざわざ決める必要もないのだが、そこは気分の問題だ。希薄な存在だからこそせめてそういう部分が確かであれば、少しでも彼女の存在が確固たるものになる、ような気がする。
「あー‥‥やっぱ単純すぎるかな。気に入らなかったら‥‥えーと、なんか候補でもあれば、どうぞ」
もしかすると記憶の片隅にある生前の本名と食い違ってしっくりこないのかもしれない。幸一としては悪くないと思ったのだが、本人が気に入らないならどうしようもない。
やや苦い表情で促すと、少女はもう一度「優」と呟いて、ぱっと表情を明るくさせた。
「可愛い!」
その日初めて見る少女の――優の笑顔だった。ずっと表情を動かしていなかったせいかどこか大人びて見えた彼女だったが、こうして無邪気な笑顔を見るとやはり子供なのだと思わされる。
「そっか。気に入ってくれたなら良かった」
そう言ってもらえると嬉しいものだ。幸一が安堵の表情を浮かべると、優は嬉しそうにそんな幸一を見つめていたが、ふと何かに気づき一転して困惑した表情に戻る。
「えっと‥‥」
「ん‥‥? ああ、そっか。俺は八咲幸一っていうんだ。呼びやすいように、好きに呼んでくれればいいよ」
「やさき、こういち」
優は幸一の名前を繰り返すと、眉間にしわを寄せて悩み始めた。
「こういち。こういち‥‥さん。こういち、くん。こういちちゃん。こうちゃん。こうちゃん? こーちゃん‥‥」
一番しっくりくる呼び方を声に出して確かめているようだが、なぜその微妙なチョイスを何度も繰り返すのか。さすがにそれは、ちょっとやめてほしい。
しかし、なんだろう。優の声を聞いていると、なぜか幸一の心はざわついていた。その声になのか、しゃべり方になのか、それ以外の何かなのか。
何かが脳裏をよぎり、しかしその一瞬でその何かは思考からシャットアウトされる。優の姿を見て何かを感じ取ろうとしても、即座に何かに遮られてしまう。
やはり優は自分のよく知る人間なのだろうか。しかし仮にそうだとしたら、ここまで何も思い当らないのはどう考えてもおかしい。ならばやはり思い過ごしで、単なる他人の空似か、勘違いか。でもだったら、どうしてこんなにも心が揺らぐのか――
幸一のそんな落ち着かない様子にも気づかないまましばらくぶつぶつと様々な呼び方を繰り返していた優だったが、途端にぱっと表情を明るくして、これだ、とでも言いたげに胸の前でぱちんと手を打つと、嬉々としてそう呼んだのだった。
「お兄ちゃん!」




