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極力気にしないように――なんて、できるわけがなかった。
幸一は混乱しまくった挙句、少女を眠らせたままとりあえずご飯を食べてシャワーを浴び、そしていつも通りバイトへと向かった。
冷静に落ち着いていたわけではない。むしろ真逆だ。本当なら少女を起こして事情を聞くなり、すぐさま警察に行くなり何かしらの対処をすべきだったのだろう。しかしどうにか落ち着こうとした結果、いつも通りの行動をとっていたわけだ。
部屋に1人、謎の少女を残して。
持ってきた荷物の中にはいつも入っている物に加え通帳や現金、そしてハンコ等も入れられている。何かあったら困ると思ったわけだが、根源だけ放っておいてやたら現実的な対処をしている自分がむしろ滑稽で笑える。どうにか外面的な態度だけは取り繕っているが、どうやら自分で思っている以上に混乱しているらしかった。
そして新聞を全部配り終えた後にふと気づくと、なんと4軒もの配り忘れをしていた。
配り忘れた場合は再び配りに走る、わけではない。幸一が配達を受け持っているのは130軒弱で、その中から配り忘れた4軒を見つけるなど不可能に近い。
そういった場合はどうするかというと――諦めるしかない。クレームが来るまで待つ以外に方法がないのだ。
薄紫色に照らされる住宅街の中、幸一は頭を抱えて深いため息をついた。
配達センターに戻るとすぐに所長に頭を下げ、電話があれば再配達に行ってもらうよう頼んでおいた。さすがにいつ来るかも分からないクレームが来るまで事務所で待機させられることはない。
配り忘れることは当然、時々はある。しかし、さすがにその配り忘れが4軒にも上ることは滅多にあることではない。さすがに所長は呆れたため息を漏らしていたが、普段は真面目に働いており基本的にミスが少ないことが幸いしたのか、今後は気をつけろよ、と軽く怒られただけで済ませてもらえた。
――しかし、本当の問題はこれからだ。
帰ったら、今度こそあの少女と対面しなければならない。
もしかしたら、出かけている間にいなくなっているかもしれない。むしろ、そうであってくれると嬉しい。が、そうなるとそれはそれで彼女が一体何だったのか、ものすごく気になってしまうだろう。
いてほしくないが、いないと困る。そんな矛盾した思考を頭の中でぐるぐるとかき混ぜながら重い足取りで自転車を漕ぎ、アパートの前に着くと一度ドアの前で立ち尽くした。
大きく息を吐いて、意を決してドアを開け、
――少女と、目が合った。
少女は今朝見た時と同じ白いワンピース姿で部屋の真ん中にペタンと座り、大きく真ん丸な瞳で、ドアを開けた幸一の目をまっすぐに見つめていた。
ぽけっとした表情で幸一を見つめ続ける少女を硬直したまましばらく見つめ返し、しかしすぐにため息をつくと同時に肩の力を抜いて、部屋へ踏み込んだ。
短絡的で早計かもしれないが、こんな小さな女の子が大きな害になるとは考えづらい。ならば警戒したって仕方がないだろう。
幸一は無言の少女にじっと見つめられながら同じく無言のまま荷物を置き、手を洗ってうがいをして、冷蔵庫からお茶を取り出し一口飲んで、少女の目の前にあぐらをかいて座り込んだ。
「‥‥えーっと」
聞きたいことがありすぎて何から聞けばいいのか分からない。いまだ少し混乱している頭をどうにか動かして、とりあえず口を開いた。
「‥‥寒くないの?」
いやいや、聞いといてなんだがそうじゃないだろう。いや、確かにその通りなのだが。暖房もないのにこんな冬場にワンピース1枚とか、普通にありえない。見ているこっちが寒い。
しかも少女はこくりと頷いてしまった。いや、寒いでしょ。とか思うが確かに寒さに震えている様子ではない。それ以上問いただすのも億劫になり、そんなことよりも(けっこうな異常事態だが)一番尋ねなければならないことを尋ねることにした。
「えっと‥‥キミは、誰?」
普通それを最初に聞くだろうとか思うけど、かなり混乱しているので仕方ないと思うことにする。
少女は幸一の言葉に小さく首を傾げた。少女の柔らかそうな髪がさらりと揺れる。
ぱっと見、小学校中学年くらいだろうか。さらさらと流れるような黒い髪は真っすぐに背中まで伸びていて、シンプルな白いワンピースから伸びる手足は細く、子供特有の丸っこさも感じられる。幸一を見つめる大きな瞳は澄んだ黒色をしていて、その少し下にある小さな唇はぽかんと半開きになったまま。
しかし、こうやって目の前にいて向き合っているというのに、なぜかその少女は儚いというか、存在感が少し薄いように感じられた。
なぜだかは分からないが、触れようとしてもそのまますり抜けてしまいそうな、そんなありえない感覚を抱いてしまうような希薄さがあった。
とはいえ、どう見たってただの子供でしかない。捨てられたとかどこかから逃げてきたとかそういった悲惨さなどは全く感じられない、(服装は異常だが)いたって普通の女の子。
知り合いの線でも考えてみるが、親戚の子供にもこんな子はいなかったはずだしそれ以外に子供の知り合いなどは思い当たらない。じっとその顔を見つめているとなにか記憶の隅に引っかかるものがあるような気がするのだが、それが何なのかどうしても思い出せない。
考えていると、事態が異常なせいかじくじくと頭痛がしてきて頭の中がぐちゃぐちゃと塗りつぶされるような錯覚に陥った。頭を振って、一度その考えを振り払う。
迷子というのも考えてみたが、だとしてもなぜこんなところにいるのかという疑問は消えない。ドアも窓も鍵を閉めていたのだから、そもそも入れるわけもない。本当は閉め忘れていて中から閉めたのだとしても、やはりその行動は不可解すぎる。
「‥‥キミは、どうしてここにいるの?」
少女が首を傾げたまま何も答えないので、幸一は重ねてそう尋ねた。少女はさらに首を傾げて幸一を見つめ、しばらくして小さく首を振った。
「わかんない」
わかんない、と。
わかんないとか言われても、こんな状況こっちの方がもっと分わかんない。それ以上何を尋ねればいいか分からず、うーんと唸り声をあげる。
悩んでいてもなにも分からないので、とりあえず続いての質問を投げてみる。
「あの、お父さんとお母さんは?」
しかし少女はもう一度小さく首を振った。
「いない」
「いないって‥‥はぐれたってこと?」
尋ねると少女はふるふると首を振る。
「ううん。本当はいるけど、私がもういないから、お父さんもお母さんも、いないの」
幸一は少女の言葉にさらに混乱した。何が言いたいのか、全く分からない。
そして少女は幸一を見つけたまま表情を変えず、そう言った。
「私はもう――死んじゃってるから」




