9-3
ゼミ終わり、研究室前の廊下で談笑しながら、千尋は楽しそうに笑う幸一の顔をじっと見上げていた。
「お、どーしたちー様。幸一の身長が羨ましいのか?」
などと茶化してくる結輝を殴りつけながら(そんなこと言う結輝のほうが幸一よりも背は高い)、千尋は思ったことを口にする。
「こーいちってさ、最近‥‥ステキになったよね」
「はあ? ちーさん頭大丈夫?」
バカにしてくる幸一も千尋は容赦なく殴りつける。
「ていうか、なにそれ。どういうこと?」
まあ確かに若干脈絡はなかったかもしれないが、いつものことなので気にしない。
「なんてーかさ、最近のこーいち雰囲気変わったんだよね。会ってすぐの頃は面白いヤツの振りして実は頭固そうだったし、ちょっと前まではなんか情緒不安定だったし、でも最近はだいぶ楽しそう。よく笑うようになったっていうか」
なんだかんだで幸一をボロクソに言っているという自覚はない。最終的に褒めているから万事オッケーと思っている千尋である。
幸一はぱちぱちと瞬きをして、何とも言えない表情を浮かべていた。
「そうね。私もそう思うけれど、千尋は何気に八咲くんのことよく見ているのね。ちょっと妬けるわ」
背中から千尋を抱きしめながら、香織が少し悪戯っぽく笑った。黒髪ロングで長身クール、見た目は素敵な大人の女性なのに言動はちょっと変わっている香織はギャップ萌え可愛い。
「まーね。あたしはこーいちなら付き合ってもいいと思ってたし。前まではキスくらいなら有りだと思ってたけど、今なら抱かせてやってもいいよ。3万くらいで」
などという全国の男の子が泣いて喜びそうな破格宣言に、しかし幸一は呆れてバカにして完全に見下したような残念そうな視線を向けてきやがった。
「‥‥ちーさんってさ、思ってた以上にアホなんだな。ていうか俺ロリコンじゃねーし」
「うお、遠まわしに小さいってバカにすんな!」
「何言ってるのロリコンじゃない」
なぜか背中の香織がからかうような視線を幸一に向けていた。その言葉の意図がよくわからず、千尋は首を傾げて愛衣を見る。
「‥‥ロリっていうには、色々大きめな気もするけど。あいにゃん見た目の割にはおっぱいあるよ?」
「ええっ、な、なんでわたしっ。ていうかちーちゃん、そんなこと言わないでよっ」
千尋の言葉に、愛衣という名の可愛い生き物は顔を赤らめてわたわたと慌て始めた。可愛すぎる。抱き締めたくなってきた。ので抱き締めた。
「あっはっは、確かにアイちゃんじゃロリとは言い難いわな。ま、コーイチのストライクゾーンは小学生だもんな」
「ふざけんな全然違げえよ」
「あらそうなの? 小学生を膝に乗せるのが趣味だと思っていたのだけれど」
「んなわけないって! 変なイメージ広めんなよ!」
結輝と香織にイジられて少しだけムキになっている幸一だが、千尋には何のことを言っているのかやはりよくわからなかった。腕の中の愛衣は口を挟みづらそうに黙っているし、裕也は最初から半分会話の蚊帳の外だ。いつものことだけど。
そうやって感情をあらわにして会話に混じる幸一は、やはり以前と少し変わったように思えた。前はもっと、誰と話している時も常に一歩距離を置いているような雰囲気があったように感じていたから。
だけど最近は明るくなったというか親しみやすくなったというか、ステキになった。というのがやはり千尋の中で一番しっくりくる表現だった。
「こーいちと、最近なんかあったの?」
「だからなんでわたしに聞くのかなっ」
誰より幸一のことをよく見ているであろう愛衣に尋ねると、愛衣はさらに顔を赤くしていた。
ああ、こーいちなんかより愛衣とキスしたい。抱きたい。超可愛い。のでちゅーしようと思ったらさすがに拒否されてしまった。
「まあ、コーイチも日々成長してるってことじゃね?」
どことなく誤魔化されたような気がしないでもない雰囲気で、結輝がいつもの軽い調子でそう言った。
「あ、もしかしてついにやりたいこと発見したとか?」
現在の幸一が明るくなるといえばそれだろうと思って尋ねるも、幸一は難しい顔で視線を逸らす。
「‥‥いや、それに関しては相変わらず」
困った表情の幸一にしかし千尋は慰めの言葉などは一切なく、明るくけらけらと笑いながら幸一の腰に手をまわした。
「そっかそっか、良かった良かった。それじゃ来年も一緒に楽しいバイト生活を謳歌しようではないか」
現在の取得単位数では、千尋が今年度で卒業しようと思うとかなり頑張らなければならない。そして千尋はあまり頑張る気が無い。ということですでに来年は大学5年生をする気でいる千尋であった。
幸一の考え方には賛否両論あるみたいだが、千尋としては細かいことはどうでもよくて、就職しない同期が近くにいるということがなんとなく安心できる。だからむしろ就職すんなとか思っている。色んな意味で最低な思考だった。
「他人事だと思って適当なこと言いやがって」
「何言ってんのさ当たり前じゃんあたしのことじゃねーもん。それに残念だけど、周りからすりゃあたしもこーいちも大して変わんないからね」
「くっ‥‥」
頭をぐしゃぐしゃとされながらもそう言ってやると、幸一は悔しげに口をつぐんだ。
こんな風に就活の話でイジられて普通に乗っかってくる幸一も、以前とは大きく変わった部分だ。以前なら話には合わせてきていても、どこか雰囲気が硬くなっているように感じていたから。
ただ、その変わった原因はやはりよくわからなかった。千尋が見る限り、それほど大きな何かがあったようには思えなかったから。
なんて考えていると少し切なくなってきた。親しい人間が自分の知らないところで変わっていくのは、なんとなく複雑な気分だ。
うってかわって寂しげな態度で千尋は幸一にしなだれかかる。
「‥‥ねー、こーいちー。帰りどっかご飯食べ行こーよー。2人でちゅっちゅしながらいちゃいちゃしよーぜー」
「なんでご飯に誘われてそうなるんだよ意味分かんない。ていうか相変わらず脈絡なさすぎ」
割と本気でイヤそうな顔をされた。ちょっと傷つく。
そしてそんなやり取りを見ていた愛衣が何とも言えない顔をしていた。「愛しのダーリンを盗られて、涙が出ちゃう!」みたいな物憂げな表情(千尋ビジョン)。一体この生き物はどれだけ人を悶えさせれば気が済むというのだろうか。
「‥‥はっ! こーいちなんざこっちから願い下げだぜ! あたしはあいにゃんとちゅっちゅいちゃいちゃしちゃうもんね! ていうかあいにゃん超可愛いんだけど!」
「わあ、ちーちゃんそれどういう流れでそうなったの!?」
「待って千尋。それなら私も混ぜてほしいんだけど」
「香織ちゃんもワケわかんないよー‥‥」
やっぱり香織はちょっと変わった子だ。そしてそこが可愛い。
「ていうかちー様ころころ表情変わりすぎだろ。小学生か」
「誰が小学生みたいに小さいってぇ!?」
「やめて砂城くん。小学生なんて言ったら八咲くんが興奮するわ」
「だからふざけんなって!」
「うーん、しかしこーいちがロリなんじゃあ仕方ないね。んじゃゆーき、あたしと浮気でもすっかー」
「え、ちー様ってアホなの?」
「あたしだって愛を求めてんだよ! やっぱゆーきもムカツクから却下ね。てことで‥‥いや、きぐちは普通に無いわ。あたしゲテモノ趣味じゃないし」
ちらりと裕也に目を向け、しかし即座に半眼で小馬鹿にしつつ目を逸らす。
「‥‥まあ、僕ももうちょっと真面目な人がいいかな」
「え?」「え?」「え?」「え?」
ようやく裕也が会話に加わったかと思った瞬間に、千尋、幸一、結輝、そして香織も同時に聞こえない振りをしてよってたかって徹底的にイジる。いや、もはやイジメの域に達しているかもしれない。が、気にしない。もはや定番のネタだし。
「‥‥もういいよ」
苦笑いで拗ねる裕也に(全然可愛くない)結輝がばっしばっしと背中を叩きながら大笑いしていた。
「あっはっは! どんまいユーヤ。まあ女選ぶ前に、とりあえず鏡見てから考え直せって!」
「あ、でも裕也、丑三つ時には鏡見ないようにしろよ。映った顔見たら、トラウマになるかもしれないから」
「怖いな、嫌だな、って思いながら鏡を覗いたらね‥‥ボクだったの」
「あっはははは! むしろ本物より怖いだろ!」
「イヤ、鏡くらい毎日見てるけどさ」
「え?」「え?」
なんか可哀そうになるくらい全力で幸一と結輝にイジられて、同じネタを受けて再び黙り込む。それでも半笑いな裕也はきっと友達が少ない。
まあ幸一に何があったのかは知らないけれど、悪い変化でないから特にどうこう言う気もないし、こうして楽しく笑っていられるのなら、やはり細かいことはどうでもよかった。
「まあまあきぐちの顔とかどうでもいいからさ、とりあえずみんなでご飯食べ行こっか!」
――そんな感じで、千尋は今日も脳天気だった。




