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Dear you  作者: くらうでぃーれん
8.1人じゃない
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18/26

8


 優が英里と会わなくなって以降、幸一は今まで以上に優と過ごす時間を増やすようになった。バイトにも、時折つれていくようになった。

 優はすぐに笑顔を取り戻し、幸一も優の前では一応の平静は取り戻していた。それでもあの日の英里の顔を、声を思い出すと、心が潰れそうになった。英里は大切な友達を1人、彼女にとっては納得できない理不尽な理由で奪われたのだ。


 後悔しているわけじゃない。他にどうしようもなかった。それでも、英里をひどく悲しませたことには違いない。

 英里を切り捨ててでも優を守ると、それを選んだのは自分のはずなのに。そんな簡単に気持ちを切り替えられるほど幸一は器用ではなかった。

 その苦しみをどこにぶつければいいのか、どこかにぶつけてもいいのかどうかすら分からないまま、1人で悩み続けていた。


 優はそれまで以上に幸一に甘えるようになった。それはきっと気遣いも含まれているのだろうけれど、それ以上に自分には幸一以外にいないのだということをより意識するようになったからではないだろうか。

 その証拠に、と言っていいのかどうかは分からないが、元々ボーイッシュな格好を好んでいた優は、今は特に幸一と似たラフな格好を好むようになった。スカートを履いている姿は見なくなったし、何度か衣装ケースを漁られたこともあった。そして気に入った服と同じ服を着て(実際にそれを着るわけではないので幸一の服はケースの奥深くに沈められる)、お下がりだなどと言って嬉しそうに笑うのだった。


 幸一はそんな優を受け入れていたし、幸一自身も自分には優しかいないのだと思うようになっていった。この痛みを理解してくれるのは、優しかいない。

 自分は1人なのだと思うと同時、優がいてくれる限り1人じゃないのだとも思えるようになった。

 バイト以外ではほとんど人と会う機会もないので、その考えは現実味を帯びて幸一の思考を支配していた。



 そんな心境のまま、幸一はゼミの研究室にいた。

 他のメンバーが卒論の中間発表をしている間も幸一は上の空だった。視線だけは手元の資料に注がれているが、内容は全く頭に入ってきていない。学校にはやはり優を連れて来難く、今は家で留守番をしてもらっている。


「幸一くん、大丈夫? 調子悪いの?」


 ゼミが終わって研究室前の廊下にて、愛衣にひどく心配そうな声をかけられ幸一ははっと顔をあげて無理やりな笑顔を作った。


「ああ、はは、ごめん、ちょっとぼけっとしてた。疲れてんのかな‥‥」


 我ながら、ひどく空虚な声が出ていると思う。しかし今の幸一には言葉を取り繕うだけで精いっぱいだった。

 心配をかけないように、ではなく――干渉されないために。


「バイトしすぎなんだって。ちょっとは休めよ」


 愛衣がそれに気づいているかどうかは分からないが、隣で軽い調子で声をかけてくれる結輝は恐らく察しがついているのだろう。適当な言葉で、話の流れを逸らしてくれていた。


「あ、僕も今日でバイト4連勤で朝5時からだったし明日m」

「うるせえよ聞いてねえよ今こーいちの話ししてんの!」


 裕也が口を挟みかけ、しかし即座に千尋に切り捨てられた。愛衣だけは裕也を気遣う表情を浮かべているが、それ以外のメンバーはいつものことすぎて無反応である。

 そんないつも通りのバカなノリに、しかし幸一はやはりまともな反応を示す余裕はなかった。


「ふむ、では勤労少年のこーいちにご褒美をあげよう」


 そしていつも通りの快活さで千尋は幸一の眼前までひょいっとやってくると、にこやかに腕を伸ばして幸一の頭を撫でた。


「‥‥‥‥っ!」


 ――悲しみと怒りのこもった目。――払いのけられる手。――悲痛な叫び声。

 フラッシュバックのようにそれらの記憶が脳裏をよぎり、幸一は思わず目に涙を浮かべそうになった。

 ぎり、と奥歯を噛みしめて視線を逸らし、千尋の手をそっと握る。そうしないと、振り払ってしまいそうだったから。


「おおう、何このシチュエーション。これはあたしときめいたほうがいいのかな」


 千尋のいつもと変わらない軽いノリにも何も返すことができず、そのままゆっくりと頭の上から手を下ろす。


「‥‥ほら、ちっさいくせに無理するなよ。‥‥俺ちょっと急ぐから、もう帰るわ。じゃあまた来週」


 そして何か反応が返ってくるより前に、幸一はくるりと背を向けて早歩きでその場を去った。


「‥‥こーいち?」

「‥‥あ、あいつ難しい状況だろ、不安定になる時もあるって。ま、ちー様なんかに頭撫でられてプライドが傷ついたんじゃね? 待てよコーイチ」


 結輝はからかいながら千尋の頭をぐしゃっと撫でて、すぐに幸一を追った。


「ほらほら、悩みなら頼れるオレに相談してみろって。‥‥‥‥ゆーちゃんのことか?」


 陽気な調子を崩さないままに幸一の肩に腕をまわし、ふと真剣な口調に戻ると幸一にだけ聞こえるように囁いた。

 幸一が無言で頷くと、結輝は幸一を無理やり引きずるようにして普段みんなが帰るのとは逆方向の門の前へと引っ張っていった。


「なにがあったんだ?」


 大学の外壁に背を預けてしゅぼ、とタバコに火をつけながら尋ねる結輝に、幸一はどこかおぼつかない口調で先日あったことを語った。

 恐らくそれは助けを求めたわけでも、信頼したわけでもない、単なる自白めいた語り。思わず漏らした弱音。独り言の呟きのようなものであり、それ以上のものではなかった。


 幸一自身、それを誰かに聞かせているという意識はなく、すぐ隣にいる結輝のことを見てなどいなかった。

 実際は頼られてなどいないことに気づいているのかいないのか。結輝はただ黙って幸一の話を聞いていた。


「そっか、そりゃあ大変だったな」


 一通り話を聞いた結輝は空に向かって煙を吐き出し、そのまま空を見つめて語る。


「コーイチの言ったことは正しいと思うぜ。その子のことを思うんなら、それでよかったはずだよ。でもすげえよコーイチ。そんなツラい選択、そうそうできるもんじゃないって。その子のために言ったのに、その子に嫌われて自分も傷つくんだもんな。他にどうしようもねーんだから、報われねえよ。‥‥‥‥吸う?」


 結輝は幸一にハコを差し出し、幸一は一瞬迷ったのち中から1本を引き抜いた。ライターを借り、火をつける。半年近くぶりに吸い込む煙は記憶に残っているよりもずっと味気ないものだった。思考が鈍り、そのおかげでわずかながらも気持ちを落ち着けることができた気がした。

 しばらく無言のまま2人はタバコを吹かし、やがて結輝は静かに話し始めた。


「ゆーちゃんはさ、コーイチがいるから友達も諦められたし、今でも笑顔でいられるんだと思う。ツラいのとか悲しいの、コーイチと半分にできるからどうにかなってんだと思うぜ」


 そこで一度煙を吐く間を空けて、結輝は幸一を見る。


「でさ、ゆーちゃんには友達できなかったかもしれないけど、コーイチには友達いるだろ。ゆーちゃんをどうにかできるのはコーイチだけかも知んないけど、コーイチをどうにかできるのはゆーちゃんだけじゃないと思ってる。あんま力になってやれないかもしんないけど、オレがいるし、香織サンだって、相談してくれってこの前言ってたじゃん。ちー様も事情は知らなくても、さっき心配してくれてたろ。もちろんアイちゃんだってそうだ。ユーヤは‥‥知らねえけどさ」


 おどけるように笑う結輝の目は、言葉に反して笑ってはいなかった。


「なあ、コーイチ。お前はもっとオレたちを頼れよ。迷惑かけてくれよ。腹立つー、とか、キビシー、とか言ってくれれば、オレも一緒に言ってやるから。コーイチめんどくせーって思う時もあるかも知んないけど、そしたらその分どっかでキッチリ借りを返させてやるからさ。少しくらい無茶言ったところで、誰もコーイチのこと嫌ったりしねえよ。‥‥それとも、オレたちじゃダメなのかよ」


 結輝の口調は、どこか懇願しているようだった。そして責めているようでもあった。最後まで「友達」を頼ろうとしなかった幸一に、優しくも厳しい視線を向け続ける。

 結輝のその言葉は、まさに幸一が優に言ったのと同じ言葉だった。他人には偉そうに語っておいて、自分も同じことを責められている。


「‥‥ごめん」


 俯いて呟くように答えると――結輝は突然ぐしゃりとタバコを灰皿に押し付け、胸倉を掴んで正面から幸一を睨んだ。


「コーイチ、お前今なんで謝った」


 あまりにも突然な結輝の態度の変化に、幸一は唖然と結輝を見返すことしかできない。


「なあ、何に対して謝ったのか、答えろよ」


 特に何を思っての言葉ではなかったのだが、謝罪を口にした以上無意識にでも何か非を感じている部分があったのだろう。結輝の剣幕に圧されながら、必死に頭を動かして考える。自分が口にした言葉の意味を。

 そしてようやくそれに思い至って、幸一は真っすぐに結輝を見返して口を開いた。


「ごめん。俺さっきまで――結輝のこと見てなかった」


 結輝は表情を変えないまま、幸一を睨み続けている。


「結輝だけじゃなくて、愛衣ちゃんも香織さんもちーさんも裕也も。しんどくていっぱいいっぱいで、優以外のことが何にも見えてなかった。だから、ごめん。見えてないから、頼りようがなかった」

「‥‥‥‥」


 結輝はしばらく無言で幸一を睨み続け――やがて長く息を吐いて幸一を解放すると、再び隣の壁に背を預け、2本目のタバコの火をつけた。

 しばらく無言でタバコをふかしていた結輝だったが、先ほどまでの剣呑な空気は和らいでいるように見えた。


「オレのこと信頼しきれなかった、とか言ったら殴ろうと思ってた」


 そして、淡々と物騒なことを告げた。その口調はあながち冗談でもなさそうだ。


「でも、ごめん。これ完全に自分勝手な苛立ちだわ。オレ、コーイチとはかなり仲良くなれてると思ってたんだよ。だからそれを否定されたのかと思って、腹立った。だからまあ、要は単なる思いあがりなんだけどな。でも、全部否定はされなくて、正直ちょっとほっとした。ていうか、言ってて恥ずかしくなってきたからやっぱり1発殴らせろ」


 後半の台詞はかなり早口になりながら、握り拳を振りまわしてくる。


「ごめん」

「今度は何の謝罪だよコノヤロー」

「結輝の恥ずかしい一面を見てしまったことに対して」


 言いながら、幸一の顔からようやく笑顔が漏れた。結輝はそれを受け、ベシッと幸一の肩を叩いて大きなため息を吐く。


「ちょっとは楽になったか?」

「なった。ありがとな、結輝」

「当たり前だろ。ちぇ、黙って殴っときゃよかった」


 長く白い煙を吐きながら、幸一はもう一度笑顔を浮かべた。

 タバコの煙と一緒に、心の澱も吐き出されていくような気分だ。幸一の中にもやもやとわだかまっていた何かは、目の前に白い煙となって現れ、空気に溶けてゆく。

 幸一がタバコを吸い終えたのを見て、結輝がもう一度ハコを差し出してくる。


「まだ吸う?」

「いや、もういい。タバコ臭いと優に怒られそうだから」


 先日の優の膨れ面を思い出しながら、カバンに入れていたペットボトルのコーヒーを一口煽る。


「ところでさ、結輝。ちょっと相談してもいいか」

「おう、なんでもじゃんじゃん来い」


 煙を吐きながら、結輝が少しだけ嬉しそうに応えた。幸一は「実はな」と一旦間を置いてから、それを打ち明ける。


「小学生の女の子に嫌われてへこんでるんだけど、どうしたらいいと思う?」


 結輝はぽかーんとアホみたいに口を開けて幸一を見返し、やがてぶふっ、とこらえ切れず吹き出すと、そのまま思い切り笑い声を上げた。


「あっはははは! なんだそりゃ! でも確かにそうだよな。今までの話まとめたらそういうことだもんな。あっはっは! ていうかそれ、めちゃくちゃ情けねえだろ!」


 相談を受けておいて散々な物言いだが、幸一も結輝につられてだははと笑った。


「ははは‥‥まー、そうだな。そういう時は酒だよ酒。お酒の力を借りて全てを忘れてしまうのが一番でしょう。そして新たな恋を求めて努力するのです」

「恋じゃねーし」

「照れんなよロリコン。ていうか、マジで今から飲み行こうぜ。今日はコーイチもバイト休みだろ?」

「あー、悪い。すぐ帰るって優に言ってるから、明日以降でもいいか?」


 幸一が首を横に振ると、結輝が呆れたような苦笑を漏らした。


「さっきからゆーちゃんばっかりじゃねえか。あんま言ってると、私とあの子どっちが大事なの?って聞くぞ」

「安心しろ、迷わず優って答えてやるから」


 もう一度だはは、と笑い合い、幸一は月の浮かぶ空を見上げた。街明かりに遮られて星は見えないが、場所を変えればきっとたくさんの星が見えてくるのだろう。

 色々なことを気づかせてくれるのは、優だけではなかった。優には幸一しかいないからと、自分たちの関係を閉塞的なものだと勘違いしていた。


「結輝、ホントにありがとな」

「おう、思う様感謝しとけ」


 自分を見ていなかった。そして、こんな近くにいてくれた人のことも。

 少しずつ色んなものが見え始めたと思っていたけれど、やはり自分にはまだ見えていないものが多すぎる。自分のことが見え始めたと思ったら、今度は他人のことが何も見えていなかったのだから。

 そう思っているうちにふと、ようやく見えていないものが何なのかに気がついた。


 ――ああ、そうか。


 〝何〟が見えていないとかいう以前の話だったのか。

 見えていないのは――〝今〟だったんだ。

 本当にそれは、今更な気付きだった。


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