5-3
「なるほどね。事情はだいたい呑み込めたわ」
幸一の話を一通り聞いて、香織はドリンクバーのホットココアを一口すすった。
普段通りいったんバラバラに別れてから、結輝のメールに従って優を含む4人は再び近所のファミレスに集まっていた。
「はあ、こんな話聞いてよくそんな冷静でいられるな。さすが香織サンだ」
香織の隣には結輝が、先ほどまでメロンソーダが入っていたコップの氷をストローで無駄につついてかき回している。
「そうかしら。慣れているだけだと思うわ。それに砂城くんだって十分冷静じゃない。あと、それ行儀悪いわよ」
「オレは先にだいたい聞いてたからな。聞いた時はまさに驚天動地ってやつだったぜ」
「そう。砂城くんがそんな難しい言葉を知ってることに私は驚天動地だわ」
「ああっ、バカにされてる。オレ今すげえバカにされてるぞ!」
2人の向かいにはホットコーヒーを飲む幸一が座っており、その膝の上で優がオレンジジュースを飲みながら「薄い」と顔をしかめていた。
ちなみにドリンクバーの注文は当然3つ。4つ頼む方が不自然なのだが、なんとなく悪いことをしている気分だ。
「私は昔から、見える体質なの。いわゆる霊感みたいなものが人よりずいぶん高いみたいでね、今までにも何度も幽霊は目にしてきたし、関わらされてもきたわ」
「へえ、知らなかった」
「わざわざ人に話すことではないから」
結輝もそうだが、香織もやはり見える体質について快くは思っていないようだ。疲れたように1つ、息を吐く。
「香織サン、ゆーちゃんが幽霊だって分かってたんだよな。霊感高いと分かるようになるもんなのか?」
「半分イエスね。高いからではなく、そのせいで見慣れているからよ」
言って香織はちらりと優に視線を向ける。
「とはいえ、あまりにきれいな体をしているから少し判断に迷ったけれど」
その言葉に優はわずかに頬を赤くする。
「‥‥香織さん、きれいな体って」
「霊体としての完成度が極めて高い、ということよ」
香織はほとんど表情を動かすことなくそう訂正した。
それで何度もじろじろ睨まれたということか。そう言ってくれないとすごく怖い。
「私は雰囲気でなんとなく分かるようになってしまったけれど、霊っていうのはたいてい、どこかしら体の一部を欠損しているものなの。死の直前直後の姿を保っていることも多いわ。それこそ、血まみれだったり腕が無かったり首の角度が異常だったり。無条件に霊が恐れられる理由の1つはこれでしょうね」
その言葉に(恐らく「血まみれ」という部分に)結輝はわずかに苦い顔をする。
「でもさ、オレには分かんなくて香織サンには分かるんだよな。そんなに見慣れてんの?」
「ええそうよ。砂城くんよりは、というよりほとんどの見える人に比べても、よほど私は霊感が高いみたいだから。それに〝見える人〟ってね、〝引き寄せる人〟でもあるみたいなの。いくら私が避けていても、向こうから勝手に寄ってくるのよ。だからこっちで家を探すのも大変だったわ。ちょっとでも近くに何かいれば、すぐ集まってくるんだもの」
「そーいや香織サン、変に離れたところに住んでるよな」
「ええ、あそこが一番、霊力とでも言えばいいかしら。そういう力が弱い場所だから。そのせいで原付通学しなくちゃいけないんだから、大変よ」
駅も遠いし、と香織は心底参ったように呟いてカップを傾けた。
ふと、香織のその話を聞いて幸一はあることを思いつく。
「ん、てことはもしかして、俺たちが住んでる場所って、ヤバいところがあったりする?」
「あるわよ。たくさん」
あっさりと答える香織の言葉に、幸一は苦い顔をした。そしてそういったことの経験者である結輝は、幸一以上に表情を歪めていた。
「ただし、私みたいに強く引き寄せる人が住めばの話」
そんな2人に、香織はやはり表情は変えないまま淡々とそう付け足した。
「霊ってのはね、基本的には生きている人間には干渉できないの。私みたいに積極的に干渉される人なんて、本当に少数よ。ごく稀にほとんどの人に致命的な干渉ができる悪鬼悪霊みたいな危険な霊もいるけど、そういうのは本当に例外中の例外。わざわざ心霊スポットに足を運ぶバカは別として、見ることもできないような人が霊的被害に遭う可能性は、限りなくゼロといっていいわ。要するに、砂城くんはけっこう危険ってことね」
「‥‥そしてそこに帰結すんのかよ。言われなくても、身をもって思い知らされてるよ」
香織がくすりと笑いながら結輝を見、結輝は苦い顔でそれに答える。
「だから八咲くんは、正直よく分からないわ」
香織はすぐ真剣な表情に戻ると、幸一に向き直る。
「今まで一度も見たことがないと言ったわよね」
「うん、せいぜい心霊写真が限度かな」
「心霊写真なんて9割は光の屈折とかカメラの不具合、もしくは偽造ね。だから普通は、見えない人がこうもはっきり見て触れるなんて、ありえないのよ。八咲くんの言う通り優ちゃんは害のない霊だと思うけど、不思議だわ」
香織の言葉を受け、幸一は優の頭をそっと撫でる。さらさらとした髪の感触がはっきりと手の平に伝わる。本当はいないなんて、信じられないくらいに。
「本当に、生前の知り合いではないの?」
「うん‥‥多分」
「ずいぶんと自信のない返答ね。自分のことでしょ?」
歯切れの悪い幸一に、香織は訝しげな視線を向けてくる。確かにその通りではあるのだが、やはりよく分からないというのが正直なところだ。
「全く見覚えがない、っていうとそんなこともない気がするんだよ。でもいつ会ったのかとか言われると、やっぱり全然分からなくて」
「そう。優ちゃんは、八咲くんに出会った覚えはないの?」
「ごめんなさい。何も覚えてないんです‥‥」
「じゃあ、どうして八咲くんと一緒にいるの?」
「お兄ちゃんといると、安心するからです」
確固とした言葉に、香織は呆れているようには感じられないため息をついた。まあ要するに、結局は何も分からないということだ。
「だけどコーイチの周りに、こんないっぱい見える人がいたのもびっくりだよな」
いつの間に注いできたのか、コーラをストローで吸いつつ結輝が香織を見る。
「砂城くんが見えることも十分びっくりよ。全然知らなかったわ。いっぱいってことは、他にもいるの?」
「バイト先の先輩だよ」
「織人さん!」
優がなぜか嬉しそうに名を挙げ、そうそう、と幸一と結輝は頷く。香織は織人と面識はないようで、反応は中途半端だ。
「ふうん、まあそれも可能性の1つね。周りに見える人が多くいたから、気づかないうちに八咲くんも見える体質になっていた」
「え、そんなことがありえるのか?」
「知らないわ。私は専門家ではないもの。分かるわけないじゃない」
結輝が目を丸くして尋ねると、香織は悪びれなくあっけらかんと答える。
結輝がぐっと言葉を詰まらせているのを尻目に、香織は深く席にもたれかかると改めて幸一と優をじっと見つめた。
「それで、八咲くんはどうしようと思っているの? 色々と調べてみれば優ちゃんをすぐに除霊、というと少し穏やかではないけれど、きちんと成仏させてあげることも不可能ではないと思うわ。そういった方面とのコネも、無いわけではないから」
香織の言葉に、優がわずかに身を硬くしたのを感じた。
確かに、優がこの世のものではないという以上それが最も自然な対応なのだろう。幸一とて、優と会ってすぐの頃はそう考えていた。だから本当ならそれが、幸一にとっても優にとっても一番いいのかもしれない。
だけど今は、そうは思わない。そんな強行に近い手段ではなく、もっと優が納得できる形で、優の意思を尊重してあげたいと思っている。――というのはきっと建前だ。
どう言ったところで結局、その手段に納得がいかないのは幸一自身なのだ。幸一にとって優は、今や成り行きで一緒にいるだけの存在ではなくなってしまっていたから。
幸一はそっと、優の小さな体を抱き締めた。
「いや、そう言ってくれるのはありがたいけど、優のことはもう、俺の問題でもあると思う。無理やり記憶を掘り起こしたりはしたくないし、焦ったりしないで、優のペースに合わせてあげたいんだ。だから優がここにいる理由を知って、優が決断できる時まで、俺が一緒にいてあげたい。出来る限り、俺がなんとかしたいんだ。時間はかかるかもしれないけど、優もそれでいいか?」
迷いない口調で答えると、腕の中の優は一度幸一を見上げてから笑顔で頷き、ぽてんと幸一にもたれかかった。
幸一の言葉に香織はさして意外そうな様子も見せず、小さなため息をついた。
「そう、じゃあ八咲くんのしたいようにすればいいと思うわ。正直私も少しだけ、興味が湧いてしまったから。その結果にも、優ちゃんの存在にもね」
香織は柔らかい笑みを浮かべて優を見つめ、しかしすぐに硬い表情に戻って鋭い視線で幸一を見つめた。
「見慣れているとはいえ、こんなケースはさすがに初めてだから言えることはあまりないけれど、とりあえずそうね‥‥今一つだけ確実に言えることは、今の八咲くんのその状態、かなり危険だと思うわ」
「‥‥それは、俺がこのまま優と一緒に暮らしていけば、いつか命にかかわる危険があるかもしれないってこと?」
真剣な口調で幸一を見据える香織に、幸一は固い声で問い返す。
――が、香織はそれを受けると途端に呆れ全開の半眼でため息をつき、なぜかココアと一緒に持ってきていたスティックシュガーでびしりと幸一を指した。
「誰もそんなこと言ってないでしょ。ていうかさっき、多分害はないって言ったばかりじゃない。そうじゃなくて、八咲くんのその体勢が危険だと言っているの。そんな幼い子を膝の上に乗せてるなんて、ロリコンにしか見えないわ。気持ち悪い。かなり犯罪者っぽい。そーとーヤバいと思うわよ。そんな憂いを帯びた表情で抱き締めちゃったりして、幽霊なんかよりよほどリアルで寒気がするわ。今すぐ通報されてもおかしくないんじゃないかしら」
容赦ない、あまりに無遠慮な言葉を凄まじい勢いで次々と叩きこまれ、幸一は精神的に致命傷を負った。ぐふっと呻いて机に倒れ伏す。
「おいおい香織サン、少しは遠慮してやれよ」
「だって本当のことじゃない。これでもずいぶん優しく言っているわ」
しかし香織はやはり遠慮なく幸一の心をえぐり続ける。
「ろりこんってなんですか?」
優が興味深げに、一番危険な単語について尋ねた。無邪気とは恐ろしい。香織はどうかわすのかと思ったが、
「小さい女の子が大好きということよ。もちろん、性的な意味で」
「ちょっとくらいオブラートに包んで言えよ!」
結輝の渾身の突っ込みにも香織はけろりとした様子で答える。
「だって本当のことじゃない。これでもずいぶん柔らかく言っているわ」
「ちげえよ! 明らかに言いすぎだろ! 後の一言はなくていいだろ!」
「ということは、部分的には合っているということでしょう。なら別にいいじゃない」
「よくねえよ!」
香織の言葉に優は衝撃を受けた顔をして、香織と結輝の漫才など意に介さず恐る恐る幸一を振り返った。
どの程度詳しく理解したのかは知らないが、なんだかいやらしいことだというのは感じ取ったようだ。顔を真っ赤にして幸一の膝の上を降り、少し迷ってその横にぴったりと寄り添った。ジュースは飲みたいらしい。
しかし一度そんなことを言われるとこの状態ですら危険なのではないかと思えてしまう。確かにさっきの状態よりはずいぶんマシなんだろうけど。
「それにしても優ちゃんは、食事をする必要はあるの?」
あれだけ容赦なく人の心をズタズタにしておいて、香織は全く気にした様子もなく興味深げに優に尋ねる。
「お腹は空かないんですけど、おいしいです」
「なるほどね。子供らしくていいわ」
優の答えに、香織は頬を緩めた。
「ロリコンっていえば、香織サンも十分危険だろ。さっきだって、嬉しそうにアイちゃんとちー様に抱きついてたくせに」
「そんなの、親しい仲だからに決まってるじゃない。別に小さいから誰かれ構わず抱きついたりするわけじゃないわ。私は千尋と愛衣が大好きなだけよ」
「おお、けっこう気恥しいことはっきり言うな」
香織は感情表現が苦手な分言葉ではっきりと言い切ることが多い。その影響かさっきみたいに容赦なくいたぶられることもあるけど。
「まあ、何か困ったことがあればいつでも相談して。大した専門知識はないけれど、慣れている分他の人よりは詳しいアドバイスもできると思うから」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
からかわれつつも、香織の心強い言葉に幸一は素直に頷いた。
「お兄ちゃんをよろしくお願いします」
そして優がなぜか恭しく頭を下げていた。お兄ちゃんという呼称については先に説明していたので香織は別段苦々しい反応は見せていないが、どう思っているのかはあまり知りたくない。
「コーイチ、オレは香織サンよりまだ分かんないこと多いけどさ、それでもオレに協力できることがあれば、遠慮せずに何でも言えよ。何ができるか分かんねえけど、できる限り協力するから」
「ああ、困ったら、便利に使わせてもらうよ」
ニヤリと笑って幸一が答えると、結輝も不敵な笑みを返してくる。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「おおっと、ごめんなゆーちゃん。オレ彼女いるから二股はダメだー」
色々と間違っている優の頭をぐしぐしとかき回しながら、幸一は思わず頬を緩めてしまった。
本当にいい友人に巡り合えたものだ。幸一は2人の温かい言葉に感謝して――
「ところで、今の八咲くんと砂城くんの友情らしき会話は、もしかしていわゆるBL的な展開かしら。ソッチの趣味の子が見たら喜びそうね。ウフフ‥‥」
「ちげえっ‥‥! ていうかなんで香織サンそんな恍惚としてんだよ。‥‥ってまさか、香織サンってそーいうの好きなのか‥‥!?」
驚愕する結輝に、しかし香織は先程と同じく、ストンとテンションを落とすと半眼で呆れたため息をついた。
「何を言ってるの砂城くん。そんなわけないじゃない。私は至ってノーマルよ」
「えええっ!? なにその冷たい目線! 悪いのオレなのか!?」
「当然じゃない。人に責任を押し付けるのはやめてほしいんだけど」
「アッハイ、すいません‥‥ってあれえ、なんでオレが怒られてんだ‥‥?」
「びーえるってなんですか?」
再び優の危険な質問が無邪気にぶつけられる。
「男の子同士が愛し合うことよ。もちろん、性的な意味で」
「だからなんでその一言を付け加えるんだよ! 詳しくは知らんけど、ソレぜってー必要ねえだろ!」
「そうなの? 以前友達が見せてくれたものはそんなのばかりだったわ。それにしても私よりずいぶん詳しいのね。やっぱり砂城くんって、ソッチなの?」
「んなわけねえだろ!」
「あら残念。少しくらいホンモノを見てみたかったんだけれど。もちろんできる限り距離は置かせてもらうけどね」
「香織サン、悪霊よりもタチ悪りいぞ‥‥」
容赦ないのは相変わらずだが、今回は香織もけっこう本気で勘違いしていたようだ。というか香織にソレを教えたやつ出て来い。
再び始まった香織と結輝の漫才をやはり気にも留めず、優は青い顔で幸一を見上げた。
「‥‥ろ、ロリコンのほうがまだマシだよ。お兄ちゃん、その、私のこと、好きになってもいいからっ」
「んなわけねえだろ。頭使え」
ぷにっと優の頬をつまんで、縦に伸びた口の中にフライドポテトを突っ込んで黙らせる。
結輝は言い合えば言い合うほど香織になぶられるのをようやく理解したのか、深くため息をついてポケットから黄色いハコを取り出すと、白いスティックを1本取り出し口にくわえた。しゅぼっ、と先端に火をつけると、結輝の口から白い煙が立ち上る。それを見るや、優の目が険しくつり上がった。
「あ、タバコ。結輝さん、大人になってからじゃないとダメですよ」
「え、オレとっくにハタチ越えてんだけど。はは、ゆーちゃんも吸ってみるか」
「こらこら、お前はタチの悪いおっさんか」
べし、と結輝の手を幸一がはたくと、そうするまでもなく優はむすっと結輝を睨んでいた。どうやら正義感はずいぶん強いようだ。
「じゃあ、コーイチは?」
と、結輝のタバコを向ける先が幸一へと向いた。
幸一は喫煙者ではないが、経験はある。少し気になったので数度試してみただけだが、ハマるには程遠いにしろ断固拒否するほど悪いものではないとは思っていた。
数カ月ぶりに1本くらい、と手を伸ばしかけたところで、ベシっ、と優にその手をはたかれた。
「もう、お兄ちゃんタバコなんか吸っちゃダメ! タバコは大人になってから!」
「いや、俺もハタチ越えてるんだけど」
「でもダメ!」
すごい剣幕で怒られてしまった。そんなに悪いことしただろうか。
「あれ、なんでオレにはあんま怒んないの?」
煙を吐きながら若干おどけて尋ねる結輝に、優はキッと厳しい視線を向ける。
「結輝さんは不良なので仕方ないです。でもお兄ちゃんを不良に誘わないでください」
「え、オレ不良なのか」
「髪も茶色いし」
毅然とした態度で言い放つ優に幸一は結輝と顔を見合せ、思わず吹き出した。不良基準がなんだか懐かしい。確かに茶髪は全員不良だと思っていた時期もあった気がする。
優がむう、と膨れてべしべしと幸一を叩く。
「いてえいてえ、俺だけかよ」
「近いから!」
と、優にじゃれつかれていると机の上の携帯が簡素な着信音を鳴らした。見ると、差出人は結輝。宛先はゼミ生全員だ。件名は『のみかいをしませう』。本文には予定はいつが空いているか尋ねる内容が簡潔に書かれている。今の隙に急いで打ったようだ。
「サボったらちー様に怒られるからな。で、いつ空いてる?」
結輝はニッと笑って幸一と香織、そして優に楽しげな、少しからかうような視線を向けた。
しかし優はノミカイというものを理解していなかったらしく、それ以上2人が怒られることはなかった。




