↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/16

第9章 春美の影

 春美さんが高寺先輩の姉で、私の笑い方がその人に似ている。

 その二つを知ってから、今まで気に留めなかったことまで目につくようになった。

 姉と同じ学校へ来て、同じ生徒会で会長になった。

 それだけなら、姉に憧れた妹として不思議ではない。

 むしろ自然なくらいだ。

 でも、高寺先輩自身の「好き」を探そうとすると、いつも少し時間がかかる。

 何を食べたいか。

 どこへ行きたいか。

 何をしたいか。

 そんな簡単なことほど、先輩は迷う。

 一方で、生徒会のことなら迷わない。

 誰に何を頼まれても、ほとんど反射みたいに答えられる。

 その差が気になった。


 放課後、文化祭の過去資料を戻しに資料室へ行った。

 例のアルバムが棚にある。

 私は少し迷ってから手に取った。

 高寺春美。

 その年度を開く。

 前にも見た文化祭。

 体育祭。

 生徒総会。

 春美さんは、どの写真でもよく笑っていた。

 人の輪の中にいる。

 後輩に何かを教えている。

 先生と話している。

 壇上では堂々としている。

 写真だけを見ていると、やっぱり高寺先輩と重なった。

 優秀で。

 人から頼られて。

 自然に人の中心にいる。

 私が知っている高寺先輩と同じだった。

「真夏」

 背後から声がして、肩が跳ねた。

 振り返ると千景先輩がいた。

「びっくりした」

「こっちの台詞。何見てるの」

「昔のアルバム」

「春美さん?」

「……はい」

 千景先輩は驚かなかった。

「知ってるんですか」

「名前はね。高寺のお姉さんだし、元会長だから」

「会ったことは?」

「ないよ。時期が違う」

 千景先輩が私の隣に立つ。

 アルバムを覗き込んだ。

「似てるね」

「高寺先輩と?」

「うん。でも、顔そのものより雰囲気かな」

 私は写真を見る。

「先輩って、入学したときからあんな感じだったんですか」

「あんな感じ?」

「何でもできる感じ」

「ああ」

 千景先輩は少し考えた。

「むしろ今よりすごかったかも」

「今より?」

「一年生なのに、最初から完成してた」

「完成」

「生徒会に入ったその日から、やること全部決めてきたみたいだった」

 前にも聞いた話だ。

 過去の議事録を読む。

 前年度資料を確認する。

 必要な仕事を先回りして覚える。

「会長になりたいっていうのも、最初から?」

「うん」

「迷わなかったんですか」

「全然」

 千景先輩が笑う。

「私がもう一期やろうかなって思ってたくらいなのに、あの子見てたら譲ってもいいと思った」

「そこまで」

「そこまで」

 私はアルバムへ目を戻した。

 春美さんも生徒会長だった。

 高寺先輩は、入学前から自分も会長になると決めていた。

「……先輩って、春美さんの話します?」

「ほとんどしない」

「やっぱり」

「気になる?」

「はい」

 素直に答えた。

「でも、何が気になるのか自分でもよく分からなくて」

「真夏が最近ずっと高寺見てるのは分かる」

「そんな見てます?」

「見てる」

「凛にも言われました」

「じゃあ確定」

「嫌だな」

 千景先輩が笑った。

「ただ」

「はい」

「高寺、真夏が来てからちょっと変わったよ」

「どういう意味ですか」

「困るようになった」

「困る?」

「前は何を聞かれても答えてたの。『何でもいい』『どこでもいい』『大丈夫です』って」

「ああ」

「それって答えてるようで、何も答えてないでしょう」

 私は黙った。

「最近は、真夏に聞かれると考えるじゃん」

「……はい」

「この前なんて、紗季に何食べたいって聞かれて『今日は甘いもの』って言ったよ」

「ほんとですか」

「ほんと」

 少し嬉しかった。

 私が聞き続けたことが、先輩の中に残っている。

「だから」

 千景先輩が言う。

「春美さんのことを知るのもいいけど、今いる高寺のことも見てやって」

「見てますよ」

 反射的に答えた。

 千景先輩が目を細める。

「うん。そうみたいだね」

 急に恥ずかしくなった。

 アルバムを閉じる。


 その日の帰り、高寺先輩を中庭の近くで見つけた。

 一人でベンチに座っている。

「先輩」

「真夏ちゃん」

「休憩ですか」

「うん」

「珍しい」

「最近、休めって言う人がうるさいから」

「誰でしょうね」

「本当に」

 私も隣に座った。

 少し沈黙が続く。

 聞きたいことはいくつもあった。

 でも、そのまま聞いていいものか分からない。

「先輩」

「なに?」

「春美さんって」

 名前を出した瞬間。

 先輩の表情がかすかに変わった。

 でも分かった。

「……うん」

「先輩にとって、どんな人だったんですか」

 先輩はすぐには答えなかった。

「すごい人だったよ」

「すごい?」

「勉強もできたし、友達も多かった。誰にでも優しかった」

「生徒会長で」

「うん」

「何でもできた?」

「何でも」

 迷いのない答えだった。

 私は資料室で見た写真を思い出した。

 たしかに、そう見えた。

「先輩も、春美さんみたいになりたかったんですか」

 先輩の指がわずかに動いた。

「……どうして?」

「同じ高校だから」

「それだけ?」

「同じ生徒会で、同じ会長だから」

「姉に憧れて同じ学校に来るの、そんなに変?」

「変じゃないです」

「でしょう」

 先輩は笑った。

 いつもの笑顔だった。

 でも私は引っかかった。

「じゃあ」

「うん?」

「先輩自身が、会長になりたかったんですか」

 笑顔が止まった。

 一瞬だった。

「……なりたかったよ」

「そうですか」

「どうしたの、今日」

「分かんないです」

 私は正直に言った。

「最近、先輩のことが気になって」

「それは知ってる」

「え」

「よく見てるから」

「みんな言う」

 先輩の口元が緩んだ。

 私は顔が熱くなるのを感じた。

「でも、見ても分かんないんです」

「何が?」

「先輩が何考えてるのか」

「そんな難しい人じゃないよ」

「難しいです」

「そう?」

「好きなもの聞いても考え込むし」

「それは」

「何したいか聞いても分からないって言うし」

「……」

「なのに春美さんのことになると、迷わない」

 先輩が黙った。

「私」

 言葉を選ぶ。

「先輩のこと、もっと知りたいです」

「どうして」

 その質問に。

 答えが、思ったより簡単に出た。

「好きだから」

 時間が止まった。

 自分で言ってから、意味が追いついた。

「あ」

 顔が一気に熱くなる。

「違、いや、違わないけど」

「真夏ちゃん」

「その」

 逃げたい。

 でも、今さら誤魔化せなかった。

「先輩のこと、好きです」

 声が震えた。

「たぶん、前から」

 言ってしまったあと。

 ふいに、ずっと気になっていたことまで口から出た。

「……芳美先輩」

 先輩の目が見開かれた。

 私も、自分で口にしてから気づいた。

 その名前を呼んだ。

 誰にも呼ばせないと聞いていた名前を。

「……ごめんなさい」

 反射的に謝る。

「下の名前、嫌なんですよね」

 長い沈黙があった。

 先輩は何かを迷うように私を見て。

 やがて、小さく首を振った。

「真夏ちゃんは、いい」

「え」

「真夏ちゃんになら、呼ばれてもいい」

 胸が大きく鳴った。

 告白の返事はまだもらっていない。

 それなのに、その一言だけで。

 ほんの少し、先輩の内側へ入れてもらえたような気がした。

 芳美先輩は何も言わなかった。

 驚いている。

 困っている。

 そして、どこか泣きそうにも見えた。

「私」

 先輩がようやく口を開く。

 でも続かない。

「先輩?」

「……ごめん」

「どうして謝るんですか」

「今日は答えられない」

 胸が締めつけられた。

「分かりました」

「真夏ちゃん」

「大丈夫です」

 言った瞬間。

 二人とも止まった。

 前にした約束。

 大丈夫じゃないとき、大丈夫って言わない。

 先輩が悲しそうに笑った。

「大丈夫じゃないでしょう」

「……はい」

「私も」

「え?」

「私も、大丈夫じゃない」

 それだけだった。


 その日は一人で帰った。

 告白するつもりなんてなかった。

 でも言ってしまった。

 好きだから。

 知りたいと思った。

 春美さんのことより。

 春美さんを見ている芳美先輩のことを。

 どうして先輩は、自分のことになると迷うのに。

 春美さんのことだけは、あんなに迷わず答えられるのだろう。

 どうして先輩は、春美さんの歩いた道をここまでなぞっているのだろう。


 その夜、布団の中で考え続けた。

 答えは出なかった。

 ただ一つだけ。

 芳美先輩の中には、私の知らない春美さんが今もいる。

 そのことだけが、妙に怖かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。