極意を伝授される陰キャモブ
マレンコフ師匠に連れてこられた部屋は、どうやらマレンコフ師匠が個人的にトレーニングや精神統一をしている私室、ということらしかった。
かなり広い部屋の至る所にダンベルだのバーベルだのトロフィーだの全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーの写真だの、竹刀だの木刀だの仏像だの鳥居だの怪しげな呪具だのが所狭しと並べられ、一見してこの部屋の主の氏素性を偲ばせるものばかりだった。あと、部屋の各所からほんのりとお父さんの臭いがした。
その部屋の壁際には、一体何に使うものなのか、ブロック塀に使われるコンクリートブロックがうず高く積み上げられ、さながら工事現場の様相を呈していた。
何に使うんだろう、と思って俺はマレンコフ師匠を振り返ったが、そういえばマレンコフ師匠は日本語が話せないことを思い出した。
あ、そういや三津島クロエ抜きでどうやって意思疎通しよう……と俺が今更ながらに困っていると、マレンコフ師匠がのしのしとブロックの方に歩いてゆき、部屋の中心に黙々とコンクリートブロックを積み上げ始めた。
何をするつもりだろう、と俺が黙って見ていると、マレンコフ師匠は十個ほどのコンクリートブロックを積み上げ、ん、と唸って俺を振り返った。
マレンコフ師匠のぶっとい人指し指がうず高く積み上げられたコンクリートブロックを指さしている。これを見ろ、ということらしい。
なんだろう、このコンクリートブロックで何か工作でもするのだろうか……と俺が戸惑っている前で、道着姿のマレンコフ師匠がゆっくりと、身体を開いてコンクリートブロックの前に立ち、両の拳を握り締めた。
途端に、ざわ……と、何だか肌が総毛立つような殺気がマレンコフ師匠を中心に放たれ、空気がひりついたような気がした。
え、まさかマレンコフ師匠、そのコンクリートブロックを瓦代わりに……!?
俺は驚愕に目を見開いたが、マレンコフ師匠はまるでしっかりと大地に根を張る巨樹のように、そよりとも揺らがないまま、音を立てて大きく深呼吸を繰り返している。
途端に、オオオ……と不気味な地鳴りのような音が聞こえた気がして、マレンコフ師匠の背中が、まるで焚き火をしているかのようにゆらゆらと揺らぎ始めた。
燃えている――この人は今、確かに静かに燃えているのだ――。
俺が固唾を飲んで見守っていると、くわっ、とマレンコフ師匠が目を見開いた。
ウオオオオオオオ――――!! という野太い咆哮を発し、マレンコフ師匠が大きく上半身を反らせ、瞬間、バネ仕掛けの玩具のように額をコンクリートブロックに向かって振り下ろした。
闘気を漲らせたマレンコフ師匠の額が分厚く硬いコンクリートブロックと激突し、火花を散らせ、引き裂く轟音が発した。
轟音は一気に連続し、鉄槌と化したマレンコフ師匠の額は、積み上げられたコンクリートブロックに次々と突き立って破壊した。
あまりの光景に慄く俺の前で――マレンコフ師匠の額は、積み上げられたコンクリートブロックのほとんどすべてを破壊し、周囲に破片を撒き散らせた。
もうもうと舞い上がる埃の中、フゥ、と息を吐いて、マレンコフ師匠は立ち上がって俺を振り返った。
何かを確実にやり遂げた表情のマレンコフ師匠の鼻の穴から、次の瞬間、だらり、と赤い雫が滴り落ちたのを見て、俺はぎょっとした。
ああ、流石にやっぱりダメージが……! 俺が狼狽えていると、ぐい、とマレンコフ師匠が親指で鼻を拭い、首を振った。
「慌てるな。これはダメージなどではない。妻との甘く激しい一夜を思い出した故の流血だ――」
不意に、物凄くゴツくて野太い声で、そんな流暢な日本語が聞こえて、俺はぽかんとしてしまった。
どうやら今の日本語を発した主であるらしいマレンコフ師匠は、静かに俺に向き直り、灰色の瞳で俺を見下ろした。
「君に伝えたいことがある、と、先程私は言ったな。今のはしかと目に焼き付けたか?」
「そっ、それはもう、しっかりと……! っていうか師匠、日本語喋れたんですか……!?」
「あまり細かいニュアンスや単語はわからないが、基本的な日常会話に不備はないつもりだ。それよりも君、零宮君。私が見る所、君の中には大いなる才能が眠っている。今の一撃はそのことを君に伝えるための一撃だ」
「え、えぇ? さ、才能、とは……?」
「それに答える前に――零宮君。いざ絶望的な状況下に放り込まれた時、人間が生き残るためには何が必要だと思う?」
このビスケット・オリバが急に流暢な日本語を操り出したこともびっくりなら、矢継ぎ早にそんな哲学的な問いをされたのにも大いに泡を食った。
俺が瞬時考え、結局諦めてわからないと首を振ると、マレンコフ師匠が急に遠い目をした。
「十五年前、私が所属していた部隊はイエメンの紛争地帯に送り込まれた。一面赤茶けた岩と砂の大地で、私たちの一行は武装ゲリラの待ち伏せを受けてしまってな――」
何だか急に、カンフー映画が戦車とヘリコプターマシマシの戦争映画に変わったような、妙な居心地の悪さがあった。
というかこの師匠、一体何者なんだ? そんな修羅場潜ってよく生きてるな。
「相手は重武装の集団でな、どこから撃たれているのかも不明だった。仲間は次々と凶弾に斃れ、命を散らしていった。私も数多く被弾したよ」
そこでマレンコフ師匠は道着の袖をめくり上げた。
脂肪分など一ミリ分もなさそうなゴツい二の腕には、確かに弾痕と思われる丸いくぼみのような傷跡が複数も確認できた。信じがたいが、今語られたことは事実であるようだ。
「もうダメだ、我々はここで全滅するのだ――私は覚悟を決めようとしたが、どうしてもその覚悟は定まらなかった。いやむしろ、何があっても絶対に生き延びたい、生きて帰りたいと……不思議なほどに強く思えたのだ。何故だかわかるかね?」
再びの問いに、俺はちょっと考えるフリをしてから、やはり同じように首を振った。
それを見て、マレンコフ師匠はほんの少し、ほんの少しだけ、目尻を下げて唇の端を持ち上げ、照れて笑ったように見えた。
「もう一度だけ、妻の手を握りたかったんだ。生きて帰れれば、もう一度、妻と夜を過ごすことが出来る。そう考えたら、不思議に死ぬ気も消えて、むしろ生への希望、そして性への渇望が沸き起こってきたんだよ――」
急にわけのわからないオチを話し始めたマレンコフ師匠は、そこで急に表情を引き締め、嘘ではないのだというように、俺に向かって言った。
「零宮零士君。いざ絶体絶命の状況に置かれた時、男の命を繋ぎ止めるもの――それは煩悩だ。強い強いメスへの渇望、絶対に生き残って愛する者と子孫を残すのだという鋼の意志こそ、脆弱な人の肉体を無敵の超人へと変化させ得る、唯一無二の力なのだよ――」
煩悩。その一言に、俺の心が激しくざわついた。
マレンコフ師匠の灰色の瞳が、まるで俺自身を見透かすかのように光った。
「君にはその煩悩が、確かに存在する。それを自由に操り、飼いならすことで全身を硬化させる、私が編み出せしこの奥義――【煩悩大爆発】さえ会得できれば、君は無双の戦士へと変貌を遂げることだろう」
「続きが気になる」と思ったら
お気に入り登録、「★」での評価、
もしくはコメントにて
「( ゜∀゜)o彡°」
とコメントの投稿をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。




