才能を見出される陰キャモブ
出ていけ、煩悩――。
そんな冴えない文言を叫んだその瞬間、なにか全身に未知の衝撃が駆け抜け、俺の全身の細胞が励起するかのような、不思議なざわめきを感じた。
途端、視界に火花のような青白い光が散り――ゴ!! という音とともに俺の頭蓋骨が道場の壁と衝突した。
次の瞬間、襲い来るであろう激痛を待ち受けて身を固くした俺だったけれど。
何故か痛みなど毛ほども感じず、それどころか、頭蓋骨が硬いモルタルだかコンクリートだかの壁を圧し、鋭く突き立ったかのような、奇妙な感触があった。
途端、ミシミシ……と恐ろしげな音を立てて壁が軋む音を立てたような気がして、固く目を瞑っていた俺は、ちょっと驚いて目を開いた。
目を開いた先で、真っ白にペンキが塗られた道場の壁に、まるで火花のような形の亀裂が生じていた。
あれ? こんな亀裂なんてあったか――? と俺が首を傾げてしまうと、パラパラと細かい砂粒が亀裂から道場の床に散らばった。
信じられないことに――この亀裂はたった今、生じた亀裂であるらしかった。
そんな、まさか。俺は有り得べからざる光景に戸惑った。
まさか、この亀裂は俺が作ったのか?
俺が、俺が額でこの分厚い壁を叩き割った――?
如何にこの世界が漫画の世界だとはいえ、そんな漫画みたいなことが実際にあるわけが――。
「えっ、えええええ……!? かっ、壁が割れちゃった……!?」
瞬間、素っ頓狂な声が背後に聞こえ、俺は振り返った。
振り返った先で、柔軟運動の姿勢のまま、驚いてこちらを見つめる三津島クロエと、やはり同じように驚愕に目を見開いたマレンコフ師匠の姿があった。
三津島クロエは立ち上がると、駆け足で俺のところに来た。
「ぜっ、零宮!? アンタ何してんの!?」
「え? な、何をしてる、とは……?」
「そっ、それより頭! 頭は大丈夫!? まさか頭突きで壁を叩き割るなんて! ちょっ、ちょっと見せなさい!!」
言うなり、三津島クロエは俺の前髪を手で除け、顔を近づけて俺の額をしげしげと観察した。
素手で顔を触られて慌てたけれど、黙ってされるがままになっていると、しばらくして三津島クロエが俺の顔を見つめた。
「……信じられない。零宮、アンタ何ともないの?」
「う、うん。痛みもないし、意識もはっきりしてるし……」
「う、嘘……零宮、アンタ自分が今なにやったかわかってる? この壁! これ、今アンタが頭突きで叩き割ったんだよ!?」
三津島クロエが壁に生じた亀裂を指差して俺に言い聞かせた。
「急に煩悩がなんちゃらって叫んだと思ったらこんなことをして……師匠! 零宮が、零宮が急に固くなっちゃったみたいなんだけど!」
三津島クロエがマレンコフ師匠を振り返って叫ぶと、唖然としていたマレンコフ師匠が、急に表情を引き締めて眼光を鋭くさせ、俺に歩み寄ってきた。
身長二メートルをゆうに超える巨漢が人を射殺しそうな目で近寄ってくると、これが怖い。
このぶっとい腕で道場の壁を破壊したバツとしてゲンコツなんぞ喰らったら、一撃で俺は三途の川の向こうに連れて行かれてしまうだろう。
ひぃ、と俺が身構えると――マレンコフ師匠が何事か口を開いた。
「え? 後継者が現れたかもしれない、って……師匠、急に何を言ってるの?」
後継者。その予想外の単語に、三津島クロエも俺もはっとした。
マレンコフ師匠は、最初に俺の顔を、そして次に三津島クロエの顔を見てから何かを納得したような表情になった後、俺の顔に視線を戻し、再びロシア語訛りの英語で何事かを呟いた。
「そうか、彼女のおかげか、って……? え、何? 私が零宮に何をしたの? 師匠、詳しく説明してよ」
三津島クロエのおかげ? 意味不明な言葉に三津島クロエも俺も戸惑い全開でマレンコフ師匠を見た。
マレンコフ師匠は一人で勝手に何かを納得したような雰囲気のまま、再び何事か口にした。
「私にはわかる、是非とも君に教えたいことがある……師匠、もしかして零宮の特性がわかったの?」
その問いにマレンコフ師匠が答えることはなく、マレンコフ師匠は、いいな? と視線だけで俺に命令した。
俺がおっかなびっくり頷くと、次にマレンコフ師匠は三津島クロエに向かって何かを言った。
「え? これだけは私には見せられない、って……師匠、もしかして、私ですら教わってない技があるの? そんな凄い技を零宮は学ぶことが出来る才能があるってこと?」
三津島クロエの問いに、やはりマレンコフ師匠は答えず、厳然と首を振った。
それを最後に、マレンコフ師匠は「Follow me.」とだけ短く告げて、のしのしとどこかへ歩いていく。
なんだろう、俺の才能って。
俺はただ、俺の頭を支配しようとする煩悩を追い払おうとしただけなのに。
俺はただ、三津島クロエのおっぱいを頭の中から消し去ろうとしただけなのに。
自分に喝を入れようと壁に額を叩きつけたら、壁が砕けた、それだけだ。
それを見ただけで、マレンコフ師匠は一体俺の何を悟ったというのか――。
その厳つい後ろ姿を呆然と眺めていると、三津島クロエに背中をどつかれ、俺ははっと我に返った。
「零宮、師匠が塾生に対してこんなことを言い出したのは初めてだよ! 師匠は零宮の才能を認めて、きっと何か教えてくれようとしてるんだよ!」
三津島クロエはその碧色の瞳をギラギラと輝かせ、鼻息荒く俺に説明した。
おっ、おう……? と俺が気後れすると、三津島クロエはなおも言った。
「きっと必殺技、私でさえ教わってない必殺技だよ! 師匠なら波動拳ぐらい出せるかもだし! アンタ、もし可能なら後で何を教わったのかこっそり教えてね?」
「う、うん……」
「ほら、師匠が歩いていっちゃう、ついてきなよ! あっちの部屋は師匠の鍛錬場なの。塾生が招かれたのはアンタが初めて、凄い名誉なことだからね!?」
ほらほら、と促され、俺は気後れしながらも、この無敵塾なる塾の聖域である場所へと誘われていった。
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