野獣と化したお色気枠
んむぅ―――――!? と、俺は突然の事態に絶叫した。
その間にも三津島クロエの舌はぐっちょぐっちょと俺の口中を無遠慮に蹂躙し、ダイソンも裸足で逃げ出す吸引力で唾液を吸いまくり、鼻先を俺の鼻にぐりぐりと擦り付けてきた。
これが三津島クロエの祖国では平均的な挨拶、なわけがない、貪るような熱烈キッスに、俺の頭が灼熱した。
俺が酸欠で、また別の意味でイキかけた時――やっと、三津島クロエの舌が俺の口中から引き抜かれた。
ハァ~、ハァ~……という耳障りな呼吸音をあたりに響かせながら、三津島クロエは両手で俺の頬を挟んだ。
「……血の味がする」
ぽつりと吐かれた、まさに野獣のそれとしかいえないその言葉に、俺の心臓が死にそうに拍動した。
その途端、三津島クロエの全身が力を失い、俺の身体の上にどさりと沈んで来た。
「お、おい、クロエ……!?」
「よかった、よかった……! 零宮が生きてる、よかった……!!」
その言葉と共に、三津島クロエはガーゼだらけの俺の頬に、グリグリと頭を押しつけてきた。
「よかった……ようやく、ようやく好きな人とキスできた……! ずっとずっと、夢だったから……!! その相手が零宮で、私、本当によかったよぉ……!!」
――涙に声を震わせてのその一言に、不意に、俺は理解した気がした。
なんで俺が、あの時ハンカチを差し出してこの人を慰めたのか。
なんで俺が、突然泣き出したり、エロくなったり、情緒が全く安定しない面倒くさい状態のこの人と、それでも一緒にいたいと思ってしまうのか。
なんで俺が、この人が落としたハンカチを見ただけで不安になり、主人公である八百原那由太にもそのことを告げることなく駆け出したのか。
なんで俺が、ボコボコにされながらも床を這いずって身体を抱き寄せ、この人を穢そうとする悪意から守ろうとしたのか。
その答えは、最初から、ひとつしかないような気がした。
いや、そうじゃない。
頭で理解するよりも先に、全身でひしと抱きつかれているのに、奇妙に静かなまままの心が、そのことを真っ先に理解していた。
ああ、これが、これがきっと。
誰に指摘されなくても、教えられなくても、わかる。
興奮でも、焦りでも、狼狽でもない、まるで肌から直接体温を通じて流れ込んでくる、途轍もなく安らかで、眠たくなるような気持ち。
ずっとずっと、この人と全身で触れ合っていたいと思える、底など見えないほどに深い深い安堵の気持ち。
生まれも育ちも、何もかもが違う人間と、それでも今、確かに同じ気持ちを共有しているのだと、疑いなく信じられる気持ち――。
そう思うと何だかたまらなくなり、俺も三津島クロエの背中に手を回し、その小さな背中を撫でた。
「おう、心配かけたな、戦友。俺は生きてるぞ。試しに俺の心臓の音、聞くか?」
「んーん、いい。抱き締めてくれてるから感じる。どっくんどっくんって。おっぱい越しでも感じるよ――」
三津島クロエは声を震わせてそんなことを言ってから、顔を俺の頬から離し、涙の跡が残る目尻に皺を刻み、にんまりと笑った。
「零宮」
「なんだ?」
「助けてくれてありがとうね」
「ま、まぁ、助けられたかどうかはわかんないけどな。結局はお前が全員始末したし――」
「何言ってるの、助けようとしてくれたじゃん? それに、もう俺のものだ、って――言ってもくれた」
そこで三津島クロエが目を潤ませ、再び俺の頬に頭を擦り付けた。
「私ったらホント、なんでアンタのこと、先に好きにならなかったんだろう。こんないいオトコ、世界中どこ探しても見つからないぐらいなのにさぁ――」
「だから、そりゃ言い過ぎだよ。世界で一番いい女」
「そう、私は世界で一番いい女だから。だから私が好きになるオトコが世界で一番なの。つまりアンタが世界最高の、世界一いいオトコなの」
そこで三津島クロエが俺から顔を離し、真っ赤っ赤になった顔で、えへへと笑った。
ああ、ヤバい。今の俺、すげぇ、すげぇ幸せな気分。目が眩みそうだ。
たとえ生前、心臓病が完治していたって、こんな気持ちにはならなかっただろう。
これが――これが、多分、人に恋をする幸福なんだ。
俺がその不思議な幸福感に酔いしれていると、微笑みを浮かべた三津島クロエが、俺の鼻頭を人差し指でつついた。
お返しだ、とばかりに俺も、三津島クロエの頬に手を当て、すべすべの頬を親指で撫でた。
ただそれだけのことなのに、なんだか涙が出てしまいそうになるほど、幸せな気持ちになった。
「零宮ぁ、ここ病院のベッドの上だけど、今日こそ最後までシちゃおうか? ぶっちゃけ初めてだけど私、全然いーよ。妹さんや看護師さんが見てても構わない。動けない零宮の代わりに全力で腰振ったげるよ?」
「バァカ、何を抜かしよる。ここは病院だぞ、医者に怒られるだろ。それに病人には跨るんじゃなくて労れよ」
「見られた方が燃えるっていうじゃん? っていうかもう、見せつけたろうぜ、私たちの愛の力をさ」
「コラコラ、そんなことポンポン言うからビッチだ痴女だって言われんだ、お前は。俺にはいいけど人には言うなよ?」
「言うわけない、言うわけないよ、誰かにこんなこと。零宮は特別だもん」
「っていうかそろそろ離れろ、いい加減。お前が上に乗ってると呼吸が苦しいわ。色々とずっしり重いんだよ、お前は」
「やだやだ、絶対離れない。ずっと世界が終わるまでここで零宮とイチャイチャするんだもん。私が重いなら零宮が上になる?」
「いいや、遠慮しとく。それにお前は色々と重い方が可愛いよ。俺が上になったら流石に理性が保たないし、そこ見られたら俺まで警察病院にしょっぴかれるからさ……」
あはは、と、俺と三津島クロエが鼻先を寄せて笑い合った、その時だった。
「病人が病室でOKな範囲って、私、いいましたよね?」
――不意に、妹のえるの声が聞こえ、俺はぎょっと、三津島クロエごとベッドの上で身体を跳ね起こした。
えるが病室の入り口に立ち、愛らしい顔を限界までひん曲げて、ガリガリと親指の爪を歯で毟っていた。
「私がお兄様を先に好きだったのに……私がお兄様を先に好きだったのに……私がお兄様を先に好きだったのに……」
「えっ、える……!? こっ、これは違う! ち、ちょっと気分が盛り上がっちゃっただけで……!」
「あら、えるちゃん。気を利かせていなくなってくれたのはありがとうだけど、ザンネンながら、もう遅いぜ? 零宮とのファーストキッスは血の味でした♪」
ちゅ、と、三津島クロエはリップ音を響かせて、えるに向かってウィンクしてみせた。
はっ――!? とえるが血相を変えるのと同時に、俺も青くなった。
「ひっ、ヒィ―――――――――――ッツ!! フケツ! お兄様はフケツですッ!! こんな病院のベッドでこんな痴女ビッチに美味しくいただかれちまうなんて!! フケツフケツ!! 最後の皇太弟・愛新覚羅溥儀不潔ですッ!!!」
「そっ、そんな満洲国初代皇帝の弟みたいに言うな! っていうかお前のその明治から戦前にかけての知識はどこで仕入れるんだ!?」
「『朕惟ふに我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。我が臣民克く忠に克く孝に、億兆心を一にして、世々其の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す。爾臣民父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ』……!!」
「ぐっ、ぐわああああああああ……!! や、やめろ! 俺に教育勅語はやめるんだ!! ぐぬぬぬぬ、ぬがああああああ!!」
その後、看護婦長がすっ飛んできて「病院では静かに」との注意を受けるまで、俺はえるの唱える教育勅語による精神的ダメージを受け続けることになったのだった。
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