思いが重いお色気枠
「おっはよ~零宮! 久しぶり! 三日間のお勤め、ご苦労さんでござんした!」
登校している途中、俺を見つけて走り寄ってきた三津島クロエが、がばっ、と俺に向かってガニ股になって頭を下げた。
俺はまだ包帯が取れていない右手でボリボリと頬を掻いた。
「……人の退院を仮出所みたいに言うなよ。どこで仕入れたんだ、それ?」
「んふふ、でも退院でも出所でも、めでたいことには変わりないじゃん? またこうやって登校中に零宮とイチャイチャ出来るのが嬉しいんだもん」
そういって、三津島クロエは実に手慣れた様子で俺の左腕に抱きついてきた。
実に自然な所作で腕を国宝級の大きさを誇る双丘の間に挟まれて慌てたけれど、同時に、ようやく戻ってきた日常への深い満足感も湧いてきた。
もう二度と戻りたくないと思っていた病院からやっと這い出て、この人がいる、陽の当たる世界に再び戻れた満足に酔いしれ、俺は俺の肩に頭を寄せてニコニコする三津島クロエをじっと見つめた。
「んふふ、零宮の腕、意外に太いんだね。それにゴツゴツしてる。ちゃんと男の子の腕って感じだぁ……」
ああ、やっぱりこの人、めちゃめちゃ可愛いな。
これでこの人が一度は恋に敗れた負けヒロインだったなんて、一体この世の誰が信じるのだろう。
こんなに輝かんばかりの魅力を備えた人なのに、なんでこんな素敵な人が俺の側にいてくれるのだろう。
全てが全て、不思議なめぐり合わせとしか思えず、俺はしばらく、今自分が置かれた状況を想って、何も言えなかった。
しばらく無言になったのが不思議だったのか、三津島クロエが俺の顔を目だけで見つめ返した。
「ん? どしたの零宮。私の顔に何かついてるん?」
「いいや、何もついてない。ただお前が可愛いなーと思って見つめてただけで……」
実に自然にこぼれ出た本心を口にすると、ボボッと三津島クロエの白い肌が赤くなった。
同時に、あっ、と俺も不覚を悟り、顔を赤くした。
「んな――!? とっ、突然何なん!? そんなキザなこと平然と口にして!?」
「あ、いや……い、今のは冗談、ではないけど、そっ、その、ホラ! ヨイショだヨイショ! 退院を祝ってくれたことへの単なるリップサービスだ! なっ、何を赤くなってんだよ!?」
俺がちょっと大きな声で言うと、三津島クロエは更に顔を赤くして俺の腕を離し、右腕で自分の口元を隠して照れた。
「ぜっ、零宮アンタ、やっぱりしたたかにボコられておかしくなってんじゃないの? まだ入院してた方がいいんじゃないの!? そんなことポンポン言うキャラじゃなかったじゃん!!」
「ひっ、人をおかしな人間扱いするなよ! 検査でも脳には異常ないって言われたし! おっ、お前こそそんな派手に照れんなよ! この程度のことは言われ慣れてるだろ!?」
「いっ、言われ慣れてるわけないじゃん! 私が好きになった人なんて零宮でまだ二人目だし! やっ、八百原はその、そういうこと積極的に言ってくれなかったし……!」
三津島クロエが顔を真っ赤にして目線を逸らしたのを見て、俺はうぐっと呻いた。
コイツ、やっぱり俺のこと好きなんだな――そう思うとますます血圧が上がり、俺は無言になってしまった。
しばらく、無言で俯き、通学路で立ち止まる俺たちを、同窓の生徒たちは不思議そうにジロジロ眺めながら過ぎ去ってゆく。
なにか言わなきゃ、と焦った俺は、色々と考えた結果、冴えないことを口にした。
「まっ、まぁなんだ、その――俺がお前を可愛いと思ってるのは、その、本心だぞ? ただ普段は恥ずかしいから言わないだけで……」
「もっ、もういい! それ以上言わんでいいって!!」
どんっ、と、三津島クロエが俺の胸板を拳で叩いた。
「もっ、もう! 零宮はそういうとこあるよね! 何とも思ってない人と好きな人とじゃ言われてることの重さは違うの! いっ、いい加減学びなさいよね! そんなんじゃ将来沢山の女の子泣かすよ!?」
「おっ、俺にお前以外に泣かせられる女なんかいねぇよ! こんな陰キャモブ男のこと気に入ってくれてるのなんかもとよりお前しかおらんわ!!」
「だっ、だから――! そういう言い方がよくないって言ってんの! お前しかいない、とか――! あっ、アンタ、どんだけ私のこと好きなの!?」
「うッ――!? ……ああもう、もっ、もうこの話はいいだろ! 遅刻するから行くぞ!!」
俺がさっさと歩き始めると、きゅっ、と、制服の裾を指で掴まれる感触があった。
そのまま、制服の裾を掴まれたまま歩いていく俺、俺の制服を掴んだまま、真っ赤っ赤の顔で俺の後をついて歩く三津島クロエ、という、奇妙な事態となった俺たちを、同窓生たちはますます不思議そうな顔で眺めていた。
しばらく歩いて、学園の校門まで来た時。
「なー君、今日寝癖凄いよ? またゲームで夜ふかししてたの?」
――不意に、この三週間ですっかりと聞き慣れてしまった声が聞こえ、俺と三津島クロエは同時に顔を上げた。
「カナ、いつも言ってるが俺は別にゲーム廃人ではない、幼馴染なら知ってるだろ? 俺は昨日、夜の二時まで自主的に勉強していたんだ。どうだ、ちょいとしたもんだろ?」
「その勉強だって追試でなんとか進級するための勉強じゃないの。ハァ、八百原君、あなたって本当にクソみたいな自分をさも立派な人物であるかのようにのたまうのが得意よね……」
「なッ――!? くっ、クソみたいな、とはなんだよ一葉!? そりゃ追試喰らったのは事実だけど、流石に言い方が酷くないか!?」
「クソをクソと言って何が悪いのよ。薔薇という花を別の名前にしたって香りはそのままってシェイクスピアも言ってるじゃないの」
「あはは、深雪ちゃん。なー君は教養がないからシェイクスピアなんて読んだことないから響かないと思うよ?」
「かっ、カナまで俺を馬鹿にして! シェイクスピアぐらい俺だってナナメ読みしたことぐらいあるわ! たっ、ただちょっと、書いた人の名前が思い出せないだけでな……!!」
このラブコメ漫画世界、『シュレディンガーの恋』の主人公、八百原那由太と、ヒロインである一葉深雪、二階堂奏が、いつものように両手に花で夫婦漫才を繰り広げていた。
はっ、として俺が後ろを振り変えると、案の定、三津島クロエはそれを見つめてから、しゅんと視線を下に落としてしまった。
かつてはあの中に混じり、お色気枠ヒロインとして、八百原那由太に繰り返し色仕掛けを仕掛けていた三津島クロエ――。
如何に俺のことを好きになってくれたからと言って、一度は負けヒロインという身分になった彼女のことを、このラブコメ世界はそう簡単には諦めてはくれないようだ。
不誠実でもなんでも、やっぱりまだ主人公への恋心を完全には断ち切れてはいない様子なのも、ラブコメ漫画世界の強制力というものなのだろうか。
可哀想……と思いかけて。
いいや、と俺は内心で首を振った。
この人を憐れむんじゃない、励まさないと。
それがこの人の戦友である俺の役目じゃないか。
そう思った俺は、咄嗟に三津島クロエの左手を、包帯が巻かれた右手で取った。
はっ、と、三津島クロエが顔を上げて俺を見た。
「え、零宮――?」
「おい、クロエ。何を三番目のお色気枠負けヒロインでございって顔してんだ。お前には絶対に似合わないから、金輪際もうそんな表情するのはやめろ、な?」
俺は顔を赤くしながらも、必死になって三津島クロエを励ました。
「それにその、ホラ、俺たちが如何に今、幸せなのかを見せつけるのが俺たちの戦い……そうだろ、戦友?」
その一言を唖然とした表情で聞いた三津島クロエの顔が――数秒もかかって、徐々に徐々に、桜色に色づいていった。
言うだけ言って、恥ずかしさのあまり顔を背けてしまった俺に向かって。
三津島クロエが満面の笑みを浮かべた。
「うん――うんっ! そうだ、そうだった! 私、もう零宮の戦友なんだよね! ごめんごめん、思い出した!!」
きゅっ、と、三津島クロエが俺の右手に指を絡めて、俺の右手を握り返してくれた。
じとじとに手汗をかいているのがわかったのか、三津島クロエがこれぞ三番目のお色気枠ヒロインの笑み、という感じで、にひひと意地悪く笑った。
「ぜーろみや?」
「……なんだよ?」
「好き」
「おう」
「大好き」
「うっ、うん」
「好き好き大好き、超愛してる」
「あ、あぁ、そうかい」
「大人になったら結婚しよ?」
「うっ、うん⋯⋯そうだな」
「えっ、マジ? いいの?」
「むしろ望むところだよ」
「私、めっちゃ重いよ?」
「病院でのし掛かられたから知ってる」
「体重とかおっぱいの重さのことじゃないよ?」
「お前の愛が体重より更に重いのも知ってる」
「重すぎて肩凝ると思うよ?」
「おっぱいみたいに言うな」
「おっぱいごと、私のこと抱えていられる?」
「これから鍛えるさ」
「あはは、嬉しいなぁ」
「そりゃよかったよ」
「それと、私のおっぱい揉みたい?」
「流れでセクハラ発言するな」
「そっかぁ、やっぱ揉みたいかぁ」
「勝手に納得するな」
「揉みたくないの?」
「……機会があったら是非」
「んふふ、素直でよろしいぞ、未来の旦那様」
三津島クロエは俺の右肩に頭を寄せて、幸せそうに微笑んだ。
「心配しないでいいよ? 私が奥さんになる前に、零宮にはいつかたっぷりとおっぱい揉ませてあげるからさ――」
幸せいっぱい、それ以上におっぱい、というような、エロい笑顔を浮かべた三津島クロエの愛を殊更に重く感じながら、俺たちはようやく校門の中に吸い込まれていった。
第一章完結です。
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