引きずるお色気枠
そう、二階堂奏。このラブコメ漫画『シュレディンガーの恋』の二番目のヒロインで、主人公の八百原那由太に思いを寄せる幼馴染枠のヒロインだ。
控えめで、おっとりしていて、引っ込み思案だけど、抜群に家庭的で、よく作中で八百原那由太に手料理を振る舞って喜ばせていた。
当然、零宮零士に転生した俺はまだお目にかかってはいないし、会話したこともないキャラクターである。
「あ、いや、ほら! 二階堂さんって八百原那由太と仲いいし、なんか家庭的な人っぽいだろ!? そうなんじゃないかなーって思っただけだよ!」
俺が誤魔化すと、三津島クロエは俺の顔をじーっと見つめてから、フッと失笑した。
「まぁ、確かに二階堂さんは料理得意だよ。私もご馳走されたことあるもん。八百原のやつ、鼻の下デレデレ伸ばして、二階堂は将来はいい奥さんになるなーなんて褒めてたっけ」
ケッ、と最後に鋭く吐き捨てた三津島クロエを、俺は目を丸くして観察した。
三津島クロエはそこで箸を逆手に持ち替え、ドスッ! と唐揚げを串刺しにした。
「だいたい何よ、幼馴染って。小さい頃からほぼほぼ兄妹みたいな感じで育ってきたならさっさとくっついちゃえばいいのにさ。知ってる? 八百原と二階堂さんって家がお隣同士で幼馴染なの」
迷った末に俺が頷くと、ケッ、と再び三津島クロエが鋭く吐き捨てながら、唐揚げを頬張って荒々しく咀嚼した。
「それなのに二階堂さん、恋心なんておくびにも出さずに八百原の側で控えめな子ぶっちゃって。どうせ幼馴染だから私がいくら八百原にアピールしても対等じゃないんだぞ、って余裕だったんでしょ。ホント、あの人は油断のならない人だった――」
「そっ、そうそう、そうなんだよな! おっとりしてるように見えて二階堂奏ぐらい怖いヒロインはいない! それに八百原那由太も八百原那由太なんだよ! 散々お前にも二階堂奏にも思わせぶりな態度取ってなぁ――!」
俺は思わず、ラブコメ世界のモブではない、『シュレディンガーの恋』のファンそのものの声を上げた。
「ほら、お前らと八百原那由太が海に行ったときあったろ!? あの時、お前が先に一緒に花火見ようって誘ったのに、アイツ直前になって迷子になった二階堂奏を探すって言って走り出して、結局森の中で二階堂奏と二人きりで花火見やがっただろ!? いくらなんでもアレはナシだよなぁ! お前が不憫すぎて見てて涙が出たわ!」
俺が言うと、なんで知ってるの、というように三津島クロエがぎょっと目を見開いたが、次の瞬間にはそんな驚きも吹っ飛んでしまったかのように目に怒りが燃えた。
「そうそう、あったあった! 思い出した! あのときはホント八百原を絞め殺してやろうと思ってたのに! そしたらアイツ、森の中で転んで捻挫した二階堂さんをおんぶしてボロボロになって戻ってきた! あんなん見せられたら怒るに怒れないっつーの! 二階堂さんも凄く幸せそうな顔して八百原にひっついちゃってさぁ!」
「そうだよな、完ッ全にメスの顔してたもんな、あのときの二階堂奏! アレ見たらいくらなんでも自分のこと好きなんだなってわかるだろ!? それなのにその後も鈍感ムーブかまし続けるか普通!? 二階堂奏を妹分じゃなくて一人の女として見るって発想が最初からなさすぎなんだよな、アイツは!」
「そうそう、めっちゃわかる! アイツは鈍感とかいうレベルじゃないの、一種の異常者なの! 私が何回アイツにおっぱい押しつけたと思う!? 好きでもない男にあんなことするわけないじゃんね!」
「あーもう、マジそれよ! 普通お前みたいないい女に下着姿で保健室のベッドに押し倒されたら我慢なんかしないし出来ねーって! あれだけ据え膳されて何故に襲っちまわないですかね!? 根本的にアイツの中のオスは死に過ぎなんですよ!」
俺たちが一息に八百原那由太への積もりに積もった憤懣を一頻りぶちまけると……ぐすっ、と洟の音がして、三津島クロエの目尻に涙が滲んだ。
「……それでもさぁ、あんな鈍感男をさ、好きになっちゃったんだよねぇ……」
ああ、やっぱり――この人は原作ファンの俺が思っている以上に、一途な人であったらしい。
指先で涙を散らして、ハァ、と三津島クロエはため息を吐いた。
同時に、いっけね、ついつい零宮零士が知ってるはずのないことまで喋りすぎた――と、俺は頭から血の気が引く音を耳の奥に聞いた。
「あ、あの、クロエ。今のはホラ、なんというか、そうなんじゃないかなと思っただけで――」
「いいわよ、今更どんな誤魔化し方してるの。なんでなのか理由は知らないけど、零宮は知ってるんでしょ、私たちのこと全部。そうでなきゃ保健室で私が八百原にしたことなんて知ってるはずないし」
断定的な口調で言われて――俺はとうとう、観念した。
「あ、ああ。まぁ、そうだな。でっ、でも、別にこれは俺がお前のことをストーカーしてたとかではなくてな……」
「それもわかる。たとえアンタが私のストーカーだったところで、二階堂さんと八百原が海でしたことまで知ってるわけがない。言わないってことは理由は隠したいんでしょ? 聞かないでおいてあげる」
「おっ、おう、助かる……」
「ねぇ、零宮」
「あ、ああ、なんだ?」
ハァ、と、三津島クロエは全身が萎むようなため息を吐いた。
「アンタの目から見て、私、どうだった? やっぱりアンタも私のこと――ビッチだなぁって思った?」
急にそんなことを問われて、俺は息を呑んだ。
「知ってるんだ、周囲が私のことビッチだ痴女だって噂してんの。そりゃ否定できないよね。いっつもいっつも八百原に飛びついてアピールしてたもん。それぐらいしか気を惹く方法なんて思いつかなかった。ただでさえ八百原はあんな鈍感男なんだし……」
三津島クロエは目の縁に涙を浮かべてそんなことを言った。
「それでもね、恋してる間はね、周りなんか見えないんだよ。どうにかして私に幸せな結末が降りてきますように、って私、四六時中祈ってた。途中から絶対ダメだ、ってわかってたのに、私、それでも諦められなかった――」
ぐすっ、という洟の音とともに、三津島クロエの碧眼が涙で滲み始めた。
「ホント、私って最悪だよ。あんな痴女みたいなことばっかりして、それなのにあんな呆気なくフラれて、情けなくて情けなくて――。あ、ダメだごめん、ごめん零宮、やっぱり私、まだ全然吹っ切れてない。昨日慰めてもらったのに、ごめんね、こんな愚痴ばっかり言って――」
弁当を傍らに置き、溢れ出てくる涙を必死に拭っている三津島クロエを見て、改めて酷い話だと、俺は真剣に憤った。
何度も言うが、お色気枠の三番目ヒロイン、それはラブコメにおいては一種の鬼門、約束された負けヒロインの特等席だ。
往々にしてその椅子は、幼馴染であるとか、小さな頃に結婚を誓い合った仲だとか、そういう特別な絆を主人公と持ち得なかったヒロインが座らされる椅子だ。
だから――必死になって体を張るしかない。
馬鹿になりきって痴女になりきって、その暴力的なまでのメスをアピールするしか道はないのだ。
そのたびに、自分は選ばれない側の人間なのだと、繰り返し刷り込まれても。
それでも絶望的な戦いを終わるまで続ける他ないポジション――それが三津島クロエに命じられた役割だったのだ。
理不尽だ――。
再び、思えばあまりにも残酷に過ぎる彼女たちの境遇を憎んで。
「……情けないなんて言うなよ。その気持ち、凄くよくわかるし」
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