弁当を食べるお色気枠
昼休みになった。
俺は誰かに何かを尋ねられる前に教室を抜け出し、やや駆け足で、昨日三津島クロエが手酷くフラれた現場である校舎裏に来た。
間もなく夏を迎えるというのに、日当たりの悪い裏庭はなんだか湿っぽく、肌寒く感じた。
それでも、「生前」は散歩するどころか、外に出て季節を感じることさえ簡単にはさせてもらえなかった俺は満足だった。
どうやら零宮零士は存在感は薄いが五体満足な人間のようだし、飛んでも走っても心臓が痛くなったり、息が切れたりしない、それだけで御の字だ。
俺がそのことに深い満足を感じていると……じゃり、と足音が聞こえ、俺は音がした方を振り返った。
三津島クロエ――昨日、ここでその一世一代の初恋を散らした女が、なんだか気まずそうな表情のままこちらに歩いてきていた。
おう、と、どう反応していいかわからない俺が小さく唸ると、後ろ手にランチボックスと思しき包みを持った三津島クロエも、うん、と、どう反応していいのかわからなさそうな声で応えた。
「ここでは昨日ぶり、ね」
「あ、うん。そうだな」
「昨日、慰めてくれてありがとうね」
「いや、いいよ、俺がやりたくて勝手にやったことだし。むしろ迷惑じゃなかったか?」
「んーん、全然、むしろありがたかった。ただ、あんな情けないところを誰かに見られたのだけは屈辱だけどね」
あはは……と三津島クロエは笑ったけれど、その声はパサついていて、明らかに元気がなかった。
そりゃそうだ、一年以上にも渡った三津島クロエの壮絶なまでの片思いは、昨日、彼女の敗北で幕を閉じたばかりなのだ。
「ところで、用事ってなんだ?」
「あ、うん。――はい、これ」
俺が促すと、三津島クロエは後ろ手に持っていた何かを俺に差し出してきた。
見ると、昨日俺が手渡したハンカチとは違う、袋に包まれたままの、男物の新品のハンカチだった。
思わず三津島クロエの顔を見つめると、三津島クロエは苦笑した。
「返さなくていい、っては言われたけど、流石にもらいっぱなしは嫌だしね。それにあんなに涙も鼻水も染み込んだハンカチ、洗ったとしてもそのまま返すのは心苦しいし」
「……本当に気にしなくていいのに。こんな丁寧に新品のハンカチなんて……」
「いいからもらってよ。昨日のお礼なんだから。私、アンタのあのハンカチには結構救われたしさ。あれがなかったらまともに家に帰れなかったんだよ?」
「そこまで言ってもらえるなら、有り難く受け取るよ。ご丁寧にどうも」
なんだろう、三津島クロエって、こんな結構なことが出来る娘だったんだろうか。
作中ではどちらかというと、豪快で、奔放で、あまり細かい気配りとは無縁そうな人だと思っていたのに。
俺が初めて見た、彼女の意外な一面に感心しながらハンカチを受け取ると――三津島クロエが話題を変えた。
「それはそうと零宮、アンタ昼食は? 持ってきてないの?」
「あ~、うん。俺ってなんというか、あんまり食に興味が湧かない人間らしくて」
「そうなの?」
「うん。ちょっと事情があってさ、何を食べていいかわからないんだよな」
「何よそれ、どんな事情があればそんな風な人間に育つわけ?」
少し考えたけれど、俺はこの世界に、この物語にとってはモブでしかないし、多少原作と違うことを言ったところで影響はなかろう。
結局、俺はありのままの事情を話すことにした。
「小さい頃、というかなんというかな、身体弱かったんだ、俺」
「え――?」
「ずっとずっと、生まれた頃から病院食しか知らなくてさ。健康になった今も、あんまり自発的に何かを食べようって気にならないんだよ」
俺は曖昧に濁したが、それは零宮零士という男に転生した「俺」が今朝感じた本心だった。
生前、心臓に重大な欠陥を持っていた「俺」は、生まれてこの方三度三度味のしない病院食しか口にしてこなかった。
だからいざ零宮零士という男に転生しても、何を食べていいのかわからず、また自分が何を食べられるのかわからず、結局手ぶらで学校に登校していたのである。
俺の説明に案の定、三津島クロエはしゅんと視線を下に落としてしまった。
「……ごめん。そんな重い話だって知らなくて」
「気にしてくれるな。そもそも人に話すような話じゃないからさ」
「じゃ、じゃあ零宮」
「あ、うん」
三津島クロエが少し迷ったような素振りを見せ、階段に腰かけた俺の隣に座った。
途端に、華やか、としか言えない香りがすぐ間近に漂って、俺がドキリと、健康になった心臓が強く収縮するのを感じた。
「私のお弁当、少し食べてみる?」
は――と俺が呆気にとられると、三津島クロエが多少慌てたように押し被せてきた。
「あの、ほら、結構私ってこう見えて昼食はガッツリ行くタイプだから。量が多いの。多少減っても平気だよ? それに昨日のお礼も兼ねて、だから、ね?」
なんだか急き込んだようにそう言われて、俺はその勢いに負けた。
「あっ、ああ、ご丁寧にどうも。それなら――少し味見するぐらいは」
よかった、と、三津島クロエが何だか莫大に救われたような表情で、小さく笑った。
原作漫画では決して見ることがなかったその繊細な表情に、俺は再び、決して嫌ではない感じで心臓が収縮するのを感じた。
「じゃ、ほら。どうぞ」
三津島クロエがランチボックスの包みを開けると――生前の俺が一度も見たことのない、まるで宝石箱のように色とりどりの料理が姿を表した。
おお、と、俺はその瞬間、真剣な驚きで感嘆した。
「わぁ……凄いな、俺が食べてた病院食とはなんだろう、彩りが違う……!」
「もっ、もう、たかがお弁当で感動しすぎでしょ。で、どれ食べたい?」
「そ、そうだな。出来ればこの卵焼きもらっていいか!? 食べたことないんだよ!」
「え、そうなん? 卵焼きも食べたことないの?」
「そもそも食べたことがあるかどうか覚えてないんだ。じゃ、じゃあ、食べていいか?」
「はいはい、どうぞ」
三津島クロエが俺の掌に卵焼きを置いてくれた。
俺はしげしげとそれを観察して、おっかなびっくり、口へと運んだ。
「……美味い」
次の瞬間、俺は何の躊躇いもなく、その言葉を口にした。
「うわっ、なんだろう、ちゃんと味がする……! 油の味? っていうか、なんか複雑な味が……!」
「もっ、もう、たかが卵焼きで感動しすぎでしょ。まさか本当に食べたことないんだね」
「凄い、美味い! 食べ物が美味しい、ってこういう感覚なんだな……!」
しばらく、そのあまりにも鮮烈な感動に打ち震えていた俺は……はっ、とあることに気がついた。
「え……もしかしてこの弁当って、お前が作ってるのか?」
「そう。これでも色々グラドルってのは大変なんだよ? 少しでも余計なお肉がついちゃうとマネージャーさんに怒られちゃうしね」
三津島クロエはそう言って、自分も卵焼きを頬張った。
しばらく、その情報に驚いてしまってから、俺は思わず口にしていた。
「そ、そうなんだ……知らなかった……お前ってこんな器用なこと出来るんだな」
「あっ、今の発言ひどくない!? もしかして私が料理も出来ない女だって思ってたの!?」
「あ、いや、違うんだ。ほら、作中で料理が得意なヒロインといえば二階堂奏だと思ってたからさ……」
「え、二階堂さん? 零宮、アンタ二階堂さんとも知り合いなの?」
三津島クロエが驚いたように言ったのを聞いて、はっ――!? と俺は失言を悟った。
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