闘うお色気枠
己の親指を城ヶ島五郎の手の甲で固定して、三津島クロエは城ヶ島五郎の右手をこれでもかとばかりに捻り上げた。
間合いに踏み込んで相手の重心を崩し、掴まれた腕を文字通り逆手に取り、逆に極め返す――三津島クロエ必殺、合気道の技である。
「あーら、情けない男。簡単に口説き落とせると思ってた後輩女に這いつくばらされる気分はどう?」
「ぐわああああああ……! ちょ、ちょちょ、タンマタンマ……! うっ、腕が折れる……!!」
「いい? チャラ男先輩。世の中にはアンタの思い通りにならない女なんてごまんといるの。中にはこうやって口説かれただけで腕の一本も持っていける女だっているってことを――今後は肝に銘じた方がいいと思いますよ?」
そう言って、三津島クロエはようようのことで極めていた城ヶ島五郎の腕を離した。
城ヶ島五郎は左手で捻り上げられた右手首を掴み、唸り声を上げて額を地面に押しつけ、全身で息をしている。
今この場で骨を折られなかっただけで儲けもの、というようなやられぶりに、ギャラリーが息を呑んで城ヶ島五郎を見つめた。
う、うおお、カッコいい……!
あまりにも鮮やかに柔よく剛を制してみせた三津島クロエに、俺は心がブルブルと震えるのを知覚した。
そう、この三津島クロエというヒロイン――大の格闘家、作中一の闘えるヒロインなのである。
その目立つ容姿故に子どもの頃から各種変態の格好の標的となっていた三津島クロエを心配し、北欧出身のお母さんは彼女に徹底的に己の身を守る術を習わせた。
その英才教育のお陰で三津島クロエが会得した格闘技は幅広く、柔術、空手、合気道、CQBやクラブ・マガなどの軍隊格闘術、一部はカポエィラからムエタイまで。
その技の冴え渡ることは作中でも何度か登場し、その極上の身体を好き放題にしたがる各種ナンパ男やゴロツキどもを次々とやっつけていたのだったっけ――。
なにはともあれ、これで作中一の噛ませ犬、ネームドモブは成敗された。
俺がその事実に少し安堵のような気持ちを覚えていると、パッ、と三津島クロエが顔を上げ、雑踏の中に俺を見つけた。
「あっ、零宮おはよう!」
その瞬間、冷酷な殺気を湛えていた三津島クロエの顔がぱっと輝き、人混みを縫って俺のところにやってきた。
やってくるなり俺の手を両手で取り、三津島クロエは他の何も目に入らない様子で微笑んだ。
「どう? 今の見てくれた!? 凄かったでしょ私!」
「あ、ああ、うん。凄かった凄かった。お前、そういや格闘技マニアなんだっけな」
「そうそう! お母さんに習わされたの! だから零宮も注意してよね! 私を裏切って他の女に走ったりしたら骨の二、三本は折っちゃうかもだから!」
「え、縁起でもないこと言うなよ……!」
俺が顔を歪めると、そこでようやく気づいたというように、ん? と三津島クロエが俺の隣りにいる八百原那由太を見た。
「あ、八百原もいるじゃん。なんだ、《《いつからいたの》》?」
その言葉を聞いた瞬間、八百原那由太が、少しだけ、ほんの少しだけ、愕然と目を見開いたように――俺には見えた。
一瞬、そんな馬鹿な、というように表情を強張らせた八百原那由太は――それでも次の瞬間、二、三度頬を震わせ、苦笑顔を浮かべた。
「あ、ああ……最初から零宮の隣にいたぞ。なんだ、気づかなかったのか?」
「ああ、ゴメンゴメン。別に無視したわけじゃないんだよ? 零宮の顔がまず目に入ったからさぁ」
「あ、ああ、いいんだよ別に。ささ、一葉、俺たちは行こうか」
「え……? ちょ、八百原君……?」
「いいからいいから。零宮と三津島を邪魔しちゃ悪いだろ? お邪魔虫は退散だ」
なんだか急き込んだように口を動かし、八百原那由太はさっさと踵を返して昇降口へと歩いていくのに、一葉深雪もややあってから追従した。
その何だか妙なやり取りを不審に思ったのは三津島クロエも同じらしく、三津島クロエは目を半目にしてその背中を眺めた。
「なんだ? 八百原のヤツ。今日は何だか妙によそよそしいじゃん」
その一言を聞いて、俺もちょっと不安になって去ってゆく八百原那由太を眺めた。
え? まさかアイツ、三津島クロエに一瞬でも無視されてショックを受けたのか?
まさか、とは思ったけれど、三津島クロエもいう通り、何だかフッた後の気まずさとは違う理由で、明らかに今の八百原那由太の態度はよそよそしかった。
「まさかな……」
何だか妙に肩を落としたような八百原那由太の背中を見ながら俺が思わず呟いた、その瞬間。
「何が『まさか』なのですか、お兄様」
不意に、背後にえるの声が発し、俺は振り返った。
途端に、三津島クロエもうげっと声を上げた。
「ぜ、零宮の妹さん……! いたの!?」
「ああクロエさん、昨日の夜はたっぷりとウチの兄がお世話になってしまったようですみません。それで、お兄様の童貞をいただいた感想は如何でしたか?」
くす、と薄く笑いながらのえるの言葉に、三津島クロエは一瞬、ピキ……と表情を強張らせかけたが、ふと、再びこれ以上は出来まいというドヤ顔になり、えるに向かって顎を上げた。
「ああ、そういえばご馳走様でした、ね。えるちゃん、あなたのお兄さんってなかなか立派なイチモツをお持ちだったわよ? 昨日たっぷりと可愛がらせてもらったから」
「んな……!?」
その衝撃の一言に、えるがぎょっと目を見開いたのと同時に、俺もヒエッと悲鳴を上げた。
「んな、く、クロエさん。ま、まさか本当にお兄様の純潔を……!?」
「さぁ、どうだったかしらねぇ。でもとりあえず、イツモツは握ったわね。それどころか掴んで撫で擦ってあげるぐらいのことはさせてもらったから。そうよね零宮?」
「くっ、クロエ! おまっ、な、なんてことを妹に……!」
「ひっ、ヒィィイイイイ―――――――――――ッツ!! フケツ! お兄様はフケツです!! こんな脂肪の塊みたいな人に本当に食っちまわれたなんて!!」
「えっ、える! 声が大きいって……!!」
「イヤッ、イヤッ!! 黙ってください! やっぱりお兄様の声は乳臭いですッ!! この最低のヤリチン男! お兄様なんか魔神ブウみたいにこの乳に取り込まれてしまえばいいんですッ! うわああああああああん!!」
朝の爽やかな登校時間が、妹のえるの悲鳴によって揺れていた。
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