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俺の妹が鬼畜すぎる

「お、おい、える、いい加減背中から降りて自分の足で歩いてくれ……」

「ふん、昨日あれだけ怒ってあげたのにまだそんな減らず口を叩けるなら、まだまだお兄様には絶望が足りないと見えますね? ――『(ちん)(おも)ふに我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、国を(はじ)むること宏遠(こうえん)に、徳を()つること深厚(しんこう)なり。我が臣民(しんみん)()(ちゅう)()(かう)に、億兆心(おくちょうこころ)を一にして、世々(よよ)()()()せるは……』」

「ぎゃあああああああ!! もっ、もうやめてくれ! もう教育勅語(きょういくちょくご)は勘弁してくれ! 夢の中にまで出てきたんだぞ、それ!!」

「なぁにを仰る。こんな可愛い妹をほっぽっておっぱいさんと不純異性交遊するような不埒分明(ふんみょう)なお兄様にはありがたい明治天皇の御心(みこころ)をたっぷりと聞かせて再教育してあげませんと。……ほら、歩みが止まってます。さっさと歩かないとふたりとも遅刻ですよ?」

「ぐ、ぐぐ……! この妹、見た目は天使なのに言動が悪魔すぎる……! 背中に感じる妹の重さがこれほど憎く思えたことはねぇ……!」




 ぜぇぜぇと、寝不足と疲労感に足元がふらつく俺と、その背中に背負われ、傲然とふんぞり返っている妹のえるを、学友たちが目をまんまるにして見つめている。


 そう、昨晩の遅くなった帰りをこってりと妹に絞られることになった俺は、床の上に垂らされたガムシロップを舐め取らされるという屈辱に震え、何故かこの妹が普段から暗記している教育勅語を五十回復唱させらる苦痛に耐え、妹の肩と腰とふくらはぎと腕を丁寧に一時間ほどマッサージさせられたところで、ようやく解放された。


 この見た目天使、中身は支配の悪魔である妹はそれでも俺を許す気はないらしく、俺は今、この妹をおぶったまま家を出て、衆目環視の下で学園の門をくぐろうとしているのであった。




「ああ、周囲の視線が痛い、痛いですね……。このザマを見た数少ないお兄様の友人たちはなんと言うでしょうかね。こんなに可愛い妹に奴隷扱いされてるお兄様はなんという幸せものかと祝福してくれるでしょうか。……ああ、そういえばお兄様に友達なんて一人しかいませんでしたねぇ」




 奴隷に輿(こし)を曳かせる女王様そのものの冷酷な声で、えるは朗々と言った。




「あの泥棒猫、昨日身も心も籠絡したはずのお兄様が、今日は身も心も妹の私に支配されている様を見たらどう思うでしょうか。きっと嫉妬に狂って私をぶち殺したいと歯ぎしりするでしょうか。ククク、考えただけでも愉快ですねぇ……」

「だっ、だから、昨日はクロエとは、その、ちょっとは何かあったけど、お前が思ってるようなことは何も……」

「何かあった、とは認めるんですね?」




 えるの鋭い指摘に、俺はぎょっと目を見開いた。




「あ、いやいや! 何も、何もなかった、何もなかったんだよ! 訂正する訂正する! 今のはちょっと口が滑っただけで……!」

「『(ちん)(おも)ふに我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、国を(はじ)むること宏遠(こうえん)に、徳を()つること深厚(しんこう)なり。我が臣民(しんみん)()(ちゅう)()(かう)に、億兆心(おくちょうこころ)を一にして、世々(よよ)()()()せるは……』」

「ぐ、ぐおおおお……! おっ、俺の耳元で教育勅語を復唱するな!! 昨日もう一生分聞いた、聞いたから……! ああああああ!!」




 背中におんぶしたえるの口から耳元へ、まるで脳に直接流し込まれるようにして教育勅語を囁かれ、俺はたまらずに悶絶した。


 この状況がまるでわかっていないのだろう学友たちは、俺たちの姿を見ると驚いた表情になった後、数秒後には理解を諦めたような表情で肩を竦めて離れてゆく。


 そんなこんなでようやく俺たちが学校の正門をくぐったあたりで、俺はふと、多数の人間の気配を感じて顔を上げた。




「ん? なんだ――?」




 顔を上げた先で――ここ一週間ですっかりと見慣れてしまった銀色の髪が見え、俺ははっとした。


 多数の生徒が昇降口に吸い込まれようとしている流れを堰き止めるかのようにして、三津島クロエを取り囲んだ多数の生徒たち。


 明らかに面倒くさそうな表情のまま、指先で髪をいじくっている三津島クロエの前に、何だか派手な髪色をした男子生徒が何やら声を張り上げている。




「噂は聞いたよ、三津島クン! 君、ようやく叶ってフリーになったらしいな! やはり君のような女子があんな冴えない男子生徒に入れ込むなんて最初から何かの間違いだとは思っていたんだけれど……これでようやく君と込み入った話ができそうだな!」




 ――なんだか、如何にも三文ラブコメの当て馬キャラ、という感じで、金髪の男子生徒は白い歯も眩しく微笑んでみせた。


 その瞬間、三津島クロエとその男子生徒を取り囲んだ女子生徒が何人か、悲鳴のような黄色い声を上げた。




「知っているかもしれないが、改めて自己紹介するよ、三津島クン! 僕は三年の城ヶ島五郎、サッカー部の主将を務めてる男だ! ああ、君の方からの自己紹介はいらない、君は有名人だからね!」




 キラッ。そこで再び、男子生徒は白い歯を見せて微笑んだ。


 この学園では珍しい着崩した制服の出で立ち、名門校として各種定められている校則の存在など生まれてこの方知りませんというような、高級ブランドのロゴ入りの小物と各種シルバーアクセサリーで完全武装した男子生徒。


 それなり以上に端正なのに、何故だかひと目見て拳を叩き込みたくなるようなスカした顔立ちに――あろうことか、なんだか見覚えがあるような気がした。


 誰だっけ誰だっけ誰だっけ、と、生前の「俺」の記憶と零宮零士の記憶を呼び起こして、結局俺は記憶の想起を諦めた。




 俺のような陰キャでも会話ができる、それなりに知ってる奴が誰か……と周囲に人を探して、俺は背中のえるに言った。




「える、降りてくれ」




 ゴネられるかと思ったのに、場の空気が空気であったためか、素直に頷いたえるがようやく俺の背中から降りた。


 俺はすぐさま、その人垣の片隅にいた男女に声をかけた。




「おはよう、八百原」




 俺の声に、このラブコメ物語の主人公である八百原那由太、そして正ヒロインの風格を伴ってその男の隣にいた、一葉深雪が俺の方を振り向いた。




「お、おう、零宮おはよう」

「あら、あなたは確か――C組の零宮零士君、だったかしら?」

「一葉もおはよう。それで、一体こりゃ何の騒ぎだ? なんでクロエの周りに人だかりが出来てんだ?」

「それがなぁ……」




 八百原那由太が少し困ったような表情で俺に小声で囁いた。




「あそこにいる先輩、三年の城ヶ島先輩ってんだけど、三津島がフリーになったってのを誰かから聞きつけたらしいんだ。それで三津島に朝っぱらから声をかけたらしい。周りで騒いでるのは城ヶ島先輩の取り巻きだ」




 その言葉を聞いて、うむぅ、と思わず俺は唸った。


 やはりこの世界はラブコメ漫画の世界で、そんな現実ではなかなか起らないことがポンポン起こるわけか。


 俺が今更ながらにラブコメ漫画という世界のおかしさについて感心していると、城ヶ島先輩とやらが三津島クロエに更に声を張り上げた。




「実は僕、前から君とはお話がしてみたいと思っていたんだよね。君は有名人だし、この学園でもなかなかの人気者らしいから気になっていたんだ。どうだい? 早速、今日の昼は学食で一緒にご飯でも食べないかい?」




 その一言を聞いた一葉深雪がドン引きの表情を浮かべ、ケッ、と鋭く吐き捨てた。




「あの男、誰だか知らないけれど、何だか一挙手一投足に鳥肌が立つ男ね……八百原君、ちょっと行って蹴っ飛ばしてくるべきかしら? どう思う?」




 鳥肌が立つ。一葉深雪のその言葉を聞いて、あっと俺は声を上げた。


 そうだ、思い出した。城ヶ島五郎っていう名前だったのだっけ、あの男。


 俺はようやく、目の前のスカした顔立ちのチャラ男が誰なのか思い出した。




 そう、それは数年に渡ったこのラブコメ漫画『シュレディンガーの猫』の、記念すべき第一話目。


 その第一話目冒頭で、この学園に転入してきた一葉深雪に声をかけ、その鋭い舌鋒でケチョンケチョンにブチのめされ、呆気なく袖にされ、大恥をかいたまま捨て置かれた男。


 あなたみたいな男に声をかけられただけで鳥肌が立つ――彼はそんな可哀想な一言と共に火を噴いた一葉深雪の毒舌によって、公衆の面前でモテ男としてのプライドをズタズタにされたのだった。




 城ヶ島五郎――。


 彼こそはこの大人気ラブコメ漫画が誇る、偉大なる噛ませ犬のネームドモブだったのである。





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