依存度を深めるお色気枠
その後もしばらく涙が止まらない様子の三津島クロエをいつまでも校舎内に置いておくわけにはいかず、俺は彼女を誘って近くの河川敷に来て、夕暮れ時の街を川面越しに眺めていた。
この河川敷、実は原作となった『シュレディンガーの恋』でもちょくちょく登場していたスポットで、主人公である八百原那由太に悩み事がある時――要するに、最終的にどのヒロインを選ぶのか悩んでいる時に、よく独りでやってきていたスポットである。
そこに八百原那由太ではなく、この世界にとってはモブでしかない俺と、ようやく涙が止まりつつあるメインヒロインの一人、三津島クロエがいるのも、何だかおかしな光景であった。
ぐすっ、と、洟を啜って、三津島クロエがぽつりと言った。
「……何度も言うけど、さっきはごめんね、零宮」
「いいよ、さっきも気にしないって言ったろ?」
「これ、かなり聞くの怖いんだけど……私のこと、嫌いになった?」
「嫌いになってたらわざわざ誘ってこんなところ来ないよ」
「それでも、確実にヒキはしたでしょ。もう、私ってホント最悪。ああ、私、なんであんなことしたんだろ……」
三津島クロエは耳まで真っ赤になりながら、落ち込んだときの癖であるらしく、顔を抱えた膝の膝頭に埋めた。
い、いや、正気に戻って恥じらわれるとこっちもしんどいんだけどな……と、俺はボリボリと頬を掻いた。
「私、多分、嬉しかったんだと思う。……ううん、確実に、嬉しかった。零宮に俺も男なんだぞって脅された時、私、零宮にちゃんと女の子として、そういう目で見られてるんだなって。だからもう、急に何もかもどうでもよくなったの。校内だとか、人に見られたらどうするんだとか、そういうことを考えるのが面倒くさくなっちゃって……」
――いやだから突然、この人は何を言い出しますかね……!
俺は猛烈な羞恥心のあまりに相槌も打てず、鴨か何かの水鳥がマヌケ面で行ったり来たりしている川面を死ぬ気で眺める他なかった。
「私、自分でもホント、どうしちゃったんだろ。零宮のこと考えると加速度的におかしくなっちゃう。八百原のことも好きだったけど……零宮に感じてるのは多分、もっともっと重くて、生々しくて……なんだろうな、依存、っていう感じなのかな」
依存。その言葉に、俺はちょっとの興奮と恐怖とを同時に感じた。
元気いっぱい、パワフルでタフな三番目のお色気枠ヒロインの口から放たれた一言とは思えないし、ここは間違っても包丁だの監禁だのという言葉が飛び交う猟奇エロゲの世界ではない。
なんと反応していいかわからず、俺が無言でその告白を聞いていると、三津島クロエがようやくそこで顔を上げ、俺を見た。
「零宮」
「な、なんだ?」
「好きよ」
――んん?
俺は一瞬、耳がおかしくなったのかと思った。
なんか今、凄くアッサリと、なにか大変なことを言われた気がした。
俺が目を白黒させていると、三津島クロエがニコリともせずに、再び口を開いた。
「私、零宮が好き。1パーセントなんかじゃない、1パーセントなんかじゃ全然足りない。多分もう120パーセントぐらい、零宮のことが好き」
――チクショー、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
俺が酸欠の金魚のように、絶句したまま口を開け閉めしていると……フッ、という感じで、三津島クロエが川面に視線を移した。
「でも私、八百原のことも好き」
その言葉に、俺はのぼせかけていた頭の芯が氷水をぶっかけられたかのように、急激に冷えるのを自覚した。
一体何が言いたいんだと声を荒らげたいのを我慢して次の言葉を待っていると、くすん、と、まるで拗ねたように三津島クロエが鼻を鳴らした。
「八百原のこと、やっぱり全然吹っ切れてないんだなって、さっき一葉さんの声を聞いてわかった。私、最低の女なんだ。零宮とそういうエロいことしようとしてたいよいよの時に、頭に他の男の顔が思い浮かんで、今までヤる気満々だったのが一気に萎え散らかした。私はそういう史上最低最悪の痴女ビッチ淫乱尻軽女なの」
いくら性にオープンなお色気枠ヒロインといっても限度があるだろうとこちらが焦るほどに下品な単語をこれでもかと並べ、ハァ、と三津島クロエはため息を吐いた。
「どう? 人生最悪の告白でしょ? 零宮、少しは私のこと、嫌いになってくれた?」
「だっ、だから……無理だって。今更どんなことされても嫌いになんかなれないよ」
「なんでよ。普通、今みたいなこと面と向かって言われたら嫌いになるでしょ」
「確かに今のは人として最低かもしれないけれど、お前のはそれは浮気とかとは別だろ」
「一緒だよ。何も違わない」
「絶対に違う」
「……お願いだよ、零宮。これ以上私に優しくしないで。私のこと嫌いだって言って」
ぐすっ、と、再び鼻を鳴らして、三津島クロエは縋るような声で、昼間とは真逆のことを言った。
「さっきの私、零宮に欲情してたんだよ? こんなの恋なんかじゃない、ただの性欲だよ。こんな汚くて惨めなもので零宮を傷つけたくない。私のことまだ1パーセントしか好きじゃないなら嫌いにもなれるよ。だから――」
「だから、人に簡単に嫌いとか、言わせようとするな」
俺は少し強く言って、身体ごと三津島クロエに向き直ると、その不思議な色の目を真正面から見つめた。
「人を嫌いになることって、その人から嫌われる覚悟もなきゃいけないってことだろ? 俺はそんな勇気持てないよ。今更お前を嫌いになれる度胸や勇気なんてない」
俺はそのとき、何故かとても冷静な気持ちでそんなことを言った。
そう、人を嫌う、遠巻きにするということはきっと、人を好きになること以上に勇気が要る。
昨日仲良くなった子が、明日も隣にいてくれる保証なんてないのだから。
「俺、身体が弱かったからよくわかる。病院の中で仲良くなった子がいても、そのうち退院したり、俺より早く死んじゃったりしてたからさ。怖いよ、仲良くなった人ともう会えないのは。人から離れていくってそんな簡単なことじゃない。それは今のお前が一番よくわかってるだろ」
俺がそんな事を言うと、じっと、三津島クロエが俺の目を覗き込み。
きゅっと、俺の服の袖口を指で摘んで、震える声で訊いてきた。
「じゃあ零宮、私のことを嫌いになれないってことは――好き、ってこと?」
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