豹変するお色気枠
一線を超える。
その宣言に、三津島クロエが更に慌てたのが、雰囲気でわかった。
ちら――と、思わせぶりに俺は目だけで背後を見た。
今しがたの俺の宣言にまるで誂えたかのように、俺たちの背後には何かの倉庫と校舎の間に口を開けた、誰の目も届かなさそうな薄暗い空間がある。
それを刷り込むかのように再び視線を三津島クロエの愛らしい顔に戻すと、ぴくっ、と、俺が両手で掴んだ細い肩が揺れた。
「えっ――!? ちょ、零宮……!?」
「なぁにを慌ててんだ、このオープン痴女め。ここまで散々そっちから誘うようなこと言っといて、今更冗談で済むと思ってたのか?」
フヒッ、と俺がなるべく下卑た声を意識して笑うと、今度は割とはっきりと三津島クロエの表情に怯えが走った。
「いくら陰キャのモブみたいな俺でも、腕力に任せてお前を暗がりに引きずり込むぐらい、やろうと思えば簡単なんだぜ。八百原と違って俺は優柔不断な男じゃないしジェントルメンでもない、むしろやると決めたらやる男だったとしたら……お前はどうするんだ?」
俺がなるべくドスを利かせて言うと、三津島クロエが視線を下に落として、小さく震え始めた。
許せ――俺は怯えた表情を浮かべる三津島クロエに、心の中で謝った。
そう、三津島クロエはこのラブコメ世界『シュレディンガーの恋』の、三番目のお色気ヒロインであり、主人公の八百原那由太に硬軟織り交ぜた色仕掛けで迫りまくるグイグイ系ヒロインだ。
そしてなおかつ、これもラブコメ世界の鉄則。
つまり、グイグイ来るヒロインは逆にグイグイ来られると弱い、のである。
無論のこと、三津島クロエにもその傾向があることは今までの既刊分を読んできて知り尽くしているし、主人公である八百原那由太は優柔不断でヘタレな性格であるから、意図的に三津島クロエをグイグイ押し返したことはない。
畢竟、三津島クロエにとって今しがたの俺の言動はまさに前代未聞の言動で――想定外だし、とんでもなく怖いに違いない。
許せ、と、俺は目の前で小さく震えている三津島クロエに再び心の中で謝罪した。
これ以上、この人の積極的なアプローチを喰らい続けていたら、多分遠からず俺の自制心は擦り切れてボロボロになってしまう。
いつか欲望に負け、傷心中のこの人を更に傷心させてしまうような酷いことに及んでしまうぐらいなら……俺も生物学上はオスであり、なおかついざ俺が本気になったら満足な抵抗も出来ないのだということをこの人にも知っておいてもらう必要があった。
三津島クロエは無言で震え、下を向いたままだ。
よし、そろそろいいか。このへんで「……なんてな!」などと雰囲気を一変させる間の抜けた声を発して三津島クロエの肩から両手を離し、後はぽかんとしているこの人に切々と説教をするのだ。
いいか三津島クロエ、今のでわかっただろう? 如何に俺と言えど生物学上は男、お前とは腕力も膂力も違う。であるからこそ、あまり度を越したからかい行為はよろしくない、大変によろしくない。俺の自制心にも限りがあるのだ。だからまだ交際もしていない男に思わせぶりなアプローチを繰り返してその気にさせるようなことは今後厳重に慎むべきであって……。
「……ん、いいよ」
不意に、そんな声が三津島クロエの口から漏れ出て、これから滾々とするつもりだった説教の内容が頭から吹き飛んだ。
ん? と俺が三津島クロエを見ると、三津島クロエが何らかの覚悟を固めた顔で、きゅっと引き結んでいた桃色の唇を動かした。
「いいよ、零宮がその気なら今からシよ。ほら、こっち来て」
ん? ん? ん? と、俺は三度、左右に首を傾げた。
んん? なんだろうこの表情、それにシよって何を?
言われたことの意味がわからず、俺が放心していると……すっ、と三津島クロエの手が俺の右手首に伸び、俺は校舎と倉庫の間にある暗がりに引っ張り込まれた。
こんな暗がりに引っ張り込んで、三津島クロエは何をするつもりなんだろう。
まさか高校生になってまで倉庫裏の空き地でケンケンパー遊びでもあるまい。
俺が戸惑っていると、どさっ、と、三津島クロエが肩から提げていたスクールバッグを地面に投げ捨てて、俺の方に向き直った。
俺がポケーッと見ている目の前で。
すぅ、と鼻から小さく息を吸い込んだ三津島クロエが、すっ、と俺の頬に手を伸ばし、瞑目して、背伸びをするかのようにその桜色の唇を俺に近づけてきた。
途端に、ウヒャア! とオカマのような悲鳴を発し、俺は身を捩った。
「ちょちょちょ、クロエ!? 何してんの!? ホントに何してんの!?」
「……アンタこそ、何言ってるのよ。アンタが言い出したんでしょ、俺だって男なんだぞ、って」
そう言って、三津島クロエは俺の首筋の後ろ側へと左手を移動させ、再び顔を近づけてきた。
咄嗟に三津島クロエを突き飛ばして距離を取ろうと右手を突き出したところ――まぁこれぞラブコメのお約束と言うかなんというか、目測が外れて三津島クロエの左乳を思いっきり手で鷲掴みしてしまった。
途端に、ごわりとしたブラジャーの生地の感触、その下のこの世のものとは思えない柔らかさが直に掌に伝わって、俺はますます素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「あッ!? ご、ごめ、ワザとじゃ……!」
「へぇ、やっぱり零宮も溜まってるんじゃん。いいから早くシようよ、早くしないと誰か来ちゃうよ」
「いっ、今のは事故だ! そっ、それにあの、さっきの俺だって男なんだ云々の話はお前を嗜めるための演技であってだな……!」
そう言った次の瞬間、三津島クロエが取った行動は――いくらなんでも、俺にも理解不能で対処不能のものだった。
素早く、電撃的に動いた三津島クロエの右手が、俺の制服のズボンの股間を鷲掴みにしたのである。
目を見開くと、俺の急所を掴んだ三津島クロエがニヤリと笑った後――はぁっ、と熱いため息を吐き、表情を蕩けさせた。
「あはっ、これのどこが演技なん? 零宮、私でバキバキに興奮してんじゃん。ああ、どうしよう、嬉しい、すっごく嬉しい……」
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