消化試合の夏とお色気枠
その後、HRが終わる辺りで仲良く教室に戻った後は――ちょっとした騒ぎになった。
いつも通りつづがなくクラスメイトに存在を無視された俺と違い、学年屈指の人気者である三津島クロエは、HRが終わるなり多数の一軍男女に取り囲まれ、事情聴取が始まった。
「ちょちょちょ、クロエ! アンタ朝っぱらから零宮と何してたの!? なんで一緒に遅刻してきたん!?」
「いやー、別に大したことないわよ。ちょっとしんどいことがあったから零宮相手に愚痴ってただけ。知ってる? 零宮ってああ見えてめっちゃ聞き上手だし、人を慰めるのも上手なの」
ねー? と、そこで三津島クロエが俺に向かって微笑みかけ、小さく手を振った。
俺は、というと、その笑みにどのように反応していいかわからず、結局無言で赤面して前に向き直るしかなかった。
その様を見ていたクラスの一軍生徒たちが、唖然呆然、という感じの表情を浮かべた。
「え、今の何……!? なんかいつの間にかむっちゃ零宮と仲良くなってんじゃん! アンタ、今までA組の八百原にゾッコンだったでしょ! あんなに繰り返しアプローチしてたのに、八百原はどうすんのよ!?」
「ああ、八百原には三日前に正式にフラれた」
あっけらかん、という感じで放たれた敗北宣言に、流石の俺もぎょっとしたし、周囲はもっとぎょっとしたらしく、クラス内が一瞬、水を打ったように静まり返った。
思わず教室の後ろの方の三津島クロエの席を振り返り、「おっ、おい……!」とたしなめると、俺に心配されたのが嬉しかったのか、三津島クロエが笑みを深めた。
「ああ零宮、心配はいらないよ。だってフラれたのは事実だし。それにそこをアンタに慰めてもらって私ら仲良くなったんじゃん。むしろフラれた結果アンタと仲良くなれたことはよかったと思ってるから。ホントだよ?」
――すげーな、三番目のお色気枠ヒロインって。こんなにもオープンに他人への好意を隠すことなく、スコーンと突き抜けていられるもんなのか。
俺が戸惑い全開で「お、おう、そうかい……」と唸るように答えると、クラスの一軍男子のうちの一人、茶髪頭の橘という男子が頭を掻きむしり、うあー! と野太い声を上げた。
「ちくしょー! 零宮お前、羨ましすぎるぜ! なんで俺その場に居合わせなかったかなぁ! 俺だったら絶対その場でクロエんこと口説いてたのに! そしたら今頃はこのチチ好き放題にできてたかもなのによぉ……!!」
「ふざけんな橘、誰がアンタみたいなチャラ男に好き放題にさせるか。私は相手が零宮だったから慰められたの」
三津島クロエが口を尖らせ、橘のスネを爪先で蹴飛ばした辺りで、愛澤というクラスの一軍ギャルが、ちょっと遠慮がちな表情で言った。
「し、しっかしクロエ……アンタ八百原の次は零宮なん? こう言ったら零宮に悪いけどさ、アンタってああいう男子が好きなの? アンタならもっともっとレベル高い相手だって十分射程圏なんじゃないの?」
「零宮と私はそういう仲じゃないよ。私たちはいわば戦友よ、戦友」
その説明に、愛澤が戸惑いの表情になった。
「せ、戦友って……一緒に何を戦ってんの?」
「そりゃあ恋の負け戦に決まってるでしょ。私と零宮は壮絶な負け戦を生き残っちゃったのよ。だから一緒に山に逃げて、カビ臭い洞窟に身を寄せて、私が痛い痛いって愚痴るのを零宮にハイハイって相槌打たれながら手当てしてもらってるわけよ」
三津島クロエは俺たちの今の関係をそんな風に説明してから、ふっと、少しだけ寂しそうな表情になった。
「負け方がひどすぎて、今はまだ次とか、ちょっと考えられないもん。私はもう少しだけ手酷くフラれた哀れな女でいようかなって思ってるよ。だからとりあえず、零宮と私は付き合ってはいない。それは明言しとく」
そりゃそうだ、と、俺もその一言に内心で頷いた。
いくら俺が転生者であったとしても、三津島クロエはこの世界『シュレディンガーの恋』の主要ヒロインであり、この人が恋しているべきはあくまで主人公の八百原那由太なのだ。
いくら個別のルートが決着したとはいえ、彼女に別の展開、つまり別の恋が始まるのは、少なくとも八百原那由太個人のストーリーが決着した後になるだろう。
今現状で最も「勝ち」の可能性が高いのは、八百原那由太の過去の発言を鑑みてもやはりメインヒロインである一葉深雪であろうから、少なくとも八百原那由太と一葉深雪がくっつくまでは三津島クロエに次の恋人は現れないと考えるべきだ。
そこまで考えて――ふと俺は、なんだか莫大な気疲れのようなものを感じて、急にその先を考えるのがしんどくなった。
なんだか、どうにもシステマティックというか、味気がないもんだなぁ……。
前世でも恋愛経験がなかった「俺」からしてみても、今の状況にはどうしてもそんな感想を持ってしまう。
この世界はこの世界の作者によって創られたラブコメ世界であり、全てがその意志と思惑によって展開していく、それはわかるし、飲み込まねばならぬ前提だろう。
なおかつラブコメには、鉄則というか法則というか、 ある種の決まりごとがあって、一度負けたヒロインは原則的にレースに復帰できない決まりもわかる。
その後に負けてしまったヒロインが出来ることと言えば、せいぜいそれでも叶わぬ思いを一方的に主人公に抱き続けることか、「あんな男よりももっといい男を見つけてやるーっ!」などと負け犬の遠吠えをすることぐらいだ。
それでも……うーむ、と、俺はなんとなく、今の状況をつまらないと感じている自分に気がついていた。
よくわからないけれど、恋愛ってそういうもんなのか? そうじゃないだろ、と冷静になっている自分も確かにいた。
ラブコメの常識というメタ的観点から見たら、三津島クロエというヒロインにとっては、今のこの時間はいわば消化試合、メインのヒロインレースが決着するまでの待ち時間でしかない。
そして、その三津島クロエがなんとなく推しヒロインであった読者の「俺」にとっても、今は甲子園で自分の出身県の代表校が負けてしまい、なんとなくまだ勝ち残っている隣県の代表校を応援している夏の終わりのようなものだ。
敗者復活戦のない、一度負けたらそれで終わりの夏――それがラブコメの常識なのはわかる、わかるけれど。
それでいいのかな、もったいないな、と。
「俺」はちょっとだけ、そんなことを思った。
パワフルで、奔放で、自信と勝ち気の塊で、決死の色仕掛けを何度袖にされていても全く諦めないしたたかな女――三津島クロエとは、いわばそういうヒロインだった。
その絶対に「勝ち」を諦めない常識外のタフネス、最後の最後まで希望を捨てない打たれ強さ、その清々しいまでの行動力に、かつて嘘ではなく生きる希望をもらっていた「俺」からしてみれば、今の三津島クロエが負けヒロインとして過ごしているこの時間は、俺からしてみればとんでもなくじれったく、低刺激としかいえない状況だった。
アンタならもっとレベル高い相手だって射程圏なのに。そう言った愛澤の発言はもっともだし、俺だってそう思う。
この人ならすぐさま失恋をサッパリ割り切って、もっともっと素敵なアナザーストーリーのメインヒロインになれるはずなのに。
ラブコメの常識というものがそれを許してはくれないというのなら――それはなんか、物凄くもったいない話のように思われるのだ。
「あの、ごめん、ちょっといいかな」
不意に――教室の裏手からそんな声がかけられ、俺は顔を上げて背後を振り返った。
そしてそこにいた人物を目の当たりにした俺は、目を丸くした。
八百原那由太――このラブコメ世界の主人公。
どこからどう見ても冴えない顔立ちの男が、何だか所在なさげに教室の入口に立っていた。
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