Side三津島クロエ② ~お色気枠の重さが「加速」するッ~
私は今まで、時たま人からビッチだと、面と向かって言われることがあった。
そして私は、その言葉をどちらかといえば褒め言葉の一種として受け取っていた。
派手で、強気で、パワフルで、そしていつだって誰よりも奔放で自由。
全ての男が私に靡くべきだし、私を好きになって当然。
それでも手に入らないものは、どんな手を使ってでも、力ずくで手に入れる。
それが三津島クロエという人間なのだと信じていたから。
誰がどう言おうと、私が世界で一番いい女――そうありたいと思って、私は常日頃から己を磨く努力を怠ったことはない。
けれど――褒め言葉だと思っていたその言葉が、今だけは、ちょっとだけ嫌だった。
今、私に腕を抱かれて胸を押しつけられて、真っ赤っ赤の顔のまま歩いていく男子の顔をちらちらと盗み見ていると、何だか不思議な幸福感と満足感で胸がいっぱいになってしまう。
ああ、この人は私のことを意識してくれている、女として見てくれているんだ。
その顔の赤さにそのことが窺い知れるたびに、ついこの間まで手酷くフラれて落ち込んでいたはずの私の胸は幸せいっぱいになり、頬が緩んで顔がニヤけてしまう。
そして、高鳴る胸の鼓動を心地よく思う、その反対側で――まだ完全には吹っ切れていない、他の誰かへの思いも確かに感じて、私はちくりと胸が痛むのを感じた。
零宮零士。人生初の敗北に打ちひしがれ、情けなく泣き喚くしかなかった私に、そっとハンカチを差し出してくれた人。
こうなったらお前と一緒にゲリラ戦を戦ってやる――ユーモラスに、そして心強く私との共闘を宣言してくれたこの人。
この間まではただのクラスメイト、何も知らない他人でしかなかったこの人と、今はこんなに密着して歩いているのも不思議なら、この人の顔を見るたびに胸が高鳴るようになっている自分の変化も、何もかもが不思議だった。
弱っているところにタイミングよくつけ込まれたんだよ――今の私のこの体たらくを見ている人がいたなら、きっとそう言うだろう。
でも、それだけは違う。絶対に違う。
八百原にフラれた直後の私には、《《他人につけ込まれる余裕すらなかった》》。
何しろ一年がかりでフラれたのだし、しかもそれは私の人生にとっては初恋だった。
その初恋に破れた直後の私には、まともに他人の言葉に耳を傾け、その手に縋って立ち直ろうとする余裕すらなかった。
しゃがみ込んで泣き喚いて、このまま消えてしまいたいと思っていたのに。
彼は絶望に閉じ籠もろうとする私の世界に突然飛び込んできてそっと手を差し伸べ、私を陽の当たる世界に戻す手助けをしてくれた。
絶望して、卑屈になって、もう何も見たくない聞きたくないと一切を鎖そうとする私に、私の気が済むまで付き合うと言ってくれた。
お前は世界で一番いい女、だから落ち込むような似合わないことはやめろ――そんな風に私を叱咤して、本来の私を思い出させてくれた人。
ただ優しいというだけなら、八百原も同じぐらい優しい人だけど。
零宮は、それとは少し違う。
なんというか、零宮の優しさは、私の全てを知り抜いている優しさだった。
私がどのような人で、どんなことを考え、どんな自分であり続けたいと願っているのか、零宮は何故なのか、全部知っている。
私の全部を理解した上で、私の苦しみや悲しみを決して小さいものとして扱わず、その上で私に寄り添ってくれようとする。
そのことがあたたかくて、心強くて。
一見すると頼り甲斐なんか一ミリもなさそうなこのクラスメイトの男子のことを、私は確実に、特別な一人として意識するようになっていた。
やっぱり私って、ビッチなんだなぁ――胸いっぱいの幸福感を湛えた心の、その底に近い部分で。
じわじわと、そんな思いが冷たく染み出してきていて、次の恋へと走り出したくなっている私の足を重くしている。
もう十分、と一言言って、過去に背を向けることだって、きっと出来ただろうけれど。
足掛け一年に渡った失恋劇によって負った傷はまだじくじくと痛むし、走り出そうとする度に血が滲んでもいた。
流石の私でも、フラれた今も八百原に感じている未練までは――すぐに断ち切れそうになかった。
いや――それは違う、単なる言い訳だ。
私はそんなことを考えながら、零宮の腕を抱く力を強くした。
多分だけど、私はもう、八百原のことを心の底で諦め始めている。
今からどんなに取り返そうと足掻いても無駄なんだって、一年間も悪足掻きしたから、頭でも心でも、きっと理解している。
ただ、今の私が感じているこの葛藤は――結局は、零宮に嫌われたくないだけのことなのだ。
この人には、この人にだけは、私がビッチであると思ってほしくない。
一年間も沼っていた男にフラれて一週間も経たないうちに次の男に乗り換える、そんな薄情な女なんだって、この人にだけは思われたくない。
お前は尻の軽い女だと、もしこの人に面と向かって言われたら――多分私は、もう二度と立ち直ることは出来ないだろう。
この人は何故なのか私のことを完璧に理解しているらしいから、今更の願いなのかもしれないけれど。
私はこの人に嫌われたらもう生きていくことはできないのだと、何故なのか、今の私は猛烈な焦燥に駆られているのだった。
この手を離したくない。
私から離れていってほしくない。
いつまでもいつまでも、失恋に打ちひしがれる私の愚痴に付き合っていてほしい。
それだけじゃない、もっともっと、いろんな私の話を聞いてほしいし、その言葉に頷いてほしい。
うんうんわかるよ、大変だったねぇ、間違ってないよ――そんな言葉で私を慰めて、包容して、抱き締めて頭を撫でてほしい。
いや、それだけじゃない、抱き締めて、頭を撫でてもらうだけじゃ、多分そのうち、すぐに物足りなくなる。
もっともっと、その先の、年頃の男と女として当然こなすべきことだって――。
「零宮」
「おっ、おう……」
「私のこと、嫌いにならないでね」
――ついつい、私はそんなふうに、彼に縋りつく一言を発していた。
零宮はその一言に、少し間を開けてから、「もちろんだ」と言ってくれた。
ただそれだけのことなのに、もう死んでもいいと思うぐらい、私の胸は喜びと満足感に満たされていった。
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