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群青幻想  作者: 滄龍 青司
CantoⅠ
19/56

鋼と鋼

 朝の宿の食堂で、四人で短く打ち合わせを済ませた。


 皿の縁に残った薄い油の光と、冷めかけた茶の湯気が朝の窓辺に揺れていた。港町の朝は山より早い。人の声がまだ遠い時間から、波と荷車だけはもう動いている。俺は椅子に腰を乗せたまま、背中の盾が椅子の木を軋ませる感触を聞いていた。


 レオンとヴァローは港警備に向かう。カイは信徒の家を回る。俺は武器商街だ。それぞれの仕事を、それぞれが進める。レオンは聖剣の鞘を腰で一度叩いてから、肩を入れた歩幅で食堂を出ていく。カイは柔らかな会釈で続いた。ヴァローは灰色のローブの裾を一度払って黙って出ていく。


 レオンの歩き方は前に出る者の歩き方だ。迷いがあっても足は止めねえ。カイはその半歩後ろを自然に取る。ヴァローは最後に距離を測るように出ていった。四人で動く時の癖は、こういう朝に見える。


 俺は最後に席を立つ。背中の盾の重さを一度確かめた。革鎧の留め金、片手剣の鞘、毛皮のマントの結び目、すべて手で確認する癖が体に染み込んでいる。山の戦士の朝の所作だ。


 留め金は胸から脇へ、脇から腰へ。指先で引いて緩みを殺す。片手剣の鞘は腰骨に当たる位置を変えねえ。毛皮の結び目は喉の下で重く座る。背中の黒鋼だけは最後だ。あれは荷じゃねえ。俺の前に立つ壁だ。


 宿の女将が会釈をした。


「海賊の騒ぎがあっても、街は人が出てるぞ」


「ああ」


 俺は短く返した。それで会話は終わりだ。山の戦士の応対を、女将も心得ている様子だった。余計な言葉を足さず、湯気の立つ鍋へ戻っていく。こういう距離は悪くねえ。


 宿の戸を出ると、海洋同盟の港町の朝の音が一段近くなった。商人の声、荷車の音、海鳥の鳴き声、波の音。山の集落の市場より一段でかい音で動いていやがる。俺は内で短く呟いた。山の方がマシだ。頭の表面で音が跳ねて落ち着かねえ。


 魚の匂いと塩の匂いが混じっている。濡れた縄、樽の木肌、誰かが焼いた固いパン。山なら朝の匂いはもっと乾いている。土と煙と冷えた石だ。ここでは息を吸うだけで、喉の奥に潮が残る。


 坂を下りた。武器商街は港湾の北寄りにある。商業街と桟橋の中間、戦闘員と商人が交わる場所。


 石畳は夜の湿りをまだ抱えていた。靴底に水が吸いつく。荷を担いだ男たちが横を抜けるたび、俺の肩の毛皮に潮風がまとわりついた。俺は歩幅を変えずに進む。急ぐ仕事じゃねえ。だが遅れていい仕事でもねえ。


──────────────────────────────


 武器商街は、思ったより活気があった。


 海賊事件の三日目だが、街は事件の余波より日常の動きの方が強い。武器商の店が並ぶ通りの両側に、剣・盾・槍・弓が立てかけてある。中央大陸から流れてきた品もあれば、海洋同盟内で打たれた品もある。値札は付いていない、商主の眼で値踏みする時代の名残だ。


 潮風に晒された武器は、山の武器とは違う手入れをされている。刃には油が多い。柄の革は湿りに強い巻き方だ。盾の縁金も塩に負けにくい色をしていた。戦場が違えば、道具の息も変わる。


 俺は通りの中央に進んだ。背中の盾の重さで、人混みは自然に道を空ける。塊のような体格は、市場では交渉の前置きになる。


 声を張らなくてもいい。肩を怒らせなくてもいい。人は重い鉄を背負った男を見れば、その男がどういう仕事で飯を食っているか分かる。山でも海でも、そこは変わらねえ。


 奥の店に、年配の男が一人座っていた。五十代後半か、左肩に古い刀傷の跡。商主であることは、座り方で分かる。戦争を経験した側の座り方だった。


 逃げるにも立つにも遅れねえ椅子の使い方だ。背もたれに体を預けきらない。利き手の側には余計な物を置かない。商人の腹と戦闘員の背中を、同じ体に入れている男だった。


 俺は店の前で足を止めた。立てかけてある剣を一本、手に取った。


 剣を構えてみる。柄を握る。刃の重さを腕に乗せて、軽く振る素振りをする。鉄の質感が手に伝わる。


 鍔の噛み合わせは悪くねえ。刃の芯も曲がっていない。ただし柄の芯材が少し軽い。俺が本気で振れば、数合で掌の中に嫌な揺れが出るだろう。武器は見た目よりも先に、手の骨が判断する。


「悪くねえ剣だな」


 俺は短く呟いた。それから、剣を元の場所に戻した。


 商主が片眉を上げた。


「お目利きで」


「これは黒鋼か。山の方の鉄だな。鍛えは悪くねえが、柄が俺の重さに合わねえ」


 商主は座ったまま、俺をじっと見た。


「黒鋼を一目で言い当てるとは。あんた、山の戦士か」


「ああ。中央山脈の村だ」


「なるほど」


 商主は頷いた。それから店の奥の壁に立てかけてある別の剣を指した。


「あれもそうだ。半年前に中央大陸から流れてきた」


 俺は壁の剣を見た。確かに黒鋼の質感、ただし鍛えが甘い。山の村の鍛冶屋なら、もう一段打ち直す。俺は店の奥には進まずに、商主の方に視線を戻した。


 黒鋼はただ硬ければいい鉄じゃねえ。割れねえ粘りが要る。山の冬を越えた木の根みたいに、力を食って戻す芯が要る。壁の剣にはそれが薄かった。飾りにするなら足りる。俺の仕事には足りねえ。


「海賊事件の話を聞きてえ」


 商主の表情が一段だけ硬くなった。商人の眼から、戦士の眼に切り替わる速度だった。


 店先の音が少し遠くなる。商主は椅子から立たなかったが、肩の古傷の周りだけが別の生き物みたいに静まった。昔の戦場を体が覚えている男の沈み方だ。


「援護に入った客員賢者の話か」


「ああ」


「一隻沈んだ。海面が下方にへこんで、船ごと吸い込まれた、と」


「魔法の質感は」


「俺は魔法の専門家じゃねえ。ただ戦闘員として見れば、あれと対峙するのは御免だ」


 俺は短く頷いた。商主の評価は、俺の腹に沈んだ。戦闘員視点の評価が、ヴァローの観察やレオンの信仰の眼とは別の軸で動く。商主の言葉は、俺と同じ温度だった。


 対峙したくない。飾った言い方じゃねえ。戦場で生きた男が、本当に避けるべきものを見た時の短い言葉だ。恐れとも違う。見積もりだ。盾を構える前に、足場と退路と仲間の位置を思い浮かべる者の言葉だった。


「海賊側の武器は」


「中型艦砲二、小型艦砲一、剣と短刀の白兵戦員。普通の海賊船の構成だ。ただ、頭らしき男の刀が」


 商主は一拍止まった。


「アズリウム製だった、という証言がある」


 俺は片眉を上げた。


「アズリウムの刀を、海賊が」


「ええ。海守り衆の証言だ。沈没した海賊船から漂着した武器の中に、アズリウム製の短刀が一本混じっていた、と」


「海守り衆の伝統的な武具だな」


「ええ。だから不思議がられている。流出か、盗難か、別の経路か、誰にも分からねえ」


 俺は短く頷いた。アズリウムの刀が海賊の手に渡っていた事実を、戦闘員として記憶に置く。理由は俺の領分じゃねえ、ヴァローやレオンが考える話だ。


 ただし武器は嘘をつかねえ。誰が握ったかまでは黙っているが、どこを通ってきたかの匂いは残す。海守り衆の鉄が海賊の手にある。そこだけは、俺の手でも分かる重さを持っていた。


「礼を言う」


 俺は短く返した。商主は黙って頷いた。それで会話は終わりだった。


 店を離れる時、背中の盾が革紐を押した。黒鋼の重みが肩の筋に食い込む。山の鉄と海の鉄。まだ見ていない方の鉄が、俺の頭の隅で薄く光っていた。


──────────────────────────────


 鍛冶屋は武器商街の奥、煙突から細い煙が上がっている店だった。


 戸を開けると、中の熱気が顔を撫でた。鉄を打つ槌音、火床の熱、汗と鉄錆の匂い。俺は山の集落の鍛冶屋でも嗅いだ匂いを、ここで再び嗅いだ。土地は違うが、鍛冶屋の匂いは似ている。


 火は国の言葉を喋らねえ。鉄も海の名札を付けては生まれねえ。人が掘り、人が運び、人が打つ。だから鍛冶場にはどこでも同じ腹の熱がある。俺はその匂いを吸って、少しだけ肩の力を抜いた。


 親方は中年〜年配の男で、火床の前で槌を振っていた。俺が入っても顔を上げない。鉄を打つ動きを最後まで続けて、それから振り向いた。革のエプロン、太い腕、髪は刈り上げ、髭は短い。山の鍛冶屋にもいる体格だった。


 槌を置く時も雑じゃねえ。熱い鉄から目を離す前に、まず呼吸を整える。腕の筋は太いが、指先は細かい作業を忘れていない。いい鍛冶屋の手だ。親方は俺より背は低いが、火床の前では大きく見えた。


「客か」


「ああ」


 俺は背中の盾を下ろして、店の床に置いた。盾の重さで、床が一拍だけ沈んだ。親方の眼が盾に向いた。


 床板が低く鳴る。黒鋼の縁に古い傷が走り、火床の赤がそこに入り込んだ。盾を下ろすたび、俺は村の鍛冶屋の顔を思い出す。黙って傷を撫で、まだ使えるとだけ言う爺だ。


 親方が盾の前で膝を折った。表面の傷跡を指で撫でた。それから、顔を上げて俺を見た。


「これは中央山脈の鉄だな。山岳地方の鍛冶か」


「ああ。村の鍛冶屋が打った」


「いい鍛えだ。粘りが残ってる、衝撃を受けても割れねえ質感」


「半年に一度、村に戻った時に親方に直してもらう」


「あんたの体格と、この盾は釣り合っている」


 親方は立ち上がって、火床の方角に視線を戻した。それから、俺の方をもう一度見た。


「俺はここで二十年、鉄を打ってる。海洋同盟の鉄ばかりだ」


「アズリウムを扱うか」


「扱う。海守り衆の修理や研ぎの依頼が多い。鍛えるのは海守り衆の家系の手だけだ。俺はその後の手入れだ」


 親方は頷いた。それから店の壁に立てかけてある剣を一本、俺に差し出した。


 俺は剣を受け取った。手に乗せた瞬間、鉄の質感が違うのが分かった。黒鋼より一段軽い、ただし密度は近い。柄から刃に向けて、青みが薄く滲んでいる。アズリウムだ。


 重さは軽い。だが軽すぎねえ。手の中で浮かず、骨の奥にぴたりと座る。振る前から分かる。これは速さで誤魔化す鉄じゃねえ。受けた衝撃を刃の中で流し、握り手に余計な震えを残さない鉄だ。


「これは、いい鉄だな」


 俺は短く呟いた。


「海の柔らかさが、粘りに変わる質感だ。黒鋼の硬さとは別の方向で、衝撃を受け流す」


「お目利きで」


 親方が低く笑った。


「黒鋼を背負ってる男に、アズリウムの良さが伝わるとは思わなかった」


「悪い鉄じゃねえ。山の鉄と海の鉄、性質は違うが戦闘員の手にはどっちも信頼できる」


 俺は剣を親方に返した。それから、商主から聞いた話を一度頭の中で並べ直した。海賊側の頭の刀がアズリウム製だった、流出か盗難か別の経路か分からねえ。


 火床の中で炭が崩れた。小さな火花が跳ね、すぐに暗くなる。親方は剣を壁へ戻しながら、俺の問いを待っているように見えた。鍛冶屋の親方は、鉄の話なら急がねえ。


「アズリウムが、海守り衆以外の手に渡る経路はあるか」


 俺は短く問うた。親方の表情が一拍だけ硬くなった。


「滅多にねえ。アズリウムは外洋寄りの深い場所でしか採れねえ、海守り衆の家系に伝わる技法でしか鍛えられねえ。横流しは、海守り衆の中の裏切り者か、または海賊が海守り衆の武具を奪ったか、どっちかだ」


「奪うのは、難しいだろうな」


「難しい。海守り衆の戦闘員は、武器を死んでも手放さねえ。死体ごと持ち去られたか、または別の経路だ」


「別の経路、というのは」


「分からねえ。ただアズリウムの鉱脈の場所は、海守り衆の中でも秘伝だ。外洋寄りの深い場所に複数の鉱脈があると聞く。誰かが鉱脈そのものに手を伸ばしてるなら、別の話になる」


 俺は短く頷いた。話が深くなりすぎた。これ以上は俺の領分じゃねえ。ヴァローに伝える話だ。


 分からねえものを分かった顔で扱うのは危ねえ。戦場でも同じだ。霧の向こうに敵影がある時、そこに十人いると決めつけた奴から死ぬ。俺は聞いた形のまま、腹の底に置いた。


「いい話を聞かせてもらった」


「黒鋼の盾を背負ってる男に、アズリウムの話をするのは久しぶりだ」


 親方は短く笑った。それから火床の方角に戻っていく。鉄を打つ動きが再び始まる。


 槌音が戻る。硬い音、沈む音、返る音。親方の腕が同じ調子で上下するたび、店の熱が少しずつ形を持っていく。俺は盾を背負い直した。肩に重みが戻ると、足場が定まった。


 俺は盾を背負い直して、店を出た。


 外の空気は冷えているはずだったが、火床の熱を吸った肌には潮風がぬるく感じた。耳の奥にはまだ槌音が残っている。山の鍛冶場と同じ音だった。だがそこに混じる青い鉄の気配は、俺の村にはないものだった。


──────────────────────────────


 港警備の詰所は港の北端だった。


 戸を開けると、若手の戦闘員が二人で書類を整えていた。中堅の戦闘員が机の奥に座っている。俺が入ると、中堅が顔を上げた。


 詰所の中は紙と革と湿った木の匂いがした。外の潮風より、ここは人の仕事の匂いが強い。壁には港湾の簡単な地図が掛かり、出入りの多い桟橋に印が付いている。若手二人の手は忙しいが、腰の武器にはすぐ届く位置を保っていた。


「聖教会の方ですね」


「ああ。海賊事件の話を聞きてえ」


「どうぞ」


 中堅は短く頷いた。形式的な挨拶を抜いた、戦闘員同士の対話の温度だった。


 俺は椅子に座らずに、机の前に立った。盾を背負ったままだ。


 座ると立つまでに遅れが出る。ここで誰かに斬られると思っているわけじゃねえ。だが体がそうする。中堅もそれを咎めなかった。むしろ立ったままの俺の幅を一度見て、書類を横にずらした。


「海賊側の戦闘力は」


「中型艦砲を備えた一隻が中核、白兵戦員は計三十名前後。中央大陸から流れてきた構成、と俺たちは見ている」


「客員賢者の援護で一隻が沈んだ、と聞いた」


「ええ。海面が深く沈んで、船が吸い込まれました。あれは戦闘員として見れば対峙したくない権能です」


 中堅の評価は、武器商主と同じだった。戦闘員の眼が、蒼凪殿の権能を「対峙したくない」に揃える。


 武器商主は店先で言い、中堅は詰所で言った。場所も立場も違う。だが同じ言葉に落ちる。盾を構える者の腹は、魔法の細かな理屈より先に危うさを測る。


「逃げた海賊船は」


「西の外洋寄りに去りました。追跡は外洋に出る前に見失った」


「西の外洋寄り、というのは、アズリウムの鉱脈の方角か」


 中堅が一拍止まった。それから、視線が一段硬くなった。


 若手二人の手も、紙の上で少し遅れた。音は小さい。だが戦闘員の詰所で、そういう小さな止まり方はよく目立つ。俺は中堅の眼だけを見た。


「あんた、よくご存知で」


「鍛冶屋から聞いた」


「ええ。アズリウムの鉱脈は、その方角の深い場所にあります。海守り衆の秘伝です」


「海賊が鉱脈に手を伸ばしてる可能性は」


「分かりません。ただ海賊側の頭の刀がアズリウム製だった事実は、海守り衆も警戒しています」


 俺は短く頷いた。話の輪郭が、一段濃くなった。鉱脈・海賊・海守り衆・客員賢者。複数の線が、西の外洋寄りで交差している。俺の腹に沈んだ。理由を考えるのはヴァローの仕事だ。俺は事実を覚えるだけだ。


 西。外洋寄り。深い場所。逃げた船。海守り衆の鉄。言葉を削ると、それだけが残る。削って残ったものは強い。だが強いからといって、すぐ結論にするもんじゃねえ。


「礼を言う」


 中堅は短く頷いた。それで会話は終わりだ。


 詰所を出る時、若手の二人が俺の盾を一拍だけ見ていた。重盾の戦闘員への興味の視線だった。俺は気づかないふりで、戸を閉めた。


 若い戦闘員は重い武器を見る。自分なら扱えるか、どこで足を取られるか、どの相手にぶつけるか。そういう眼だ。俺にも覚えがある。昔は山の集会場で、年寄りの斧を同じ眼で見ていた。


──────────────────────────────


 詰所の外で、海守り衆の戦闘員と擦れ違った。


 中堅の男だった。三十代後半か、四十代に近いか。ガッシリした体格、潮鎚を背中に下げている。黒っぽい革ベースの軽装、肩に銀の小さな紋章。海守り衆の中堅の戦闘員、装束で分かる。


 潮鎚はただの鎚じゃねえ。背負い方が違う。重さを肩だけで持たず、腰と背中に流している。長く使っている者の姿だ。柄の角度も、戸をくぐる時にぶつけない高さに収まっていた。


 俺と男は、詰所の前の通りで一拍止まる。


 視線が交わった。


 戦闘員同士の視線だ。互いの背中の武器を一目で確認する眼、戦場の輪郭を読む癖の眼、同業の眼。


 通りの向こうで荷車が軋んだ。海鳥が鳴いた。だがその短い間だけ、周りの音は薄くなった。男の緑とも青ともつかねえ海沿いの眼が、俺の肩越しに黒鋼を測る。


 男の視線が、俺の背中の盾に一拍留まった。黒鋼の重盾、山岳地方の鍛冶の鉄。男の眼が、それを認めた。


 俺の視線も、男の背中の潮鎚に一拍留まった。アズリウムの鎚、海守り衆の伝統の武具。鍛冶屋で見た剣と同じ、青みが薄く滲む鉄。俺の眼も、それを認めた。


 潮鎚の鉄は陽を受けても派手には光らねえ。薄い青が革紐の隙間から見え、沈んだ海みたいに奥で鈍く返る。俺の盾はその反対だ。黒く重く、山の腹の奥から切り出した色をしている。


 互いに、短く頷き合った。


 それで挨拶は終わりだ。男は詰所の戸を開けて中に入った。俺は通りの方角に歩き始める。


 言葉は交わさなかった。けれど、戦闘員同士の温度は届いた。山の戦士と海の戦士、風土は違うが戦闘員としての温度は近い。男も同じことを認めただろう。同業の眼は、互いを一目で見抜く。


 俺は通りの中央を歩いた。盾の重さは変わらねえ、ただし内で一段だけ重みが違って感じた。海守り衆の戦闘員が、俺の盾を認めた。それが、戦闘員としての俺の腹に静かに残った。


 褒め言葉はいらねえ。名乗りもいらねえ。互いの武器を見て、頷く。それで足りる時がある。山でもそうだ。雪道で擦れ違った斧持ちが、斧の刃と靴の締め方だけを見て頷く。それだけで相手の朝が分かる。


 悪くねえ。


 俺は短く内で呟いた。


──────────────────────────────


 夕方、宿の二階の部屋で四人が集まった。


 レオンの部屋、机の上に地図が広げられている。窓の外は港湾、夕方の橙の光が屋根を染めていた。レオンが先に話し始めた。


 部屋には潮の匂いと紙の匂いが混じっていた。レオンの聖剣は腰にある。カイは椅子の背に手を添えて立ち、ヴァローは窓に近い影の側を選んでいた。俺は壁際だ。盾を背負ったままでも邪魔にならねえ位置を取る。


「住民の声は集まった。事件の三日目、街は事件の余波を抱えたまま日常に戻り始めてる。客員賢者への評価は、感謝と畏怖の同居だ」


 カイが続けた。


「信徒の家を二件、回りました。亡くなられた方の遺族の祈祷と、心のケアです。海守りの方が同じ家にいらして、お互いの儀礼が異なる体系で同じものを目指しているという気づきを受け取りました」


 カイの声は朝より少し低かった。遺族の家を回った後の声だ。祈った者の喉には、祈りの湿りが残る。俺はその辺りに詳しくねえが、長く一緒にいれば分かることはある。


 ヴァローが短く挟んだ。


「興味深い」


 それ以上は語らなかった。カイは短く頷いた。レオンが俺の方を向いた。


「ガイウス、お前の方は」


「武器商街と鍛冶屋と港警備、それから海守り衆の戦闘員と擦れ違った」


 俺は短く返した。それから、地図の上の港湾の西の方角を指で撫でた。


 地図の紙は何度も広げられた跡があり、折り目の山が指に引っかかった。西の外洋寄り。紙の上では薄い線だ。だが昼に聞いた言葉の中では、そこだけがやけに重かった。


「海賊側の頭の刀がアズリウム製だった、という証言がある」


「アズリウム」


 ヴァローが一拍止まった。観察者の眼が、その情報を一段深く受け取った合図だった。


 灰色の瞳が地図から俺へ移り、また地図へ戻る。ヴァローは感情を声に乗せねえ。だが情報が腹に入った時、目の奥だけがわずかに沈む。それはもう何度も見た。


「アズリウムは、海洋同盟の海産特殊金属だ。海守り衆の伝統的な武具に使われる。海賊側に渡る経路は、滅多にねえ」


「滅多にない、というのは」


「海守り衆の中の裏切り者か、海賊が海守り衆の武具を奪ったか、または鉱脈そのものに誰かが手を伸ばしてるか、どれか」


「鉱脈」


「西の外洋寄りの深い場所にあるらしい。海守り衆の秘伝だ。逃げた海賊船が向かった方角と、鉱脈の方角が一致してる」


 部屋に短い沈黙が降りた。レオンが机の上の地図を見ていた。ヴァローが灰色のローブの袖を一度払う。カイがロザリオを胸元で握った。


 沈黙の中で、それぞれの眼が違うものを見る。レオンは住民と街を見る。カイは失われた者と残された者を見る。ヴァローは線と構造を見る。俺は武器と足場を見る。それでいい。全員が同じものを見る必要はねえ。


「結論を急がないようにしましょう」


 ヴァローが短く言った。


「材料が一つ増えた、というだけです。構造は、まだ動いている途中です」


「ああ」


 俺は短く返した。レオンも頷いた。カイも頷いた。


 打ち合わせは終わった。


 レオンは地図の端を押さえたまま、しばらく西を見ていた。カイはロザリオから手を離し、静かに息を吐く。ヴァローはもう別のことを考えている顔だった。俺はそれ以上言わねえ。伝えるべきものは伝えた。


──────────────────────────────


 俺は自分の部屋に戻った。


 部屋の窓辺に、夕方の橙の光が斜めに落ちていた。背中の盾を下ろして、寝台の脇に立てかけた。革鎧の留め金を一つずつ外しながら、内で短く呟いた。


 山の方がマシだ。


 港町の音は、頭の表面で跳ねて落ち着かん。海の食事も口に合わん。海守り衆の信仰圏の温度も、俺には馴染まねえ。山の村の朝の静けさが、いまの俺には遠い。


 山の朝なら、最初に聞こえるのは薪の割れる音だ。次に水場へ向かう桶の音。鶏の声、遠い斧、乾いた風。ここでは波が休まねえ。人の声も止まらねえ。港というものは、眠っていてもどこかが動いていやがる。


 ただ、戦闘員としての温度は届いた。武器商主、鍛冶屋の親方、港警備の中堅、海守り衆の戦闘員。風土は違うが、戦闘員としての眼は同じだ。同業の眼は、互いを一目で見抜く。それは山も海も変わらねえ。


 武器商主の古傷。親方の槌。中堅の机越しの眼。潮鎚を背負った男の頷き。どれも長い説明を要らねえものだった。人は自分の仕事を長く続けると、言葉より先に体が名乗る。


 蒼凪殿の権能の話は、戦闘員視点で「対峙したくない」に揃った。レオンの信仰の眼、ヴァローの観察の眼、それから俺の戦闘員の眼。三つの軸で、同じ方角に評価が傾いてる。ただし、結論は急がねえ。ヴァローの言葉を借りる。


 俺は理屈を組む男じゃねえ。見たもの、聞いたもの、触れた鉄の質感を覚えるだけだ。間違った方向へ足を踏み出しそうなら盾を出す。前に出るべき時なら、前に出る。それが俺の仕事だ。


 毛皮のマントを肩から下ろして、寝台の脇に置いた。山岳地方の狼の毛皮、若い頃に自分で仕留めた獣の毛皮だ。村に戻った時、また直してもらう。コルヴが村で待ってる、村への送金もまだ続けねえとならねえ。


 マントの裏地には村の刺繍が薄く入っている。旅で擦れて糸が痩せた場所を指で撫でると、山の女たちの手が思い出される。コルヴはまた背が伸びているだろう。あいつの握る木剣も、そろそろ軽くなっている頃だ。


 俺は寝台の縁に座った。盾の黒鋼が、夕方の橙の光の中で一段だけ深い色に沈んでいた。山の鉄。村の鍛冶屋の打った盾。アズリウムの鎚を背負った海守り衆の戦闘員と、今日交わした視線。


 黒い鉄と青い鉄。山の腹から出た鉄と、海の底から来た鉄。どちらも人の手で打たれ、人の背に乗り、人の命の前に置かれる。そう考えると、遠い土地の鉄でも妙に近い。


 鋼と鋼が、街角で頷き合う。それだけのことだった。それだけのことが、戦闘員の腹に残る。


 窓の外で、港湾の夜が薄く深まり始めていた。


 屋根の橙が消え、海の方から青黒い影が上がってくる。桟橋の声はまだ続いている。遠くで鎖が鳴り、誰かが短く笑った。俺は盾の縁に手を置き、黒鋼の冷えを掌で確かめた。


 俺は短く息を吐いた。


 明日もこの街で動く。明後日のことは、明後日に決める。山の方がマシだ、と内でもう一度呟いた。それで、今日の俺の役目は終わりだった。

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