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第93話 光の向こうへ

神殿の最深部、五百年の因果が収束したその場所に、鈴木ケンは立っていた。

彼の目の前には、かつて彼をこの過酷な異世界へと招き寄せた、あの純白の光の扉が静かに佇んでいる。すべてを終え、ルールを塗り替え、この世界の理を「命のやり取り」から「知恵の交流」へと解き放った今、ケンの役目は終わったのだ。

ふと、ケンは傍らに佇む佐藤栞を見つめた。

かつてサキュバスの瘴気に心を蝕まれ、暗い深淵に囚われていた彼女は、今は本来の穏やかな佐藤栞の姿を取り戻している。彼女は、静かに光の扉を見つめていた。その瞳には、異世界で味わった苦難と、救われた喜びが混ざり合っている。

「栞」

ケンが名を呼ぶと、彼女はハッと顔を上げた。


「一緒に帰らないか。元の世界に」


ケンの言葉に、栞は目を見開き、そして次には溢れんばかりの涙をこぼした。彼女は声を上げて泣き出し、それでも「はいっ!」と何度も何度も頷く。

「……ケン君、ありがとう。ずっと、ずっと帰りたかったの」

彼女は光の中に足を踏み入れた。その背中は、かつての怯えを脱ぎ捨て、希望に満ちている。

「待ってるからね、ケン君……!」

彼女の姿は、眩い光の中に溶け、元の世界へと帰還していった。

ケンは、静かに溜息をつき、自らも光の中へ踏み出そうとした。


――その時だった。

「ケンッ!」

背後から、聞き慣れた、そして何よりも愛しい声が響いた。

振り返ると、そこにはマチが立っていた。彼女の瞳は真っ赤に腫れ上がり、必死の形相でケンの元へと駆け寄ってくる。

「行かないで……! 嘘よ、嫌よ、ケンがいなくなるなんて!」

マチはケンの胸に飛び込み、彼の服をぎゅっと掴んで離さない。

「私も……私もケンの世界に行きたい! どこまでもついていくわ。ケンのいない世界なんて、あたしには考えられない!」

ケンは驚き、そして胸の奥が熱くなるのを感じた。

マチ。彼女との出会いは、この異世界での戦いの中で、唯一の、そしてかけがえのない安らぎだった。シズクやシオンとの激闘のさなか、彼女がどれほど自分の支えとなってくれたか。その温もりを失うことを想像しただけで、ケンの心は締め付けられた。

「……マチ」

ケンは照れくさそうに、赤面しながらマチの肩を抱き寄せた。

「……本当は、俺も同じ気持ちだったんだ。本当は、ずっと一緒にいて欲しかった。……ずっと、愛しているんだから」

マチは驚き、そして満面の笑みを浮かべて、涙を拭った。

「もう! ……それ、早く言ってよ!」

神殿の広間では、別れを惜しむ仲間たちが集まっていた。

シズクは、一人の女性としての凛とした表情で、ケンとマチを見送る。

「貴方たちなら、どんな世界でもやっていけるわ。……またいつか、違う形で会えることを願っている」

不死鳥フェニクスもまた、黄金の炎を羽ばたかせ、二人を祝福した。

「行け、裁定者よ。未来は、お前たちがその手で創り出すものだ」

ケンとマチは、しっかりと手を繋ぎ合った。

その指先には、マチが贈った指輪と、二人の絆が光っている。

「行こう、マチ。俺たちの新しい世界へ」

「ええ、ケン!」

二人は同時に光の扉を見据えた。

扉の向こうに広がるのは、知らない空、知らない街、そして見たこともない明日。しかし、隣に大切な人がいるなら、どんな場所だってきっと楽園に変えられる。

ケンとマチは、繋いだ手を離すことなく、未来への光の中に足を踏み入れた。

異世界を救い、因果を塗り替えた裁定者と、その隣で微笑むマチの姿が、光の彼方へと消えていく。

二人が去った後の神殿には、ただ、爽やかな風と、新しい時代の幕開けを告げる朝の光だけが残されていた。

鈴木ケンの伝説は、ここに至って一つの幕を閉じる。しかし、彼らが紡いだ絆は、この世界に、そして彼らが向かう世界へと、永遠に語り継がれていくことだろう。

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