第91話 終焉
黄金の光と、漆黒の混沌が激しくぶつかり合う神殿の広間。
ケンの一打が放たれるたび、五百年の歴史が積み上げた石畳が軋み、崩落していく。残る勝数はあと二つ。98勝で並ぶ者はいなかった。盤上の理は、今やケンの手の中に完全に収束していた。
ケンは、かつて田中勇が悩み、そして捨てた『勇者牌』と『魔王牌』を、躊躇いもなくその掌へと引き寄せた。
「勇気のない魔王も、魔性のない勇者も、この世界を救うには足りないということを」
二つの牌が交差する瞬間、神殿を埋め尽くしていた光と闇が一つに溶け合う。ケンの打牌は、シズクの法理をすり抜け、シオンの悪意を調和へと変え、サトウの幻惑を真実へと収束させた。
「ロン!――天律の完成!」
99勝目。そして、光の奔流が神殿を突き抜けた瞬間
――100勝目が刻まれた。
すべての牌が卓から消え、静寂が訪れる。
敗北したシオン、シズク、そしてサトウの三人は、ただ呆然とその場に崩れ落ちた。勝利を失った彼らの背後には、これまで背負い続けてきた五百年の因果の残滓が、黒く重い霧となって立ち込めていた。
「シオン、シズク、サトウ。……お前たちの苦しみは、もう終わりだ」
ケンの言葉に応えるように、巨大な漆黒の姿となったケロベロスが、三人の前に進み出る。その三つの頭が、それぞれ異なる業を宿していた。
まずケンはシオンを見つめた。蠱毒の呪いに蝕まれ、国民の怨念を取り込み続けたシオンの魂。
「シオン。お前が飲み込んだ悪意を、すべてケロベロスに預けろ。もう、独りで背負わなくていい」
ケロベロスがシオンの頭上にその一つ目の顎を広げ、黒い霧を吸い上げる。シオンの肌から色が戻り、黒く染まっていた瞳に、柔らかな光が宿った。彼は、何十年ぶりだろうか――かつての、汚れなき王子としての表情でケンに微笑んだ。
「ケン……。ああ、なんて心地よいんだ。五百年の重石が、ようやく……」
シオンの身体は光の粒子となって消えていく。その最期は、誰よりも穏やかな眠りの中へ落ちていくようであった。
次にケンは、サキュバスの瘴気を纏ったサトウの前に膝をつく。
ケロベロスがサトウの背後にいたサキュバスの禍々しい影を喰らい尽くす。その腹の底に封印されていた、かつての佐藤栞の魂が、光となってサトウの空虚な肉体へと吸い込まれていく。
「……ここは? 私、どうして……?」
佐藤栞の瞳が元に戻る。彼女はケンを見上げ、その顔を真っ赤に染めて涙を流した。
「私……ずっと、暗い場所にいた気がするの。……ケン君、ありがとう。私を、元の私に戻してくれて」
その感謝の言葉を聞き届け、ケンは優しく彼女の手を引いて立ち上がらせた。
最後は、白き王――シズクであった。
彼女の全身を縛り付けていたのは、エルミア家五百年の怨念と、白の一族の生き残りが背負った凄まじいプレッシャーの呪いだった。
「シズク、もう法を盾にして、自分を殺す必要はない」
ケロベロスがシズクを纏う冷たい鎧のような呪いを食い破り、浄化する。彼女を縛っていた「王の矜持」が崩れ去り、ただの等身大の女性としてのシズクがそこに現れた。
シズクは、自身から消え去った重みに驚き、自分の掌を見つめた。
「……ケン、私はどうすればいいの? 王でもない、一族の希望でもない、ただの私に……何ができるというの?」
ケンは彼女の肩に優しく手を置き、窓の外に広がる、今にも夜明けを迎えようとしている廃墟の城を見つめた。
「シズク。王としてではなく、ただの女性として、明日をどう生きたいか。それを考える時間なら、これからの五百年、いくらでもある」
シズクは、初めて心からの笑みを浮かべた。その表情は、メガネをかけていた頃の冷徹な仮面よりも遥かに美しく、人間味に溢れていた。
空には、不死鳥フェニクスが黄金の炎を纏って舞い上がり、世界の夜明けを告げている。
ケンは卓に並べられた牌を見つめた。かつて田中勇が残し、そして自分たちが塗り替えたこの世界の理。
「天律は完成した。……これからは、誰かを縛るための牌じゃない。誰もが自分の未来を、自分で掴み取るための牌だ」
神殿には、新しい時代の風が吹き抜けていた。五百年の歴史という名の重い鎖を断ち切り、ケンたちはようやく、それぞれの「本当の人生」へと歩み出す準備を整えたのであった。




