第8話 天狗と青き国の凡戦
「……ドンジャラ! 三色同盟、エルフ揃い!」
緑の国の客間に、ケンの明るい声が響いた。
卓を囲んでいた三人の子供たちは「あーっ、またおじさんにやられたー!」と悔しそうに牌を崩した。
召喚から一年が経過し、鈴木ケンは劇的な進歩を遂げていた。
半年目の路地裏での戦いで「相手の心理(欲と恐怖)を読む」というコツを掴んだケンは、持ち前の「ババ抜きの直感」をドンジャラに応用し始めたのだ。
子供たちは確かに牌の計算や効率は完璧だが、精神的にはまだ未熟だ。大きな役を狙っている時の目の輝き、危険牌を引いた時のわずかな指の迷い。物流倉庫で培った「不機嫌な上司の顔色を窺うスキル」をフル稼働させることで、ケンは彼らの心理を透視するように読み切れるようになっていた。
その結果、ケンはついに子供たちから勝ち越しを収め、最底辺の『Fランク』から『Eランク(一般市民レベル)』へと昇格を果たしたのである。
「ふふん、どうだフェニクス。これが大人の余裕ってやつだ」
ケンは得意げに鼻を鳴らし、Eランクの証である小さな銅のバッジを磨いた。
「俺の人間観察力があれば、この世界の連中なんて手玉に取れる。案外、使節団の連中も大したことないんじゃないか?」
「……たかだか小学生に勝てるようになったくらいで、よくそこまで天狗になれるな」
ランプの上で、フェニクスが呆れ果てたようにため息をついた。
「いいか新入り。お前が勝てるようになったのは、相手がまだ感情を隠せない『子供』だからだ。SSSランクの使節団を舐めるな」
「わかってるって。でも、少しは自信を持ってもいい頃だろ?」
ケンが笑ったその時、部屋の扉が開き、ルークが足早に入ってきた。
「鈴木殿、のんきに構えている場合ではありません。急ぎ謁見の間へ。青の国から、使節団が交流のために到着しました」
* * *
青の国・アルカナム。
かつて魔法が絶対的な力を持っていた時代を至高とし、今も魔法の復興と知を重んじる策謀の国。
謁見の間には、深い青色のローブを纏った数人の男女が立っていた。赤の国の使節団のような暴力的な殺気はないが、底知れない冷たさと、人を値踏みするような鋭い知性が空気中に漂っている。
「緑の王女殿下。本日は『凡戦』の申し出をお受けいただき、感謝いたします」
青の使節団の代表とおぼしき、銀縁のモノクルをかけた細身の男が、ティアに向かって優雅に一礼した。
「ええ。互いの使節団の技術向上は、天律の定めた良き習わしですから」
ティアが微笑み返し、謁見の間の中央に豪奢なドンジャラの卓が用意された。
「鈴木殿、よく見ておいてください」
ルークが緑の国の代表として卓につく準備をしながら、ケンに小声で言った。
「これが、使節団同士の戦い。この世界における『本物』のドンジャラです」
(本物って言っても、要は牌の組み合わせだろ。俺の眼で、あいつらの手牌を全部読んでやるよ)
ケンはEランクのバッジを胸に、少し高を括ったまま卓の少し後ろで見学を始めた。
緑の国からルークを含む二名、青の国からモノクルの男を含む二名。
計四人の使節団クラスによる『凡戦』が開始された。
「――洗牌」
その瞬間、ケンの背筋に強烈な悪寒が走った。
四人の手が動き、八十三枚の牌が卓上で竜巻のように混ざり合う。あまりのスピードに目で追うことすらできない。瞬きをする間に、完璧な四角い壁牌(山)が完成していた。
(な、なんだ今のスピード……)
そして、配牌が終わり、第一打が放たれた瞬間から、卓の上の空気が一変した。
まるで重力が数倍になったかのような、息苦しいほどのプレッシャー。
「…………」
「…………」
誰も喋らない。ただ、無音のまま、流れるような手つきで牌がツモられ、捨てられていく。
ケンは必死に青の国の男たちの顔色を窺った。
(読め。ババ抜きの直感だ。あいつらは何を待っている? 何を恐れている?)
しかし――何も、読めなかった。
青の国の男たちの顔には、焦りも、欲も、一切の感情が浮かんでいなかった。冷たいガラス玉のような瞳が、ただ淡々と盤面を処理している。
時折、彼らの眉が微かに動いたり、視線が特定の牌に向けられたりする。
(そこだ! あいつは今、赤い牌を欲しがった!)
ケンがそう思った直後、ルークは全く躊躇することなく、その赤い牌を河に捨てた。
「ドンジャラ」の声はない。青の国の男は、ピクリとも反応しなかったのだ。
「……フェニクス、どうなってるんだ。あいつ、確かに赤い牌に反応したぞ」
ケンが震える声で囁くと、フェニクスが冷酷に答えた。
「ブラフ(騙し)だ。視線も、呼吸も、指の動きすらも、使節団クラスになれば完全にコントロールできる。お前のような素人に読ませるための『偽の心理』を演じているに過ぎん」
(偽の心理……!?)
ケンは絶望的な気分で卓を見つめた。
彼らの捨て牌(河)は、素人のケンから見ても異常だった。誰も危険な牌を引かない。互いの捨て牌から相手の手牌を百パーセントの精度で逆算し、極限までリスクを削ぎ落とした論理的な陣形構築。
凡戦(練習試合)であるにもかかわらず、そこには一歩間違えれば首が飛ぶような、濃密な死の香りが漂っていた。
「リーチ」
青の国のモノクルの男が、静かに牌を横向きに置いた。
その瞬間、卓の上の空気がさらに凍りつく。
ルークの表情は変わらないが、彼が次に引いた牌を指でなぞるスピードが、ほんのコンマ数秒だけ遅くなったのをケンは見逃さなかった。
ルークは、自分の手牌から最も安全だと思われる牌を、慎重に河に置いた。
「……ドンジャラ」
モノクルの男が、ルークの捨てた牌を指差し、静かに手牌を倒した。
「連撃、魔法揃い。そして……黒牌(魔王)」
禍々しいドクロの黒牌が、卓の中央で不気味な光を放っていた。
ルークの顔が、微かに歪む。完全に安全だと思い込まされていた牌が、致死量の罠だったのだ。
「見事な心理誘導です、アルカナムの使者殿」
「いえ。エバーグリーンの副団長殿こそ、素晴らしい牌効率でした」
勝負が終わり、両者は静かに頭を下げ合った。
ケンは、その場から動くことができなかった。
胸につけたEランクのバッジが、鉛のように重く、そしてひどく滑稽なものに感じられた。
小悪党の浅ましい欲を読めただけで「人間観察力だ」と天狗になっていた自分が、死ぬほど恥ずかしかった。
あんな化け物たちと、自分は三年後に公式戦で戦うのか?
五年後には、世界の命運を懸けて卓を囲むのか?
(……無理だ。絶対に、勝てるわけがない)
路地裏の勝利で得たちっぽけな自信は、青き使節団の冷徹な一局によって、跡形もなく粉砕された。
鈴木ケン、召喚から二年目の春。
彼は己の「格の低さ」と「世界の広さ」を、最も残酷な形で思い知らされたのだった。




