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第7話 路地裏と交差する思惑


召喚から半年。

緑の国の城下町は、巨大な樹木の根を縫うように石畳が敷かれ、自然と調和した美しい街並みが広がっていた。

しかし、鈴木ケンの足取りは重かった。

(今日も全敗……。小学生相手に半年間、一度も勝てないってどういうことだよ……)

息抜きにとルークから街への外出を許可されたものの、ケンの心は晴れなかった。

ルールも役も完全に頭に入っている。それでも、子供たちの洗練された手筋と、卓全体を俯瞰するような盤面把握能力の前では、ケンの手はすべて見透かされているようだった。

「おい、新入り。暗い顔をして歩くな、陰気がうつる」

肩に止まったフェニクスが小言を言う。

「気分転換に美味い木の実でも買ってこい」

「お金なんて……ルークからもらった小遣いが少しあるだけだぞ」

ため息をつきながら路地裏を歩いていたケンは、不意に足を止めた。

狭い路地の奥から、男の怒鳴り声と、少女の泣き声が聞こえてきたのだ。

「いい加減に諦めな。親父さんが残した借金、お前が払えないなら……体で返すしかないんだぜ?」

「いやっ! やめてください……!」

路地を覗き込むと、ガラの悪い三人組の男が、十歳ほどの少女を壁際に追い詰めていた。

男の手には、ジャラジャラと音を立てる小袋……ドンジャラの牌が握られている。

「この世界は殺し合いも暴力も禁止されてる。だがな、お前が『取引戦』に負けたという借用書がある以上、俺たちがお前を連れて行くのは正当な『天律』の権利なんだよ」

男が下卑た笑いを浮かべた。暴力が禁止されているからこそ、弱者は合法的なドンジャラの契約で縛られ、身ぐるみ剥がされる。これが、この世界の歪んだ現実だった。

「……おい」

ケンは気づけば、路地の奥へと足を踏み出していた。

「そのへんにしとけよ。子供をいじめて何が楽しいんだ」

「あぁ?」

男たちが振り返る。ケンの冴えない風体を見て、鼻で笑った。

「なんだおっさん。エバーグリーンの兵士じゃねえな。このガキの借金を肩代わりでもしてくれるのか?」

「……いくらだ」

「白金貨十枚だ。持ってねえだろ? 引っ込んでな」

当然、ケンの財布にそんな大金はない。ケンは肩のフェニクスと目を合わせた。フェニクスは「やれやれ」といった様子で首を振ったが、止める気配はなかった。

「金はない。だが……俺と『取引戦』をしろ」

ケンは男たちを真っ直ぐに見据えた。

「俺が勝てば、その子の借金は帳消しだ。俺が負ければ……俺が代わりに、お前たちの下働きでも何でもしてやる」

男たちは顔を見合わせ、ドッと吹き出した。

「下働きねえ。おっさん、ランクは? 使節団か?」

「……いや、測定不能(F以下)だ」

「ははっ! カモがネギ背負ってきやがった! いいぜ、その勝負乗ってやるよ!」

男の一人が路地に折り畳みの卓を広げ、慣れた手つきで八十三枚の牌をばら撒いた。

少女が不安そうにケンの服の裾を掴む。

「おじさん、駄目だよ……この人たち、すごく強いんだ……」

「大丈夫だ」ケンは少女の頭を撫でた。

「おじさん、子供相手のゲームにはうるさいんだよ」

ゲームが始まった。

半荘一回勝負。ケンと、男三人の四人打ち。

男たちはニヤニヤと笑いながら牌をツモっては捨てていく。彼らの手つきは、城でケンをボコボコにしている子供たちに比べれば、素人同然の粗末なものだった。

しかし、ケンは焦っていた。

(くそっ……配牌が悪い。上がれる気がしない)

数巡が過ぎた。男のリーダー格が、ニヤリと笑ってリーチ(リーチ相当の宣言)をかけた。

「さあて、テンパイだぜおっさん。次で振り込んだら、お前の負けだ」

強烈なプレッシャーがケンを襲う。

当たり牌を捨てれば、自分の負け。少女は連れ去られ、自分も奴隷になる。

ケンの額から冷たい汗が流れ落ちた。指が震え、牌を引く手が止まる。

(どれだ……。どれが危険牌だ。わからない。子供たちみたいに、盤面を読み切れない……!)

その時だった。

ケンの脳裏に、ふと「いつもの光景」がフラッシュバックした。

正月。親戚の集まり。

甥っ子や姪っ子が、ババ抜きのジョーカーを引かせようと必死にポーカーフェイスを作っている姿。

『ケンおじちゃん、これ引いていいよ』と差し出してくる、あの露骨に上擦った声。少しだけピクピクと動く頬の筋肉。そして、本当に引かれたくないカードを握っている時の、無意識に手に力が入る動作。

ケンは、目の前の男の顔を見た。

男は余裕ぶった笑みを浮かべているが、その視線はチラチラと、ケンが捨てようとしている『青の僧侶(一)』の牌に向いていた。そして、自分の手牌の右端……おそらく当たり牌を待っている部分を、無意識に指でトントンと叩いている。

(……あれ?)

ケンは目を見開いた。

(こいつら……城の子供たちより、全然『底』が見えるぞ)

エルフの子供たちの澄み切った瞳からは何も読めなかった。

だが、目の前の小悪党たちは違う。彼らの顔には「欲」と「焦り」、そして「俺を騙してやろう」という浅ましい感情が、これでもかというほど張り付いていた。

「……リーチって言ったな。待ちは、なんだ? 『赤の戦士』か?」

ケンがカマをかけると、男の眉がピクリと動いた。

「な、何を言ってる……さっさと引け!」

(違うな。赤い牌じゃない)

ケンは、自分の手牌にある『紫の魔術師(七)』を指で弾いた。

その瞬間、男の喉がゴクリと鳴り、無意識に前のめりになった。

(これだ。こいつの待ちは『紫の魔術師』だ。……まるで、ジョーカーを引かせようとする甥っ子と同じ顔じゃないか)

「悪いが、その手には乗らない」

ケンは『紫の魔術師』を抱え込み、完全に安全な牌を河に捨てた。

「チッ……!」

男が舌打ちをする。

そこから先、ケンの世界は一変した。

男たちが何を欲しがり、何を恐れているのかが、彼らの些細な表情の変化、息遣い、視線の泳ぎから手に取るようにわかった。物流倉庫で、不機嫌な上司の顔色を窺いながら三十九年間生き抜いてきた「大人の観察眼」が、ドンジャラの心理戦において完全に噛み合った瞬間だった。

「リーチ」

終盤、ケンが静かに宣言した。

男たちは顔色を変えた。彼らはケンの当たり牌を読もうと必死に目を凝らすが、ケンの顔には、仕事帰りの満員電車で死んだ魚のような目をしている時と同じ、完全な『無』の表情が張り付いていた。

「……ドンジャラ」

次の一巡。男の一人が震える手で捨てた牌に、ケンが静かに声をかけた。

「単色陣、魔術師揃い。……それから、お前らが俺に押し付けようとした『紫の魔術師(七)』の暗刻だ」

男たちの顔が蒼白になる。

「ば、馬鹿な……俺たちの待ちを完全に読んで……!」

「ババ抜きじゃ、負けたことがないんでね」

ケンは立ち上がり、男たちを見下ろした。

「借用書、置いていけ。それから、二度とこの子の前に顔を出すな。次は『死闘』で相手してやるぞ」

「ひぃっ……!」

男たちは借用書を放り投げ、蜘蛛の子を散らすように路地の奥へと逃げていった。

「おじさん、ありがとう……! 本当にありがとう!」

少女が泣きながらケンの腰に抱きつく。

ケンは少し照れくさそうに、少女の頭を撫でた。

「ほう」

ずっと沈黙していたフェニクスが、ケンの肩で面白そうに喉を鳴らした。

「ただの案山子かと思っていたが……少しは『眼』が開いてきたようだな、ケン」

     * * *

だが、ケンはこの時気づいていなかった。

路地裏での一部始終を、離れた場所から監視している者たちがいたことに。

一人は、少し離れた建物の屋根の上から見下ろしている影。

地味な行商人の外套を羽織ったその男は、風でめくれた裏地から鮮やかな『青』の装束を覗かせていた。男の右手には、微弱な魔力を帯びた水晶玉が握られている。

「……見ましたか、〇〇様」

男は水晶玉に向かって、小さく囁いた。

「噂通り、牌効率や盤面把握は素人以下。緑の国の子供にすら負けるという情報に嘘はありません。ですが……あの男、相手の『恐怖』と『欲』を読み取る嗅覚だけは異常です。まるで、人間の心の醜い部分だけが透けて見えているような……ええ、あれは決して無能な中年ではありません」

水晶玉の奥で、美しい女の笑い声が微かに響いた。

そして、もう一箇所。

赤のカルディアの城、謁見の間。

「――緑の王女は、提案をきっぱりと拒絶しました」

先日、緑の国を訪れた三人の女性使節団が、玉座に向かって片膝をついて報告を終えていた。

「そうか。まあ、エルフの小娘ならそう答えるだろうな」

玉座から響いたのは、野太くも快活な男の声だった。

赤の国の王、タナカ・サトシ。

500年前の英雄・田中勇の直系の血を引く、四分の一の世界を統べる男。

彼が立ち上がった時、三人の使節団の女性たちは、畏敬の念を込めてさらに深く頭を垂れた。

サトシの出で立ちは、ファンタジー世界の王とはあまりにもかけ離れていた。

見事なまでに剃り上げられた青々とした丸坊主。そして、筋骨隆々の巨体を包み込んでいるのは、黒い詰襟の衣服――そう、日本の『学生服(学ラン)』だった。

彼にとって、この奇妙な衣服と髪型こそが、初代英雄タナカ・イサムをリスペクトする『正装』であり、武の極致を体現する神聖な姿なのだ。

「裁定者・鈴木ケン……。今はまだ、緑の国の子供にも勝てぬ小石に過ぎんらしいが」

サトシは己の丸坊主を撫でながら、不敵な笑みを浮かべた。

「その小石が、どれほどの『ドンジャラ』の原石を秘めているのか。いずれ公式戦の卓で、このサトシ自らが試してやろう」

青の国の知と、赤の国の武。

世界を動かす二つの国の視線が、路地裏で初めての勝利を味わったばかりの、冴えない39歳の男へと向けられていた。

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