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第88話 調和の光


神殿を支配していたのは、もはやドンジャラの牌を弾く音ではなかった。

サトウの放つ幻惑の瘴気と、シオンが飲み込んだ世界中の悪意が混ざり合い、広間は地獄の釜のような黒い渦に巻かれていた。結界を守るフェニクスの炎さえもが、シオンから溢れる漆黒の霧によってその色を濁らせている。


「……終わりだ。この混沌こそが、魔王の再臨に相応しい」

シオンが卓に牌を叩きつけるたびに、周囲の空間が歪み、魔物の死体が怨嗟の叫びを上げて崩れ去る。彼の肌は完全に闇に染まり、その瞳からは、もはや人としての理性は失われていた。

シズクでさえも、シオンが放つ未知の悪意の奔流を前に、冷徹な計算を狂わされ始めていた。彼女の琥珀色の瞳が揺らぐ。

(計算が……合わない。彼の中に存在する「悪意の総量」が、私の予測を突き抜けている……!)

広間全体が、誰の目にも明らかな「ケンの敗北」へと傾いていた。

サトウは69勝で盤面を掌握し、シオンは圧倒的な黒の力で場を支配する。シズクの法でさえも、その混沌を制御しきれない。

そんな中、鈴木ケンは一人、牌の前に座り、静かに呼吸を整えていた。

ケンの意識が、深淵へと沈み込む。

その時だった。卓の上に並ぶ八十三枚の牌が、突如として眩いばかりの光を放ち始めた。

「……見える」

ケンは呟く。これまで複雑に絡み合っていたサトウの幻惑の糸も、シオンの黒い霧も、シズクの緻密な魔法陣も、ケンにはすべて「光の粒子」となって見えていた。牌が呼応しているのではない。ケンが、世界そのものの「理」と完全に同調していたのだ。

――ゾーン。

極限の集中が、少年の視界を神の領域へと昇華させた。

ケンの左手薬指には、マチから贈られた絆の指輪がはめられている。その銀の輪が、ケンの打牌と響き合うように黄金色に輝き始めた。

(マチ……。ありがとう。あんたがくれたこの指輪が、俺の牌に……俺の魂に、道標をくれている)

ケンは心の中で、自分を信じて戦場に送り出してくれた仲間たちに礼を言った。指輪から伝わる温もりが、シオンの黒い霧を焼き払い、シズクの冷たい理を包み込む。

ケンが牌を弾く。

その一打は、静寂そのものだった。だが、次の瞬間、盤面は劇的に変化した。

シオンの「悪意」とシズクの「法」、そしてサトウの「幻惑」。相反するはずの力が、ケンの牌によって一つの円環の中に組み込まれていく。

「なっ……! 貴様、私の蠱毒を取り込むのか!?」

シオンが驚愕に叫ぶ。だが、ケンは淡々と牌を捨て続ける。

「取り込むんじゃない。……お前たちの抱える『業』も、この世界の一部なんだ。なら、俺がすべてを受け入れ、調和ハーモニーさせる」

ケンの牌は、光を放ちながら盤面を駆け巡る。

シズクがその力に圧倒される。彼女の琥珀色の瞳が見開かれる。

「嘘でしょう……。法でも、理でもない。……ケン、貴方は何をしたの!?」

シズクが必死に打ち返そうとするが、彼女の計算よりも早く、ケンの打牌が『四国統一』、そしてさらなる高みの『天律の完成』へと繋がっていく。


サトウの幻惑さえも、ケンの指輪が放つ純粋な光の前では、無力な影に過ぎなかった。

次々と牌が揃い、勝利が積み上がっていく。

40勝、50勝、60勝……。

広間を包んでいた黒い霧が、光に浄化され、神殿に清らかな風が吹き抜ける。不死鳥フェニクスもまた、その炎の姿を本来の黄金色へと戻し、鳴き声を上げた。


90勝。

ケンが勝利の宣言を口にした瞬間、広間が黄金の閃光に飲み込まれた。

サトウは膝から崩れ落ち、シオンの黒い霧は霧散した。シズクだけが、信じられないものを見る目で、卓の向こうに座る少年を凝視している。

ケンの瞳には、もはや迷いはない。

光の力と黒の力を調和させたその打牌は、神にすら等しい輝きを放っていた。

「さあ……。ここからがクライマックスだ」

ケンは、卓の上に並べられた最後の牌に手をかけた。

90勝。あと10勝。

世界樹の果実が、今まさに、その実を成熟させようと、激しく鼓動している。

四人の裁定者が作り上げた神殿の結界は、限界を超えて軋み始めた。

五百年の因果を背負った少年は、静かに盤面を見つめる。

全ての命を、すべての憎しみを、すべての法を調和させるための、最後の一手に向けて。

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