第86話 琥珀の覚醒
旧白の国の廃墟、アルカナ城跡。その地下から発せられた膨大な魔力は、禁足地という結界を突き破り、空高く伸びる光の柱となって世界中に放たれていた。
かつて田中勇が魔王を打倒したその場所で繰り広げられる、四人の裁定者による天律戦。その戦いの模様は、アルカナの意志によって世界各地に設置された『投影水晶』を通じて、リアルタイムで中継されていた。
鋼都バルガンの広場、魔都エルシオンの魔法塔、樹都エルダナの世界樹の根元。
世界中の国民が、息を呑んでその光景を見つめていた。画面の中で繰り広げられるのは、ドンジャラという遊戯の枠を遥かに超えた、理の応酬である。一打ごとに地面が裂け、空気が震え、四人の周囲に渦巻く魔力は天を焦がすかのような威容を誇っていた。
「あれが……天律戦か」
「なんて……なんて圧倒的な力なんだ……」
人々は、言葉を失っていた。それは雲の上の決戦。地上に生きる者たちが踏み込めるはずもない、神々と魔王の眷属による、世界の行方を決める戦い。誰もがただ、その圧倒的な光景の前に膝を屈するしかなかった。
死闘は苛烈を極めた。
互いに勝利を重ね、四人全員が25勝という並びで膠着する。
卓の上には、八十三枚の牌が放つ禍々しい光と、裁定者たちの殺気が混ざり合い、もはや物理的な質量となって盤面を支配していた。
「……計算は完璧。貴方たちの打牌の癖、心理的死角、すべて把握したわ」
シズクが冷ややかな声を響かせる。彼女はこれまで、常に冷静沈着な情報戦スタイルを貫いていた。しかし、その瞳の奥には、五百年の悲願を背負う者特有の、底知れぬ飢えが宿っている。
シズクは、鼻筋に鎮座していた銀縁の丸メガネを指先で外し、卓の端に静かに置いた。
その瞬間、彼女の印象が劇的に変わる。
これまで理知的な仮面の下に隠されていた、美しい琥珀色の瞳。それが、今はまるで燃え上がる情念を宿したかのように、ギラリと妖しく光り輝いた。
「あら、ごめんなさい。……これからは、少しだけ本気でいかせてもらうわ」
シズクが不敵な笑みを浮かべる。彼女の背後に、アルカナ王国時代の魔法塔の幻影が、かつてない鮮明さで浮かび上がった。
シズクの変貌は、盤面を即座に塗り替えた。
彼女が次に放ったのは、シズク自身しか知るはずのない、古代魔法とドンジャラの牌を融合させた未知の戦術だった。
「――見てなさい。法を司る者が、いかにして盤面を支配するかを」
シズクは、誰もが予想し得ない奇手で牌を捨て、周囲を驚愕させる。一見すると無意味に見える打牌。だが、その数ターン後、卓上に並んだ牌たちが連鎖反応を起こし、シズクの勝利を確定させる『アルカナ再臨』の役が完成する。
「そんな……っ!」
サトウが悲鳴を上げ、シオンがそのあまりの理不尽さに殺気を剥き出しにする。しかし、シズクの琥珀色の瞳は、そんな彼らさえも「盤上の駒」として見下ろしていた。
シズクの打牌は加速する。
彼女が勝つたびに、シズクの勝数は着実に積み上がっていく。26勝、27勝……そして30勝。
ケンの思考盤『C6P』が警報を鳴らす。
(速すぎる……。さっきまでの戦術とは、脳の回路が別物だ。彼女の瞳……あれは、計算しているんじゃない。世界を『書き換える側』に視点を移しているんだ)
ケンは冷や汗を拭い、サクラやマチから教わった「直感打ち」の技術を限界まで引き上げる。だが、今のシズクは、まさに盤上の神そのものだった。
シズクは愉悦に浸るように、次々と勝利を重ねていく。牌を弾く指先が、まるでピアノを奏でるかのように軽快に、そして残虐に、ライバルたちの希望を摘み取っていく。
35勝。
彼女が35勝目を上げた瞬間、広間を包む魔力が黄金色から、白く透き通るような冷徹な輝きへと変わった。
「さあ、どうするの? 鈴木ケン。貴方が田中勇様の遺産をすべて使い果たしても、私という壁は越えられないのよ」
シズクの琥珀色の瞳が、燃え盛る情熱でケンを射抜く。
世界中の国民が、その姿を水晶越しに見つめ、息を殺す。シズクの本気は、天律戦という名の戦場に、かつてない絶望と熱狂を呼び込んでいた。
シズクの独走を許すのか、それともケンがその防壁を砕くのか。
神の如き強さを誇る白の王を前にして、少年・ケンは、己が内に秘めた「次なる一手」を模索し始める。




