第82話 不死鳥の変貌と極限の調整
天律戦の開催まで、残された時間はわずか三週間となっていた。
世界を覆う空気が重く澱む中、緑の国・エバーグリーン王国の神殿には、かつてない緊張が漂っている。
世界樹『イグドラ』の頂で咲いた『天律の華』は、今や美しい花弁を落とし、その中心に一つの果実を結び始めていた。それは五百年に一度、世界の理を書き換えるための『天律の果実』である。
その果実の周囲では、守護者である不死鳥フェニクスの様子が激変していた。
普段は掌に収まるほどの愛らしい姿であったフェニクスが、今や神殿の天井を突き抜けんばかりの巨大な炎の塊と化している。
その羽毛から零れ落ちる炎は、触れるものすべてを焼き尽くすかのような高熱を放っていた。
「熱い……! フェニクス、どうしたんだ!」
ケンが神殿に足を踏み入れると、フェニクスは鋭い眼光をケンに向けた。その瞳は、もはやかつての毒舌を弄する使い鳥のものではない。数千年の記憶と、世界の守護者としての威厳が宿る、荘厳な賢者のそれであった。
「説明してやろう……。天律戦が近づくにつれ、果実が放つ魔力は増大する。今や、その力に魅入られた邪悪な者たちが、各地からこの神殿を狙っているのだ」
フェニクスは巨大な翼を翻し、果実を覆うように炎の結界を張った。
「私は、天律戦を炎審判として見届けるだけではない。この果実が結実し、次なる裁定者が食するその瞬間まで、いかなる干渉も許さぬ守護者……。それが、我ら不死鳥の真の役割よ」
その言葉を聞き、ケンは自身の背負うものの大きさを改めて痛感した。自分が奪おうとしているのは、この世界そのものを形作る「核」なのだ。
神殿の回廊では、ティアが静かにドンジャラ卓を整えていた。
ケンが修行の場として選んだのは、フェニクスの守護する神殿の広間である。そこにはティア、マチ、そして赤の国から急遽駆けつけたタナカ・サクラの三人が待機していた。
「ケン。不死鳥の炎は、貴方の心を映し出すわ。集中しなさい」
ティアの声は涼やかでありながら、鋼のような厳しさを秘めている。
「そうよ、ケン! 私たちを相手に、今の貴方の実力を見せてみなさい。決勝で戦うであろう強者たち以上に、あたしたちが貴方を追い詰めるんだから!」
サクラが挑発的に牌を並べる。その隣で、マチが深く頷いた。
「ケン。あんたがどんなルールを作ろうと、あたしはあんたの盾として、最後まで盤面を守り抜くわ」
ドンジャラが始まる。
四人で行われる最終調整は、もはや遊びではなかった。サクラの幻惑戦法、マチの鉄壁の守備、そしてティアの五百年に及ぶ実戦経験が、ケンの思考盤『C6P』を容赦なく削り取っていく。
(速い……。以前よりも、みんなの呼吸がシンクロしている)
ケンは額に浮かぶ汗を拭いもしない。脳内を駆け巡る無数のデータが、彼に最適解を突きつける。だが、それだけでは勝てない。五百年前の田中勇が、この神殿で何を想い、どの牌を捨てることに迷ったのか。その「英雄の葛藤」までをも読み解こうと、ケンは神経を研ぎ澄ませていた。
「……ロン。これで終わりだ」
ケンが打ち出したのは、赤・青・緑・そして勇者牌を組み合わせた『四国統一』の役だった。サクラが小さく舌打ちし、ティアが満足げに目を細める。
「合格ね。今の貴方の打牌には、迷いがない。……世界樹の加護が、貴方の思考を導いているわ」
調整を終えた後、ケンは一人、結界に守られた天律の果実の前に立った。
巨大なフェニクスが、その燃えるような翼でケンを覆う。
「……恐れぬか、ケンよ。この実を食せば、貴方は今の自分を失うことになる。五百年前の田中勇も、そうしてこの世界の理に埋没していったのだ」
ケンは果実を見つめた。その表面には、過ぎ去った五百年の歴史、そしてこれから生まれる未来の断片が、万華鏡のように映り込んでいる。
「俺は、失うことを恐れない。俺が俺であることを捨ててでも、この世界に『救い』をもたらすルールを作る。……それこそが、田中勇が果たせなかった願いの先にある答えだからだ」
その決意をフェニクスは黙って聞き届けると、再び炎の壁を厚くした。
天律戦まで、あと三週間。
世界樹の花実は、ケンの覚悟を吸い上げ、より禍々しく、そしてより美しく成熟していく。
ケンは神殿を後にしながら、遥か遠く、白の国の廃墟へと視線を向けた。
シオン、サトウ、そしてシズク。すべてを牌に込めて、このケンは王となるための最後の試練を迎えようとしていた。




